支度
「えっ!?誰かが石を付け替えたんじゃなくて、最初からついてた石が育ったっていうのかい?」
サークレットの魔晶石が急に大きくなっていた件について、昨日、私が寝ている間に誰かが細工をしに来たかどうか、オリエ達に訊ねると、二人は目を見開いてクスクス笑った。
「魔晶石は自然に育つんです。身に着けた人が使った魔力、取り込んだ魔素の質と量に合わせて少しずつ育っていくものなんですよ」
防具の装着を手伝ってくれながら、クレオがサークレットの変化について教えてくれた。
サークレットの中央にはめ込まれた魔晶石が、言語の翻訳や魔法の発動をなど様々な効果をもたらしてくれるのはわかったつもりだったが、使えば使うほど石自体が成長していくなど、実際に見てもにわかには信じられない。
百歩譲って魔晶石を結晶の類だと思えば、無機物が成長するという現象を概念として受け入れることもできなくはないが、それでもやはり一晩で1.5倍以上の成長率というのはどういうものか。
「勇者様は良くお休みでしたからお気づきにならなかったんでしょうが、明け方、サークレットがキラキラ光っていましたよ。朝日が差して来たのかと思ったくらい……たぶんその時に変化していたのかもしれません」
手甲の紐の締め具合を確かめつつオリエが微笑む。
それから、この世界で有名な魔晶石について教えてくれた。
神殿や王城に代々伝わる、儀式などに使用される魔晶石はガチョウの卵くらい大きいのだとか、大昔に世界を救った伝説の英雄のサークレットには、胡桃ほどの大きさの魔晶石が3つも付いていたという話だとか。
一方、魔力がない人間が簡易な魔法を使うために造られた魔道具には、中に小さな魔晶石を入れて利用するのだが、それは魔力を使う度に少しずつ小さくなっていき、最後にはなくなっていくものだと。
彼らにとって魔晶石は変化するのが当たり前なのだろう。
それにしても成長率が高すぎはしないか?
その点をクレオに確認してみると、確かにこんなに短期間で大きくなる魔晶石ははじめて見たと頷いた。
私にひととおり防具を着せ終わると、クレオは満足げにニコリと笑った。
「それだけ勇者様の魔力がとてつもないということでしょう」
オリエとクレオは、胴着や手甲の編み上げ部分にいちいち指を挟んで、締め過ぎていないか確認してくれる。
最初、病院の検査着のような貫頭衣とズボンだけだった私は、二人の手際よい着付けのおかげでなんとか戦士らしいいでたちに整えてもらっていた。
皮製の胴着に幅広のベルト、膝丈のブーツと手甲を着け、ベルトには携帯ケースくらいの大きさの小物入れが右に、左には下げ緒がついていて、あとはここに剣を帯びるだけになった。
剣は昨日の訓練の時に支給されたものを、クレオが綺麗に磨いてくれていた。
小物入れの脇のホルダーには投擲にも使える小刀が2本。
それと金属で補強された木製の丸い盾が私の初期装備の全てだ。
これだけの装備とたった半日の訓練で、今日はもう王都の外で実際に魔獣を狩らされる。
王女が大仰に言っていた「勇者に与えられる充分な訓練と装備」とは、つまるところたったこれだけなのだ。
これ以上の性能の装備は支給されないので、必要ならば王都にある防具屋で購入するようにとのことだった。
渡された支度金は銀貨20枚。こちらの貨幣価値が全くわからないのでクレオに素直に訊ねると、標準的な騎士用の鎧兜を揃えるとなくなってしまう程度の金額だという。
初期費用としては些か少ないような気もするが、宿代は教会に寝泊まりする分には基本的に朝夕2食付きでもタダ。怪我の治療なども教会に戻れば、わずかなお布施さえ払えば誰でも受けられるというから、教会をベースに活動すれば、贅沢しなければ現金など無くても充分生きていける。
宿泊や食事のサービスは、国内全てのの街や村、教会やその分館がある場所ならどこでも受けられる。
もし教会の無い集落でも、聖教会を信仰している所でなら、勇者のサークレットを示せば巡礼者と同等以上のもてなしをされるのだそうだ。
この国内での聖教会の影響力と、それを支える財力は相当なもののようだ。
そういえば、従者の中には教会税を払えなくなって従者になった者もいると言っていた。
国民の税負担はどのくらいなんだろう。
オリエ達はまだ未成年なので税のしくみまでは知らないようだが、都市はともかく地方の農民は、その年の収穫の1割程度を教会に収めているらしいと言った。
そうこうするうちに時間になった。
今日は王城前の広場で出陣式とやらがあるとかで、勇者は全員、装備を整えて中庭に集合することになっていた。
その時刻をふれて回る声がせわしなく宿舎の廊下を駆けていく。
出陣式自体はそれほど時間はかからないというので、式が終わったらそのまま街中を見物して、軽く手馴らしがてら王都の外に出てみようと思う。
オリエとクレオにそう告げて、いつでも出掛けられる格好をしてついておいでと言うと、二人はすぐさま布製の荷物袋をリュックのように背負い、小剣と木製の盾を持って私の後に従おうとした。
彼らの服装は昨日の召喚の間で出会ったときからほとんど変わっていない。
オリエはビキニのような白い上下に薄物のチュニックを羽織った程度。
クレオは片方の肩から腰の周りを覆うように白い布を巻き、ベルトでとめただけ。
あとは編み上げのサンダルと首の従者の環を身に着けただけで、防具はおろか外出用の風除けすら無い。
こちらの気候は、日本でいうとちょうど春先か晩秋あたりか、昼間に身体を動かす間は半袖でよさそうだが、朝夕は結構冷える。
美形の姉弟の白い薄物姿は、ギリシャやローマ時代の服装のようで鑑賞するぶんには天使みたいに綺麗だと思うが、室内ならともかく外を歩くにはだいぶ肌寒そうだ。
他に着るものは無いのかと訊ねると、従者に与えられるものはこれだけですと俯いた。
これは早々に彼らのまともな衣装を調達せねばなるまい。
まして従者として魔獣狩りにも連れて行くなら、せめて怪我などせぬよう基本の防具も揃えなくては。
とりあえず今着られるものは何かないかと考えて、私の私物が入った袋を思い出す。
ベッドの上に中身を出してみると、召喚された時に身に着けていた衣服や小物が転がり出る。
ダブルの白衣、Vネックの黒の手術着の上下、ハンカチ、靴下、聴診器、腕時計、携帯、財布、家と車の鍵、ボールペンが数本、ペンライト。
衣服はちゃんと洗って乾かしてあったので、そのまま着ても問題なさそうだ。
白衣をオリエに、手術着の上下をクレオに着せてみる。
白衣の前ボタンを全部かけてその上からベルトをしめると、やや胸元が開き気味の白いワンピースのようになった。
クレオは上着はかなりだぶだぶだが下のズボンはちょうどいい。
オリエもクレオも身長は私の肩くらいなのだが、クレオがズボンの裾を曲げる必要がない事に私は地味に落ち込んだ。
この世界でのファッション的にはだいぶズレているだろうけれど、寒いよりはマシだろう。
それはそのまま君たちにあげるから好きに使って、新しい服を買っても返さなくていいと言うと、二人は服の布地が柔らかい、温かいとずいぶん喜んでくれた。
残りの荷物を片付ける前に、ついでに何か役立つ物がないかと物色し、腕時計と、鍵を束ねるのに使っていたカラビナを取り出した。
残念ながら携帯とペンライトは水没の影響かどちらも使い物にならなかった。
しかし腕時計は耐ショック、10気圧防水のおかげで無事動いている。
自動巻きだから電池の心配もいらない。
カラビナは登山用の丈夫なものだから、何か使い道があるだろう。
時計とカラビナをベルトに付けて、使えない物を袋に戻す。
家と車の鍵を袋にしまう時、再びこれを使う機会はもう無いんだろうなとぼんやり思った。
2012年1月31日 投稿




