汚名
※注意※医療行為の描写として流血表現を含んでいます。
すべての始まりは救急隊からの連絡だった。
地域の開業医から妊婦の受け入れ要請。
事前の申し送りの少なさから、状態はそこまで逼迫していないと思われた。
金曜日の午後……土日に出産間近な妊婦を抱え込みたくないからと、小規模な開業医が大病院にリスクの少ない妊婦を送るというのはよくある事だから、どうせ今度もそうだと思っていた。
ところが……送られてきた妊婦は一度も検診を受けた事がない、それどころか妊娠週数すら不明ないわゆる「野良妊婦」
すでに陣痛が始まっていて出血が夥しい。エコーで確認すると前置胎盤……胎児に血液を供給する胎盤が、胎児が体外へ出るために通過する産道を完全に塞いでいる状態。
自然分娩は不可能で速やかな帝王切開が選択され、子はどうにか救えたが、最悪なことに固着胎盤……胎盤が子宮内壁にがっちりくい込んでいる状態……で、普通なら手で引き剥がせる胎盤がどうしても剥がせない。
胎盤が剥がせないと子宮が収縮せず、収縮しないと子宮からの出血は止まらない。
胎盤と子宮はファスナーのようにかみ合っているから、メスで胎盤を無理に切り離せば、胎盤の組織の一部が残って子宮の収縮を妨げ、結局止血できない。
仕方なくクーパー……刃先が丸い医療用ハサミ……の丸い部分で胎盤を鈍的に掻き取るように剥がすが遅々として進まず、そうする間にも出血は増え続け、輸血は湯水のごとくつぎ込んでも間に合わない。
結局、出血源である子宮丸ごと摘出するしか止血方法はなく、子宮全摘に踏み切ったが……時はすでに遅く、DICと出血性ショックで妊婦の心臓は停止した。
心肺蘇生で一時的には心拍を再開したものの長続きはせず、妊婦はついに死亡した。
妊婦の親と夫に事情説明し、全力をつくしたが救命できなかった事を謝罪し、夫に殴られ蹴られ、親に罵倒され、土下座を強要され、下げた頭をさらに足蹴にされ……意識が朦朧としたところを警備員にようやく引き剥がされて一息ついた時、手回し良く警察官が来た。
事情を説明しようと差し出した私の手に、しかし彼らは手錠をかけた。
……その後の展開は、早すぎてほとんど現実味がなかった。
警察署に連行され、顔を隠す事も許されないままカメラの砲列の前を引き回され、テレビも新聞も顔出し実名ででかでかと報道された。
取り調べは昼夜を分かたず行われ、少しぼうっとすれば不真面目だと恫喝され、何度も弁護士を要求してものらりくらりと引き伸ばされた。
勾留期間が過ぎ、病院と医師会が手配してくれた弁護士が来てようやく自宅に帰った私を迎えたのは、更に凶暴化したカメラの砲列と壁の「人殺し」の落書き、そして妻の署名済みの離婚届だった。
ワイドショーや週刊誌は、突然妻を失った夫の悲劇を強調し、手術中の出来事はグロテスクに歪曲され、私が徒に出血を増やし患者を不要に切り刻んだかのように書き立てた。
一部女性週刊誌が私の名前の城之崎をもじった見出しをつけて以来、メディアは私を「切り裂きドクター」と呼びはじめ、それがあっという間に定着した。
そんな報道を見慣れた妊産婦が怖がって寄り付かないからと、勤め先からも復職を断られ、同じ理由で再就職もできない。
仕方なく当直のアルバイトで食いつなぎながら裁判を迎えた頃には、私の処置は適切だった、出血死を回避するのは不可能に近かったと主張してくれる医師も複数出てきてくれていたが、それでも原告側の弁護士は私の処置を「患者の臓器をハサミで切り裂くという極めて乱暴な行為」と決めつけた……
……ビシャッ!
顔面に冷たさが炸裂し、意識を回想から引っ張り戻す。
「そこ!真面目にやらないと本当に死ぬぞっ!!」
怒鳴った教官の指先に、まだ魔力の名残のゆらぎがみえる。彼が魔力で放った小さな水の球が顔面で弾けたのだとさすがに気付いた。
……しまった。戦闘訓練の真っ最中だった……
午後からの実戦訓練は「剣と魔法」の二種類。
全体をおおまかにふたつに分け、武器による戦闘訓練から始めるグループと、魔法の訓練から始めるグループを決め、さらにそれを20人程度の小グループに細分して特訓が開始された。
私は「剣」から始めてあとから「魔法」のグループだ。
教官が魔法で飛ばしてくる水球の標的を、選んだ武器で攻撃する訓練の最中だったのに、つい物思いにふけっていつの間にか自分の番になっていたのに気付かなかったのだ。
教官に謝り再び剣を手に取る。
子供の頃に習ったせいか、両刃の西洋剣ではあるが自然と構えは剣道の上段の構えになる。
構えが整うと同時に担当教官の指先から、今度はミカンの大きさの水球が出現してこちらに向かって打ち出される。
夢中で振り下ろす剣は意外に重く、軌跡がぶれた。顔前に迫る水球を刃先が掠り、水飛沫が視界を遮る。
「次っ!」
飛沫の向こうからまた迫る水球。
構え直していては間に合わない。反射的に片手で下から切り上げる。また刃先を掠った水球は、今度は弾けず軌道を変えて斜め後ろに着弾する。
「まだまだ!」
もうひとつ水球が飛来する時には、崩れた姿勢を立て直し、両手で柄をしっかり握り直す。
「チェストォーッ!」
斜め袈裟懸け。
綺麗に正中に入った刃が水球を真っ二つに切り裂き、細かい霧に四散させた。
「合格っ!そのまま奥へ進め!」
冒険者上がりだという教官は、口元をニヤリと歪めて顎をしゃくる。
私は軽く一礼してから、教官の脇をすり抜けて先へ進んだ。
こんなに身体を動かしたのは久しぶりで、すっかりあがった息を整えながら歩くと、一歩一歩剣の重みが肩に食い込む。
就職して以来の運動不足と、年齢の所為でもあろうが、何よりも竹刀ではない鉄剣の重み……本当に敵を倒す為の武器としての重みなのだろう。
水球をさばけた者には、本物の魔獣が標的に与えられる。
中庭の中央に設けられた小さな闘牛場のようなところに、額に角が生えた黒犬のような生き物が引き出され、それを実際に武器を使って倒せと命じられた。
黒犬は牙をむき、唸りながらこちらを威嚇してくる。
黒犬一頭に対して十数人の「勇者」が立ち向かうのだが、はいそれではと切りかかる者はなかなかいない。
それでも若者が数人、大剣を振りかざしてじりじりと間合いを詰め始める。
四方八方からにじり寄られて黒犬が身を捩った時、ついに「勇者」の一人が犬の尻に切りかかった。
……ギャンッ!
刃が掠ったところから飛び散るのは血飛沫ではなく、金色に輝く小さな光の粒。
続いて二撃、三撃と攻撃が入る度、黒犬の周りに光の粒子が舞い踊る。
流れるのが血ではなく光の粒子であることが気を楽にしたのだろう、後込みしていた「勇者」たちもおっかなびっくり武器を繰り出し始めた。
……ギャンッ!……ギャインッ!
攻撃を受けた黒犬が反撃しようと身を捩ると、また別方向から新たに攻撃が繰り出され、黒犬の体表に小さな傷が増え続ける。
未熟な「勇者」達の寄ってたかっての攻撃に晒された黒犬は、無数の傷から光の粒子を振りまきながら唸り暴れる。
それはちょうど有刺鉄線の束の中に落ち込んだ野良犬が、逃れようともがけばもがく程に傷付いていく姿に似ていた。
……ギャン…ッ……キュウ……ン……
ひとつひとつは致命傷には程遠いながら確実に増え続ける傷から、霧のように立ちのぼる光の中で、徐々に黒犬は弱り始める。
黒犬の勢いに反比例して「勇者」達の威勢は強くなる。
最初切りかかっていた者は言うに及ばず、後込みしていた者達も今や嬉々として武器を繰り出している。
攻撃可能と認識し、また反撃してくる可能性が極めて低く、手を汚す実感が少ない対象に向けてなら、人間はここまで攻撃性を顕わに出来るものなのだろうか。
……キュウ……ン……
魔獣の生命力ゆえか、もはや反撃もままならず時々四肢を痙攣させるだけになっても、黒犬は絶命せず、荒い息の隙から鳴き声をあげていた。
不快だった。
死にそうで死なない黒犬も。寄ってたかってとどめもさせない「勇者」達も。
いまだに剣を握りしめたまま、一歩も動けずただそれを見ている自分も。
この状況を終わらせたい。
そう思った時、私は黒犬に向かって歩き出していた。
「勇者」達を掻き分けて黒犬のすぐ側に向かう。
なぶり殺しの快楽を中断されて文句を付けてくる連中を睨んで黙らせ、もはやこちらを見上げるしかできない黒犬の傍らに立った。
首に一度剣先を当てて大きく振り上げたあと、重みにまかせて勢い良く振り下ろす。
……ザンッ……
皮を断つ弾力を含んだ手応えの後に、ゴツリと骨を叩く感触が伝わり、それが軽く滑ってさらに深く食い込む。
頸椎を断てたか?と思えた瞬間、全ての手応えが消えて剣が地面に吸い込まれるように落ちた。
と同時に、傷だらけの黒犬の身体が一瞬にして無数の光の粒子に変換された。
黒犬の形に一度目がくらむ程強く輝いた後、一拍おいてふわっ…と粒子が飛び散る。
「……うわ…ぁ……」
「……きれい……」
その場にいた皆が見上げる中、かつて黒犬の身体を形成していた光の粒子は、タンポポの綿毛が風に漂うようにゆらゆらと空へのぼり、やがて無数の輝きを残して散らばり消えていった。
後には黒犬の額から生えていた小さな角と、ビー玉のような結晶がひとつ、黒犬の身体があった場所に転がっているだけだった。
「今の光が『魔素』だ。この世に巣くう魔獣どもは、あのように大量の魔素を身体に溜め込んでいる。言い換えれば、魔獣の身体の大部分が魔素で出来ていると言っていい」
それまで傍らで様子を見ていた教官が、今更ながら歩み寄ってきて角と結晶を拾い上げる。
「そして、この結晶が魔獣の身体の核となる『魔晶石』だ。これひとつでその魔獣の身体を形成していたのとほぼ同じ量の魔素を含んでいる。また魔獣の中には爪や牙、角などを残すものもいる。こういう魔晶石や慰留物は、その魔素量に応じた値段で教会が買い取ってくれる。それがそのまま君達の報酬となる。君達が魔獣を倒せば倒す程、世界に魔素が甦り、人々の生活は潤い、君達の懐は豊かになる」
教官は薄く笑いながら掌で魔晶石を弄んだ。
「俺の授業はこれで終わりだ。じゃ、明日からしっかり稼いでくれよ?」
……つまり、「勇者」へのチュートリアルは今日で終わり、明日からはいよいよ実戦での魔獣退治が始まるということだ。
一度高揚していた「勇者」達の気分は、教官の最後の一言であっさりと萎んでいった。
2012年1月15日 投稿




