「6年ぶりの故郷」父との再会。
東名高速を、東京から西に向かっていた。
深夜2時。
ワイパーが雨を流していく。
台風絡みの雨・・・・豪雨といっていい天気だった
車は、日産スカイラインGTR。
国内最強と言われるスポーツカーだ。
車好きからは「34R」と呼ばれる車種になる。
・・・・・さらに、ボディカラーは限定色の「ミッドナイトパープル」・・・・渋い紫色だった。
1970年代の活躍を経て、90年代に復活した「第二世代GTR」と呼ばれる車両だ。
就職して最初に買った車がスカイラインの中古だった。
・・・が、そのスカイラインは、牙を抜かれた名前だけのGT・・・・単なるファミリーカーでしかなかった。・・・期待外れもいいとこだった。
2年乗って、我慢できなくなり、無理目のローンで、スポーツカーのフェアレディZに乗り換えた。・・・・・もちろん中古で。それでも国内最強の280馬力を誇った車種だった。
就職して6年目。・・・24歳になる。
今年、就職した時の、ひとつの「夢」が叶った。
・・・・いや、子どもの頃からの夢か・・・・
自分へのご褒美もあって、思い切って車を買い替えようと思った。
速い車が欲しかった。
トヨタのスープラ。マツダRX-7・・・もちろん最新型のフェアレディZ・・・数台を試乗して、このスカイラインGTRに決めた。
・・・買い替えた後で気づいた。
けっきょく、また日産車なのか・・・「三つ子の魂・・・・」とはこのことかと笑ってしまった。
乗り換えたばかりの34GTRは、これまでのフェアレディZとは全くの別格。抜群の高速安定性を示した。
行先は徳島県。・・・・・実家だ。
・・・そして、病院だった。
父が入院していた。
末期の胃癌に侵されていた。
すでに、何度も「危ない」という知らせは受けていた。
しかし、東京と徳島の距離、仕事は・・・仕事は簡単には休めない。そして、そんなに簡単に行ける距離でもない。
・・・いや、行きたくなかった。
徳島の地を踏みたくなかった。
高校を卒業した時に、二度と徳島の地を踏むものかと決めていた。
事実、6年振りの徳島だ。
・・・・ボクは徳島を棄てた。
それでも行こうと思ったのは・・・・東京から徳島までの距離700km・・・ただ、買い替えたばかりの34GTRで長距離ドライブをしてみたかったからだ。・・・・仕事は・・・まとまった休みが取れることがない。せっかく買った車に乗れることも少ない。前のフェアレディZも、ほとんど乗ることがなかった。
「親の死に目」
そんな感慨もない。
何度か危篤という状態を迎えながら、それでも父は死ななかった。
「まだ、誰か会いたい人がいるんでしょうね・・・・」
長く面倒を診てきた担当医師が言った。
「もう、あの世と、この世を行ったり来たりしている状態です・・・まだ、未練があるのでしょう・・・誰か会いたいヒトがいるんだと思います・・・」
皆が見舞いに行っていた。
あとはボクだけが行ってなかった。
あと1ヵ月もすればお盆休みに入る。
せめて、そこまでもってくれればと思ったが、そうもいかないようだった。
もう、本当に、最後の、最後の命の炎が消えようとしている・・・
「父危篤」
休みを取るには十分な理由だった。
会社をサボったような気分でロングドライブを楽しんだ。
ひたすら走った。
ほとんど休憩もとらずに走った。
トイレと、ガソリンを入れる時だけしばしの休憩をとった。
あとはひたすらにヘッドライトをハイビームにして右車線を走り続けた。
交通量は多くない。
その全ての車が後ろから高速で近づいてくるハイビームに道を譲った。
160km巡行程度で進んでいた。
34GTRを手に入れて、最初に手を入れたのが「リミッターカット」だった。
日本車は、自主規制によって180kmで燃料噴射装置が停止・・・・つまりエンジンが停止されるように造られていた。・・・・その回路をカットした。
同時に、エンジンの「吹け」を良くするためにマフラーを交換した。
・・・・・それらの「試運転」を含めての今回の「深夜の長距離ドライブ」だった。
他に車両のいない直線区間で試してみれば、速度は瞬く間に200kmを超えた。・・・・・240kmまで出して止めてしまった。
まだ、まだ、どこまでも踏める感じだった。
その動力性能に驚愕と喜びを感じた。
・・・・・他に趣味はない・・・・車が全てだと言ってよかった。
ハンドリングや、ブレーキ性能を試しながら・・・・・もちろん危なくない範囲でだ・・・・・
6年ぶりに徳島県に向かった。・・・「向かった」だ。この後も二度と行くつもりはない。「帰る」などという言葉を使うつもりはない。
兵庫県に入った時には雨は止んでいた。
台風を通過していた。
明石海峡大橋を渡る。
すでに朝の通勤ラッシュが始まっていた。
交通量が増えている。・・・・・・まぁ、東京の交通渋滞を生きてる身にとっては大したことはない。
それでも3車線の真ん中を走った。
・・・・・・「味わう」ためだった。
初めて通る大橋だった・・・・・・できたばかりの明石海峡大橋だった。
ボクが徳島から東京へと出て行った時にはフェリーしかなかった・・・・
淡路島を過ぎれば「大鳴門橋」へと繋がる。
初めて見る風景だった。
これほどの高所から鳴門海峡を見たことはない。
島々の緑色・・・・海の蒼色・・・・徳島の海だった・・・・・「鳴門の大渦」が見えるようだった・・・・
大橋を降りてしばらく走る。
海沿いの病院。駐車場に34GTRを入れる。
ドアを開ければ海の匂い・・・・・海の匂いは同じじゃない・・・東京の海と徳島の海では匂いが違う。
・・・風がロングドライブの身体に心地いい・・・懐かしい匂い・・・そして音・・・・・
微かな夏の匂い・・・夏の音・・・一気に身体が徳島に戻ってしまう感覚があった。
封印していた、徳島という体内の細胞が起き上がってくるのを感じた・・・
病室に入る。
何本ものチューブに繋がれた父が横たわっていた。
左手首に包帯が巻かれていた。
眠っていた。・・・いや、眠っているという表現では表せない・・・・人間の・・・生き物の最後の局面なのを感じた。
ベッド脇のテーブルの上に綿棒などが並んでる。・・・・無造作に置かれた腕時計。・・・・父が愛用してきたものだ。
・・・・海沿い・・・それでも7月だ。暑い。リストバンドで額を拭った。
汗っかきだ。夏場は汗をかく・・・・だからといって首にタオルを巻くのも、どうにもカッコが悪い。左手に大きめのリストバンドをしていた。
「手を握ってやってくれ・・・・」
母が言った。
父の手を握った・・・・・痩せた手だった。
ボクが憶えている、あのガッシリとした腕からは想像もつかない痩せ方だ。
父は当時としては大柄な男だった。・・・・・ボクより大きい。
上半身のガッシリとした体躯とは不釣り合いに足が長かった。日本人離れしたそのスタイルは、パッと見にはミュージシャンを想像する・・・・どこか地に足のついてない印象があった。
・・・・そして、その通りの人生を送った。
その手が、全くの老人のように小さくなっていた。細く、小さくなっていた。
父が微かに目を開けてボクを見た。
ぼんやりとボクを見ていた。・・・・わかるのかわからないのか・・・・薬のせいなのか・・・
言葉はない。
「すまんかったな・・・・」
なんとはなしに、そんな声が聞こえたような気がした。
「すまんな・・・・」
そう聞こえた・・・・・
「こんにちは・・・・」
弟の呟くような声。・・・・・俯き加減。
相変わらずの他人行儀な物言い。
弟とは8歳違いだった。
坊主頭に学生服を着ている。
この辺は変わらずに中学生は坊主頭か。変わらないな、このクソ田舎。・・・・いや、もう高校生になるのか・・・
・・・・そして叔母がいた。
愛媛県に住む叔母・・・父の一番下の妹だ。・・・一番仲の良かった兄妹だ。
・・・いきなりの対面にギョッとした・・・
まさか、ここでアンタの顔を見るとは思わなかったよ。
父の顔、叔母の顔、弟の顔。そして母・・・・
・・・・13年前の出来事・・・その登場人物が揃っていた。
「あと1ヵ月・・・・せめて、あと1ヵ月なんとか生かしてやりたいんやけどな・・・・」
母が言う。
・・・・微かに聞こえていた二拍子・・・・
阿波踊りの二拍子が聞こえていた。
・・・・父が愛した・・・後年は、それのみを楽しみとした阿波踊り。
三味線、太鼓、鉦鼓、篠笛・・・独特の二拍子が聞こえていた。
あと1ヵ月で本番を迎える。
練習にも熱が入っているのが音でわかる。・・・小学校、中学、高校で練習させられたこの二拍子は、血液の中に染み込んでいた。・・・音から演者の細かな心理状況すらがわかった。
・・・・棄てても棄てられても、親は親・・・子供は子供・・・故郷は故郷ということか。
せめて、最後に阿波踊りを見せて死なせてやりたいというのか。
・・・母は父を愛しているというのか。
・・・父が大好きだった。・・・そして、父に愛された。
しかし最大限に憎んだ。思いの限り嫌悪した。
その父の、58年の生涯が閉じられようとしていた。




