表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/32

28話:ヴァロス卿との政略

 貴族の屋敷というのは、門をくぐる前に胃が重くなる。


 豪奢だからじゃない。

 ここでは――言葉一つで首が飛ぶ。


 剣で飛ぶ首と、言葉で飛ぶ首。

 どちらが綺麗かは分からない。

 ただ、後者の方が、血が見えないぶん厄介だ。


 俺はその厄介さを、ようやく理解し始めていた。


 灰色商会を叩くのは、俺にとっては単純だった。

 噛まれた。噛み返す。終わり。


 だが、議員を追い詰めるとなると話が変わる。

 奴らは噛めばいい相手じゃない。

 噛んだ瞬間、周囲が噛み殺される。


 エリス。

 学匠ギルド。

 港の人間。

 そして王国そのもの。


 ……俺が望むのは、戦争じゃない。


 俺が望むのは、ただ――

 噛んできた相手が、二度と噛めないようになることだ。


 そのために、俺はヴァロス卿の屋敷へ向かった。



 門前の衛兵は、俺を見るなり一瞬だけ眉を動かした。


 噂はここまで届いている。

 港の狂犬。

 灰色商会の倉庫を荒らした傭兵。

 裏市場を歩く剣。


「……ラカム殿」


 形式だけの敬称。

 だが、馬鹿にしている感じはない。


 俺は軽く頷いた。


「ヴァロス卿に取り次いでくれ。

 約束の話だ」


 衛兵は逡巡し、それでも通した。

 屋敷の中は、静かだった。


 静かすぎる。


 物音が少ないのは、生活が整っているからじゃない。

 ――情報が漏れないようにしている。


 案内されたのは、広間ではなく、小さな応接室だった。

 火は小さく、椅子は堅い。


 ここは“くつろぐ場所”じゃない。

 話を決める場所だ。


 程なくして、扉が開いた。


 入ってきたのは、銀髪の老臣――ヴァロス卿だった。

 背は高くない。

 だが、立ち姿が崩れない。


 人を見下ろすでもなく、媚びるでもなく、

 ただ“そこに立っている”。


 俺は立ち上がり、浅く礼をした。


「ヴァロス卿。時間を取ってもらったこと、感謝する」


「形式は要らぬ」


 声は低い。

 硬いが、嫌味はない。


「座れ。……お前の足がまだ血を引いている」


「大丈夫だ」


「大丈夫というのは、傭兵がよく使う便利な言葉だ」


 軽い皮肉。

 だが、目が笑っていない。


 ――喰えない。


 俺は座る。

 ヴァロス卿も座る。

 距離は近くないが、逃げ道もない距離。


「話は聞いている」


 ヴァロス卿が言った。


「灰色商会が荒れている。

 それを荒らしている“狂犬”がいる、と」


「噂は勝手に増える」


「増える噂には、必ず餌がある」


 その言葉が、この男の骨だと感じた。

 噂を笑わない。

 噂を軽んじない。

 噂を“政治”として扱う。


 俺は息を整えた。


「確認したいことがある」


「言え」


「卿は、何を守りたい」


 質問は単純にした。

 余計な飾りは要らない。


 ヴァロス卿は少しだけ間を置いた。


「王国の立場だ」


 即答だった。


「外交の火種を消し、内乱の芽を摘み、

 民の生活が崩れぬようにする」


 ――やはり政治家だ。


「では、エリスは?」


 俺が聞くと、ヴァロス卿は視線を少しだけ下げた。


「学問は、国の背骨だ」


 言い切る。


「背骨を折れば、国は倒れる。

 灰色商会が欲しているのは、その背骨だろう」


 俺は頷いた。

 この男は、言葉が信用できる。


 だが――目的は同じでも、道は違う。


「俺は、灰色商会を潰す」


 俺は言った。


「商会は俺とエリスに手を出した。

 だから潰す。

 だが俺は、王国のために戦争を起こしたいわけじゃない」


「分かっている」


「ただ――卿が守りたい“王国の立場”と、

 俺が噛み潰したい“灰色商会”は、絡まっている」


「絡まっているからこそ、ほどく手が要る」


 ヴァロス卿の指が、机の上で静かに動いた。

 まるで糸を整えるみたいに。


「お前は刃で切る。

 私は言葉で解く」


「互いに、得意な方をやるか」


「互いに、不得意な方に踏み込む必要がある」


 この男は厳しい。

 だが、嘘は言わない。



「議員の名は?」


 ヴァロス卿が訊いた。


 ここからが本題だ。

 名前を出せば、俺も戻れない。

 だが、戻る気もない。


「ルデラン卿だ」


 ヴァロス卿の目が、ほんの少しだけ細くなった。


「……やはりか」


「知っていたのか」


「“疑ってはいた”」


 ヴァロス卿は訂正した。


「政治は断言で動くものではない。

 だが、疑いが重なれば、断言に近づく」


 俺は言った。


「俺がやっているのは、その“重なり”を増やすことだ」


「それは分かる」


 ヴァロス卿は首を縦に振った。


「だが、増やし方を誤れば、

 疑いは“王国全体”に飛び火する」


 ――だから、ここに来た。


「卿に聞きたい」


 俺は言った。


「ルデラン卿を切るために、

 どんな“証拠”が要る」


「二つだ」


 ヴァロス卿は指を二本立てた。


「一つ、灰色商会と繋がる金の流れ。

 帳簿、取引記録、資金の移動」


「契約帳簿か」


「そうだ。

 それがあれば、議員が“知らなかった”とは言えぬ」


「二つ目は?」


「帝国だ」


 ヴァロス卿の声が少し低くなる。


「帝国の使者――カイエン。

 あれが“灰色商会の背後にいる”と示せるもの」


「帝国の名を出すのは危険だぞ」


「危険だからこそ、武器になる」


 そう言って、ヴァロス卿は俺を見据えた。


「帝国が関与していると示せれば、

 議会は動く。外務局も動く。

 そして帝国側も、灰色商会を庇いきれぬ」


 ――外交の圧力で商会の首を締める。


「……卿の狙いは、戦争の回避だな」


「当然だ」


「なら、俺の暴力は邪魔にならないか」


 ヴァロス卿は、少しだけ微笑んだ。


「邪魔にもなる。役にも立つ」


 正直だ。


「お前の暴力は、灰色商会を慌てさせる。

 慌てれば、失策をする。

 失策は証拠になる」


 ……政治家らしい言い方だ。

 だが、理屈は通っている。


「条件がある」


 ヴァロス卿が続けた。


「お前は、民を巻き込むな」


「巻き込む気はない」


「“気はない”では足りぬ。

 巻き込めば、帝国が喜ぶ」


 分かっている。

 灰色商会は、俺が暴れた後の火種を拾って、火を大きくする。


「だからこそ、卿の“後ろ盾”が要る」


 俺は言った。


「俺が牙を見せている間に、

 卿が表の手続きを整える。

 そうでなければ、俺はただの火事になる」


 ヴァロス卿は頷いた。


「後ろ盾は出す。

 だが見返りも必要だ」


「契約だな」


「そうだ」


 互いに、契約という言葉でしか信用できない。

 傭兵と政治家の共通語だ。



「卿は、俺に何を求める」


「三つ」


 ヴァロス卿は淡々と言った。


「一つ。契約帳簿を奪取すること」


「了解している」


「二つ。帝国の関与を示す“点”を掴むこと」


「書状でも、取引の証言でもいいのなら」


「三つ――」


 ヴァロス卿が、少しだけ言葉を選んだ。


「エリスを守ること」


 その言葉に、俺の胸の奥が小さく動いた。


「……当然だ」


「当然ではない」


 ヴァロス卿は言い切る。


「お前は狂犬を演じている。

 狂犬は、守るものを持たぬ、と見せる」


 ――見抜かれている。


 俺は何も言わない。

 否定しない。肯定もしない。


「だから、ここで明確にする」


 ヴァロス卿は机の上に紙を置いた。


「エリスの身柄と研究成果は、私の庇護下に置く。

 お前が望むなら、名目は“学匠ギルドの保護”とする」


「俺が望むのは、あいつが研究できる場所だ」


「それも含める」


「……代わりに、俺は?」


「お前は表には出ぬ。

 表の交渉は私がやる。

 お前は――影として動け」


 俺は笑いそうになった。


「影にするつもりか」


「お前は既に影だ」


 淡々と言われると、反論する気も起きない。


「報酬と情報は?」


 俺は訊いた。


 綺麗事だけでは動けない。

 刃は研がなければ折れる。


「用意する」


 ヴァロス卿は即答した。


「外務局の一部と、王都警備の一部に根回しする。

 お前が“完全な犯罪者”として処理されぬようにな」


「恩に着る」


「恩ではない。投資だ」


 やはり政治家だ。

 だが、その冷たさが、今はありがたい。



 話が整い始めたところで、ヴァロス卿がふと訊いた。


「……お前は、なぜそこまで踏み込む」


 その問いは、刺さった。


 俺自身が、まだ答えを持っていない問いだ。


 切り捨てられると分かっていて、なぜ踏み出す?

 国が守らない。貴族は兵を軽んじる。

 それでも、なぜ俺は――。


 俺は少しだけ黙った。

 黙ってしまった時点で、答えはない。


 ヴァロス卿は急かさない。

 ただ待つ。


 俺は、正直に言った。


「……分からない」


 ヴァロス卿の目がわずかに動く。


「分からないが、止まれない」


 それだけ付け足した。


「噛まれたから噛み返す、というのも理由だ。

 だが、それだけなら――もっと早く終わっている」


 ヴァロス卿は頷いた。


「答えがない問いを持ったまま踏み込める者は、強い」


 褒めているようで、褒めていない。

 事実を言っているだけだ。


「その問いは、いずれ形を変える」


 ヴァロス卿は言った。


「お前が守るべきものを見つけた時、

 問いの言い方が変わる」


 俺はその言葉を、胸の奥に沈めた。


 エリスの顔がまた浮かぶ。

 静かに情熱を抱く、あの研究者。


 あいつが、理由になってしまったら――

 俺はもっと厄介になる。



 屋敷を出る時、ヴァロス卿は最後に言った。


「お前は、犬ではない。

 だが、獣であることは自覚しろ」


 俺は足を止めずに返した。


「自覚してる。

 だから、噛む相手を選ぶ」


「選べ。

 そして――噛んだ後のことは、私が処理する」


 その言葉が、この男の信用だと思った。

 兵を軽んじない。

 契約を軽んじない。

 口だけの貴族とは違う。


 喰えない。

 だが、信用できる。


 俺は門を出た。

 夜風が冷たい。


 ここから先は、ただの裏社会の粛清じゃない。

 政治の戦だ。


 刃で切り、言葉で裁く。

 噛みつき、火を消す。


 立場も目的も違う。

 それでも、同じ方向を見る。


 ――奇妙な共闘だ。


 だが、この奇妙さが、今は必要だ。


 俺は港へ戻る。

 帳簿を奪う。

 帝国の点を掴む。

 議員を落とす。


 その間、エリスは研究を続ける。


 あいつは、俺が汚れ仕事をしていることを知らなくていい。

 知れば、一緒に立ち向かう。

 そういう女だ。


 だからこそ、俺が先に噛む。


 そして、噛み終えた後に――

 表で終わらせる。


 ヴァロス卿という、銀髪の老臣の手で。

チャッピーの凄さ

!全体編集前のヴァロス卿は、政治的な後ろ盾候補者として登場した。灰色商会と紐付く、対立派閥からの刺客から襲われたところに介入して接点を持ち、エリスの研究保護を報酬に依頼を受ける相手だった。その中でエリスと一緒にパーティ会場護衛や破落戸撃破、倉庫探索をした。その名残りが、編集後にラカムの知らせないだの知れば一緒にウンヌンカンヌンの独白になっているのだろうと思う。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ