15話:裏市場での情報戦
評議会の部屋は、相変わらず冷たかった。
石の床、重たい机、無駄に高い天井。
迷宮の底より明るいはずなのに、こっちのほうが息が詰まる。
俺とエリスは、迷宮から戻ってすぐにここへ通された。
“報告を聞くため”という名目の処刑場だ。
机を挟んで並ぶ評議員どもは、いつも通り書状と印章を弄びながら、俺たちを“費用”と“成果”の勘定にしか見ていない目で眺めている。
ただひとり、銀髪の老臣だけが違った。
彼は資料に目を落としながらも、俺とエリスを正面から見ることだけはやめなかった。
――駒としてではなく、“危険を潜って戻った人間”として。
「報告は以上かね、ラカム殿」
老臣が静かに問う。
「炉は停止。機械兵も、炉に繋がっていた分は沈黙。
迷宮層は一部崩落。……再利用するなら、手間は倍以上ですね」
俺は淡々と答えた。
脇の評議員が鼻で笑う。
「崩落、とはいただけんな。
貴重な遺物が余計に失われたということだろう?」
「暴走させて王都ごと吹き飛ばすよりは、安上がりでしょう」
皮肉を込めて言うと、二、三人が露骨に顔をしかめた。老臣だけが、目元にわずかな笑みを浮かべたように見えた。
「いいだろう」
老臣は短くまとめるように言った。
「任務は達成された。炉は停止し、脅威は当面去った。
迷宮の再調査は、別途編成を整えたうえで行うべきだ」
「しかし――」
別の議員が口を挟む。
「帝国がどう出るか、まだ――」
「帝国のことは帝国の窓口に任せたまえ」
老臣が切るように言った。
「ここで決めるべきは、任務を果たした者への処遇だ」
机の上に革袋が置かれる。
中身の重さまでは手に取らずとも分かる。
金貨。命の代価だ。
「約定通りの報酬だ、ラカム殿。
そして、魔術師エリス殿には、学匠ギルドを通じた研究支援が加わる」
エリスが小さく頭を下げる。
「……ありがとうございます」
評議員の何人かは明らかに不満そうだった。
若い女一人に支援を回すのが惜しいのか、
それとも“迷宮の鍵”を手放したくないのか。
老臣はそれを意に介さず、俺たちを見た。
「君たちの働きは、ここにいる者の多くが理解していない。
だが、理解している者も少しはいると覚えておきたまえ」
その言葉に、エリスは目を瞬かせた。
俺は何も言わず、軽く肩をすくめてみせた。
――兵は数字で数えられる。
理解されることもあれば、されないこともある。
問題は、死ぬときに自分で納得できるかどうかだ。
◆
評議会の部屋を出ると、廊下の空気がやけに軽く感じた。
「……やっと終わりましたね」
エリスが小さく息を吐く。
「ああ。俺はあの部屋にいると、妙に喉が渇く」
「迷宮よりですか?」
「別の意味でな」
しばらく無言で歩く。
窓から差し込む光が、エリスの横顔を横切る。
さっきまで炉の前で踏み込んでいた魔術師は、今はただの若い女に見えた。
だが、その目の奥の熱は変わらない。
「これから、どうするんですか?」
エリスが俺のほうを見ずに聞いた。
「俺か? そうだな……」
少しだけ考えるふりをした。本当はもう決めている。
「しばらくは、ただの傭兵に戻るさ。
港でも辺境でも、呼ばれたところで剣振って。
戦争さえ起きなきゃ、それで十分だ」
「戦争は、起きそうですか」
「さあな。起こしたいやつは山ほどいる。
だが、巻き込まれたくないやつも同じくらいいる」
俺はそこでエリスを見た。
「お前は? ギルドに戻るんだろ」
「はい。炉の反転構造を、きちんと記録に残さないと。
刻印の解析も、まだ途中ですし」
その言い方に迷いはなかった。
研究者としての道をまっすぐに見ている。
だからこそ、余計なものを背負わせたくなかった。
「じゃあ、こうしておくか」
俺は軽く笑ってみせた。
「剣が必要になったら呼べ。
王都にいても港にいても、噂くらいは届くだろう」
エリスは一瞬きょとんとしたあと、ふっと笑った。
「勝手に呼んでもいいんですか?」
「依頼料次第だな」
「……そういうところだけ、ちゃんと傭兵ですね」
悪くない笑いだった。
それから、エリスが少しだけ真面目な声音になる。
「ラカムさん。
あの迷宮で生きて帰れたのは、あなたがいたからです」
「勘違いするなよ。
俺一人じゃ炉は止められなかった。
“魔術師殿”あっての仕事だ」
「……それでも、感謝してます」
その言葉を、冗談で上書きするべきか少しだけ迷った。
結局、やめた。
「なら、生きているうちに何度でも言え。
死んでから言われても聞こえねえからな」
エリスは小さく頷き、ギルドの方向へ歩き出した。
背中はまっすぐだった。
振り返らないあたり、覚悟はできている。
――いい。
そのほうがいい。
彼女は彼女の道を歩くべきだ。
その道が、灰色商会と帝国の影に食い荒らされないようにするのは――俺の仕事だ。
◆
評議会の建物を離れ、港へ向かう道を外れる。
裏通りの石畳は、昼だというのに薄暗い。
人の話し声より、荷馬車の軋みより、“噂”の匂いが濃いほうへ足が向く。
数本路地を抜ければ、そこは――裏市場。
王都のもう一つの心臓。
今日も古びた屋台と、木箱を椅子代わりに座る男がいた。
「よお、仲介人」
声をかけると、男は顔を上げた。
「……生きて戻ったか、“港の剣”」
「噂を勝手に育てるなって言ったよな」
「じゃあ“迷宮帰りの狂犬”にするか?」
「それもやめろ」
いつも通りの軽口だ。
だが、男の目の奥にいつもより濃い影があるのを見逃さない。
「王都の空気が悪いな」
「迷宮の蓋を開けりゃ、そりゃ臭いも上がるさ。
座れよ」
木箱を足でどけ、空いた場所を顎で示す。
俺は腰を下ろし、机代わりの板の上に金貨を数枚置いた。
「依頼だ。
カイエン――帝国の使者の動き。
それと、灰色商会の最近の仕事を教えろ」
「一気に来たな」
仲介人は金貨を指で弾き、そのまま袖に消した。
「帝国の使者カイエンは、表向きは“帝国商会”の窓口。
だが裏じゃ灰色商会と手を組んでる。
古代金属と、迷宮由来の技術の“仲買人”だ」
「灰色商会の下請けか?」
「どっちが上かは場合による。
金を出すのが商会、口実を作るのが帝国。
火薬と火種みたいな関係さ」
男は肩をすくめた。
「王国は?」
「王国は、火薬庫の真ん中で寝てる酔っぱらいだよ。
評議員の一部は、灰色商会から金をもらってる。別の一部は、帝国との“友好”とやらを信じている。残りは、何も考えてない」
「民衆は?」
「今日食うパンと、明日の天気だ。
戦争が始まるまで、戦争のことなんか考えない。
始まっても、なぜ始まったかは知らされない」
それは、別にこの国だけの話じゃない。
「灰色商会は何をしようとしている」
「表向きは物資の流通だ。
裏では“戦争の準備”。
兵糧、鉄、薬、奴隷。
戦場が必要とするものは、なんでも揃える」
仲介人の指が机の上をとん、とん、と叩いた。
「最近妙なのはな……海岸沿いだ」
「海岸?」
「漁村がいくつか、盗賊にやられてる。
塩蔵庫だけ、きれいに空にされるんだとさ」
「塩、か」
「塩は兵の糧だ。
兵站を握るやつは、戦争を握る。
盗賊がおつむ使ってそんなこと考えるか?」
考えないだろう。
「背後に、商会がいるってわけだな」
「灰色商会の倉庫に、“不自然に余った塩”が溜まり始めてる。
王都の商人はまだ我慢してるが、
地方の小さな村は声も上げられねえ」
「帝国は?」
「見てる。笑ってる。“口実になるかもしれない”ってな」
迷宮の炉とは別の種類の、嫌な熱が胸にこもった。
「ラカム」
仲介人が俺を見た。
「お前は、こういう流れを見て、いつもどうする?」
「……見て見ぬふりをするのが、一番長生きだ」
「でも、お前はそうしない」
図星を刺すのが本当に上手い男だ。
「命がいくつあっても足りねえぞ、“狂犬”」
「だからやめろ、その呼び名」
息を吐いて、机の上にもう一枚金貨を追加した。
「海岸沿いの村をひとつ教えろ。
塩をやられているところ。
それと、灰色商会が“使っている”盗賊団の噂」
「話しが早えな」
「エリスには言うな」
思わず口に出た名前に、仲介人が片眉を上げた。
「魔術師殿か。別行動か」
「あいつはあいつの仕事がある。
研究者として、迷宮と向き合うべきだ。
その足元をすくう連中を斬るのは、俺のほうだ」
仲介人は、しばらく俺を見ていた。
それから、面倒くさそうにため息をつく。
「……まったく、割に合わねえことする、物好きな男だよ。
いいか、名前を覚えておきな。“灰色渦”の連中だ。
灰色商会の中でも、汚れ仕事専門の一派だ。
今は南岸の漁村を絞っている」
「“灰色渦”ね」
「ひとつ忠告しておく。
あいつらは盗賊を捨て駒にして、
“商会自体は綺麗なまま”でいるのがうまい。
お前が牙を剥くなら、途中で止まるな。
喉笛まで行け。行けないなら手を出すな」
「いつもそんな甘い助言をくれるのか?」
「情報料込みさ」
仲介人はそう言って笑った。
目だけはまったく笑っていない。
「戻って来れたら、また話を聞かせてくれ。
今度は迷宮じゃなくて、海の話だ」
「じゃあ、生きて戻る理由がまたひとつ増えたな」
俺は立ち上がり、腰の剣の重さを確かめる。
迷宮の炉は止まった。
だが、地上には別の炉がある。
灰色商会。帝国。評議会。
それぞれの思惑が火種を投げ合い、
燃えやすい場所を探している。
その火が、エリスの背中まで届かないように。
俺は、また汚い仕事を引き受けるだけだ。
チャッピーの凄さ
!会話が繋がるようになった。指示がどうこうではなく、私がどのような会話文を好むか学習したのだろうか? いつのまにかGTP-5.2になっていたので、その影響か? その両方か?




