ちなみにアンパンマンはこしあんなのです
「はっはっは、いらっしゃいサグルさん。お話は聞いておりますよ。私はこの3日間だいたいずっとこの研究室に引き籠もっていたが故、アリバイを証明してくれる証拠も、証言してくれる人間もおりません。とはいえもちろん犯人は私ではございません。なんて主張だけしても疑いは晴れないでしょうから、名探偵のお望み通り、パーソナルな情報をお教えしましょう。本名は綾瀬風楽。2006年5月4日生まれ。身長は162cm、体重は54kg。普段は大学に通いながら植物と化学に囲まれた生活を送っておりますので、アジトにいるときと大して変わりませんね。さあこれで満足ですか? 判断材料はお渡ししましたので、ぜひともこれから私の無実を証明していってくださいな」
入室すると、開口一番にセフィラはそう言った。
言い終わった。俺が何を言うよりも先に、先んじて全てを言い終えてきた。
俺の方を見ることもなく、だ。手元の作業に集中しながら、片手間で全てを喋り終えた。なんて失礼な奴……とも、もう思わない。これが彼女のニュートラルである。
ゴツい実験ゴーグルを着用して下を向いてるものだから、目元が見えもしない。俺から見えるのは、身に纏ったブカブカの白衣と、前髪をヘアゴムでまとめた結果丸出しになったおでこだけだ。
「というわけで研究室からさっさと出て行ってくれますか。見ての通り私は忙しいのです」
この研究室のことを『ビオトープ』とセフィラは呼ぶ。が、あながち間違った呼称じゃない。
どころか、限りなく正しい呼び方だと言える。室内を見渡せば一面緑が広がっており、ありとあらゆる植物が見て取れる、さながら小さな植物園。床は土や石でコーティングされていて、何故か川も流れている。――――ビオトープそのものだ。生態系こそ無いものの、見た目だけは完全に。
こんな環境で、色んな実験器具もまた見て取れる。ビオトープであると同時に、研究室であることもまた紛うことなき事実なのだ。今セフィラの手元にあるのは火薬のようだが……こんな色々燃えやすそうな環境で、大丈夫なのか? ここに来るたびに安全性を心配させられる。
「用件は終わったでしょう。それとも何ですか、まだ私に聞きたいことでも?」
呆然と突っ立っている俺に、やはり目も向けず淡々と言い放つセフィラ。
俺がまだ一言も発していないのに用件が終わったことにされているが、これもまたいつも通りのセフィラなので今さらである。
嫌われているわけではない。……いやもしかしたら内心では嫌われているのかもしれないが、それとこれとは関係なく。セフィラは俺を嫌っているわけでも、コミュニケーションを嫌っているわけでもなく、ただ無駄を嫌っているだけだ。
手順の最適化。時間の短縮化。最短距離を目指す合理化。
最速と最短を極めすぎて、俺が質問する前に全て答え終えている。……それはもはや合理化と言っていいものかも俺は疑問だが。
というか、どこで知ったんだよ。聞き込み調査を開始してスノウと喋っていたのはついさっきだぞ。脅威の情報収集スピード……。いや、普通に今俺から質問されて答える方が楽だろこれ。俺の用件を最短で終わらせる効率化はいいけど、そのために使う労力の方が大きくないか?
俺は溜息をつきながらセフィラに回答する。
「ああ、聞きたいことね。あるよ、あるある。アンパンの中身はつぶあんかこしあん、どっちが正解だと思う?」
「…………相変わらず無駄に捻くれ者ですねサグルさんは。他人の筋書きに逆らいたいだけの無意味な言動やめてくださいな。非常に無駄です」
ここで初めてセフィラは俺の方へと目を向けた。
その声と目と表情に全力の〝呆れ〟を表現している。さっきまでの機械的な対応が乱れ、ようやく人間味が見て取れた。それだけでしてやったりというか、おっしゃる通りそのためだけに発した質問ではあるのだが、本当に日頃の悩みではあるので、一応セフィラの答えは聞いてみたいと思う。
「無駄とは何だ。何に価値を感じるかは人それぞれだろう。俺がこの設問にどれほど頭を抱えてるかも知らないくせに」
「やかましいアンパン野郎ですね」
アンパン野郎という悪口まですでに伝わっているらしい。
再び手元の作業に戻りながらも、セフィラは投げやりな声音で答えてくれる。
「こしあん派の主張としては、しっとり滑らかな舌触り。つぶあん派としては歯ごたえを挙げるのが定番なのでしょうね。味は一緒と言っていいので、食感が論点になるのは必然ですが。となればもうあとは好みの問題でしかないと思いますが、全国調査ではわずかにこしあん派が多いみたいですよ。特に若年層ほどこしあんを好む傾向にあるのだとか」
「へえ、本当か?」
「さあ知りません。うろ覚えの適当な知識です。昔どっかで見た気がします」
無駄だと思う会話には適当な答えしか返してくれない女である。
「ちなみにアンパンマンはこしあんなのです」
それは知ってるのかよ。
無駄を嫌う割に、無駄な知識は無駄に持ってるというのもこの博士少女の特徴だ。
「一般論はいいんだよ。どうせ正解なんて無いんだから。お前の意見を聞かせてくれ」
「どうせ正解なんて無いって……いやそりゃ分かってはいましたけど、分かりきった暗黙の前提ではありますけど、あなたがそれを明言します? 『どっちが正解だと思う?』って聞いた以上は、正解を求める姿勢を崩さないでくださいよ。無駄な頭脳労働を強いられている私の、徒労感と虚無感とんでもないんですけど」
げんなりというオノマトペがセフィラの頭上に見えた気がした。
「で……えっと、何ですか。私の意見ですか? つぶあんが正解だと思います」
「何故?」
「エントロピーは不可逆だからです」
何か言い出したぞ。
意味が分からずぽかんとしている俺に、セフィラは言葉を続ける。
「ですから、つまり、形あるものを潰すことはできるけど、潰れたものは元通りにできないってことなのです。つぶあんも、潰して濾せばこしあんになります」
「あー……」
「どうしてもこしあんを食べたければ潰せばいいのです。正解を出せと言うのなら、選択肢両取りできるつぶあんの方じゃないですか?」
なるほど、合理的。セフィラらしい回答だった。
「でも」
と、セフィラは補足する。
「私は普通に、こしあん派ですよ。買うならこしあんなのです」
「急に手のひら返すじゃないか。今の理論はどこ行ったんだよ……。つぶあんでも別にいいじゃないか。潰せばいいんだから」
「嫌ですよ面倒くさい」
一刀両断。いやまあ、考えてみれば当然というか、当たり前の意見か。
そりゃそうだの一言に尽きる。
「じゃあやっぱり、つぶあん正解論も否定されるなあ。俺としても、合理的でいい線いってると思ったけど」
「合理的なだけですよ。合理が行き着く先は、人間の不正解なのです。囚人のジレンマをご存知でしょう? 論理的正解に従うと全員もれなく損しちゃうアレです」
「……」
「論理の問題と人間の営みは切り離して考えないとですよ名探偵。アンパンの中身の正解は何か、なんていう無駄に無意味な設問を一生懸命考える今のあなたこそ、非合理な人間の代表です。こんなふざけた生き物を合理だけで説明できるわけないでしょう」
ふむ。
なかなか、考えさせられる話かもしれない。軽く猫とじゃれていただけのつもりが、不意打ちの猫パンチをもらった気分だった。
アンパン論争を俺は論理で導こうとしていたが、それはきっと間違いなのだ。どれほど完璧で、完全で、隙のない論理的解答が仮にあったとしても、それを導いたとしても、『それでも俺はこしあんが好き』とぶった切ってしまえるのが人間だから。
人は結局、やりたいようにやるしかない。
生きたいように生きるしかない。
「かく言う私だってまた然り」
作業の手を止めセフィラは、手元にあるアンパンの袋を破く――――え?
「サグルさんは私のことを合理主義だと思ってるのかもしれませんけど、合理に徹した非情な女だと買い被っているのかもしれませんけど、本当に合理一辺倒なら怪盗なんてやってませんからねぇ」
「お前それ……俺のアンパン! いつ盗んだ……!?」
はむっとアンパンにかじりつくセフィラを俺は呆然と見つめる。コートの内ポケットに入れて肌身離さず携帯していたアンパンだぞ。今確認したら内ポケットから消えていた。間違いなくあのアンパンだ……いつの間に、一体どうやって。
「というかまず、スマホ感覚でアンパン携帯しないでくださいな。軽くドン引きなんですけど。さっき3時のおやつで食べたばかりでは?」
「夕食分で持ってたんだよ!」
「何でツッコミ顔できるんですか……あなたボケ側ですからね? ボケというかもう狂人ですよね。アンパン狂い」
うるさい。アンパン返せ。
アンパンと一緒に謎の白い液体が入った試験管を口に運んで傾けるセフィラ。……何だその怖い食事は。液体の正体を問うと、
「牛乳です」
だそうだ。牛乳を試験管に入れて飲むな。
「というか……どうやって盗んだ?」
「どうやっても何も、普通にスッただけなのです。あなたのコートの内ポケットに手を突っ込んで、アンパンを引き抜いて戻ってきました」
「? ……? いや無理だろ。席を立ってもいないじゃないか、お前は。それにいくら何でも、内ポケットの中身がスられたら俺は気付くぞ。セフィラお前、スノウ以上の無音と速度で動いたとでも言うのか?」
「そんなわけないのは分かりきってるでしょう。無駄に無意味な質問しないでくださいな。でもまあ――――そうですね。サグルさんは全く気付いてなかったようですけど? 私が席を立ってポッケを探ってアンパンを取って再びここに戻ってくるまで、無抵抗の無反応で、ぽけーっと突っ立っておりましたので」
「はあ? それこそ、そんなわけ……」
と反論しようとして、ここで俺はようやく気付いた。
たしかに、全く気付いていなかった。
俺の足元にある金属ノズル。から、無色無臭の謎のガスが噴射していることに。
「吸入麻酔なんて今や当然の医療技術でしょう? まあ私のそれはもう少し複雑というか、意識を失いながらも意識を失わないみたいな、中途半端な状態ですけど。意識がトんで記憶もトんで、しかし無意識が脳と身体を動かし続ける。要は究極の放心状態ですよ。故に、意識を失っていたことにすら気付けない」
「……究極の放心状態? それを、意図的に作り出したっていうのか? そんなことができるのか……?」
「できたから私は今アンパンを食べているのです。己が身で実証された事実まで疑うんですか、名探偵という生き物は?」
「……」
「幻覚剤は一般にあるでしょう? で、薬の原料はたいてい植物です。加工せずとも植物そのままでも、成分はあるし作用もある。植物で溢れ返ったこの部屋が私のホームであることを鑑みれば、あなたはご自身で、すでに人格洗脳さえされているリスクも想定して然るべきでしょう」
「然るべきであってたまるか……。本気で怖いよ、冗談じゃない」
「はっはっは。冗談ですよ。そんなことしないのです」
できない、とは。
セフィラは言わなかった。
「たとえばカーピというツル植物がありまして、脳内物質と作用して幻覚を見せるのです。ペヨーテというサボテンはフェネチルアミン系の幻覚剤であるメスカリンを含みます。コカノキやチョウセンアサガオは麻酔の成分ですし、ラベンダーやカモミールのリラックス効果だって立派なメンタルコントロールですよ。人の認識を歪めるくらい、トリックアートを使わなくても楽勝なのです」
もっとも、今サグルさんに仕掛けたような手品をするには、精密な環境調整が必要なのですけどね。と、ビオトープを眺め回しながらセフィラは続けた。
「〝大自然〟がそこにあるなら、私の神出鬼没は揺るがない。〝神〟や〝鬼〟を生み出す、人の幻想をこそ私は操れるのですから」
セフィラの手元、実験台の上で、ボワッと炎が燃え上がった。
赤や黄色や紫や……彩り鮮やかな、幻想的な七色の炎。その温かな灯火に照らされたセフィラの微笑みは、対照的に、ひどく冷たく輝いていた。
これが、怪盗セフィラだ。
〝ファントム・ガールズ〟が誇る化学博士。危険度のポテンシャルで言えば圧倒的に組織随一。この地球のありとあらゆる自然物が彼女の道具で、素材で、武器となる。
探偵機関が命名した彼女のコードネームは――――〝盗採怪物〟。
金を盗むより錬成した方が手っ取り早いとまで言われている、紛うことなき天才だ。
アンパンを呑み込んだセフィラは、ごちそうさまと言わんばかりに合掌しながら言葉を続ける。
「植物がそこにあるだけじゃ、さすがに何もできませんけどね。私独自の配合ガスで補助してようやくなのです。先程くらいの摂取でしたら人体には無毒なのでご安心を。ああ、今出てるそれは完全無害化の中和ガスです」
「……さらっととんでもないこと言ってくれるなあ。そんな技術、無敵じゃないか。どんな屈強で頑強な警備隊もノーリスクで通過できる」
「ですから、環境調整が無駄に大変なんですってば。残念ながら無敵とまではいきません。警備隊の周囲に植物園でもおっ立てていいのなら話は別ですけどね」
だとしても、だろう。十分すごい。
すごすぎる。化学分野に詳しくなんてない俺だが……そのへんの研究者に真似できるような芸当じゃない、破格の技術であることくらいは分かる。
「…………なあセフィラ」
思わず俺は、とある疑問を口にした。
聞かずにはいられなかった。
「何でお前、怪盗やってんだ。研究者とかになった方が多分、盗むよりも稼げるんじゃないか? 捕まるリスクも当然無いし、地位も名声も手に入る」
「はっはっは」
大きく愛想笑いをしてセフィラは、ゴーグル越しに俺の目を見据える。
「なるほど、そりゃ合理的ですね。でも合理的なだけですね。先程言ったはずですよ、合理一辺倒な私ならハナから怪盗やっておりません。何かをやりたい理由なんて、『やりたいから』で十分なのです」
「膨大なメリットを捨ててまでか」
「アンパン野郎がそれを言いますか。何に価値を感じるかは人それぞれでしょう?」
意趣返しのように、そう言われた。
「怪盗は、価値の無いものをお宝とは呼ばないのですよサグルさん。逆に言えば、私にとって価値があるならどんな物でもお宝です。それだけは誰にも否定させません」
「……裏を返せば、やる価値があると思ったら、裏切りだってやるわけだ」
「逆に言ったものを裏に返さないでくださいな。捻くれ者の名探偵は無駄に意地悪ですねぇ」
呆れた様子で、わざとらしく嘆息するセフィラ。
まあたしかに意地悪な捉え方だったかもしれない。さすがにそんな価値観一つで、裏切り者の証拠になるわけはない。
けど……『お宝』か。
セフィラのその発言は、裏切り者の根拠としては薄いものの、別件の疑問を想起させる――――つまり、〝秘宝の正体は何なのか〟問題に関してだ。
『私にとって価値があるならどんな物でもお宝です』……これはなるほど、一つの本質と言える。秘宝〝ブラックカーテン〟の正体はこれまで、絵画じゃないかとか氷の彫刻じゃないかとか、色々と考察してきたが、そんなのは本質的には無意味なのだ。『3億円払ってでも入手したい』と思える人がいるのなら、どんなゴミクズでもそれは3億の価値を持つ。
「人の数だけお宝があるのです。そうなると、推理も変わってくるのでは? 『お宝っぽくない』なんて基準で無意識に弾かれた選択肢もあるでしょうから」
「ん、ああ……」
ちょうど考えていた秘宝の話題を差し込まれ、思わず言葉が詰まってしまった。心でも読めるのかこいつは。
「いえ、心を読んだわけではありませんよ」
「えっ」
「あなたが勝手に心の内を吐露していただけです。例によって無自覚でしょうけど」
反射的に俺は足元の金属ノズルを見る。無色無臭の謎のガスが未だに噴射し続けている……いや、またさっきとは別のガスが出ているということか。
やられた……というか、この女が計り知れない。気化した自白剤みたいなことか?
「おっしゃる通りですね。自白剤よりはもっとずっと複雑ですけど。心の声が全部口に出ちゃう薬なのです」
「……すごすぎてもう呆れるよ。有用性とんでもないだろこれ」
「ええそうですね。少なくとも今、裏切り者の正体がサグルさんではないことが知れましたし。心の中でもちゃんと、真面目に名探偵やってくれてましたねぇ」
「……っ」
それが目的だったらしい。ちゃっかりしているというか、油断ならないというか。期せずして俺の無罪証明ができたので、俺としてはむしろ助かったと言えるが。
そしてこの心境もきっと、声になって漏れているのだろう。
「ええ漏れてますね。裏稼業の人間にはあまり通用しないんですけどね、この薬。ちゃんと心のガードもできるようにならないとですよサグルさん。全部筒抜けです。実は内心、私のことが可愛くて仕方ないって思ってることもバレバレですよ?」
「思ってたまるかっ!」
「でもさっき、『可愛い可愛いセフィラたんハァハァ』って」
「言うか! 人の内心を捏造するな!」
「『セフィラたんの耳の形が愛おしくてたまらない』って」
「人の性癖を捏造するな!」
「はっはっは。……ところで、まあ私が吹っかけた冗談なので別に文句も無いんですけど、ですけど、『私のこと可愛い』に対して、『思ってたまるか』はどうかと思いますよサグルさん。ツッコミにしても、言い方と乙女心をもうちょっと考えましょう」
「……。……すまん」
普通に窘められた。これはまあ、俺が悪いか。
最近気付いたのだが、俺はどうやらデリカシーが無いらしい。
ひとしきりそんな冗談を述べて満足したのか、「それはいいとして」とセフィラは仕切り直す。
「話を戻しますけど、つまり、まだルートが残ってるんじゃないですかって言いたいのですよ」
「ん……何の話だ? どこに戻った?」
「秘宝〝ブラックカーテン〟ですよ。お宝っぽさに頓着しないのであれば――――その正体を〝とあるもの〟だと仮定するならば。内部に裏切り者がいなくても、事件を成り立たせる方法があるのです」
「え……っ」
「私は無罪証明はできませんけど、代わりに、仮説を一つ提案しましょう」
裏切り者疑惑はやっぱり、無駄に不本意ですからね。
そう言って、セフィラはその仮説を述べ始めた。
「端的に言えば、荷室の中にあったのは氷で、『勝手に溶けた』という仮説です」
「……。悪いけど」
その説はすでに否定されてる。ミラージュとの会話の中で、すでに検討した仮説だ。
けど、氷が溶けるまでにあまりにも時間がかかりすぎるということで、却下された。消失までどのくらい時間がかかるか、予測のズレが大きすぎる。
「ええ知っています」
俺の心の声に回答してくるセフィラ。スムーズな会話だ。まさかそれが目的でこの薬を作ったわけではないだろうけど、セフィラらしい無駄の無いやり取りが生まれている。
「でもそれは『気泡の無い氷』の話でしょう? 芸術品じゃなくてもいいのなら、ただの氷を想定してもいいじゃないですか」
「ただの氷が3億円のお宝だっていうのか。……いや、そこはまあ、『何に価値を感じるかは人それぞれだよね』で解決してもいい。でもダメなんだよ、監視カメラの問題がある」
秘宝が0時に失われたトリックは、『自動的に消えた』でいい。
それが氷だとするのも、いい。
けど、氷を運ぶのなら、魔法瓶のような容器が必要だ。それを持ち出すためには、確実に一度は財宝部屋に侵入しなければならない。
監視カメラが改竄された形跡は全く無い。それに、情報屋の話が正しければ、荷室の扉は一度たりとも開かれていない。魔法瓶を持ち出すことは不可能なのだ。
「それは逆に言えば、魔法瓶が無いならロジックが成り立つということなのです」
「……秘宝を、剥き出しのまま荷室に詰めて運んでたってのか?」
「いいえ、剥き出しじゃありません。ですから、〝氷〟に包まれていたのです。――――ああ、私は別に、氷自体が秘宝の正体だとは言っておりませんよ?」
じゃあ、何なんだ。
「氷は、〝容器〟です。その中に閉じ込められたものこそが秘宝です」
氷が溶けてもそれなら、秘宝は溶けずに残ってしまう。
「残りません。気化した氷と一緒に外に逃げますよ。あのトラックの荷室、換気口はちゃんとついてましたよね?」
……換気口から外に? 何だ、まさか秘宝の正体は〝空気〟でした、なんて言うつもりか?
セフィラは「いいえ」と首を横に振る。そして、もったいぶらずに結論を述べた。
無駄が無く、端的に。
それを聞いて俺は心から、言葉を失った。
「ウイルスです。おそらく未知の」




