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第3話

 ある日の放課後、部活帰りに駅の構内で仲間としゃべっていたら、同じ学校の制服を着た一年の女子が、青ざめた顔でフラフラと近づいてきた。

随分と小柄な背の低い女の子で、肩に掛けたボストンバッグの持ち手を握り締めた状態で震えている。


「あ、あの。すみません。たすけ……」


 彼女のすぐ後ろに変なおじさんが大声で意味不明なことを喚いてるのに気づいて、すぐにおかしいと分かった。


「おじさん、この子の知り合い?」


 ちょっと凄んでみせただけで、おっさんはビビって通り過ぎてゆく。


「あ……。すみません。ありがとうございました」


 高校生になったばかりのまだ中学生みたいな女の子から、泣きそうな声でそんなことを言われても、俺にはどう対応していいのか分からない。

その場にいた大滝と金井に、咄嗟に助けを求めた。


「なんだ、アレ。きっしょ」

「最悪だよなー」

「ヤバいって」


 彼女はよほど怖い思いをしたのか、俺たちの会話に絡むこともなく、もう一度礼だけを言って改札の奥へと消えてしまった。


「……。あー。行っちゃったよ」

「案外平気だったのかな」

「さぁ、どうなんだろ」


 こういう時に女子マネの柏木がいれば、もっと気の利いた対応したのかなーとも思う。


「平気なんだったらよかったけど」

「ま、助かったんならよかったんじゃね?」

「だよな」


 改札からホームへ上がったら、反対車線にさっきの女の子が立っていた。

あんまりじろじろ見るわけにもいかないから、見過ぎないように注意しながら彼女を観察する。

通学用のボストンバッグとは別に、小さな四角い鞄を持っていた。

あれは吹部が持つ独特の鞄だ。

中に何かの楽器が入っているやつ。

たぶん。


 電車待ちの列に並んで、ちゃんと帰っていったから、もう平気だったんだろう。

てゆーか、それ以上のことなんて、俺には何も出来ないしな。

多少は怖くて傷ついたかもしれないけど、ここから先は自分で乗り越えていかないと。




 だけどもし彼女が、あんなくだらないことでトラウマになって、学校に来られなくなったとか言いだしたら可哀想だななんて、俺は気にしてしまった。

そうはなっていませんようにと願いながら、ちゃんと彼女の姿を確認したくて、部活の合間に運動場から見える校舎三階の音楽室をチラ見した。

毎週水曜に筋トレと称して外周を走る吹部の集団の中に、彼女を見つけてホッとした。


「よかった。学校来れてて」

「ん? 何か言った?」

「いや、何でもない」


 制服のまま走る彼女の真っ直ぐな黒い髪が、肩先で揺れる。

同じ部活の友達と話しているその子は、いつも楽しそうに笑っていた。

よかった。

学校が嫌いにならなくて。

いや待て。

別に学校は嫌いにならないか。

ダメになるなら、男の方か? 

それはどうやって確認したらいいんだろう。


 部活の時間が終わって、片付けに入る。

俺が唯一話せる女子と言ったら、同学年のマネージャー、柏木くらいだ。


「なぁ、痴漢されたことある?」

「は? 突然なに?」

「いや、そういうことされた女子って、どんな気分になるのかなーって」

「……。浦井くん。痴漢したいの?」

「そんなんじゃないって!」


 柏木は不意に俺の練習着を掴むと、人気の少ないベンチ裏に連れ込んだ。


「浦井くんがね、痴漢したいとか、そんな変態じゃないって分かってる」

「だったらなんだよ」

「もしかして、痴漢された?」

「は?」

「ほら、男子にもそういうことあるって。何かあったんなら、私でよければ相談にのるから、遠慮なくなんでも言って!」


 柏木の目が、真剣に真摯かつ誠実な曇りなき目で俺を見上げる。


「う、うん。ありがとう。だけど、そういうことでもないんだ……」

「じゃあ、どういうこと?」

「あー。えっと……」


 改めてそう聞かれると、返事に困る。

彼女は無事に学校に来ていたし、俺は確かにあの時助けたかもしれないけど、それまでの話だと言ってしまえば、それまでのことだ。


「えっと……。もうちょっと、俺の中で整理出来たら話すよ」

「うん。分かった。この話は誰にも言わないし、浦井くんが話したくなるまで、ずっと待ってる。私は浦井くんの味方だから。それだけは忘れないで」

「あぁ……。ありがとう……」


 柏木はにっこり微笑むと、俺の肩にポンポンと優しく触れる。


「ね、今日は一緒に帰ろう。片付け始めないと」

「う、うん」


 なんかヘンな誤解されたみたいだけど、言い訳をするにもどう説明すればいいのか分からない。

部室棟の前で着替えていたら、彼女が同じ吹部の一年同士で校舎から出てくるのが見えた。


 彼女はあの時と同じように、通学用のボストンバッグとは別に四角い小さな鞄を持っていて、俺よりちょっと背の低いくらいの男子と一緒に歩いていた。

完全下校時刻が近いから、このまま校門まで一緒に出ていくのだろう。

あんなことがあって、男がダメになるのかと思ったら、そうでもなかったみたいだ。

にこにこ楽しそうに笑いながら歩く彼女の姿が、嬉しくもあり寂しくもある。


「あれ? あの子、こないだ助けた子じゃね?」


 大滝が彼女に気づいた。彼

女は女の友達と男の友達と、三人で歩いている。


「なんだよ。彼氏いるんだったら、そっちに助けてもらえばいいのになー」

「アレは彼氏なのか? 付き合ってんの?」

「いや、知らんけど。仲よさそうだし。そうなんじゃないの?」


 彼らは校門の外に出ると、そのまま三人で駅の方向へ曲がっていった。


「友達ってだけで、付き合ってるとは限らないだろ」

「それもそうだな」


 あははと笑う大滝を尻目に、俺は汗で濡れたシャツを脱いだ。

七月の蒸し暑い夕暮れに背筋が冷たくなっても、全くいい気分はしない。


「彼氏だったとしても、その場にいなきゃ意味ないもんなぁ」

「あ? なんの話?」


 着替えを終えた大滝が、だらりとシャツの裾をズボンからはみ出したまま俺を見る。


「浦井、あの子気にするな」

「してねーよ」

「もしかして惚れた?」

「ふざけんなって」

「あはは。おもろ」


 そんなんじゃない。

そんなんじゃ決してない。

夏休みがくれば、きっともう忘れる。

そう思っていたのに、夏の練習中も、俺の視界に彼女は映り続けていた。




 これはもう、きっと恋なんだと思う。

ほとんどというか、全くしゃべったこともないし、一目惚れって言われても仕方がない。

一目惚れなんて現象、信じてなかったけど、こういうことを言うんだなって分かった。

そもそも俺が、自意識過剰なのかもしれない。

毎日のように学校帰りに、駅の反対ホームで電車を待つ彼女の姿が見えないと、心配でたまらなくなってしまった。

また痴漢にあってないのか。

学校に来られたのか。

病気? 怪我? 

一度も話したこともなければ名前も知らない誰かのことが、こんなにも気になって仕方がなくなるなんて、俺の頭もおかしくなってるんだとも思う。


 普段仲のいい一緒にいる男とは、きっと付き合ってはいない。

彼女が反対ホームにいても、見向きもしない。

たまに手を振ったりしてて、俺に振ってるのかと思って振り返したら、そうじゃなかった。

ソイツに振ってた。

だけど、付き合ってるんなら、別々に改札くぐったりしないだろ。

駅まで一緒に来て、改札前でいちゃついたりしてるだろ。

痴漢に絡まれたら、その話くらいするだろ。

そしたら毎日駅まで送って、電車に乗るまで見届けるだろ。


 俺は毎日18時12分の電車に乗って、家に帰る。

本当は彼女がどの電車に乗るのか見届けたいけど、ストーカーとかキモいとか思われたくないから、それ以上は踏み込まない。

きっと彼女にとっても、それが家に帰る最終電車なのだろう。

毎日駅のホームで電車を待つ彼女が、一人なのに安心している。

今日も姿が見えた。

ちゃんと学校来てる。

よかった。


「って、なにがよかった?」


 名前はなんて言うんだろう。

俺のこと覚えてるかな。

突然学校で話しかけたら、気持ちわるがられるかな。

そう考えると、男の方から声かけるのって、ハードル高くない? 


 だけどもうすぐ、文化祭が始まる。

吹部の彼女は、きっと練習時間が遅くなる。

他のメンバーと打ち合わせしたり、他の連中がやってるように、学校近くの河川敷で練習したりするのかもしれない。

学祭準備期間中は運動部は休みで、最終下校時間は19時まで延びる。

そうしたら唯一姿が見える反対車線のホームから、彼女はいなくなってしまうだろう。

そんなことになったら、今度はきっと俺の方が気が狂いそうになる。


 だから覚悟を決めた。

俺は今日、初めて反対車線のホームへ上る。

いつも彼女が座っている場所は分かっている。

そこに行って、俺のことを覚えていますかって、聞こう。

もしよかったら、文化祭一緒に回りませんかって、誘おう。

いつもこの場所にいるのを見かけて、気になっていましたって、言うんだ。


 反対車線のホームに、18時12分の電車が流れ込む。

俺はベンチに座る彼女に、勇気を振り絞って声をかけた。



『完』

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