『このビヴァルディ伯爵家を継げるのはヴァレンシアしかいない』
「弟のハインツが領主になるから、オマエはお役御免だと、言っているのだ」
「申し訳ありませんお父様、私には理解できませんので、もう少し詳しくご説明していただけませんか?」
弟のハインツは、子供の頃に現王の三女姫に一目惚れした瞬間から、姫に近づく夢を叶えるため『どうしても王族に仕えたい』と、王族近衛騎士に志願し、成人前に家を出て近衛兵専属の寄宿舎に入った。
だから、常々、散々、耳にタコができるほど、周りの大人達に言い含められていたのだ。
『このビヴァルディ伯爵家を継げるのはヴァレンシアしかいない』
それなのに。
『ハインツが顔に火傷を負った』
『ハインツが近衛騎士を続けられなくなった』
『ハインツが帰ってくる事になった』
『ハインツが次の当主だ』
先触れも無く唐突に、顔の包帯も痛々しい弟を、王都から馬車で10日もかかる領地まで連れて来て、一体何事だと思ったら、続け様に言われる言葉の意味が理解できない。
「『だからオマエは出て行け』と、仰りたいんですか?」
「出て行けなんて言ってない!」
「ヴァレンシア、お父様になんて口の利き方をするの? アナタいつからそんな「話をそらすなっ!」・・・っ!?」
自他共に、生まれてこの方、声を荒げた事などない生粋のお貴族様のお母様には〈威圧〉を含んだ怒声は少々刺激が強かったようで、隣に座る父親にしがみつきガタガタと震えだした。
ヴァレンシアは コホン と軽く空咳をした。
「私とて冷静でありたいのですが、今後の人生がかかっていますの。今までのように家族とてなあなあにするつもりはありません。はっきりさせておきたいのです。『お父様の次の領主は私』である約束を反故にして退かせても『弟の子息女がその次の当主』と言うお約束に変わりはないのですよね?」
「そ、それはっ・・・」
「だってアナタ、子供はおろか、結婚だってまだ・・・」
かけられかけた言葉に、ヴァレンシアは非難の視線を母親に向けた。
ヴァレンシアの婚約者だった、5才年上の幼馴染で隣領地のウィンベルトン伯爵次期当主は、ヴァレンシアが都会から離れた田舎でひとり領地運営に孤軍奮闘する間、父母と王都のタウンハウスで暮らす妹のメリルリアンと愛を育み、メリルリアンが15歳を迎え成人した途端、婚約も結婚もすっ飛ばし、あっという間にメリルリアンを孕ませ、有無を言わさずヴァレンシアとの婚約を解消しメリルリアンを娶った。
それを許したのも、そうなる原因を作ったのも、今まさに戯言を述べようとした目の前の両親。婚期を逃したのは、決してヴァレンシアのせいでは無い。
『このビヴァルディ伯爵家を継げるのはヴァレンシアしかいない』
片や剣に明け暮れ、片や奔放な弟妹を溺愛する両親が、髪色の地味なヴァレンシアをスケープゴートに祭り上げたのは10歳にも満たない歳の頃だった。
王都で実の父母が華やかな社交イベントを遊び歩く中、ヴァレンシアの教育の全ては、領地の祖父母と各家庭教師に丸投げされ、文字通り血の滲む思いで厳しい教育を施されても「家族のためなら」とヴァレンシアもその期待に応えるべく、他の全てを犠牲にして努力し、望まれた以上の結果を出してきた。
「その結果がこれって・・・いくらなんでも、酷すぎるでしょ?」
思わずポロリと、本音が漏れる。
でも、決して泣くまい。と、ヴァレンシアは俯きかけた顔をあげた。
「いいですよ。弟に次期領主の座を譲っても構いません。そのかわり、きちんと経緯を宣言してください」
「え?」
「は?」
「どうゆう理由で私がこの家を出るのか、きちんと領民、他貴族に宣言なさってください。私の今後の人生に『領地運営が嫌になって途中で逃げ出した』などと言う不名誉な噂が、一片でも湧き上がらないように!」
ヴァレンシアは、長い時間をかけて、領民達と協力して農業や商いを繁栄させ、やっとの思いで領の収入を増やしてきた。それもまだ発展途中。平民を単なる労働力としか考えていない王都から帰らぬ貴族には理解できないかもしれないが、それぞれの立場を超えてみんなで試行錯誤しながらここまでやってきたのだ。
「それを逃げたなどの噂がたてば、今後のビヴァルディ伯爵家の領地運営にも、陰りがさすことになるでしょう」
ヴァレンシアは、それでもなお家の事、領地の事を慮った言葉を続けたつもりだったが、実の父母から出た言葉は、やはり理解し難いものだった。
「オマエは一体何を言っているんだ? 何もオマエがこの家を出る必要などないっ」
「そうよ、ハインツだって領主の仕事などすぐにできるわけがないわ。あなたのサポートが必要な事ぐらいわかっているでしょう?」
「・・・なぜ私が?」
「え?」
「それで、いつまで弟のサポートとやらを私にさせる気なのですか? 私はこれまで、前領主である祖父のサポートを10年。現領主であるお父様に丸投げされた領主の仕事を丸5年。たった1人でやって来ました。それでもやっとの思いで領民達との事業を軌道に乗せたばかりの今、経営の事など何も学んでいない弟に、全ての事業を奪い取られ、そのサポートとやらに費やす具体的な年数は? 10年ですか? 20年ですか? その時私はいくつになっているとお考えですか?」
ハッとした顔をコチラに向ける両親は、もはや親とは思えない顔をしていた。
この目の前の男女は、私の人生の事など何も気にかけてなどいない。
なんの悪気も無く私を使い、私の人生を奪い、私の意思や気持ちなど僅かにも慮ったりしない。
「私と立場を変えるのです。ハインツのサポートは、今まで通り現領主であるお父様とお母様がするのでしょう? どうぞその立場をお続けください。お役御免の私はもはやおじゃまでしょうから、この家から出て行きます。必要ならば[廃嫡]なさってください」
「なっ!? 何を馬鹿なことを言っているんだ!?」
「馬鹿なこと?」
目の前の男女は、領主とその夫人でありながら、領地を発展させる開発や運営には一切関わらなかった。
現役だった厳しい祖父母が統治する領地に『好きに領主教育を叩き込み次期領主にでもなんでもしろ』と、人身御供の私を差し出すと、自分たちの役目は終えたとばかりに、王都のタウンハウスから領地に戻ることはただの一度もなかったのだ。
5年前、祖父母が立て続けに他界した時も、領地には一度も戻ることなく伯爵位を継いだ父は、サポートとは名ばかりで、そのまま領地経営を私に丸投げした。
現領主の後ろ盾を無くし、何の権限も与えられなかった小娘の貴族令嬢が、一体どんな思いでこの領地をここまで発展させ税収を増やしたのか、この目の前の男女は、自分が今身につけている宝飾品の代金や、日々の糧をどうやってこの娘が稼いでいたのか、一瞬でも考えた事もないのだろうか?
あぁ、もう、いっそ何の憂いも未練も断ち切ってしまった方がいいのかもしれない。
改めて両親から、その扱いを突きつけられ、自分の立ち位置を自覚したヴァレンシアは、下唇を噛んだ。
懐中から書類紙を取り出し、空中から《神聖契約の羽根ペン》をつかみだすと、そのまま2枚の書類にサインをして血判を押す。
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《神聖契約書》
宣 誓 : ヴァレンシア・ビヴァルディには、我がビヴァルディ家の関係者一同、今後一切関わらない・関わらせないと誓います。
私、ハロルド・ビヴァルディ伯爵は、娘ヴァレンシア・ビヴァルディのこれまでの功績を、愚息ハインツ・ビヴァルディに譲るよう強要しました。
これに伴い、実子ヴァレンシア・ビヴァルディを、夫婦共に、長年に渡り虐待していた事実を認め、ヴァレンシア・ビヴァルディのこれまでの領地運営の成果を全て奪いとる代わりに、本日を持ってビヴァルディ家から解放する。
署名:
署名:ヴァレンシア・ビヴァルディ
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《神聖契約書》
宣 告 : ヴァレンシア・ビヴァルディに宣告す。家長に重大な侮辱を加えた罪により、本日をもって廃嫡とする。
以後、ヴァレンシアと、ビヴァルディ家との関係を禁ずる。
署名:
署名:ヴァレンシア・ビヴァルディ
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「どちらかを、お選びください」
ヴァレンシアは、素早く作成した2枚の書類を、父親だった男の目の前に突きつけた。
「因みに、ハロルド・ビヴァルディ伯爵閣下。どちらの《神聖契約書》にもご署名いただけない場合は、コチラから神殿に助けを乞い、[宣誓書]の内容を公開し、訴えさせていただきます。このままただ黙って弟の補佐という形で私の人生を食い潰されるつもりはありません。こちらはこちらで好きにやらせていただきます」
そして、[宣誓書]に[宣告書]を重ねると「宣告書を上にした意味ぐらいわかるよね」と ズイ と書類を押し出した。
「気に入らないのでしたらどうぞ、家族から私の席を抜いてくださいませ。餞別がわりに自分の部屋の物は持ち出させていただきますが、それ以上は何も請求いたしません」
父親だった男は、震えながらも迷い無く、上に置かれた[宣告書]に署名し血判を押した。
ポワッ
ポワッ
重ねおいた《神聖契約書》は、正しく光を放つ。
「宣告書は私の方で神殿に提出しておきます。今までお世話になりました」
ヴァレンシアは、書類2枚を懐中に蔵うと、正しくカーテシーを披露して、目の前の男女に背を向けて自室に戻った。
署名したと言うとこは、あの男の中ではもう、私は本当に「用済み」だったのだろう。
そうはっきり言葉にしなかったのは、体裁を気にしてか、悪気無く死ぬまで使い潰すつもりだったのか。
いずれにせよ[廃嫡]を[宣告]した書類にサインしたということは、娘の事も領地の今後も、どうでも良いと言う事なのだろう。
これを神殿に提出すれば、ヴァレンシアは晴れて平民になる。
家名を失う事になるヴァレンシアだったが、不思議と貴族令嬢に何の未練もなかった。
何の未練もなかったが。
長い廊下を歩き、ヴァレンシアは、自室に入るや否やクローゼットを開け、乗馬服に着替えてブーツを履くと、部屋中の物を全て【収納】スキルで一瞬のうちに懐中に蔵った。
自室から繋がる、ウォークインクローゼット、ベットルーム、バスルーム、目に付くもの全て手当たり次第【収納】していく。
父は、ろくに書類の精査もせず[廃嫡]を選んだ。
母も、その隣にいて、何も言わなかった。何も。
そして、初めてポツリと瞳から雫が落ちる。
俯いたヴァレンシアの、ガックリと落とした肩が揺れている。
カーテンもない空っぽの部屋に、窓から月明かりが差し込み、自分の影が震えているのが目に入った。
足元のシミは、ポツリポツリとその数を増やしてゆく。
「これまで私は一体誰のために、何のために、何をやってきたんだろう・・・」
ヴァレンシアは、とうとう声を上げて泣いた。
子供の時に、自転車の練習をして転んだ時と同じぐらい泣いた。
それこそ、ワンワンと大声を出して泣き叫んだ。
夕陽がさすなか、アスファルトで膝を擦りむいて泣いていても、誰も慰めてくれないので、ひとりで自転車を起こして家に帰った、あの惨めで寂しい風景が記憶の奥底から蘇る。
「あ、あれ? 電信柱? 自転車? あぁ、そうか、私って転生者、だった、の?」
ヴァレンシアは、唐突に前世の記憶を思い出した。
これまでの違和感が、急激に腑に落ち、一気に涙が引っ込んだ。
仕事の引き継ぎも、今後のこの家のことももうどうでも良い。もう関係無い。何をするのもどこへ行くのもヴァレンシアの自由だ。
そう気づいたら、怒りと悲しみの感情が、みるみるうちに引いていく。
「これからは、私はのためだけに、自分自身の人生を生きても良いんじゃん」
言葉にすると、目の前がパッと開けたように明るくなった。
すると不意に、何のノックもなく扉が開き、包帯を顔に巻いたハインツが部屋に入ってきた。
何にもなくなった部屋に驚いたのか、ギョロギョロと視線を動かしながら、大きな声で詰問する。
「姉さん!? これどうゆう事」
「私は[廃嫡]されました。この家を出て行きます」
「今? 外はもう真っ暗だよ?」
「えぇ。そうね」
子供のような物言いに、ヴァレンシアは無表情で、ハインツの横を通り過ぎ、自室の扉から出て行こうとしたが、ハインツに手首を掴まれる。
「姉さんが居ないと、誰がここの領地経営をするの?」
「あなたよハインツ。いえ、失礼しました。あなた様です」
「じゃあ貴族として命令するよ。ここに残れ。そして今まで通り、この家のために働けよっ!」
「できません。私は、ビヴァルディ伯爵家の人間と今後一切関わり合いを持てません。そうゆう契約です」
「待って! 姉さんまで僕を捨てるの!」
「いいえ。あなた方が私を捨てたのですよ」
ヴァレンシアは、掴まれた手首の五指を広げ、一歩前に出て鍵手を作ると、ヒラリと身を翻しつつ、その手を内側から背側へ回し、そのまま小指を掴み返して脇を締め、背中ごと床方向に押し返すと、堪らず体勢を崩したハインツをねじ伏せ跪かせた。
「顔を火傷しただけの騎士がこの程度とは・・・今まで何を習っていたのかしらね」
掴んだ手を持ち上げ、ハインツの背中から肩に空いた手を当て、二の腕に自分の膝に当て クッ と、力を入れ肩を脱臼させた。
「グアァ!?」
「クッソ弱・・・」
ヴァレンシアは、ハインツの腕を引っ張り、肩を ゴリ っと力任せにはめ直すと、懐中から出した[回復ポーション]をハインツの頭からぶっかけた。この[回復ポーション]は経口接種薬だ。
女々しくいつまでも痛みに喘ぐ弟を、ヴァレンシアは眉をひそめて一瞥した。
この軟弱な男が、自分の代わりかと思うと反吐が出る。
「忘れないでハインツ。あなたは怪我のせいで騎士団をクビになった訳じゃない。好いた女に相手にされなくなったから、自分の意思で家に逃げ帰ったの。だからもうこの先逃げ場がない事ぐらい理解しなくちゃ。しっかりおやりなさい」
そして、床にうずくまる包帯男をそのままに、ヴァレンシアは部屋を出た。
二階の階段を降り、中央フロアを横切って玄関に向かう。
お見送りは一切無いようだ。
屋敷の玄関扉を出て、門扉で門兵に驚いた顔を向けられるが「廃嫡されましたので出て行きます。今までどうもありがとう」とだけ告げ、後ろを振り返ることなく離れて行く。
夜の暗闇に溶けたその姿が見えなくなると、門兵は慌てて屋敷の中に戻って行ったが、その後ヴァレンシアを追う者は誰1人としていなかった。