第8話:ヘルメスの配達人
日常が戻ってきた。だが、俺の中の何かが、根本的に変わってしまった。
ワークスペースに積まれたガラクタの山。以前は宝の山に見えたそれが、今では呪いの道具のようにしか見えない。
この手で、また何かを生み出してしまったら?
その力が、また誰かを不幸にしたら?
俺はただ、ガラクタを前に座り込んでいるだけだった。
創造への純粋な喜びは、もう思い出せない。
この力は、一体何のためにあるんだ。
◇
あてもなく、街を歩いていた。
人の波、ネオンの光、騒音。その全てが、今の俺にはひどく遠い世界のものに感じられた。
雑踏に満ちた交差点で、信号を待っていた時だった。
「よう、坊主。いい顔するようになったじゃねえか」
不意に、親しげな声が隣から降ってきた。
見ると、人の良さそうな笑顔を浮かべた男が立っていた。ヘルメス・ロジスティクスの制服を着ている。だが、その佇まいは、そこらの配達人とは明らかに違っていた。全てを見透かすような、鋭い瞳をしている。
「……誰だ、あんた」
「俺か? 俺はサミュエル。サミュエル・マーチャント。しがない配達人さ」
男はそう言って、ニヤリと笑った。
◇
サミュエルと名乗った男は、俺が何も言わないのに、核心を突いてきた。
「お前、ゼウス・パラダイスで、とんでもない地獄を潜ったらしいな」
心臓が、鷲掴みにされたように跳ねた。
こいつ、何者だ。なぜそれを知っている。
俺の警戒を面白がるように、サミュエルは続けた。
「俺も昔はそうだったぜ。手に入れた力に振り回されて、自分が何者かも分からなくなる。正義も悪も、ごちゃ混ぜになっていく」
その言葉は、まるで俺の心の中を覗いてきたかのように、正確だった。
「いいか、坊主。お前が手に入れたのは、そういう代物だ」
サミュエルは、俺の肩を軽く叩いた。
「その力、腐らせるか、世界をひっくり返すか。どう使うかはお前次第だ。だがな、坊主。どっちを選んでも、その先にあるのは別の地獄だぜ」
信号が青に変わる。
「じゃあな。またどこかで会うだろ」
サミュエルはそう言い残し、人混みの中へ飄々と消えていった。
俺は、その場に立ち尽くしていた。
別の地獄。
彼の言葉が、頭の中で何度も反響する。
俺は、この力をどう使うべきなんだ?
ただ兄貴を救うため。それだけだったはずの世界が、知らず知らずのうちに、もっと巨大で、もっと残酷な渦の中へと俺を引きずり込んでいた。
ネオ・コンプトンの空は、相変わらず曇っていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
面白い、続きが気になる、と思っていただけましたら、
ブックマークや、下にある☆☆☆☆☆から評価をいただけると、大変励みになります。
どうぞよろしくお願いします!