第5話:偽りの楽園
レイナとの会話は、あの日以来ない。
俺は隠れ家のワークスペースに籠もり、手持ちの全パーツを注ぎ込んで装備を「決戦仕様」にアップデートしていた。思考を冷徹に、指先を精密に。感傷は、今はただのノイズだ。
その最中、俺の個人端末に暗号化されたデータが届いた。
差出人は、匿名。
だが、その中身は潜入先であるゼウス・エンターテイメント本社の、警備システムの脆弱性リストだった。
こんな芸当ができるハッカーを、俺は一人しか知らない。
「……知らないって言ったくせに」
悪態をつきながらも、俺はそのデータを有り難く使わせてもらった。
あんたのやり方は、いつもそうだ。不器用で、世話焼きで、そしてどうしようもなく、優しい。
準備を終えた俺が向かった先は、旧ラスベガス地区に聳え立つ偽りの神殿――「ゼウス・パラダイス」。
虹色のホログラムが空を飾り、合成された人々の笑い声が24時間鳴り響いている。
スラムとは何もかもが違う。ここは、幸福であることを強制される、巨大な鳥カゴだ。
◇
従業員用の搬入ゲートから、俺は音もなく侵入する。
レイナ――いや、匿名の誰かさんから貰ったデータのおかげで、監視カメラは俺の姿を認識しない。
地下へ、地下へと続く無機質な通路。
笑い声に満ちた上層階の華やかさが嘘のように、ここでは冷たい空調の駆動音だけが響いている。上に行くほど天国に、下に行くほど地獄に近づく。ネオ・コンプトンのビルは、どこもそうやって出来ていた。
その時だった。
懐に入れていた配達物、「プロメテウス・コア Ver.0」が、心臓の鼓動のように青白く明滅を始めた。
そして、声が聞こえた。
耳からじゃない。脳に、直接響いてくる。
『やっと会えたな、創造主』
誰だ?
周囲を見回すが、誰もいない。
『君を待っていた』
幻聴か? だが、声はあまりに明瞭だった。
次の瞬間、目の前の分岐路で、片方の壁に埋め込まれた配線ケーブルが、ひとりでに発光した。まるで、「こっちへ来い」と道を示しているように。
ロックされていたはずのセキュリティドアが、俺が近づくと音もなく開く。
これは、俺のハッキングじゃない。
この、掌の中にあるコアが、何かをしている。
俺は背筋が凍るのを感じながらも、光に導かれるまま、さらに地下深くへと進んでいった。
◇
光が示した道の先にあったのは、あまりにも異質な空間だった。
まるで手術室か、あるいは何かの祭壇か。
すべてが純白の素材で統一された、無機質な円形の研究室。チリ一つ落ちていない床が、不気味なほど静まり返っている。
そして、奴らがいた。
同じデザインの白い衣をまとった、十数人の研究員たち。
彼らは全員、感情というものが抜け落ちた、人形のような目で俺を見ていた。
誰も、何も話さない。
ただ、一斉に、部屋の中央にある巨大な装置を指さした。
その視線が、声なき命令となって俺に突き刺さる。
「プロメテウス・コアを、そこにセットしろ」と。
強い警戒心が、俺の中で警報を鳴らす。
この場所は、ヤバい。
ここにいる連中は、人間じゃない。
俺は、とんでもない場所に来てしまった。
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