第4話:地獄への招待状
「ゴースト・クーリエに、指名依頼だ」
情報屋からの通信は、いつもより声が低かった。
「依頼主は不明。最高レベルの機密案件。だが…」
情報屋は言葉を区切り、ゴクリと唾をのむ音を立てた。
「報酬は、破格だ」
ディスプレイに提示された数字を見て、俺は息を呑んだ。ゼロの数が、おかしい。
この金額があれば、純度の高いブリス・チップが、何十枚も買える。
兄貴が、何か月も「人間らしく」生きられる。失われた笑顔を、取り戻せる。
心臓が嫌な音を立てて脈打つのを感じた。
これは、ただの仕事じゃない。
地獄への招待状か、それとも天国への片道切符か。
◇
「……プロメテウス・コア、Ver.0」
隠れ家のコンソールで依頼内容を確認したレイナの声が、震えていた。
顔を見ると、その表情から一切の血の気が引いている。いつもの軽口も、皮肉な笑みもどこにもない。
「ケイ、これだけは絶対にダメ」
「なんでだよ。この報酬を見ろよ。兄貴が…」
「アカン!!」
レイナが、叫んだ。
普段の彼女からは想像もつかない、魂を絞り出すような絶叫。隠していた関西弁が、むき出しになっている。
「死ぬわよ、あんた! それだけは絶対に、絶対にやったらダメなの!」
「理由を言えよ! 理由もなしに、やめろって言うのか!」
「言えない…言えないけど、私を信じて! お願いだから…!」
彼女は泣きそうな顔で俺に懇願する。だが、その瞳の奥には、俺の知らない深い恐怖が渦巻いていた。
なんで教えてくれないんだ。
俺を子供扱いして、また大事なことから遠ざけようとしてるのか。
ふざけるな。兄貴の命がかかってるんだ。
俺の中で、レイナへの不信感が黒い染みのように広がっていく。
◇
その夜、隠れ家は凍えるような沈黙に包まれていた。
レイナとの間に生まれた溝は、あまりに深くて暗い。
その沈黙を破ったのは、兄貴の部屋からだった。
ガリッ、ガリッ、という壁を掻きむしる音。
そして、獣の唸り声のような、押し殺した呻き声。
「兄貴…!?」
ドアを開けると、地獄がそこに広がっていた。
マーカスが、ベッドの上で身をよじらせていた。ブリス・チップが切れたんだ。EDSの禁断症状が、彼を内側から破壊している。
「う…ぁ…ああ……」
焦点の合わない目で虚空を睨み、彼は壁に爪を立てていた。指先から血が滲んでいる。
それは、俺の知っている優しい兄貴じゃなかった。痛みに、苦しみに、完全に支配された、ただの肉塊だった。
目の前の地獄。
昼間の、破格の報酬。
天秤なんて、とっくに壊れていた。
俺は部屋を飛び出し、自分のコンソールに向かう。レイナが、俺の腕を掴んだ。
「待って、ケイ…!」
俺は、その手を振り払った。
「どけよ」
冷たい声が出た。自分でも驚くほど、冷たい声だった。
「見て見ぬフリなんて、俺にはできねえんだよ」
依頼受諾のアイコンを、俺は叩きつけた。
「俺がやるしかないんだ…!」
振り返ると、レイナがそこに立ち尽くしていた。
その顔は、まるで世界の終わりを見たかのように、絶望に染まっていた。
俺は、もう後戻りできない橋を渡ってしまった。それを、はっきりと理解していた。
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