第3話:意図せぬヒーロー
データ・クーリエが集まる情報屋のバーは、嘘と真実がアルコールに溶け合う場所だ。
俺はカウンターの隅で、合成ソーダの気泡を睨みながら、耳を澄ませていた。
「聞いたか? 最近現れた『ゴースト・クーリエ』の話」
「ああ、どんな企業の警備網も、ギャングの縄張りも、まるで幽霊みたいにすり抜けるって奴だろ」
「奴のドローンは物理法則を無視するらしいぜ。ありえねえ機動で敵を翻弄するってよ」
ゴースト・クーリエ。悪くない響きだ。
俺は口の端が上がるのを隠すように、グラスを傾けた。俺の評判が、俺の知らないところで勝手に育っていく。それは、少しだけ誇らしい気分だった。
この街で生きるには、名前が必要だ。ナメられないための、鎧としての名前が。
「魔改造師」ケイ。そして、「ゴースト・クーリエ」。
上等だ。どっちの名前も、俺が俺であるための大事なパーツになっていく。
◇
隠れ家に戻ると、マーカスが俺の帰りを待っていた。ブリス・チップが効いている時間なのか、彼の表情は穏やかだった。
「ケイ」
兄貴は、言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。
「最近、忙しそうだな。…あまり、危ないことはするなよ。俺のことは、気にしないでいい」
その言葉が、チクリと胸を刺す。
気にしないでいい、なんて。あんたのためじゃなきゃ、俺はとっくにこの街で壊れてる。
「兄貴のためなんだから、当たり前だろ」
俺は、ぶっきらぼうにそう返すことしかできなかった。
兄貴は、俺がどんな汚い仕事をしてチップを稼いでいるか知らない。
俺は、兄貴が本当は自分の死期を悟っていて、俺に普通の人生を送ってほしいと願っていることを知らない。
互いを想う優しさが、分厚い壁みたいに俺たちの間に横たわっている。
その壁を壊す方法を、俺は知らなかった。
◇
今夜の配達ミッションは、イースト・ディストリクトの外れ。
敵の妨害電波がひどい。VRゴーグルの視界に、絶えずノイズが走っていた。
「クソッ、しつこい…!」
敵のEMP攻撃で、俺が放った追跡用の小型ドローンが制御を失った。操縦桿の反応が消え、ドローンは火花を散らしながら路地裏へと墜落していく。
忌々しい。ミッション後の回収が面倒になった。
だが、ドローンが最後に送ってきた映像に、俺は目を見張った。
路地の暗がりで、小さな子供が一人、膝を抱えて泣いている。迷子か。こんな時間に、こんな場所で。
ドローンに内蔵したスピーカー機能が、まだ生きている。
俺は一瞬迷った。だが、放っておけなかった。
マイクのスイッチを入れ、咄嗟に声を真似る。俺が知ってる中で、一番子供が安心しそうな声を。
『坊や、こっちよ。大丈夫、怖くないわ』
レイナの、猫なで声。
我ながら、似てないな。
だが、ドローンから流れたその声に、子供は顔を上げた。壊れたドローンが点滅させる誘導灯を、希望の光みたいに見つめている。
俺はドローンの最後の力でルートを示し、大通りまで子供を導いた。すぐに両親が見つかったらしい。
ミッション完了後、俺はドローンの回収のためにその路地を訪れた。
すると、さっきの子供の両親が、俺の顔を見るなり駆け寄ってきた。
「あなたが…! 本当にありがとう、息子を助けてくれて…!」
何度も頭を下げられ、俺は戸惑うしかなかった。
礼を言われることなんて、この街に来てから一度もなかったから。
自分の隠れ家に戻る道すがら、俺はずっと壊れたドローンを握りしめていた。
人を出し抜き、欺き、時には傷つけるための技術。
そうとしか思っていなかった。
俺の技術って…人を傷つけるだけじゃないのか…。
プロメテウスの呪いに汚れたこの手でも、誰かを救えるのかもしれない。
そう思ったら、ネオ・コンプトンの汚れた空に、ほんの少しだけ、星が見えた気がした。
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