第2話:紫色のパスタ
昨夜の硝煙の匂いは、まだ鼻の奥に残っている。
だというのに、目の前のテーブルに鎮座しているのは、それ以上に現実離れした物体だった。
紫色のパスタ。
毒々しいとしか言いようのない色彩が、朝の低い光を浴びてぬらぬらと輝いていた。
「どう? 今日の朝食は特別製よ。ハイペリオン社系列の食品工場から横流しされた廃棄食材を使ってみたの」
レイナが、やけに得意げな顔で胸を張る。悪びれる様子は一切ない。
「……廃棄品じゃねえか」
「人聞きの悪いこと言わないで。規格外品よ。味は保証するわ」
保証できる根拠がどこにあるんだよ。
ちらりと兄貴を見ると、マーカスは少し困ったように笑いながら、それでもフォークを手に取っていた。兄貴が食べるなら、俺が食わないわけにはいかない。
意を決して、紫色の物体を口に運んだ。
……なんの味もしない。いや、強いて言うなら湿ったボール紙の味だ。
「どう、ケイ? おいしい?」
期待に満ちたレイナの目が、俺をまっすぐに見ていた。
その顔を見たら、本当のことなんて言えるはずもなかった。
「……ああ。うまいよ」
俺の言葉に、レイナは花が咲いたように笑った。
兄貴も、その光景を見て穏やかに微笑んでいる。
不味いパスタ。廃棄品の朝食。危険な仕事。
それでも、この食卓には温かい何かが確かにあった。俺が守りたいのは、たぶん、こういう時間なんだ。
◇
サウス・インダストリー地区は、いつ来ても鉄と油の匂いがする。24時間止まらない工場のプレス音が、街の心臓の鼓動みたいに響いていた。
俺はガラクタ屋の強面の店主と軽口を叩きながら、目当てのジャンクパーツを漁っていた。
「おい坊主、そいつはもう動かねえぞ」
「動かすんだよ。俺の手で」
手に入れたのは、旧世代の冷却ユニットと、壊れたニューロプロセッサ。他の奴らにとっちゃただのゴミ。でも俺にとっては、宝の山だ。
隠れ家に戻ると、早速「新しいアート」の制作に取り掛かった。
今回のテーマは「記憶冷蔵庫」。
感傷的な記憶も、苦い記憶も、全部冷やして保存できたら面白い。そんな馬鹿げた発想が、俺の創作意欲を掻き立てる。
配線を組み、プログラムを書き換える。戦闘用ドローンの改造とは違う。ここには焦りも怒りもない。ただ純粋な、創造の喜びがあった。
集中力が、極限まで高まる。
その瞬間、脳の奥でパチッとノイズが走った。
見たこともない量子力学の数式。
流麗な筆記体で書かれた、青写真の一部。
そして、知らないはずの、優しい男の声。
『それでいい…その直感を信じろ』
「――今の、なんだ…?」
一瞬、思考が止まる。だが、目の前の回路が放つ青いスパークに、俺の意識はすぐに引き戻された。まあいい。気のせいだろ。
俺は再び、ガラクタに命を吹き込む作業に没頭した。
◇
その夜、ケイが自分の部屋で眠りに落ちたのを確認し、レイナは自室のコンソールを起動した。
ディスプレイに浮かび上がるのは、純白の十字架を象ったロゴ。
ハイペリオン・バイオメド。
彼女の指が、凄まじい速度でキーボードを叩く。企業の鉄壁のファイアウォールに対し、幾重にも偽装したコードを打ち込んでいく。
だが、システムは沈黙で彼女の侵入を拒絶した。あと一歩が、あまりにも遠い。
「……くそっ」
レイナは悪態をつき、ハッキングを中断する。
そして、コンソールの奥深くに隠していた、一つの画像ファイルを開いた。
色褪せた写真データ。
そこには、今よりずっと若い、希望に満ちた顔で笑う自分の姿があった。
彼女の隣には、一人の男性が立っている。だが、写真は破損していて、彼の顔は見えず、肩から下の部分しか映っていなかった。
レイナは、その写真に触れるかのように、そっとディスプレイに指を伸ばした。
「ケニー…ごめんなさい…」
絞り出すような声が、静かな部屋に落ちる。
「あなたの息子は、あなたの道を辿ろうとしてる…。私には、もう…」
彼女がケイに向ける眼差しの奥に隠された、罪悪感の正体を、まだ誰も知らない。
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