第1話:兄貴の命の値段
ネオ・コンプトンの朝は、血の臭いがする。
だが俺が気にするのはオイルの匂いだけだ。
半田ごての煙が、薄暗い隠れ家の空気を満たしていく。指先で撚り合わせた極細のバイパスケーブルを、配達用ドローン〈ラピッドファング〉の中枢基盤に接続する。メーカーの設計思想をガン無視した、俺だけの回路。理論上はありえない。でも、こいつは動く。俺にはわかる。
これは祈りだ。俺なりの。
『ケイ、また爆発するオモチャ作ってるの?』
通信機から聞こえてきたのは、レイナの呆れたような、でもどこか心配そうな声だった。
「うるせえな。これはアートだ」
憎まれ口を叩きながら、俺は最後の配線を繋ぎ終える。神経細胞が、機械の回路と繋がるような全能感。この瞬間だけは、クソみたいな現実を忘れられる。
「アートねぇ。どうせまたギャングの縄張りに突っ込むんでしょ。無茶だけはしないでよ」
「分かってるって。俺の腕を誰だと思ってんだ」
「15歳のガキでしょ」
通信が切れる。レイナの奴、いつもそうだ。核心を突いて、こっちの言葉を奪っていく。
ガキ。その通りだ。
でも、ガキじゃなきゃ稼げない金がある。この街じゃ、それが現実だった。
◇
VRゴーグルを装着すると、視界が〈ラピッドファング〉と完全に同調した。 スラムの空は俺の庭になる。
ミッション開始。 今夜の獲物は、ウェスト・バリオを縄張りにするギャング団「ロス・ペロス」のデータポスト。
愛機は、漢字とスペイン語の洪水みたいなネオンサインを縫って、垂直に降下していく。 眼下には屋台から立ち上るキムチ・タコスと排気の匂いが渦巻き、どこかのクラブからはレゲトンの重低音が地面を揺らしていた。
「発見したぞ!」
敵の通信を傍受。予想通りの歓迎だ。
二機の敵性ドローンが、プラズマ弾を撃ち込んできた。だが、遅い。
「行け、相棒!」
操縦桿を倒す。〈ラピッドファング〉は物理法則をあざ笑うように直角にターンし、敵弾を回避する。 敵機と敵機の間を、ブレードの先端が触れそうな距離ですり抜けた。企業の監視ドローンが何事かとこっちにカメラを向けているが、知ったことか。
ターゲットのデータポストに急接近。アームを展開し、データを引っこ抜く。滞在時間、わずか3.7秒。
完璧な仕事だ。俺は、俺の才能を信じてる。
◇
隠れ家に戻ると、レイナが黙って腕を掴んだ。空中チェイスの際に壁にかすった擦り傷。
「……」
彼女は何も言わず、消毒液を染み込ませたガーゼを傷口に押し当ててくる。 しみる。でも、その不器用な手つきが、なぜか少しだけ温かかった。
「はい、報酬。ヤバい仕事だったんだから、しっかり受け取りなさいよ」
「言われなくても」
受け取ったクレジットを握りしめ、俺は闇市場に向かった。目的は一つ。
兄貴のための、ブリス・チップ。
兄、マーカスの部屋のドアを開ける。
彼は、ただベッドに座っていた。窓の外の汚れた空を、虚ろな目で見つめている。喜びも、悲しみも、そこにはない。感情失調症候群(EDS)が、兄から人間らしいすべてを奪っていた。
「兄貴、持ってきたよ」
俺が差し出したのは、米粒ほどの青白く光る結晶体。 低級のブリス・チップだ。
兄はゆっくりとそれを受け取り、首筋のポートに埋め込んだ。
その瞬間、チップに触れていた俺の指先から、ノイズが流れ込んできた。
知らない子供が、バースデーケーキの蝋燭を吹き消す笑顔。
知らない男女が、夕日の中でキスをするシルエット。
温かい食卓を囲む、知らない家族の笑い声。
これは、幸福の断片。誰かの、大切な記憶。
それを、俺は金で買い、兄に与えている。他人の幸福を、俺たちは奪って生きているんだ。
罪悪感で、吐き気がした。
だが、目の前の兄の顔から、虚ろな色が消えていた。
ほんの一瞬。本当に、瞬きほどの時間。
昔の、優しい兄貴の顔がそこにあった。
「…ありがとな、ケイ」
その儚い笑顔。
たった二十枚分の一の、笑顔。
ああ、クソッタレ。
この笑顔が見れるなら、なんだっていい。俺がどんな罪を背負ったって、構うもんか。
兄貴の命の値段は、ブリス・チップ20枚。
なら、俺の命でそれを稼ぐだけだ。簡単な計算だろ?
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