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第8話 遭遇、けもの

 どれくらいの時間が経っただろうか。

 端末を起動すれば日本での現在時刻はわかるだろうが、それがこの世界と共通かどうか不明な以上、下手な電池消耗は避けるべきだと考えていた修一は、暗闇とひとり向き合っていた。

 シンシアは『交代で』と言っていたが、本当だろうか。そういえば何時間で交代するのか確認を取っていなかったことに気づき、修一は自身の手際の悪さに落ち込んだ。


 幸いにも月は雲に隠れることなく、光源を提供してくれている。

 視界が確保出来る内に、武器を確保すべきという考えが、修一の頭の中から離れない。

 シンシアは、『オオカミに勝てると思うか』と言っていたが、むしろ狼から走って逃げられるとは、到底思えない。ならば、刃物の一つでもあったほうが、ないより良いのではないだろうか。少なくとも、抵抗手段にはなるだろう。

 そう考えた修一は、そろりそろりと行動を開始した。

 向かうは、包丁がありそうなキッチンだった。靴音が響いてしまうが、いざという時に備えて仕方なく革靴は履いたままにした。慎重に、二歩歩いては立ち止まり、様子を窺う。その繰り返しで、彼は何とかキッチンへと辿り着いた。

 光源が心配だったが、キッチン入口から向かって右側に窓が据え付けられていたため、問題はなかった。

 典型的なシステムキッチンだった。作業台の上には調理器具が散乱し、床には調味料を入れていたであろう小瓶が中身がこぼれて転がっている。

 おそらくこの辺だろうと、流し台の扉を開く。修一の予想通り、扉の裏側には包丁差しが設置されていたが、しかし、肝心の包丁は一本もなかった。

 内心、舌打ちをする修一だが、その時。

 唐突に悪寒がした。身体の右側部分だけが急速に熱を失っていくような感覚がした。

 視界の端、窓の外に、何かがいる。

 修一は首を向けたくなる気持ちを必死で抑えた。動いたら死ぬと、本能が警告していた。彼のこめかみから頬へと汗が伝う。『汗はまずい』と修一は思うも、止めることが出来ない。臭いを嗅ぎつけられては、動かずとも存在が露呈してしまう。得体の知れない存在の動向を把握するために、彼は眼球だけを必死に動かして目の端で何とかその存在を捕えようとする。

 窓の外見えたのは、まず円陣の一部。修一が最初に飛ばされた場所で松明に照らされて目にしたものと、よく似たものだ。この場所に到着した当初は、明かりがなかったために地面に何かが描かれているとは分からなかった。おそらく円陣からあの円陣へと飛ばされてきたのだろう、と彼は理解した。

 問題は、その円陣の中心に居る存在だった。修一の眼球はこれ以上動かせないと、悲鳴を上げている。耐え切れず目を閉じようとした時、その存在が円陣の中心から動き、修一の視界に完全に入った。


 彼が見たまま表現するならば、それは後ろ足で立ち上がり、前足を垂らした狼のシルエットだった。鋭い爪が影をなしている。その爪先から、何かがボタボタと地面に滴り落ちている。狼らしき存在の足元からは黒い染みのようなものが徐々に広がっていた。また、彼は最初、狼の体毛が風に靡いているのかと思っていたが、よく見るとそうではなかった。体表で得体のしれないものが細かく波打って、蠢いている。

 顔は恐らく、彼の方を見ている。目が光っていないため確信は持てなかったが、顔を伝う汗が、”見られている”と主張していた。


『あれが、シンシアの言っていた"けもの"……!? 化け物じゃねぇか』


 恐怖に駆られ、当然彼は動けない。しかし、数十秒も経つと、目の渇きに耐えられずに修一は目を瞑ってしまった。視界が閉じたことで、それ以外の感覚が敏感になる。心臓は早鐘のように打っており、嚙み締めた奥歯が痛い。産毛が逆立っているのが彼自身でもわかった。これは、あの存在が放つ殺意だろうか、狂気だろうか。

 完全に死を覚悟した修一は何を思ったか、逃げることもせずに、頭の中で数を数え始めた。

 一、二、三……。

 叫びだしたくなるのを必死で抑えるための、ささやかな抵抗だった。

 彼が六百二十三まで数えた時、なぜまだ生きているのか疑問に思って、微かに右目を開けた。続けて、左目もゆっくりと開いて、首を右へ回した。

 眼前には、月光に照らされた円陣だけが存在していて、かの狼の姿は消えていた。それでも修一には信じられなかったので、ゆっくりを窓に近づき、可能な限り周囲を見回した。

 けれど、やはり狼の影は見当たらなかった。

 彼はずるずると床に座り込むと、膝を抱えて蹲った。スラックスが汚れるのを気にする余裕もなかった。

 異世界でやり直しを夢見てきたのに、実際はろくでもないことが起こっている。期待との落差に、彼は打ちひしがれていた。頭の中に浮かぶのは、『平穏な暮らしを望んだだけなのに、なんでこんなことに』という後悔だった。

 修一は天を仰いで微動だにしなかった。

 探しに来たシンシアが彼を見つけるまで、そうしていた。

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