第7話 遭遇、一時間前
一階へ修一が戻ると、シンシアは彼らが別れた時と同じ場所で待機していた。
修一は手短に彼女に報告した。
「二階は二部屋で、共に破損等は見当たらない。内一つは寝室」
「一階はリビングとキッチン、それから水回りのようです」
一階もそれなりの広さがあるにも関わらず、なんてことない、といった風に答えるシンシアを修一は改めてまじまじと眺めた。
確かこの建物に入る前、月明りに照らされた時に目に入った彼女の恰好は、白っぽいシャツに黒のパンツスタイルで、腰にいくつかポーチを着けていた。足元は頑丈そうなロングブーツだったはずだ。年のころは、今改めて見ても、やはり二十歳を少し超えたあたりか。身長は百六十センチ前後だろう。細身で、髪は肩甲骨くらいの長さで西洋風の顔立ち……。
最初にこの廃屋に入ろうとした時に、三和土があることに気が付いていた修一は、建物は日本風なのにも関わらず、この世界に来てから出会った人物は皆、西欧風ばかりだったため、若干混乱気味であった。そして、何故か修一が日本語で話して通じるし、向こうも日本語を話しているように聴こえるのだった。今、そのようなことを深く考えているような場合ではないことは、修一にも重々わかっている。わかっていても、一度走り出した自身の思考を修一には止められない。そもそも……。
シンシアが黙ったままの修一を、暗がりなので彼にとっては恐らくだが、怪訝そうに見上げたことに気づいた彼は、生命が懸かった危機的状況にも関わらず、自身の思考に飲まれていたことを誤魔化すために、慌てて問いを投げかける。
「これからどうするつもりだ?」
眉を寄せたままだったが、シンシアは冷静に返答する。
「交代で睡眠を取りましょう。夜明けまで長丁場になります」
「……けもの、とやらに対抗するのに、その、武器とか探した方がいいんじゃないか?」
修一は、自分ではもっともらしい提案をしたつもりだった。
「武術の心得がおありですか?」
「いや、ないけど……」
シンシアは呆れたように首を振った。
「心得がないのでしたら、やり過ごすことを考えるべきです。あなたはオオカミ相手に戦えますか?」
「オオカミ?」
「そうです。えっと……オオカミという生き物を、あなたはご存じでしょうか?」
「そりゃ、勿論」
「変に思われるようですが、説明していただけますか」
全く変な問いかけだと内心思いつつ、修一は狼について言語化しようと悪戦苦闘した。
「哺乳動物で、四つ足で歩く。体表は毛で覆われていて、その、鋭い爪と牙を持っている。嗅覚が鋭い。あとは……」
言葉が出てこない修一に対し、シンシアは『体長は、どのくらいですか?』と質問した。
「だいたい……一メートルくらいじゃないか」
「一メートルとは、どのくらいの長さを表しますか?」
まるで意図が掴めないシンシアの質問に、若干苛つきながら修一は立ち上がって一メートルを指し示そうとする。自身の身長百七十五センチメートルから考えて、だいたいこの辺り、と彼は自分の横隔膜の辺りに手を添えた。
「どうやら言葉の概念は、おおよそ共通しているようですね」
シンシアが呟いたその言葉で、ようやく彼女が推し量ろうとしていたものが修一に理解出来た。
「ちなみに位取り記数法はどうなっていますか?」
「位取り記数法?」
「十進法を使っていましたか?」
「ああ。もしかして、十進法じゃない人間に会ったことがあるのか?」
「以前、召喚された方は、二進法でした」
二進法を使う人間との会話を想像して、修一はげんなりした。
「さて、一端ここまでにしましょう。私が先に休んで良いですか?」
シンシアの提案に修一は若干慌てた。
「構わないが、もし”けもの”とやらが現れた場合、何か合図した方がいいのか?」
「いいえ、自分が生き残ることだけを考えてください。私もそうします。ここを動かないでください」
抗議の声を上げた修一を手で制したシンシアは、黙って立ち上がり、静かに部屋を出て二階へと続く階段へ消えていった。
修一は、その場でじっとするしかなかった。
月明りはまだ差し込んできているものの、何時また雲にかくれてしまうとも限らない。夜の闇に紛れたものが、虎視眈々と自分を狙っている心地がした。
深く溜息をついた修一は壁に寄りかかると、自身の運の無さを嘆き、けれどどうすることも出来ずに、ただ時が何事もなく過ぎるのを祈っていた。