第35話 昏い夜の怪物
周囲は昏く、静まり返っている。
シンシアの予言の日が来た。
人々は家屋内にそれぞれ篭り、呼吸を潜めている。不必要な明かりは全て消されており、光源となり得る月も今夜は厚い雲に隠されてしまっていた。
内部への出入口の脇にはかがり火が設置されているが、門番はそこでは待機していない。
そこより数十メートル離れた場所、シンシアの指定した侵入ポイント前付近にて門番の内の一人、刀剣を下げた男の方が仁王立ちして時を待っている。
もう一人、笛を下げた男は見廻りに出ていったまま、まだ戻っていない。
それ以外にも村の人間だろう、何人かの男性陣が松明を手に不安そうにうろついている。
ナイトウは侵入予定ポイント正面からいくらか離れた場所にて座りこんでいた。猟銃を携えて目を閉じたまま、動かない。
彼の背後、更に数メートル離れた所に、修一は立っていた。
当初、この場に立ち会うことには、当然の如く反対された。
けれど許可が降りたのは修一自身が強情にもそれを望み、またその理由を聞いたナイトウの後押しがあったからに他ならない。
彼は改めて見ておかなければならないと思った。いつか自分が成り果てるであろうその存在を。
ナイトウも同じ転移者として思うところが多々あった為、最終的に邪魔にならない一番離れた場所で待機することを条件に他の人間に掛け合ってくれたのだった。
シンシアは宿にて休養中、ラウラは看病のために付き添っているため二人共この場にはいない。
かがり火の僅かな光源を使って、怪物が現れる瞬間を、皆待っている。
対怪物の作戦としてはなんてことはない、俺が射殺するだけの単純な話だ、とナイトウは言った。
出現地点が明確で、しかも時間まで絞られているのだからこんなにありがたいことはない、と首を振りながら続けて彼は言った。
けれど修一はナイトウのように落ち着いて待つことは出来そうになかった。頭の中にはどうしてもあの廃屋で遭遇したあの時の怪物の姿が脳内にフラッシュバックしてくる。
彼が平静を保てるようになるまで随分と時間を要し、そして覚悟を決めた頃に、その時はやってきた。
始まりは、奇妙な音から始まった。
村の中と外をと区切る、修一からしてみれば頼りない板の連なりを控えめに、数回叩くような音がした。
それがノックをしているのだと理解出来た修一の頭は、むしろ混乱した。
時刻はシンシアが指定した時間ぴったりだ。場所も間違いがない。ならば、この音を、ノックをしているのは、俄かには信じがたいが件の怪物だとでもいうのだろうか。
刀剣を握りしめた門番の男は戸惑ったように数歩、後退した。
ノックは段々と激しくなり、やがて板を破壊して侵入しようとする乱暴な音に変わった。
男たちの息を吞む気配が伝わってくる。
ひとり、ナイトウは冷静に銃を構えている。
修一は立ちすくんだまま、音の発生箇所を凝視していた。
そして、板と板の隙間にねじ込まれた爪がついに一面を薙ぎ払った。
現れたのは黒色の毛に覆われた、やはり怪物だった。
かがり火が怪物の大きく開かれた口からだらしなく垂れる涎と舌を照らしている。
突然溢れる光に当てられて、眩しがる様によろめいた後、怪物はその顔を上げた。
自身を遮る邪魔な存在が取り払われた今、怪物はいざ人々に狙いを定めて飛び掛かろうとしたものの、しかし目に見えぬ透明な何かに阻まれることとなった。
結界か、と修一は思った。
怪物は納得がいかないかのように、何度も何度も頭突きを繰り返している。
しかし何度ぶつかろうと、結界は強固でびくともしない。
やがて我慢ならないとばかりに怪物は雄たけびを上げたが、その隙に合わせてナイトウの銃から弾丸が放たれた。
その後のことは、修一にとって複雑な思いを抱かせるものだった。
門番役の男二人は斃れた怪物に近寄ると、持参したロープで手足を固く縛った上で袋詰めにした。そのままどこかへ運ぶのかと思いきや、結界の外に位置していることを確認後、放置して戻ってこなかった。
去り際に、門番の男は笛を吹き鳴らした。
袋の側には新たにかがり火が立てられ、村人の男が二人ペアでその場で待機している。
頭に疑問符を浮かべている修一にナイトウが近づいた。
「修一。悪いが俺は少々外す。あいつをここに呼んでこなきゃならん」
「あいつ? ええと、あの、怪物はどうするんですか?」
「寝ずの番を立てる。二十四時間は交代で見張る。怪物は元転移者だ。どんな特殊能力を持ってるかわからん」
「もしかして、生き返ったりするかもしれないと」
「念には念を入れよ、というわけだ。だが俺のこれまでの経験上、怪物が特殊能力らしきものを使ったことは見たことがない」
「そうですか……」
「早めに戻るようにはする。おめえさんはどうする? ここにいるか?」
「一度、宿へ戻ります。シンシアの様子が気になるので」
「おう。じゃあな」
物見櫓へと向かっていったナイトウの背を見送り、それから振り返って袋詰めされた怪物の方を見た。今はもう何も物言わぬ存在が横たえられていた。
修一はその光景をしっかりと目に焼き付けるようにして記憶してから、宿へと歩き出した。




