第11話 亀裂、交換条件
ごとり、と重い音を立ててダイニングテーブルに置かれたのは、出刃包丁だった。
シンシアはテーブルに指を付き、深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。昨夜、私は二つのものから身を守らねばと思っていました……怪物と、あなたです」
出刃包丁をよく見ると錆らしきものが浮いている。これはこの廃屋のキッチンから入手したものだろう。
修一は頭に血が昇り、感情のままにシンシアを怒鳴りつけた。
「つまり、君は、俺が君を襲うと思っていたってわけか……!」
心外なことに腹を立てた修一の声はつい大きくなってしまう。シンシアの身体は震えている。震えているのがわかっていても、修一は身勝手にも裏切られた気持ちがしてならなかった。
「その包丁を、隠して自分ひとりだけでこっそり持ってたってわけかよ! そのせいで、俺はあの光景を目にすることになったんだぞ! それを……」
椅子から立ち上がった修一が続けようとした言葉は、鈍い音がしたことで途切れた。電子書籍リーダーが床に落ちた音だった。
急に我に返ってそれを拾い上げた修一は、急いで壊れていないか電源を入れた。
シンシアはテーブルに突っ伏して頭を下げたまま、相変わらず恐怖している。
無事端末は起動し、本棚部分が表示されて彼は安堵した。破損防止のカバーを装着していたことも、功を奏したようだ。そして、そこに表示されたある小説の表紙に、ふと修一の目は釘付けになった。
表紙の右上には”1%”の表示が出ている。冒頭部分だけ読んで、止めてしまったからだ。
その小説は、赤の他人である男に助けを求められ、親切にした結果無惨にも殺される女性のシーンから始まっていた。女性の絶望を伴う心情が事細かに描写されていて、途中でギブアップして未読状態になっている本だった。
”どうして、どうしてと彼女は男を呪いながら、血を流し、斃れてゆきました。それまできらきらと彼女の人生を美しく写し取っていたはずの眼球は、今や飛び出そうなほど見開かれて、薄く濁ってゆくのでした……”
「…………」
その時のことを思い出した修一は、ぶるりと身震いすると、憑き物が落ちたかのように椅子を元に戻し、座り直した。
「……その、悪かった。警戒するのも尤もだ」
それでもシンシアは顔を上げない。修一は心の底から自身の未熟さを恥じた。目の前で震える彼女の白いシャツは薄汚れ、亜麻色の髪には埃がついてしまっている。正直に申告などせずに、黙っていればおそらく修一にはわからなかっただろう。なのに彼女はわざわざ自己申告したのだ。
一方で、修一の方はどうだ。打ちひしがれて寝室で椅子に寄りかかり、いきなり会ったこともない人間、しかも男と夜を超える羽目になった彼女の不安を考えたはずだったろうに。彼は唇を噛んだ。続く言葉が上手く出てこなかった。
「では、交換条件……といたしませんか」
お互い気まずい沈黙が続いた後、先に口火を切ったのはシンシアの方だった。
「交換条件?」
ようやくシンシアが顔を上げたことに気が抜けた修一は、彼が思う以上に素っ頓狂な声を上げていた。羞恥で咳払いをして誤魔化そうとしたが、残念ながら上手くはいかなかった。
シンシアは意外にも、気丈な表情を見せている。怯えの感情は伝わってこない。
「あなたは、私が村に帰るまで同行する。私は、あなたにこの世界で暮らしていくのに必要な情報を提供し、私が出来る範囲で口利きをします」
「……いいのか?」
「交換条件、ですよ。道中、身の危険もあるでしょうが、ご自分の身はご自分で守っていただく必要があります」
「それでもいい。わかった。……よろしく頼む」
修一はおずおずと、右手をシンシアに向かって差し出した。
シンシアは少し面を食らった顔をした後、笑って修一のその手を取って、二人は握手をした。




