03.竹冠を使う漢字たち
最も古い竹笛は随州にある戦国初期の曾侯乙墓で発見されている。一つは箎と呼ばれる横笛で、30cmほどの長さで8つの穴が開いている。もう一つの箫はいくつものサイズの笛が順に並ぶパンフルートのような楽器だった。後漢の風俗通義では大小10本の笛の連なるこの形状が鳳凰の翼のようだったという。パンフルートは商代の遺跡にも骨製のものが見られる。笛の類は元々は動物の骨で作られていたが、いつ頃からか竹に移行した。
竹笛の種類は豊富で、周礼を見ると竽、笙、塤、龠(籥)、簫、篪(箎)、笛、管、舂牘、應、雅の十一種も挙げられている。
このうち笙は日本の雅楽でも使われている笛で、複数の管を持つ特徴的な形状をしている。後漢の鄭衆の周礼注には、竽は36本の管があり、笙は13本の管を使ったという。とはいえ穴の数も管の数も文献や時代によって違いがあって頼りにならない。
縦笛の使用は分からないが、少なくとも唐代には縦笛を使用する絵画が残っている(※唐蘇思勗墓楽舞図など)。
算術の算の字に竹冠が使われている点から計算機に竹細工が使われていたことは分かり易い。元代か明代の頃に今の様式の算盤が発明されたが、春秋戦国時代から宋代にかけては算術用の盤の上に竹の短冊を並べて数字として計算をしていた。
また長さを見るための尺、重さを測るための天秤はかりにも竹製のものがあった。
中国の数学は実用面に限って発展した。円周率や平方根は知られていたし、九九は春秋戦国時代から基本的な教養であり、後漢の頃には多元連立方程式、唐代には少数、宋代には零が採用され、元代には天元術(代数学)が成立した。一方で、インドやイスラム、ヨーロッパの数学も中国に伝来したにもかかわらず近代まで重視されなかった。
簙は賭博の双六を意味する。六簙といい、箸を使う複雑なボードゲームで、二組に分かれて金を賭けて勝負した。六本の箸を使ったが、これが竹で出来ているので竹冠の字を使ったのだろう。博打にはいわゆるサイコロも使われていて、始皇帝陵から14面体の石製サイコロが発見されている。
竹の杖を使う刑罰もあった。これを笞刑といい、春秋戦国時代から行われてきた。漢書刑法志によれば、漢文帝のとき本来足切りの刑に処すべき者を減刑して500回の笞刑に代え、鼻割きの刑に処すべき者を300回の笞刑に代えたが、多くが死んだ。後にまた減刑され笞刑が最大200回になると、刑罰が軽いと見做されるようになった、とある。数十回から200回程度打ち据えられても存命した記録はいくつかある。東観漢記には800回打たれても死ななかった人物の話があるが、それは大抵は800回打たれたら死ぬということを意味する。後漢の張温のように死ぬまで笞で打たれることもある。
長さ5尺、太さは平均1寸で末端は半寸、節の部分を平らにした竹を用いることが推奨されたという。
教育上の体罰にも使われていたようで、顏氏家訓では子供が数歳になったら笞で罰を与えることを薦めている。
説文に箑は扇なりという。
竹の扇は今知られるような扇子ではなく見た目は手旗に似ていた。九店楚墓や馬山漢墓出土の扇は旗幅が短く装飾が施され、竹で編まれていた。これが唐代には団扇や芭蕉扇のように左右対称のデザインに代り、丸い形や縦長の楕円の形状になった。
装飾具として簪も竹製のものがあったが、富貴の象徴であるため玉器や金銀で作られた(※河北満城漢墓)。
調理道具や食事道具にも竹細工は見える。竹箸は知られているが、出土品の傾向から箸は商代から骨や青銅、玉など色々な材料で作られていた。高坏には前部分で触れたが、基本的に祭祀や宗廟で祀るために用いた。ご飯入れは箪と呼ぶが、孔子に由来する簞食瓢飲の通り、少量とされる。說文には[竹冠+稍]は飯の筥なりといい、ご飯入れを示すものがあるが、こちらは五升入ったという。
農具として箕は日本の箕にとても近いものが発見されている。ゴミ掃除に使うものを箕と呼び、糠を取り除くものを簸といい、穀物を運ぶものを籔と呼ぶ。笊の字は宋代から使われる。箕に類するものは商代からあった可能性はあるが、現存する遺物としては戦国時代のものが最初になる。
魚釣り用の道具にも竹は使われた。竹竿はかなり一般的で、墨子によれば旗竿としても使われた。九章算術には長さ1丈の竿が挙げられているが、一様ではないだろう。また筌という魚取りの道具もあって荘子の外物編で触れられるが、水中に沈める筒状の仕掛けである。こうした類の漁具は素材を無視すれば世界中にある。
第は竹冠を使う漢字で、春秋戦国時代に作られた。順序や次を示し、そのために兄の次としての弟(※竹冠の無い第)の意味が付与されて普及した。ただしそれまでも兄弟を示す言葉は別にあり、兄にもまた別の意味があった。
説文には韋(獣の皮)を束ねるという。史記の孔子世家に韋で編んでいた竹簡(書)が三度絶たれた話があり、竹簡を獣の皮紐で束ねて順序を定めることと解釈される。順序には甲・乙・次・第の四つが定義され、それに基づいて邸宅の格式において最も格の低い宅(住居)の意味も持つ。
笹の字は日本の国字で、日本ではかつては小竹と書いてささと呼んでいたという。
竹と笹は、表皮を剥がしやすいかどうかで区別される。感覚的には大きいのが竹、小さいのが笹だが、竹の品種の中にはカンチクのように比較的小さいものもある。
日本ではときどき神性が付与される。神の木は榊だが、神楽においては笹を使うものもある。東北では戦時中に弾避けとして弾痕笹を服に入れた。身を清めるため笹垢離をする伝統は各所にあったようだが廃れた。
笹舟は中国では竹葉舟という似たようなものがある。日本では伝承においてときどき神と結び付けられる。
他には七夕があるが、こちらは中国と違って笹に短冊を吊るして願掛けをする。願掛けをするというのは中国の乞巧奠が元である。笹に短冊は江戸時代の浮世絵や春画に沢山描かれるが、笹を使うのはどうやら高い所にやれば願いが届きやすいからのようだ。江戸時代の七夕の笹は屋根より高く聳えていて華やかである。