38話 からくり時計
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「アルバート様、アルバート!」
階段から対角線上の所、1番時計塔の出入り口から遠い所に彼はいた。両手両足を縛られ、仰向けに倒れている。
しかも、かなり憔悴しているようだ。ひどい。一体、誰がこんな事を…
「み、ミア嬢…」
いつもより掠れて僅かに低い声の彼が私の名前を呼ぶ。
声から彼が弱っているのが伝わってきた。もしかして、薬か何かだろうか。
「逃げろ、もうすぐここは密閉状態に…」
「分かっています。だから、私は貴方を助けに来たんです」
「今の私は、満足に歩くことが出来ない。私を置いて今すぐ逃げろ」
両手両足を縛っていた紐を解き、手を引いて歩き出そうとすると、彼に待ったをかけられる。だが、ここまで来て諦める私ではない。
「私は貴方が生きる事を諦めないと言うまで、ここから絶対動きません」
そう言って、彼の隣に座る。
「…っ、分かった」
そう言って彼は立ちあがろうとするも、ふらり、と体勢を崩してしまう。慌てて立ち上がり、彼を支える。だが、私では頼りなかったようで、そのまま2人で倒れ込んでしまう。
「やはり、君だけでも…」
「嫌です。逃げませんよ」
今から走っても、間に合わないだろう。
あのドアが自動で閉まるのか、そうでないのかは分からないが、いずれにせよ、ここが密閉状態になるには変わらないと思う。
それなら、今ここで、出来る精一杯の事をしたい。生き残れる方法がきっとあるはずだ。
頭をフル回転させていたその時、また公爵夫人の言葉が頭をよぎった。
「日が変わってから1時間の間、全ての換気口が閉まってしまい、塔内に新しい空気が入らず、中は密閉状態になります」
つまり、時計塔の内部から脱出すれば…
そこまで考えて、ふと、この時計塔が、からくり時計だった事を思い出す。
1日に3回、時計盤が開き、中から綺麗な陶器の人形が出てきて、寸劇を繰り広げるのだ。
時間は、朝の6時とお昼の12時、夕方の18時だ。
昔は夜の24時にも鳴らしていたらしいが、騒音だというクレームが殺到して、取りやめになったらしい。
この時計盤を動かすことができれば、密閉空間にならず、空気を取り入れられるのではないか。
すぐに時計盤に近づき、動かせそうな装置を探す。
「ミア嬢…?」
アルバートが訝しげな声が聞こえたが、今はそれどころではない。
「アルバート様は今はお休みになっていてください。私が必ず貴方を助けますから」
暗闇で、あまり手元が見えない。色々な所を触っていると、突起のようなものに手が当たった。
間違いない。この盤を開くための手回しハンドルだ。
急いでハンドル回し始める。だが、重くて上手く回すことが出来ない。早くしなければ。
「う、くぅ…」
なんとかハンドルを1回転させた、その時だった。
カチャ、という音がして、それまで微かに吹いていた風が入らなくなった。
日が変わったのだ。
急がないと、死んでしまう。だが、焦っても、上手くハンドルは回らない。
ジワっと涙が滲んでしまった。嫌だ、死にたくない。
その時、背後から、アルバートが私の後ろからハンドルを握った。
「何しておられるんですか。貴方は休んでいないと…」
「女性が一生懸命、自分の命を助けようとしてくれているのに、自分だけ休んでいる男はいないよ」
そう言って、彼はハンドルを回す。
薬が回っているとはいえ、私とは力が違う。少しずつだが、時計盤が開き始めた。
開いた隙間から風が勢いよく吹き込む。全部開け切ることは出来ず、半分くらいまで開けた所で2人とも力尽きてしまった。
風に当たっていると、私、助かったんだという実感が湧いてきた。ホッとして、緊張が緩んだからか、そのまま腰が抜けてしまう。
互いに情けない姿だ。
だが、そんな姿を見て、私達は互いに笑い合った。
「あ、そう言えば」
「ん?どうかしたのか?」
時計盤の間から見えるいつもより輝いているそれを見上げて、私は言った。
「今日は、月が綺麗ですね」
私の言葉に、彼は少し目を見開いたが、寂しそうな目をしながらも笑って答えてくれた。
「ああ、本当に綺麗だ」