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Comitem septem -封印と仔羊の教会-  作者: グレイマス伯
第1章 私はΑでありΩである
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第1章外典 ヴェレスの杖

 ロシア、ノヴゴロドのヴォルホフ川支流には小さな農村があった。かつては300人を超える大村落であったが、戦争や近くの工業都市への人口流出によって今では50人にも満たない。大規模な冬小麦畑は刈り取られており、農民達は次の作付を待っている。ロシアでは正教徒が多く、この地域でも多くの町村にロシア正教の教会が存在する。しかし、この村はかつてそれなりの規模があったにも関わらず、教会らしき建物は無い。その理由は今、村長の家で行われている村人達の談合を見れば分かるだろう。


 三月最初の新月の夜、村長に村の男が5人、鮮やかな伝統衣装を来た十代前半程であろう少女の7人が庭で焚き火を囲んで話し合っていた。庭には幾つか木の柱が立っていて、頂点には顔のような模様が彫られている。

「これで村の人口も50人を切ったな。大祖国戦争前には300人、連邦崩壊には100人であった。これでは半世紀もせぬうちにこの村の名はあらゆる地図から消えてしまうのだろう。」

逃れられぬ社会の運命に村長が嘆いていた。

「何を言うのです!もしこの村が滅びようものなら、我らの文化と信仰もそこで潰えることでしょう!」

「ウラジーミル、スヴァローグ神の御前だ。大声を上げるでない。」

村長の弱気な態度に男が激昂するも、年老いた男に諌められる。

「遠い未来のことばかり考えていても仕方ありません。巫女様、今年の祈願は如何でしょうか。」

「え、えっとー。そうですね...」

前向きな青年に質問された少女はそそくさと手帳を取り出して、暦に関するメモを探す。

「巫女殿、焦らなくてもいいですよ。皆、あなたの背景を知っております。勿論、日々の努力も。」

村長は孫娘に語りかけるかのように優しく励ます。他の男達も村長に続いて頷く。彼女はこの氏族で代々神職を務めてきた家の娘だ。この氏族では15歳で神職としての稽古を付けるのだが、先代の神官であった彼女の父親が早逝してしまい、12歳ながら後を継ぐことになってしまったのだった。

「申し訳ありません。なるべく早く一人前になれるよう努力します。今年の祈願ですが、収穫の感謝は既に終えたので...。」

少女にとって最初の会合は順調に進んで行った。


 既に分かっている通り、この氏族は古くからの信仰を今に伝えているのだ。とは言え、歴史の荒波に揉まれて信仰の形態はかなり変わっている。しかし、信仰しているのは古代スラヴ人の崇拝していた神々のままである。村長の庭に立っていた木柱は神々の顔が彫られた偶像で、物によっては3つや4つの顔がついている。中でも大きい偶像の顔は熊の様な顔であり、これは彼らの氏族が最も重要視した神ヴェレスの偶像である。ヴェレスは嵐、家畜、死そして魔術を司る神であり大地に鎮座する。対照的に天空に鎮座する雷神ペルーンとは敵対関係にあり、一騎討ちに敗れて死亡した。しかし、この死は永遠の物ではなく日々再生しているのだ。巫女の少女の家にはヴェレスの祭壇があり、その近くの蔵には秘蔵の祭具が納められているのだ。


 数日後、村に考古学者を名乗る男が訪れた。小太りながら精神的に不安定そうな顔貌の男で、それを見た村人達は忙しい人なんだなという印象を抱いた。男はロシア語辞典と思わしき本を開き、外国人とは思えない流暢なロシア語で話し始めた。

「どうも、ワシントン考古学博物館のブラッドレーです。欧州のアニミズムに関する研究

をしておりまして、今回は古代スラヴ人の信仰の調査をしたくてロシアを訪れました。モスクワの方で様々な資料を漁った結果、もしかしたらと思いまして。」

それを聞いた村人達は受け入れ賛成派と反対派に分かれた。反対派の主張は長らく隠されてきた信仰の秘密がモスクワの学術書に書かれていたと言うのが怪しかったからだ。もしかしたら、かつて信仰を弾圧していた教会や共産党の様に、彼も信仰に仇なす存在なのではないかという憶測を立てており、追い返すべきだと主張した。対して賛成派は、ネオペーガニズムの活動が起きる社会で弾圧されるとは考えられないと思ったからだ。社会に明るい村人は自分達に理解を示してくれそうな団体の存在を認知していた。だからこそ、隠し続けて滅びを待つよりも、理解者を招いて文化を存続させようという意見の元情報提供すべきだと主張した。彼らは村長の家で一時間程討論し、そして結果を出した。

「ブラッドレーさん、我々はあなたを受け入れることにしました。」

「おお、寛大な心遣い感謝します。よろしくお願いします。」

学者は笑顔になり、恭しく礼をした。しかし、見る人によってはその笑顔に含みがあるように見えた。


 昼過ぎに学者は巫女の少女の家へと訪れた。簡単な挨拶を交わし、学者を祭壇へと案内した。

「こちらの木柱は熊の頭をしておりますね。確か村長の家にもありましたね。」

「はい、ヴェレス神の像です。ヴェレス神は私達氏族の守り神なのです。こちらの祭壇にヴェレス神に捧げる穀類をお供えします。」

少女が学者に聖域を案内して回る。

「そういえば、神器なんかはないのでしょうか?」

突如、学者が思い出したかのように聞いた。

「一応ありますけど、神聖な物なので流石に見せられません。」

「まあ、そうですよね。失礼しました。」

「いえ、こちらこそお力になれず...。」

その後も学者は幾つか祭儀の質問をして去っていった。少女は学者が終始視線が安定していなかったことを怪しく思った。


 深夜、巫女の家に三つの影が迫った。3人とも顔の殆どを黒いマスクとフードで覆っており、素顔は全く分からない。

「いいな、殺す必要はない。だが、騒がせるな。抵抗する様なら黙らせろ。」

リーダー格の男が仲間の二人に命令した。音を立てない様家に迫り、ドアをピッキングして開ける。

「やはり来たか。巫女様から聞いたからここで待つことにしたが、学者じゃなかったんだな。」

巫女の家では5人の男が待機していた。巫女は安全の為に村長の家に預けられていてここにはいない。その内の一人が、リーダーの男が体格的にブラッドレーと名乗った学者だと判断して威圧する様に言った。

「やれ。」

リーダーが二人にそう告げると、二人は前へと歩み出た。

「警察にはもう通報したからな。あと、村の男を舐めるなよ。」

村男達は各々鉈やナイフを取り出して構える。5秒ほどお互い静かに様子を見た。そして、最初に動いたのは覆面の二人だった。

「なっ!?」

「ゴハッ。」

村男達は反応する間もなく無力化された。それには10秒も掛からなかった。

「例のブツを探せ。」

村男の一人は意識が途絶える前にその言葉を聞いた。


 一人の村男が目を覚ました時は襲撃者が去った後だった。彼は救急車へと乗せられる所だった。傍には村長が心配そうな顔を向けていた。

「村長、どうなりました?」

「おお、気付いたか。無理をするなと言ったのに。」

「俺はいいです。祭具は?」

「いい訳あるか。二人死んだのだぞ。」

襲撃から1時間ほどで辺境の村に警察が到着した。しかし、既に家は荒らされ、交戦した内の二人は死亡していた。後に分かった死因は腹部殴打による内臓破裂だ。

「祭具はダメだった。」

「隠した場所がバレたのですか?」

「馬鹿を言え。隠して他の村人が被害に遭ったらどうする。特に巫女はまだ12歳なんだぞ。危険な目に合わせられるか。被害届は出す。祭具は警察に任せようではないか。」

少女も同様に気を落としていた。自分に引き継がれた氏族の宝を守れなかった責任感に苛まれていた。盗まれた物は『ヴェレスの杖』。古代スラヴ人は悪人や呪術師などの負の魂は悪霊ニヴになると考えていた。彼らを支配する神こそがヴェレスであり、この杖はニヴとなった魂を鎮める物である。この杖はロシア中で捜索対象となるも、海外に対しては発表されなかった。このことが国際的に知られるのは数ヶ月後、ドイツで起きたある事件がきっかけとなるのだった。

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