後編
昨日の続編です。
ロビーの隅にあるプライベートルームに少年が立っていた。
「あら、スカージ君」
「君はやめろ...ってメアリーさん!?」
「派遣されたFBIの捜査官って...」
「WSNCCの魔術師って...」
「君だったの!?」「あなただったの!?」
コードネームでスカージと呼ばれた少年は言わば超能力者だ。FBIからスカウトされ、公には警察の協力者として活躍している。彼は死後一週間程度なら残留思念を読み取ることができる。メアリーとは去年に一度共同捜査をしていた。今回派遣されたのは残留思念を読む能力が有益かつ、面識のある存在の方が良いと判断されたためだろう。
「やぁ、スカージ君。久しぶり。」
「ミナちゃんも。」
「ところで、君が護衛だと...、そうですわね...」
「僕じゃあ護衛の意味がないだって?悔しいけど、僕は護衛の為に派遣されたんじゃない。護衛なら外にいる筋肉バカだよ。」
「誰もいないけど。」
スカージは顔にはめたマイクのスイッチを入れる。
「一旦入ってきてくれないか?」
3分後、汗だくになったタンクトップの大男がジョギングしながら入ってきた。
「室内では足を止めてくれないかな?」
「おっと失礼。大腿筋がウズウズして止まらないものでな。」
メアリー達は思わずジト目になり、スカージはため息をつく。
「こいつが君達の言う護衛の秘密捜査官。コードネームはガントレット。」
ガントレットはメアリー達に向き直り、フレンドリーな笑みを浮かべた。
「どうも、ガントレットです!必ずやあなた方を守って見せましょう。」
「えぇ、よろしくお願いしますわ。」
「よろしく。いい筋肉だね。」
「あはは、初対面で褒めて貰えるとは嬉しい限りです。娘だったら、うっ、抱き上げでいだおに〜。」
突然泣き始めた。メアリー達が困惑しているとスカージがため息を吐きながら言う。
「娘を抱き上げた時に汗臭いって言われたのを引き摺ってるんだよ。」
二人は苦笑いする。
「ところで昼食は済ませましたの?もし良ければホテルのレストランでご一緒しません?奢りますわ。」
「紳士ならレディーに奢らせるわけにはって言うべきなんだろうけど、伯爵令嬢へ逆に奢るなんて僕にはできないな。ここはお言葉に甘えさせてもらうよ。ありがとう。」
「いえ、流石に初対面で奢ってもうというのは...。」
「いいのいいの。あと、私は名目上とはいえ貴族籍から離れてるのよ。」
「そう言えばそうだったね。」
「私もお腹すいたー。」
4人は内密な話を切り上げ会議室を後にした。
食事の後、ガントレットの運転する車で現場へと向かった。車内で互いの情報に差異がないかを擦り合わせているうちに現場の一軒家に到着した。
「メアリーさん。一応これを。」
スカージは拳銃を渡そうとする。
「必要ないわ。銃ならありますわ。」
メアリーは自分の腰に指を指す。車は路肩に停められ、一同は下車する。
「ミナ、スカージ君。何か感じる?」
「ううん。何にも。」
ミナは即答する。しかし、スカージは少し考えた後に口を開く。
「うーん。残留思念自体は無いね。ただ、なんだろう。なんとも言えない気持ち悪さを感じる。」
「どこからですの?」
「どこからっていうよりも、車から降りた瞬間からどんよりとしたのが。残留思念は確かに局所的に強いシグナルを感じるんだ。だけどこれは全方向から弱いシグナルが。ガントレット、この辺で他の事件がなかったか調べておいてくれないか?」
「分かった。何かあったらすぐに呼んでくれ。」
ガントレットは車に戻り、タブレット端末を取り出し、FBIのデータベースにアクセスし始めた。
「こっちは彼に任せて、我々は家宅を。」
3人はドアの前に立ち、インターホンを押す。しかし、何も反応がない。
「キャメロンさんのお宅でよろしくて?私達は息子さん達の調査を頼まれて上層部から派遣された者です。」
メアリーはそれらしいことを優しく言う。するとドアが開いた。
「あなた方が。子連れですか?」
中から出てきたのは疲労の溜まった顔をした中年男性だ。アンソニーの父親だろう。ミナとスカージを見て怪奇の眼差しを向ける。
「彼らも立派な調査員よ。身分証明書も、ほら。」
「市警の協力者。そのサインは本物ですよね?」
「えぇ、警察に確かめて頂いてからでも結構です。」
もう既に市警には根回しがされている。身分証明書も用意されていた。
「間違いないらしいわ。お客さんを家に上げて。」
奥から女性の声がした。彼女が電話で確認したのだろう。
「確認が取れました。疑って申し訳ありません。」
「いえ、強盗や詐欺を疑うのは当然の心掛けですもの。」
ダイニングには先程の声の主、アンソニーの母親が食卓の椅子に座っていた。彼女も夫同様に疲れて果てた顔をしている。目の下の隈は夫よりも酷い。
「私はジェイソン・キャメロン。こちらは妻のマージョリー。」
「私のことはメアリー、こっちはミナと呼んでください。」
「僕のことはジョンと。」
WSNCCでは、外部において特に本名を名乗ることを問題視されない。しかし、秘密捜査官のスカージは一般人にコードネームを名乗るわけにもいかないが、犯人からの復讐もありうるので偽名を名乗ることになっている。一番怖いのは人間といったところだ。
「あのー、息子は治るんですよね?何か分かるんですよね?」
「落ち着いてください。ベストは尽くしますわ。」
「マージョリー、焦ったってしょうがない。今は彼女達を信じよう。」
メアリーが安心させるよう言葉を投げかけ、ジェイソンが肩を叩いて励ます。
「とりあえず、息子さんのお部屋を確認してもよろしいですか?」
「えぇ、着いてきてください。マージョリー、君はソファーで休んでおいてくれ。」
ジェイソンに続いて2階に上がる。アンソニーの部屋は南東にあった。
「一度退院してるんで当時のままというわけにはいかないのですが。」
「大丈夫です。市警の方から写真を預かっているので。」
スカージがタブレット端末を取り出して画像ファイルを開く。一枚目は当時の無加工の写真。もう一枚はCGを使って子供達の倒れていた位置を再現したものだ。
「ところで、部屋から何か感じる?」
「全く。」
「いや、外にいた時と変わらない。」
「気になるものは触って頂いても結構です。」
メアリーは机の上に置かれた鉛筆を見て尋ねる。
「チャーリーゲームをやっていたとのことですが、その道具はありますの?」
「それなら確かこちらに。」
アンソニーの勉強机の棚を探す。
「ありました。これが使っていた紙と2本の鉛筆です。」
紙には対角線上にYESとNOが2つずつ書かれている。鉛筆もごく普通の市販品で、単なる子供達の遊びだと分かる。
「ヒスパニックの子がいたとのことだからメキシコの呪術を心配していたけど、テスカトリポカは関係なさそうね。」
チャーリーゲームは元はアステカのテスカトリポカ神と更新する方法だとの説もあり、メアリーはまずメキシコの魔術が行われたのではないかと考えていた。
「あっ、この上に。屋根裏に何か感じる。」
突如、クローゼットを調べていたミナが上を指して言う。隅にはネズミが開けたであろう穴が見える。
「屋根裏を見せてもらっても?」
「ええ。こちらに。」
廊下に出て屋根裏に続く梯子を登る。
「メアリ、あそこから気配。」
メアリーは深呼吸してミナの指し示す方向を見つめる。少しずつ焦点をずらして霊視を行う。そしてモザイク状の焦茶色なオーラが見えた。
「いた、あの色と形はブラウニーでしょうね。ちょっと交信してみるわ。」
メアリーは紙を取り出し、下向きの三角形を書いて横棒を入れる。土の元素記号だ。床にセロハンテープで紙を貼り付け、その上に幾つかの小さい宝石を並べる。カバラ十字を切り、紙に意識を集中させる。その上に門を幻視する。人差し指で門の右下を指し、左上、真下と指を動かす。手を下ろして肩の力を抜いて叫ぶ。
「ゴオブ!」
すると、門からゆっくりと屈強な大男が姿を現した。色取り取りの宝石で装飾された皮のコートを着て、豪快な髭を蓄えた土の王ゴオブだ。
「どうしたのです!?」
ジェイソンが驚く。
「メアリだけが見えてる助っ人を呼んだの。」
ミナが説明する。ゴオブが見ているのはメアリーだけで、ミナも存在は感じられるが見ることはできていない。メアリーは集中を散らす訳にはいかないので無視して続ける。
「ゴオブ、私はあのブラウニーと話がしたいのです。手伝ってくださいな。」
敬意を込めて、かと言って遜り過ぎぬよう願いを伝える。
「良かろう。」
「宝石が消えた!?」
ゴオブは足元の宝石を拾う。見えない人にはただ消えているようにしか見えず、その一人であるジェイソンが驚く。ゴオブはメアリーに近づいて囁く。それは人間には発音できない言語だった。
「30分だけだ、急ぐがいい。」
「ありがとう。大天使ウリエルの名において去られよ、ゴオブ。」
そう言い終えた時には、門もゴオブも消えていた。宝石と共に。
メアリーは再びブラウニーに目を向ける。ゴオブの力なのかハッキリと見えている。100cmもない茶色のボロを纏った老人だ。大きい鼻が特徴的な厳つい顔をこちらに向けてメアリーを凝視している。
「あなたはこの家のブラウニーなのよね?」
「なんじゃ余所者。それを聞きにきたのでは無かろう。単刀直入に言え。」
「分かったわ。じゃあ聞くけど、この家の子供に呼ばれたのは貴方?」
「最初はそうじゃった。」
「最初は?」
ブラウニーの顔に恐怖の形相が浮かぶ。
「あぁ、思い出すだけでもゾッとする。順を追って話そう。メモしたいのじゃろ?早うせい。」
メアリーはタブレットのメモアプリを開き、聞く準備を整える。
「チャーリーゲームと言ったか?あれをガキどもが始めるとわしはそれに惹かれる様にガキの部屋に向かった。迷惑な話じゃが、質問に答えてやったよ。ビアンカとやらの恋人なんて分かるわけないのじゃがな。」
アンソニー達のやっていたチャーリーゲームは子供達のよくやる遊びだと言う裏付けは取れた。
「しかしじゃ、そこに引き寄せられたのはわしだけじゃなかった。この家にいる精霊はわしだけ。死霊も妖精もおらん。言いたいことは分かるな?」
「外から来たとか。」
「ああ、窓からこっそりと入ってきたのじゃ。憎しみと悲しみを纏った少女が。あれは間違いなく悪霊じゃ。あんなもの見たことがない。すぐにここへと逃げ出した。その後、奴の叫び声が聞こえた。」
「子供達は気付いていたのかしら?」
「いや、それは無いじゃろ。ただ、一人のガキは感づいたのか部屋から出て行ったさ。」
「その少女はどこにいったの?」
「知らぬ。じゃが、気配は叫び声が聞こえた直後に消えたからすぐに出ていったのじゃろう。それから毎週日曜の夜、やつがどこからか叫んでおる。それなりに遠いが、全てこの街の中じゃろう。」
「毎週日曜日ね。ありがとう、助かったわ。」
「礼は嫌いじゃ。とっととワシの目の前から去れぃ。あのやかましい叫び声をなんとかしてくれるのじゃろ。とっとと黙らせてくれ。」
「必ず。」
メアリーは対話を切り上げ、ミナ達の元へと戻る。
「何か分かったのですか?」
困惑が伝わる顔をしたジェイソンが尋ねる。
「ええ。取り敢えずダイニングに戻りましょう。」
一同は屋根裏部屋を後にした。
ダイニングに戻り、マージョリーを交えて報告する。
「叫び声?聞こえなかったけど、それが原因で先々週に。」
「息子さんとは話せますの?」
「この後病院に向かいますが、同行します?」
「是非。」
するとインターホンがなった。モニターにはガントレットが映っている。
「どなた?」
「僕の同僚です。入れてもらっても?」
「分かりました。」
マージョリーがガントレットを家に入れる。
「調べ物が終わった。報告は?」
「今から病院で例の子供達に聞き取りをするから車の中で聞こう。」
「では私達は準備をしてまいります。どうぞコーヒーでも飲んでお待ちください。」
キャメロン夫妻の準備が終わるのを待ち、一向は夫妻の案内で病院へと向かった。
夫妻の車を追いながら、ガントレットが調査の報告をする。3人はガントレットから送られた画像ファイルを開く。
「まず、リッチモンド1の画像を。これが過去10年の近隣での事件、事故です。地図に事件が赤、事故が青でピンが刺してあります。」
「多いわね。こんなに情報が散乱してると訳がわからないわ。」
「リッチモンド2を開いてください。これは私がピックアップした凶悪殺人、変死のみを残した地図です。特に注目して頂きたいのは、3年前の姉妹誘拐殺人事件とその6ヶ月後に起きた女性の路上自殺事件です。」
「タクシーの運転手から聞いたわね。」
「あー、お昼前のあの話かぁ。」
「お二人はご存知でしたか。では続けます。まず誘拐殺人ですが、これはリッチモンドの孤児院に引き取られていた小学生の姉妹が早朝の庭掃除中に誘拐され、後日に路上で遺体として見つかった事件です。その現場が孤児院から17km離れたこの場所。」
「キャメロン家のすぐ近くじゃない。」
「それで自殺事件なんですが、一人暮らしの女性が路上で刺殺されて発見されました。凶器はその女性が握っており、他の指紋は検出されませんでした。離婚した夫が容疑者として挙がりましたが、彼はその半年前からムショで受刑中。他の容疑者も洗ったが、全員白だと結論付けられました。」
「事件現場は確かに近いけど、関係性あるの?」
「ありますとも。リッチモンド3のファイルを開いてください。」
姉妹と自殺した女性の情報をまとめたファイルを見て3人は絶句する。
「姉妹と自殺した女性は親子でした。事件の半年前、夫は娘達への殺人未遂で逮捕、妻も容疑がかけられましたが証拠不十分で不起訴となりました。その後、一人では育児は無理だと教会の孤児院に預けたそうです。」
「成る程、女性にも容疑がかかっていたのか。取り敢えず受刑中の夫にそのことを聞いてくれないか?」
「もう頼んだ。今頃尋問してくれてると思うぜ。」
「メアリ、三週間以内の変死が多い気がする。」
「本当ですわね。被害者はホームレス...。成る程、見えてきたわ。」
メアリーは静かに呟いた。
病院はリッチモンド内にあるが、キャメロン家からは10km程離れていた。
「アンソニー君、ご家族が見えましたよー。」
ナースに続いてキャメロン夫妻が病室に入っていった。その間、4人は主治医の話を聞いていた。
「はい、おっしゃる通りです。彼らはパニック障害で間違いありません。ICD-10に従って診断しました。知人の精神科医やカウンセラーにも相談しました。しかし、パニック障害以外に考えられません。」
「成る程、経過などお聞きしても?」
「はい。1回目は搬送されてきた時には既に容体が安定していました。特に身体の異常もなく、目を覚ました後に治療に当たったカウンセラーや看護師も経過は良好と報告してました。夜にうなされてる様子もなかったです。パニック障害なら当時を思い出してまた発作が起きるだろうと覚悟していたので、搬送されたと聞いた時やっぱりかと思ったんですがね。全員が同時にとは。その時は心拍数の増加に吐き気、頭痛、恐怖症状が酷かったのでベンゾジアゼピンを処方しました。それでも日が登るまではパニック状態が続いていましたね。」
「2度目も妄言や幻覚は無かったようでしたの?」
「そういえば、『お母さん殺さないで』『なんで置いていくの?』『妹だけは助けて』って言っていたので虐待されてるのかと疑いました。他にも『お母さん見つけた』とか『今度はお母さんの番だよ』、あとは『おじさん、お墓まで連れて行って。』とか。それもどの子も同じことを言っていたのです。虐待の線は本人達も両親も否定しているし、そもそも妹がいないのに妹を助けてなんておかしいですし。気味悪い体験でしたのでホラー映画のセリフなんだろうと自分に言い聞かせてました。夜の病院ですよ。生まれて初めて真剣に主に祈りましたね。」
すると、病室のドアが開いてジェイソンが出てきた。
「アンソニーが面会に応じてくれました。」
「今行きますわ。先生、お話ありがとうございました。」
「医者の身で頼りないことですが、彼らのこと宜しく頼みます。」
メアリー達は医師に会釈して病室に入って行った。
アンソニーはベッドの半分を起こして座っていた。顔色も良く、いたって健康そうだ。
「こんにちは、アンソニー君。私のことはメアリーと呼んで。」
ミナ達も続いて自己紹介をする。
「はじめまして、メアリーさん。両親からは話を聞いています。僕たちの遊びから始まったくだらない事件にわざわざありがとうございます。」
歳にしては礼儀正しいアンソニーに感心しつつ質問を始める。
「質問してもいいかしら?」
「答えられることならなんでも答えます。確かに怖かったですがトラウマになっていないと思うので。」
「まず、最初に倒れた時、そうチャーリーゲームを始めた時から覚えてる限り教えてくれる?」
「はい。みんなを呼んで学校で知ったチャーリーゲームを始めました。最初に聞いたのは『チャーリー、チャーリー、あなたはそこにいるんですか?』でした。するとYESを指したので成功したと盛り上がりました。それから、ビアンカの好きな人に関してと好きな食べ物とか欲しがってる物について聞きました。全部NOと答えられましたが。」
これはおそらくブラウニーの回答だろう。
「それでビアンカの欲しがってるものについて3つくらい聞いたあたりで寒気がしたんです。窓は閉まってるのに冷たい風が入ってきたみたいな。すると、カルロスが気分を悪くしてトイレに向かったんです。それでみんなでやめようかって話になったところで叫び声が聞こえたんです。そっから頭が真っ白になって記憶がないみたいな感じでした。」
メアリーはアンソニーの顔色を伺いながらメモを取っていた。特にアンソニーに恐怖の色は見えない。
「それじゃあ、2回目のことは覚えてるかしら?」
「あんまり覚えてないんですが、歌が聞こえました。」
「歌?叫び声じゃなくて?」
「叫び声にも聞こえる歌でした。怖かったですが悲しかったような気がします。憎しみも伝わってきました。それを聞いていると孤独に感じるような、そんな歌でした。もしかすると夢かもしれませんが。」
「いえ、情報ありがとう。本当に助かったわ。必ず解決してきますね。」
「役に立ててうれしいです。でも、お願いがあるんです。」
「ええ、私にできることなら。」
「もしチャーリーゲームの時に来たのが幽霊で、もしその子が悲しい思いをしているのなら、悪いことをやめたら友達になってあげると伝えてくれません?」
メアリーは密かに戸惑う。悪霊ならば放置する訳にはいかない。彼らはこの世にいてはいけない。この世にいることは彼らの為にもならない。彼らは苦しんでいるのだ。この世に留まり続けることは24時間365日起きていることに等しい。それに、悪霊に優しさを見せるのはつけ込まれる隙を与えることになる。決して同情はしてはいけないのだ。
「僕も昔は一人だったんです。人と話すのが苦手で。実はみんなそうだったんです。ビアンカに会うまではみんな一人だったんです。彼女はノースダコタから引っ越してきたんですが、すぐに打ち解けて。みんなと疎遠だった僕達とも友達になってくれて。僕だから分かるんです。あの歌は孤独を嘆いているんです。だから、どうか...。」
メアリーは優しくアンソニーの頭に手を置いて微笑みかける。
「全力を尽くしますわ。」
NOなどと言えなかった。しかし、YESとも言えない。
「肯定はできないですよね...。ごめんなさい、無理言って。」
アンソニーも悲しく呟く。
「ごめんなさい。私はチャーリーでは無いの。」
「ではどうか、彼女にこれ以上の苦しみを与えないようお願いします。」
「分かったわ。必ずね。」
メアリーは自信を込めてYESと答える。それからキャメロン夫妻が別れを告げるのを待ってキャメロン家に戻る。
家に着いた頃にはもう日も殆ど暮れていた。皆でテーブルを囲み、最後の手がかりを待つ。するとガントレットの携帯に着信が入った。ガントレットは退室し、1分も経たぬうちに戻ってきた。
「やっぱりだ。例の受刑者が口を割りました。自殺事件の女も虐待していたようです。それも女の方が酷かったとのこと。」
心なしかガントレットの言葉に力が入っている。
「成る程。僕が思うには夫が捕まり、夫は妻を庇って無罪を証言。女の方は夫が逮捕されて自棄になり子供を手放した。しかし、子供に自分がクロだとバレるのが怖くなり、計画を立てた上で庭を掃除している娘達を連れ去り殺害したと。ここまでは我々の領域です。メアリーさん、後はお願いします。」
スカージは物質的な推理をして、メアリーの霊的な推理にバトンタッチする。
「皆さんは"マイリンガー"というのを聞いたことがあるかしら?」
「ドイツ人の?」
「いえ、スペルはmylingarと書きます。北欧に伝わる子供の悪霊ですわ。マイリンガーは母親に不要と看做され、殺された子供の怨みが作り出す悪霊です。恐らく、殺された姉妹の姉がマイリンガーとなったのでしょう。そしてマイリンガーは母親を殺害し、満たされた彼女は遺体の放置された場所に引き戻された。」
「ちょっと待って。そのマイリンガーの仕業だと思った理由は?何よりもどうしてうちの子が?」
話について来れなくなったマージョリーが質問した。
「うん。それ私も気になる。」
「まずマイリンガーだと考えた理由から行くわね。マイリンガーは夜に歌うの。それは母親の罪を歌ったもの。周囲の皆に訴えているの。」
「確かにアンソニーには歌に聞こえたって話だったね。」
「そう。あと、マイリンガーは浮浪者に抱きつき、安らぎを求めて墓場に運べと命ずるの。だけどマイリンガーは墓場に近づくに連れて肥大化して重くなる。そして運んでいる人はそれに耐えられなくなるの。動けなくなった浮浪者は激怒したマイリンガーに殺される。」
「そうか、ホームレス!」
「リッチモンド2のファイルを開いてくれる?」
スカージはタブレットを取り出して画像ファイルを開く。メアリーもオンラインマップを開いて皆に見せる。
「ホームレスの変死体は段々と北西に向かって行ってるの。それも、段々と移動距離は落ちて行っている。そして、こちらを見てください。その先にあるのは...。」
「教会、そうか教会の墓地か!」
皆が顔を見合わせる。
「主治医の言ってた子供達の妄言もその為か。そういや、妹をとか言ってたもんね。」
「そう、姉妹の姉だと考えた理由よ。そして、アンソニー君との関係なんだけど、最初はこの家の妖精、ブラウニーとチャーリーゲームで交信していたみたい。それまではよかったんだけど、チャーリーゲームも降霊術。母親に復讐を果たせた為に一時的に満たされて休眠状態になったマイリンガーを近くで行われたチャーリーゲームの力で起こし、部屋へと招き入れた。しかし、そこにいたのは子供だけだったから殺すことはできなかった。その代わり、彼女の叫びが子供達に記憶の断片を植えつけた。それがパニックの原因よ。」
「記憶、まさか親に虐待されてた時の!?」
「そう、何度にも渡る辛い記憶。それと母親を殺した時の記憶、2度目の悲鳴の時にはホームレスを襲った時の記憶を。」
「それも主治医の言っていた妄言の裏付けになるな。」
「そうそう、2度目のはどうして?」
「その埋め込まれた記憶が彼女の歌に共鳴して再び活性化されたの。それによって再びパニックが引き起こされた。亡霊には安息は来ないの。毎日眠れず苦しんでいるの。だから、教会の孤児院にいた彼女は日曜日、つまり安息日にも休めないことを苦しんで叫ぶようにあの歌を歌うのでしょうね。」
「日曜日!?ってことは今日も?」
「大丈夫、アンソニー君達は病院にいる限り遠すぎて声は聞こえないでしょう。まあ、今日で彼女とは決着をつけるつもりですので。」
メアリーは立ち上がってミナを見据える。ミナは力強く頷き立ち上がる。
「僕も行きます。残留思念に近いでしょうから役に立つはずです。」
「ボディーガードは必要でしょう?車も。」
捜査官の二人も立ち上がった。
「ありがとうございます。どうかご無事で。」
「私達には応援しかできませんが、終わったら家に寄ってください。食事をご馳走します。」
「はい、黄金の炎に誓って。お食事、楽しみにしていますわ。」
外はすでに暗くなっていた。最後のホームレスが犠牲になった場所へと向かっていく。
現場から少し離れた場所に停車する。
「あそこにいる。」
「思念も強くなってる。こんなの初めてだ。ノイズにしか聞こえないのに。」
「とりあえず、これ飲んで。短時間だけど死者を直視することができる薬よ。」
メアリーは紫の小さい丸薬を一粒ずつ配り、それを各々が飲み込む。
「ミナ、対策は?」
「できる。今やる。」
日本酒をアスファルトに流しながら祝詞を奏上する。
「...黄泉軍を退け 中津国の生魂護し 大いなる神が霊...」
ミナが祝詞を上げる間、メアリーはリュックから銃を取り出す。
「メアリーさん、サブマシンガンなんて。」
「ワルサー MPKですか。いいですね。」
「ピストルでは心許ないもの。」
銃の点検をしたら防弾チョッキを着てその上からコートを羽織る。
「ガントレットさんだって物騒なもの持ってるじゃない?」
「いいでしょう?私の愛銃、エリコンFF機関砲です。」
「僕は自分用にカスタムしてもらったMK.23で充分だなぁ。」
「準備できたよ、行く?」
護身用自慢をしている間にミナも準備が終わったようだ。
「車の中で伝えた通りで行きましょ。もし不測な事態になっても焦らないように。」
一同は頷き、"彼女"の元へと向かった。
"彼女"はこちらを振り向く。
「見えるの?」
そこにいたのは肥大化し、肉塊の様になったマイリンガーだった。発せられるのはその悍ましい姿には似つかわしくない可愛らしい声だ。
「ええ。」
短く返答する。彼女達はWSNCCの研究所で作られたハデスのザクロを使った丸薬を飲んでいる。ペルセポネーを冥府に縛ったザクロを再現したものだ。そのまま食べると死んでしまう為、薄めに薄めることで一時的に死者との親和性を高められるようにしたものがこの丸薬だ。効果も1時間足らずな上、一日一粒が原則であるが、彼女達には必要不可欠な代物だ。
「ねぇ、墓場に連れて行って。」
メアリーに向かって見た目からは予想もできない速さで飛び掛かってくる。しかしメアリーに触れることはできない。ミナの掲げた桃が神々しく輝いている。
「メアリには触らせない。大神実命が付いている限り。」
マイリンガーは神力の結界にショックを受けたのか、咽び泣き始めた。
「うう、どうして。親にいじめられ、殺されて、安息日も聖人の日も休めない。あの世にすら行けない。誰もお墓に連れて行ってくれない。うわーーーーーっっ!!」
強い霊圧が4人に叩きつけられる。
「落ち着いて、話を聞いて!」
暴走したマイリンガーの耳にはメアリーの言葉は届かない。所詮3年ものの悪霊なので霊圧自体は致命的なものではない。しかし、このままでは魂と溜め込んだ怨念をエネルギーとして放出し続け、やがては消滅するだろう。普段ならそれでいいのだが、アンソニーとの約束がある。友愛はWSNCCの信条なのだ。
「メアリーさん、撃ちましょうか?」
「いいえ、私が収めます。」
メアリーは西の空を真っ直ぐ見つめる。そこに水の冷たさ、潤しさを感じる。
「SANCTUS DOMINUS。YaHVeH ADNI ALHIM。ShDI ALChI CREATE EST VITAE...。」
これは自己流の詠唱だ。次は木を感じる。アダムが生まれた時には既にそびえ立っていた二つの木。そのうちの一つを。エデンに立つ生命の木を。
「גַברִיאֵל」
指で天に文字を綴る。西の空から光を感じる。青く、深い光を。力を感じる。イェソドより流れ込むエネルギーを。
「ガブリエル!」
銀色の鎖帷子に青いマントを羽織った天使が降りてくる。背中には大きな一対の翼が。その片方は光り輝く純白。その色は優しい女性的な包容力を感じる。もう一方は全てを飲み込む闇の黒。その色はソドムとゴモラを焼き払った男性的な荒々しさ。足元には無数の百合が咲く。これこそがメアリーの守護天使、四大天使の一柱、ガブリエルだ。
「迷える魂を鎮め給う。」
激流がマイリンガーへと向かう。見えていないはずの3人にも聞こえる。叫び声をかき消し、マイリンガーを包み込む。
「あぁ!!」
その言葉を境に悲鳴は聞こえなくなった。
「マイリンガーが消えた!?」
ガブリエルも激流も見えていないスカージ達にはマイリンガーが消えたように見えた。
「・・・ここはどこ?」
少女が我に帰る。周りにあるのは水の壁だ。少女に温感はない。だが温もりが感じる。
「汝、何故嘆く?」
「誰!?あっ!!」
後ろから声が聞こえる。振り向くとそこに立っていたのは憎悪していた存在だった。
「お母さん!」
怒りで顔が歪む。すぐにでも引き裂きたい。しかし動くことはできない。
「その姿が見えるか。汝には家族への愛は無いのだな。」
「そんなもの、あるわけ...。」
言い切ることはできなかった。自分の足元に気配を感じた。今にも消えそうな幼い妹が目に入った。
「あぁ、そうだった。私が望んだもの。それは人が死ぬことじゃ無い。ごめんね、私は悪いお姉ちゃんだった。お母さんと同じ、ううん、もっと悪いことをしてきちゃった。」
流れる涙はない。しかし、目が霞む。もう彼女の前に母親の姿は無かった。」
「アーメン」
既にガブリエルは消え去っており、水も無くなっていた。そこには肉塊はもうない。ずぶ濡れになった可愛らしい少女が立っていた。
「聞いてくれるかしら?」
「あなたは、天使様の御使?」
「いいえ、私はメアリー。そして、貴方に名前を付ける。そして、あなたは再び人間の魂へと生まれ変わる。あなたは---。」
その先は聞こえなかった。吹いたのは微風だった。しかし、その微風が天へと運んだのだ。最後に笑顔を見せた少女と、彼女の名前を。
「本当にお世話になりました。」
「ありがとうございます。」
「いえ、こちらこそ昨夜はご馳走様でした。」
「すごく美味しかったよ。」
別れの挨拶を済ませ、キャメロン夫妻に見送られて空港へと入って行く。秘密調査官組は深夜のうちに迎えが来ていた。夕食をご馳走になった後、暇乞いを済ませて直ぐに帰還している。
「今日は普通の旅客機?」
「毎回あれに乗らされても困りますわ。」
普通の待合室に入って長椅子に腰掛ける。
「そういや、アンソニー君からの伝言を預かっていたわね。読みましょうか。」
「見たーい。」
折り畳まれた粗末なメモ用紙を開く。
『お姉さん達へ
昨日はありがとうございました。彼女の悲しみが伝わってきた時には心配しましたが、その後暖かいお湯に浸かった感覚がして安心しました。言われなくても分かります。彼女は本当に満足できたようです。僕達にらもうあの感覚は残っていません。彼女のことも忘れつつあります。僕達はこのまま忘れるべきなのでしょう。そんな気がします。しかし、お姉さんには忘れないで欲しいという彼女の最後の思いだけは伝わってきました。どうか、彼女の来世での幸せを、僕達の分も祈ってください。』
紙を再び畳んでファイルにしまう。
「まさか感覚まで共有していたなんて。あそこで見捨てなくて良かったわ。」
「メアリ、素直になりなよ。私には分かってるよ?」
「はいはい。あの子も本当に幸せだったようで良かったわ。」
「10:35分発、イーグル航空E703便、ローガン空港行きに御搭乗予定のお客様は、三番ゲートまでお越しください。」
メアリー達の乗る便のアナウンスがされる。
「ミナ、行きますわよ。」
「待って、トイレー。」
「なんで早く言わなかったの?飛行機の中にもあるから我慢なさい。」
こうして、彼女達のリッチモンドでの任務は終わりを告げたのだ。
スカージはケルトの女神ではなく、惨劇という英語のscourgeです。超能力捜査官のコードネームはS、護衛捜査官のコードネームはGから始まります。
推理みたいな話でした。今後この形の話も考えておりますが、いつもこんな形にはならないと思います。ご了承ください。
9/28 M61をエリコンFFに変更しました。流石にバルカンは大き過ぎた。
次回予告 ジョージア州で起こった猟奇殺人。若い男が心臓を刺されて死亡。肝臓が抜き取られていた。男の死にショックを受けた遺族も後を追うように死んでいく。調査すべくミナとメアリーはミシシッピ川流域の小さな集落へと向かった。伝染する死の原因とは如何に。