仲がいい、とは言わない
「ねぇ」
透き通るような、声量自体は小さいのによく響く声。それが私に対するものだと認識したのは、多分何度か呼びかけられてからだろう。視線を向けると、そこには声をかけてきた主である、私と血を分けた人間がいる。姉さん以外にこんな声色を出している人を知らないだけかもしれないが、姉さんは自然と無視できないような音色で奏でてくる。この声だけで、何人の人を魅了してきたことやら。
姉さんは私みたいな存在だろうと、こちらをまっすぐと見つめてくる。それはいつものことで、きっと誰にだって同じように視線を逸らすことなく直視するのだろう。その輝きが、常人の目を焼いて、熱狂の渦を沸かせていることを知らずに。
「何よ」
「そんなところに寝転んでたら、風邪ひくよ」
「……はっ」
鈍痛を響かせる体を無視して嘲る。この状況を見て、開口一番にその発言。相も変わらず姉さんは頭お姉様でいらっしゃる。妹が血を流して廊下で倒れているにも拘わらず、出る言葉はそんなことだ。別に心配して欲しかったわけではないが、もう少しくらい慌ててみたらどうだ。そんな姿、記憶の中では一度もないけれど。
「こんなところ、居たくているわけないじゃん」
「そう」
「ああでも、痛いわけだし、あながち間違ってないんじゃない?」
「そう」
何を考えているのか。そんなこと考えたところで意味はなく、知れば知るほど自分との差を見せつけられるだけだ。だからこそ、姉さんは姉さんでしかない。私と同じ人間で、私と同じ人間ではないのだから。どっちの方が多いかなんて、考えたくもない。
「……何よ」
「手当てする?」
「…………もらう」
「じゃあ、部屋に来て」
それだけ言うと、もうこちらを一瞥もせずに階段を上っていく。本当にあれと私に同じ血が流れているのかがいつも疑いたくなる。流れていなければ、こんなことにもなっていないのだろうけれど。
けほけほと咳をして、大きく息を吸って。どうにか体を持ち上げる。そっちは歩くのが苦でもないんだから、せめてここまで来てくれっての。内心で天才様のことを罵りながら、階段を上り始める。
人間、一度楽を覚えると二度と元の生活に戻れなくなるという。それと一緒で、一度期待したものには、二度目も期待してしまうものらしい。結果として、姉と同じだけの理想を求められた残骸がこうなる。これはこれで一つの楽しみとなっているのかもしれないが。知ったこっちゃない。
二階の突き当たりの扉を開ける。簡素に固められた、それでいてセンスがいい部屋を一瞥して、こちらを非難するような目で見てくる呼び出した本人を視界に入れる。大方、ノックをしていないとかそんな辺りで怒っているのだろうが。視線だけで謝罪の意を投げかけると、それだけで許してくれるのだったら、最初から気にするなと言いたい。ずれているのは私なのか姉さんなのか、度々分からなくなる。
「座って」
「やってもらう立場だけど、体動かすと痛むの。分かる? こっちの都合に少しくらい合わせてよ」
「正しい体勢でやらないと正確にできない」
「嘘」
「……慣れてない」
「それで手元狂うくらいなら、偽物でしょ」
肩をすくめる。それすらも痛いけれど。どうせそんなことをしたって姉さんの心を揺らせる気はしないのに、それでもやらなければならないと感じているのは、血が繋がっているからか。
姉さんはあいつらとは違うけれど。姉さんは私と同じではないから。だから私は姉さんをあいつらと同類に見れない。
それを甘いと言うかただの間抜けというかは人次第。別に、他者からどう言われるかなんてどうでもいいけれど。
「痛い。ねえ、触診もうちょっと優しくできないの?」
「? これだけ怪我してたら痛いのは当然」
「少しは患者のことを考えてくれって言ってるの」
「適切な処置が一番治りが早いし、後遺症が少ない」
「正論だけが人を救うとは限らないのよ。知ってるだろうけれど」
消毒液をかけられ、患部をこすられて、包帯を巻かれる。淀みなく流れていく手さばきをやることもないので眺める。精密機械か何かかと思うほど何一つ迷うことなく、当然ながら間違うことなんてなく。ほんと、何を食べたらこんなのが生まれるのか。何が違ったのか。何度考えても意味がないことを、今日もまた考える。
姉さんは、間違えたことなんてあるんだろうか。ふと、そんなことを思う。天才様、なんて呼ばれているけれど。私はそれをどう姉さんが受け止めているのかも知らない。知ろうとしない、の方が正しいけれど。
だって、姉さんは私にとっての姉であるだけの他人なのだから。
「ねぇ」
「何?」
「間違えたことってある?」
「何度も。少なくとも私にとっては」
「そっか」
「私だって人」
私だって人だ。何の理由にもならないじゃないか。
「それ、理由になってないから」
「私の中ではそれが理由。不満?」
「全然。その程度で不平不満持ってたらこんなところいないっつーの」
「変なの」
それは何に対してなのか。私の考え方か。私の生き方か。こんなことになっていてもこの家から離れない私に対してか。それすらも知れない私に対して、姉さんはくすりと笑う。さぞ、この笑みで人を魅了したんだろう。絶対にそんなこと、考えていないだろうけれど。いや、どうなのだろう。
「好きな人とかいんの?」
「それは、Loveな意味で?」
「とーぜんでしょ。Likeなんて数えきれないほどいるでしょうに」
「んー……。秘密」
いるんだ。意外。
まあ、これだけ才色兼備ならより取り見取か。それでいて人から距離を取るような人でもないから、人並みに恋人もできるだろう。でも、彼氏さんも可哀そうだ。ここまで天才だと、付き合うだけでも大変だろうに。どちらにせよ、私に関わらない範囲で苦労してくれ。
「そっちは?」
「いるわけないじゃん」
「そうなの?」
「そうなの」
残念でも何でもないけれど。私は私が好きじゃないから。私のことを好きになるような人なんて好きになるわけないじゃないか。そんな私に恋人なんてできることなんてありえないから。残念でした。
「隠し事は駄目だよ」
「いないっつーの。てか、そっちだって答えてないじゃん」
「それはそれ。これはこれ。はい、手当ておしまい。お代は根掘り葉掘り聞かせて」
「はいはい、できたらね」
あんまり長居してもまたあいつらの目に止まるかもしれないし。お互いに、それはよろしくないだろう。まあ、私だけかもしれないけれど。ひらひらと手を振ってから部屋を出ようとする。後ろから恨みがましい視線を向けてくるのは、入ってきた時とは違う意味で睨まれているのだろうけれど。
「ああ、言い忘れてた。ありがと」
「どういたしまして」
私と姉さんの関係はこの程度のものだ。ただ単にそういう人で、そういう存在で、ただそれだけの相手でしかない。
嫌いではないけれど。