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殺人衝動

作者: 泡蔵

 人間が死んだと言う報道が色々なメディアで毎日のように報じられている。

 それは事故であったり、災害であったり、自殺であったり、はたまた殺人であったりと多種にわたり、報道は風のように次から次へと吹き抜けていく。

 そして凄惨な事故や残虐な殺人事件が報道されようと現代に生きる人間は心を揺さぶらせることはない。確かにニュースが流れた時は「大変だ」「気の毒に」と思う人間は沢山いるだろう。だがニュースが終わりCMが流れる頃には、事件のことなど忘れ殆どの人間は日常に戻ってしまうのだ。

 中には事件事故を話題にもう少し感情を引き延ばす人間もいるだろう。特に犠牲者が子供であったなら悲観する人間はその数を増やし、それを察知したマスコミは話題になるからと繰り返し報道する。

 理不尽な暴走事故や虐待で幼い命が奪われたなら怒りを感じ涙する人間もいるだろう。その感情は純粋なものなのかもしれないが、それすら日常の揺らぎの中に収まってしまう程度の浅い感情で、心の底から沸き上がってくる感情ではない。

 それでも人間は、一時とはいえニュースを聞いて悲しんでいるのだ……

 しかし、凄惨な事件、事故を悲しむ人間ですら海を跨いだニュースとなると話は変わってくる。外国で起こったことになると熱い感情は極端に薄れてしまうのだ。銃乱射事件や紛争で数多くの命が奪われたとしても、それらのニュースは遠くなり、心を揺らす人間はいなくなってしまう。


 死とは一体なんなのか? 【】命が絶える。しぬ。なくなる。


 誰もがたどり着く終着点でありながら、誰もが希薄である単語──

 自らにのしかかる死、肉親の死、友達の死、知り合いの死、他人の死、好ましく思う人間の死、憎しみを持つ人間の死──

 人間の内面には色々な深さの死が存在しているのである。

 そして人間とは面白くも恐ろしい生き物で、一人が犠牲になった時は悲しく、百人、千人と犠牲者が増える度に数は情報となり悲しみは薄らいていく。

 重大な事件であればある程、震源地から離れれば離れる程悲しみは薄れていくのである。

 別に非難しているわけじゃないし否定するつもりもない。むしろこれらの感情は人間が備えている最も優秀な能力であるとさえ言える。これは自我の崩壊を回避するためのサーモスタットなのである。千人が死した時、千倍の悲しみが押し寄せてきたらか弱い人間の精神など簡単に崩壊してしまうだろう。そうならないための生存本能なのだ。

 しかもテレビや新聞、ネットと言う媒体から得るのは羅列された情報に過ぎないのだからいちいち悲しんでなどいられない。冷めた言い方かも知れないが、それが正しい人間のあり方、現代の情報過多な人間にとってはごく当たり前のことなのだ。

 僕だってそんな無感情な現代を生きる人間なのだから、毎日のように流れてくる人間の死に関する情報など笑みを浮かべながら眺めていられる。

 ただ他人と少し違うとすれば、殺人に関する事件の情報は率先して得ようとしているところだろうか。

 別に殺人が理不尽だとか犯人が憎いからではない。単純に興味があるのだ。

 人間を殺す人間の感情に──


 何故人間は人間を殺すのか?

 その時の状況が知りたい。

 その時の感情が知りたい。


 僕は僕の欲求を満たすために多くの情報を集めている。ネットが当たり前の世界では、真偽を判断するのは難しいが、それでも簡単に情報は集まってくる。


 しかし大量の情報でも答えを見つけることはできない──


 所詮記事に書かれている情報は第三者が書いたものにしかすぎず、公平に書かれている記事などなく、第三者の感情が乗った紛い物でしかなかった。いや犯人の言葉自体が紛い物なのだ。

 多くのメディアで報道される犯人の欺瞞に満ちた言葉──


「殺すつもりは無かった……」

「死ぬとは思わなかった……」


 裁判などでも論点となる証言。弁護士が言わせているのか? 本当にそう思っているのか?

 襲いかかった人間が本当に死ななかったと思っている? そんなことはない。刃物を突き刺し、首を絞め、高ところから突き落とした結果が想像できない程、犯人は無知で愚かだったとでも言うのか。

 犯罪を犯すのは分別の付いた年齢に達している人間達、日本であるなら高度な教育を受けている人間なのである。そんな人間が刃物を突き刺して人間が死なないと本気で思っているのだろうか?

 それは断じて違う。明確な殺意があるからこそ刺すことができ、締めることができ、突き落とすことができるのだ。

 それでも人間を殺すのだから必ず殺す側の人間に明確な理由があるのは間違いないだろう。

 殺してしまいたい程の理由が……

 しかし新聞やネットでは犯人の人物像まで辿ることはできない。しかし、状況を考えるに自分に対してなんらかのメリットがあるから殺している人間が多く見受けられる。

 それは単に憎かったから、金銭トラブル、私情のもつれ、口封じ、そして通り魔──

 これら全ての犯罪では犯人側に確実なメリットが存在しているのである。理不尽極まりない自己中心的なメリットが。

 そう、場当たり的に感じられる通り魔事件でさえ犯人にはメリットがあるのだ。それは犯人自体が口にしている。


「死刑になりたかったから」と……


 自死する勇気のない人間は、人を殺し自らを殺して貰うことを望むのだ。

 自分が死にたい。ただ一つのメリットを求めて……


 だが、どんなメリットがあろうと殺さない人間はいる。どんな罵詈雑言を吐きながらも一線を超えない人間が……だがそんな人間達が善であるかは別問題である。ただ自分の手を汚さないだけで「死ね」と直接的な暴言を吐き自死に追い込んでいく人間は沢山いるのだから。

 しかし、僕が興味を持っているのは間接的殺人者ではなく、直接的な殺人者である。


 そんな自らの手で人間を殺せる殺人者達の情報を分析しながら自問する……


 僕は殺せる側に立っているのか? それとも殺せない側に立っているのか? と──


 そして常にたどり着く答えは「殺せる側」だった……

 きっと僕は自らの意志で人間を殺すことができるだろう。明確な殺意を持って……


 しかし多くの殺人犯と違うのは、自死を求めているわけでもなく、近くに殺したい人間がいるわけではない。当然気に食わない人間、反りが合わない人間は沢山いる。だがそんな人間達が死んだところで、同じカテゴリの人間は沢山いるのだから、僕に不都合な人間など次から次へと目の前に現れる。一人二人殺したところで全く意味もないしメリットなど一瞬で霧散してしまう。しかも人間を殺せば法律によって裁かれる。メリットとデメリット、天秤にかけたところでデメリットの比重が大きすぎて殺す気になれない。

 そして僕はメリットを求めて殺せる側に立っているつもりなどない。怨みつらみなど些細なこと、気に食わないからと言って目の前の人間を殺したくなるような殺人感情は持ち合わせていないのだ。

 それでは何故殺せる側に立っていると思うのか? それは至極簡単なこと──


 僕は人間が嫌いだ──

 僕は人間と言う種が嫌いだ──

 強欲で節度がなく、攻撃することしか知らない人類が嫌いだ──

 僕の歪んだ基準からすれば全世界の人間が死んだ方がいいと思っている。


 当然僕も含めて──


 僕の願いは人類の滅亡──

 僕の願いは人間を一人も残さず殺してしまうことなのだ。


 とは言っても世界大戦を望んでいるわけじゃない。戦争が勃発すれば被害は人間だけに留まらない。地球に生きる生物・自然にまでも影響が出てしまう。人類滅亡のために他の生物まで道連れにするのはそれこそ傲慢で後味が悪いではないか。最適解としては人類が緩やかにフェードアウトしていくのが望ましい。もし物語に出てくるような神がいたとして、目の前に人類だけが滅ぼせるボタンを差し出されたら僕は躊躇なく押すだろう。神を信じない僕が神にそこまで期待するのもおこがましいが……

 理解しがたい歪んだ持論であることは僕自身が一番わかっている。極端すぎる意見など賛同する人間など探すだけ無駄だ。いや、中には意見を共にしてくれる人間もいるかも知れない。70億もの人間がいるのだ。ゼロではないだろうが、それに近い数字になろうことは予想がつく。

 きっと多くの人間は「殺されなければならない人間などいない」と言うだろう。

 しかし僕はその言葉自体が妄想で、盲目的意見だと考えている。

 それは性善説に元ずく言葉、性善説事態が人間には成し遂げられない理想──

 いや、傲慢な人間のエゴでしかないのだから……


 理由は簡単。人間の歴史全てが人間の傲慢さを現している。

 正確な歴史を見ようとしない歴史書がそれを語っているのだ。

 そして唯一正確で揺るぎない真実は……


 人間の歴史は戦いの歴史──である一点だろう。


 多くの人が理解している事実……「だからこそ平和を望むのだ」と多くの人間が妄言を平気で口にする。


 しかし、人間は平和を望んでいない──


 それは揺るぎようのない事実である。

 戦後日本は平和だった……

 もしかしたらそんなことを言う人がいるかも知れない。

 それを言うならば二度にわたって繰り広げられた世界大戦中でも平和だった国はある。争いに巻き込まれなかった国が──

 そんな国でさえ小さな争いは繰り返されている。


 故に戦後70年が過ぎようとも世界が平和になっていない。これが揺るぎようのない真実であり答えなのだ。


 それでも人間は平和を望んでいる。

 そう考える人間も沢山いるだろう。

 国を跨いだ国際機関、NPO団体……

 しかし平和を訴えている団体でさえ、自らのエゴを押し付け争いを増長させている。

 凝り固まった正義のせいで他者を認めようとしないから、戦いの火種を懐に入れながら平気で「平和」を口にできるのだ。


 何処かで聞いたことがある「人間、二人いれば争いが始まる──」と


 その小さな火種が戦争に繋がることを実感しないのが人間なのだ。

 きっと多くの人が


 戦争と喧嘩は違う──


 と言うだろう。僕にはわからない考え方だが、何処が違うのか聞いたとしても「喧嘩は武器を使わない」「国同士の争いと個人は違う」程度の答えしか返ってこないのだからガッカリする。意見に反論するとまさに喧嘩腰でまくし立ててくるのだから笑ってしまう。平和主義を謳歌する日本人ですらこの有様なのだ。

 それに今の世の中、武器がなくとも人間など簡単に殺せることを知らないのだろうか?

 ネットが広まった世界では、匿名をうたった言葉の刃、弾丸が人を殺している。

 そしてネットの世界は個人だけではなく国家間の戦争も巻き起こしているのだ。

 その直接的な武器を使わない戦争は、毎日、24時間休むことなく行われていることに気がついていないのだろうか?

 いや、目を向けようとしないのだ。大きくなりすぎた話を理解しようとしないのが人間の性なのだから……


 目に見えない戦争の話はやめにしよう。

 人間同士が単純に武器を持って戦い合うのは、少し歴史のページを開いただけで見つけることができる。

 そして人類の歴史において宗教を介した争いが多く記載されている。それは盲目である人間でも知っているだろう。

 しかし、それをわかっていながら何故疑問を持たないのか?

 人間を救うはずの教えが、人間を殺め、侵略し続けていることに目を背けるのは何故なのか?

 きっと創設者は素晴らしい人間だったのだろう。しかし、人間の教えは時間が経つにつれ劣化する。いや人間を介せば介す程劣化してしまう。文章に残したところで劣化は免れないのだ。

 人間は100%他人を理解することはできない。

 だからこそ根源の教えは劣化を避けられず、都合のいいように解釈されていくのだ。

 それを踏まえたとしても教えを広めるために争いを起こすのは理解できないが……

 いやわかっている。

 そこに人間の欲が重なるから争いが起きるのだ。

 小さな土地で崇められていた神を邪教と決めつけ根絶やしにできるのだ。

 数多くの人間を集めたコミュニティーが揺るぎない力になることを人間は知っているから……


 だから僕は神を信じない。いや、神を語る人間を信じない。

 その裏になにが隠されているか、考えただけで恐ろしくなる。

 宗教で僕の考えを変えることはできないのだ。


 宗教が絡まなくとも人は争いが好きだ。

 特に現代を生きる人間は片方の手で「平和な世の中になるように」と願いながら、もう片方の手で争いを探している。

 世界各地で行われているデモと称した破壊行動。

 他者の意見を認めない一方的な暴力。

 人間が殺されたからとデモを起こしておきながら暴徒と化す。

 暴行に略奪……

 当初の目的は何処にいってしまったのか、そもそも暴れることが目的だったのか……

 中には平和的にデモを行っていると言い張る人間もいるだろう。

 しかし、対立する意見を聞こうとしない人間は、常に銃口を相手に向けていることに気が付いているのだろうか?

 すると「説明が足りない」と騒ぎ出す。


 本当に説明が足りないのか?

 認める気がないから理解できないのか?

 はなから理解する気がないのか?

 それともそれしか言うことがないのか?


 相手を否定するところから始まるデモは、永遠に平行線でしかないことを理解しなくてはいけない。全てを認められなくとも一つでも理解することから始めなくては発展的な話合いなどできるわけがないのだ。


 差別はいけないこと──


 多くの人間が口を揃えて言う。

 しかし僕は差別をしない人間を見たことがない。

 平等を訴え、差別を止めろと言っている人間が差別をしていることに気付いていないのだろう。自分の意見に賛同しない人間には「差別主義者だ」と平気でレッテル貼る。一つの意見にまとめようとすることこそ最大の差別であることに気が付くことができないのだから……だからこそ直接的な対立と言う名の争いに発展するのだ。

 きっと「相手が武力で立ち向かってきたから対抗しただけだ」と言い訳をするのだろう。数の暴力で戦いを挑んでおきながら、至極真っ当な意見として声高らかに述べるのだ。

 別に「なにかを得るために力を用いる」ことを否定しているわけじゃない。その力を使い争いこそが人間の根幹なのだから……


 人間は争いを避けずに、率先して争いを起こす生き物である──


 己の考えを主張すれば必ず争いが起きることを知りながら、素知らぬ顔で戦いに挑んでいくのである。

 くだらない言い訳を楯にエゴの武器を振り上げながら……


 同じ国の人間ですら争いが絶えないと言うのに、国を跨げば人間の対立はスケールが大きくなり、諍いは戦争へと発展する。

 かろうじて世界大戦に発展していないが、お互いに銃口を突きつけけん制し合い、緊張の中で世界のパワーバランスが保たれている。

 少しの振動で水はこぼれてしまうことを知りながら、それでも大国は駒を集めコミュニティーを大きくしようと支援や経済と言う名の武器を使って囲い込もうと躍起になっている。

 そして対立するコミュニティーは互いに軍事力を増強していき、人類は物理的に何度も地球を壊すことのできる武器を所有するまでになってしまった。

 しかし人間も愚かではなく、武器によって荒廃した地球を手に入れても仕方ないことはわかっているようで、小さな紛争が起こっても最後の一線を越える戦争は回避している。今のところ……

 自国の国民、領土、主権を守るために軍備は大切なのは変えようのない事実。悲しいかな人間は話合いでまとめることを放棄してしまっているのだから……

 理不尽な主張を排除するには使わなくとも強大な軍事力は必要なのだから。


 平和的交渉をするために、突き付ける武器は大きく強くなくてはならないのだ。


 どうしようもない。救いようのない人間と交渉するために……


 人間は壊れている──

 いや、元から完成していない中途半端な生物なのだから……


 僕は毎日、不完全な人間のおぞましさを見つめながら、人間がいなくなる世界を想像する。

 その世界は欲望のない、ただただ自然の摂理だけが営まれていく健全な世界。人間のように持ちきれない程の財を欲しがらず、目障りだからと排除することない食物連鎖だけが行われる世界……

 それはきっと美しく浄化された世界なのだろう……


 そんな楽園を想像しながら、僕は今日も人間の滅亡を夢見ている。


 もし僕が決起し人間を殺す決断をしたところで、矮小な僕の力では10人殺せれば御の字だろう。しかし百人二百人人間を殺したところでなにも変わらない。

 全ての人間を殺さなくては僕の夢は果たせないのだから……

 傲慢でエゴで固まった人間を排除しなければ……


 故に僕は人間を殺したい……

 故に僕は人間を殺せない……


 そんな大いなる矛盾を抱えながら、僕は生きていく……


 そして僕は、今日も人を殺せないまま、修正する気のない人間と歪みきった僕の世界の中、内に燃えさかる殺人衝動を抱えつつ、引きつった笑みを浮かべながら自死も選べず生きていくことを選択する…… 

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