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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

グリモアの一頁

慈愛のテルール

作者: 守谷 雪


「使えないヤツ……」

「…………剣も魔法も中途半端……」

「……リーダーも、どうして追い出さないんだろ」

「……とっとといなくなればいいのに……」


 なんで……俺は……。

 皆、俺はまだ役に立てる……


「レオン、お前はこのチームには不要だ。

 ……抜けてくれ」




 カラン、とグラスの中で氷が揺れる。

 どうやら、酔いつぶれていたらしい。


 机に突っ伏したまま薄目を開けると、目の前には二本のボトルが立っていた。一本は空で、もう一本もほとんど残っていない。グラスの向こうに見えるのは長々と続くカウンター席と薄汚れたバーの扉。小さな窓から見える通りには夜の帳が降りて、すっかり暗くなっていた。

 いつ頃から潰れていたのだろう。いや、その前に、いつ頃から飲み始めたんだっけ?

 ボケ切った頭をのそりと持ち上げると、すぐ隣の席から声が上がった。


「マスター、《グラン・パープル》はあるか?」

「あるよ」


 コトン、と木を叩く重たい音。隣の男が嬉しそうに歓声を上げる。


「いやぁ、相変わらず評判も客入りも店主の愛想も最悪だが、モノはちゃんと揃えてるねぇ」


 男は用事などそっちのけでさっそく瓶のコルクを抜いた。

 ぽん、と軽い音とともに、辺りに甘ったるい葡萄の香りが漂う。液体がグラスを満たす音に振り向きもせずに、俺は男に話しかける。


「……何の用だよ。俺をパーティーから追い出しておいて」

「後悔してるさ。他の奴らもな」

「……どうだか」


 隣から筋肉質な腕が伸びて、俺の前にグラスを置いた。

 薄暗い明かりに照らされた、艶やかなクラレットのワイン。この店の裏メニューの中でも、特に高価な一品だった。


「献上品さ。新興ギルド『サンディカル』の長、《緋剣》のレオンに」

「……今更何の用だよ?」


 訊ねても、答えはなかなか返ってこない。

 黙り込む男に苛立ちを抑えきれず、持ち上げかけたグラスを机に叩きつける。


「何なんだよ、いきなり呼び出して‼」

「……ちょっと昔の仲間と話したくなっただけだよ」

「はぁ⁉ 俺を切り捨てておいて、何を……?」


 腰の剣に手をかけ、俺は隣の男、アダムを睨む。


 久しぶりに見る彼は、また傷が増えていた。

 無数の切り傷が腕や顔を覆い、大きな火傷が顔の左半分を覆っている。ちらりと見えた左眼は火傷のせいか白濁していて何の像も映していない。火傷の上にも無数の傷があるのを見るに、かなり古い傷のようだ。


 魔物退治などの危険な依頼を日々請け負う人間に傷などつきものであるが、それにしても彼の傷は多い。小さな傷なら治癒魔法できれいに治るはずだが、なぜそうしないのか。


 彼はグラスを口に運び、最高級の葡萄酒をゆっくりと味わうと深くため息を吐く。


「……戻って来ないか?」

「は?」

「オレたちのパーティー、『フェールレッセ』に」


 何を言っているのか、わからない。

 あまりにも馬鹿げたその言葉に、俺はただおかしな笑いをこぼす。


「お前の、あのパーティーに?

 ふざけてるのか?」

「いや、本気だ。

 お前は、強くなった。お前がいれば、オレたちはまだ……」

「…………アダム、お前……。

 どれだけ……どれだけ俺を愚弄すれば気が済むんだ⁉

 メンバーを易々と見捨てるような奴に、俺がついていくと思ってるのかよ⁉」


 椅子を蹴って俺は立ち上がる。

 怒りをたぎらせ目の前の男を睨みつける俺に、アダムはどこか悲しそうな眼を向けた。


「……そうか。そうだよな。

 すまん。今の言葉は、無かったことにしてくれ」


 彼は懐から一本のナイフを取り出すと、静かにテーブルの上に置いた。

 そのまま金貨を数枚、半分ほど残ったボトルの隣に置くとアダムは席を立つ。


「マスター、また値上げとかはしてないよな?」

「ないよ」

「ならよかった。釣りは要らない。

 レオン。そのナイフはお前にやるよ。

 もう、オレには不要な代物だからな」


 領収書も受け取らず、アダムは足早にドアへと向かう。

 カラン、と鈴の音が鳴り、すっかり冷え込んだ外の風が入り込んでくる。


「レオン」

「何だよ?」

「お前のギルド『サンディカル』は、どんな奴も見捨てないんだよな?

 他のギルドやパーティーで見捨てられてきたヤツらも」

「だから何だよ?」


 彼は扉の前で立ち止まり、こちらを振り返る。

 青色の瞳と白く濁った眼球が、こちらをじっと見つめていた。



「守れよ?」



 カラン、と再び鈴の音が響き、彼の姿は夜中の暗闇へと消えた。


 随分と、彼らしくない。

 記憶の中にいる彼は、あんな風じゃなかった。あんなに傷だらけでも無かったし、もっと自信に満ち溢れたヤツだった。


 一体、何だったんだ?

 何も理解できないままで、俺は自分の前に残されたナイフに手を伸ばす。


 随分と、使い古されたナイフだ。柄も鞘もボロボロで、ところどころに焦げ跡のようなものまで残っている。

 刃を抜くと、刀身には不思議な痕が残っていた。右向きの魔法痕、炎で傷を溶接した痕だ。


 この魔法痕は、見覚えがある。

 忘れるはずがない。

 ただでさえ少ない左利きの魔法使いの中で、鉄を溶かせる炎魔法の使い手を、俺は一人しか知らない。


 このナイフは、アイツの……。

 なんで、これをアダムが……。


「…………なんで……」




*** *** ***




「……なんで…………」


 ギルドの本部に戻ると、建物は炎に包まれていた。

 耳に響く誰かの悲鳴。焦げ臭い空気が鼻を衝く。飛び散る火の粉がヒリヒリと肌を焼いていた。


「どうして……こんなことに……」


 俺は焼け焦げた肉塊の前に跪く。

 答えなど返ってくるはずも無いのに、どこかから声が聞こえてくる。


「本気で守ろうと思わないからだ」


 聞き覚えのある声に、俺は顔を上げる。

 カツン、カツン、と響く硬い足音。

 炎と煙の向こうから現れたのは、黒い甲冑に身を包むアダムの姿だった。


「お前……どうしてここに……?」

「……政府から、『サンディカル』の排除命令が出た。

 そして、お前の“処分”の命令も」


 彼は冬の夜空のように冷たい声で淡々と話しながら、流れるように抜いた大剣をこちらに向ける。


「『行き過ぎた平等』は危険だ。このままお前たちを放っておけば、じきに国全体に影響が出る。だからこそ、政府はお前たちの排除を選んだ。

 それが分からないほど、お前も無能じゃないだろう?」


 コイツが……コイツが殺ったのか?

 みんなを、みんなを……。


「テメェェェェェェッッ‼」


 腰の剣を抜き、激情のままアダムに切りかかる。

 鎧の継ぎ目を狙った一撃は軽々と弾かれ、大剣の重たい斬撃が俺の喉に迫る。上体を反ってそれを躱すと、そのまま宙がえりで距離をとりながら、空いた左手を剣にかざして呪文を唱える。


「《深紅の薔薇(クラシニー ローゼ)》‼」


 叫び声が響いた刹那、銀色に輝く剣が炎に包まれる。

 着地と同時に身を捻りそれを横薙ぎに振るうと、炎の鞘の中から真っ赤に染まった剣が現れた。


「《緋剣》か。なら、こちらも……」


 緋色に染まった剣を見て、アダムは少しだけ笑みを浮かべた。

 彼も手を大剣にかざし、俺と同じように呪文を唱える。


「《無限の冷徹(フリード イデア)》」


 その言葉を待っていたかのように、アダムの剣が不気味な輝きを放つ。

 彼が軽く剣を振るうと、その残像をなぞるように地面がパキパキと凍り付いていく。

 凍てつく刃を構え、アダムは真っ直ぐに突っ込んでくる。


「レオン、許せ。アイツらのため……」

「アダム……今、この手で……」


 振り下ろされた大剣を緋色の剣で正面から受け止め、アダムに負けぬほどの大声で俺は叫んだ。


「お前を、殺すッ‼」


 受け止めた剣を弾き返し、そのまま真っ直ぐに踏み込んで突きを繰り出す。アダムはそれを鎧で受け流すと、弾きの勢いを殺すことなく大振りに剣を振るう。

 刹那に響く鈍い音。

 ガントレットに巨大な刃が深々と食い込み、胴体ごと叩き斬らんとしていた。

 腕の肉にまで刃が達した瞬間に傷口から震えるほどの冷気が流れ込んでくる。横に跳び、辛うじて斬撃を受け流すが、左腕は瞬く間に凍り付いた。


 動かなくなった腕を庇いながら、剣を正面に構え直す。

 眼前には、次の一撃が迫っていた。

 空気すら凍てつくほどの冷気を纏う、黒鉄の刃。

 冷たい殺意を俺に向けて、この身体を縦に両断しようとしている。


 避ける余裕はない。鎧も意味がなかった。次は剣でも受けきれるかどうかわからない。

 そんな状況にも関わらず、死への恐怖など湧かなかった。

 心の中では、ただ怨嗟の炎が燃えていた。


 真っ赤に燃える剣を掲げ、迫る刃に叩きつける。


「アダム……お前が……お前さえいなければ……‼

 俺はッ…………」


 目の前に立つ男を、俺は睨みつける。

 燃え上がる炎の向こうで、彼はぽつりと呟いた。


「レオン。お前は、満足してるのか?

 平等で、誰も捨てられることのない世界で、お前は本当に満足なのか?」


「……あぁ、そうだ。

 誰も不幸にならない。皆も、俺も……」


「違うだろ?

 お前は、不幸になりたくなかったんじゃない。幸せになりたかったんだろ?

 お前が欲しかったのは……」


 パキン。

 燃え盛る剣が、真っ二つに折れる。

 迫る刃の向こうで、男は何故か哀しそうな顔をしていた。



「お前が本当に欲しかったのは、誰かを切り捨ててでも自分を選んでくれる、そんなヤツなんだろ?」



 刃は肉を引き裂き、骨を断ち切り、俺の身体を斜めにぶった切る。

 痛みと同時に冷気が全身に流れ込み、身体がみるみる凍り付いていく。剣が身体から引き抜かれても、血も臓物も零れ落ちるより先に凍り付く。

 次第に動かなくなっていく俺を、アダムは無表情で見下ろしていた。


「全てを等しく愛することを“愛”とは言わない。それはただの“慈愛”だ。

 何かを捨てずに、何かを“愛する”ことなんてできないんだよ。

 お前は最初から間違ってたんだ」


 大剣に張り付いた氷を振り払い、アダムは剣を背中を収めてこちらに背を向ける。

 彼の背中が遠くなっていく。暗くなっていく世界の中で、アダムの声が響く。


「すまない。こうするしかなかったんだ」


 あぁ、俺は。

 また、捨てられるのか。


 なんで……俺は……。



 折れた剣をぐっと握り締める。

 まだ、刀身は真っ赤に焼けていた。


 頸椎はまだ繋がっている。頭も脚もまだ凍ってはいない。

 ゆっくりと立ち上がり、ずり落ちていく半身を押さえながら必死に前へと進む。


 燃え盛る建物から出たその先で、アダムは静かに空を見上げていた。

 鎧の隙間から、がら空きになった喉が見える。



 緋色の剣を逆手に握り、

 彼の喉に、その刃を突き立てた。




 炎に包まれる景色を前に、アダムは喉を押さえ倒れている。

 ヒュー、ヒュー、と風を切る音に混じり、誰かの名前が聞こえてくる。


「……リベラ、すまない…………アル……メグ…………今、オレが……」


 治癒の魔法で何とか応急処置を済ませ、俺はアダムの前に立つ。

 俺が握る剣はすっかり冷えて黒く煤けている。


 こちらに伸びてきた彼の手を折れた剣で突き刺して、俺は嗤った。


「ざまぁみやがれ」


レッセフェール[laissez-faire(仏)]:フランス語で「なすに任せよ」の意。経済学で頻繁に用いられており、その場合は「政府が企業や個人の経済活動に干渉せず市場のはたらきに任せること」を指す。自由放任主義じゆうほうにんしゅぎと一般には訳される。


(Wikipediaより引用)

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