38. 4年目 オンヅカ。
それはミノリが一日の家事と入浴も済ませ、あとは寝るまでの間をゆっくり過ごしていた時の事だった。ミノリのそばに座っていたトーイラが『そういえば……』というような表情をしながらミノリに尋ねてきた。
「ママ、一応聞いてみたいことがあるんだけど……」
「ん? トーイラ、何を聞きたいの?」
「ママって、名乗る時『ミノリ』としか言わないけど、もしかして苗字も持ってたりするの?」
トーイラが『一応』とつけたのは恐らくミノリがモンスターだから苗字を持っていない可能性の方が高い、という保険かもしれない。
「苗字……、あー……、うん、あるよ」
「え、そうなの!? なんて苗字なのか教えてちょうだいママ」
この世界に転生してきてからすっかり名乗る事も無くなった自分の苗字……それによって一瞬、転生前の自分、そして家族や親友の事がフラッシュバックしたミノリだったが、すぐに気持ちを切り替えてトーイラに教えることにした。
「『隠塚』だよ」
「オンヅカ……、耳馴染みのない言葉だけど、それがママの苗字なんだ……。オンヅカ……」
それを聞いて、反芻するかのように何度もつぶやき、うなづくトーイラ。そして横で聞いていたネメも同様の仕種をしている。
暫くすると、二人はおずおずとしながら、ミノリに再度尋ねた。
「そのおかあさんの『オンヅカ』って苗字……、私たちも名乗っていい……?」
「ママと一緒の苗字に使いたいな……」
この世界において同じ苗字を名乗る事はどういった意味合いになるのか全く知らないミノリだが二人になら同じ苗字を名乗らせてもいい、むしろ名乗ってほしい。
そう思ったミノリは当然のように承諾した。ミノリにとっては、ネメもトーイラもかけがえのない娘たちなので断る理由など無いのだ。
「いいよ、勿論。これで二人とも私と同じ『オンヅカ』だね。ちなみに、私の苗字は名前の前につけるよ。だから、私は隠塚ミノリで、ネメは隠塚ネメ。そしてトーイラが隠塚トーイラ」
その言葉に、顔を輝かし、すっかり嬉しそうに自分の名前に『オンヅカ』をつけて何度も繰り返し口にするネメとトーイラなのであった。
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……その夜、ミノリは夢を見た。それはミノリが晴れてミノリと同じ苗字になったネメとトーイラを連れ、転生前のミノリの家族の元を訪れて2人を紹介するというもの。
歓迎された3人は、転生前のミノリの家族一緒に食卓を囲んで、楽しそうに過ごすという、決して叶う事のない夢。
それが夢なのはミノリも夢を見ながら気がついていた。転生前の家族に見せているミノリの姿は、今の姿であって、当然転生前の姿と今の姿が結びつくはずがない。なのにみんな、そんなミノリを普通に受け入れてくれたのだ。
それはミノリにとっては幸せな夢であると同時に、あまりにも残酷な夢でもあって……。夢から覚めたくないと思ってしまうほどだったが、必ず夢には終わりがきてしまう。だからせめて、夢の中でだけでも、転生前の家族に伝えたかったことがあるのだ。
(……みんな、先に死んじゃってごめんね。でも私は別の世界で、血は繋がってないけど私と同じ苗字を名乗ってくれる大切な二人の娘ができて、なんだかんだ幸せに過ごしています。
だから……安心してね。それと……ありがとう。みんな大好きだよ。……元気でね)
その伝えたかった言葉は、寝言となってミノリの口からこぼれ、みんなが寝静まっている寝室に響くとそのまま誰にも聞かれる事無く消えていった。
ミノリの目尻には雫が溢れ、それはそのまま頬を伝い流れていくと枕にしみこまれ、そのまま見えなくなってしまった。




