173. 16年と8ヶ月目④ 騒動と騒動。~突きつけられる現実~
ノゾミがドロンと消える術を使ったことでこの世界から姿を消していた同時刻ごろのクロムカとザルソバが住まう小屋。
そこではクロムカがフード付きのローブを羽織って出かける準備をしていた。
「あれ、クロムカ。お出かけかい?」
「はい、ザルソバさま。買い出しに行こうと思ったんですの。ちょっと食材が足りなくなったので買ってこようかなと思って……」
どうやらキテタイハの町まで買い出しに行くつもりだったようだ。
「じゃあちょっと待っててくれないか。私も準備するから」
「あ、ザルソバさまッ。今日はワタシ一人でも大丈夫ですの。ミノリさまのおかげで町に入っても誰も気に留めなくなってくれたので、多分一人でも大丈夫だと思うんですの」
「ん……そうか。それじゃ気をつけていっておいで」
「はいですのー」
少しだけクロムカを一人で行かせていいのか悩んだようだったが、ほんの少しの逡巡の後で大丈夫だろうとザルソバは判断したようで、クロムカが出かけるのを見送った。
ノゾミによって保護されたクロムカがザルソバの元で生活するようになってから早数ヶ月、ミノリが出会った頃はあんなにネガティブキャラ街道一直線だったのに今ではその頃のネガティブっぷりはなりを潜め、ザルソバが知っている本来の彼女の性格に戻り始めていた。
「……そういえば……どうしよう。ミノリさんから言われていた『モンスターだと告げた方が良い』という事、未だにクロムカに伝えられていない。……よし、今日こそちゃんと言おう」
……その決心が遅かったせいで、この後クロムカはある騒動に巻き込まれてしまうなど、この時のザルソバは知らなかったのであった。
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「確かザルソバさまの誕生日が近いそうなのでこっそりと行く必要があったんですの……えへへ」
キテタイハの町へ向かいがてら、そう独り言ちるクロムカ。どうやらザルソバへの誕生日プレゼントを買いたいがためにこうして一人で出かけたかったようだ。
大好きな人との同居生活。現時点で保護されているという扱いなので『同棲生活』とは呼べないのは残念ではあるが、それでもクロムカはミノリに保護されて以降、幸せな日々を送っていた。
しかし忘れてはいけない。クロムカはモンスター化してしまった人間であり、モンスター化した人間が人間を襲うように、人間もまたモンスター化した人間を見つけたら敵と判断して、倒そうと攻撃を仕掛けてくる可能性があることを。
「それにしても……こうしてフードを被っているとモンスターと勘違いされなくて済むのはいいのですけど……そもそもなんでワタシ、モンスターに間違われるんですの?
そしてなんだか今日はとても暑い上に風が強くて……うっかりフードが脱げないように気をつけないと……」
──そして季節は秋になりかけていたのだが、今日は夏に巻き戻ったかのような暑さ。それにくわえて風も強い日であった。
クロムカはフードを抑えながら一人、キテタイハの町へと向かったのであった。
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──所変わって、キテタイハの周辺にある草原地帯。
そこでは別の町からやってきたらしい2人組の冒険者崩れの男たちが、何かを探すようにあちこちを徘徊していた。
「本当にこのあたりなのか? 前の町長が言っていた褐色の女型モンスターが棲息する場所ってのは。さっきから探しているけど影も形も見当たらないぞ」
「そんなはずはないからもっとあちこち探してみようぜ。それにしてもこんな冒険者崩れの俺たちにわざわざそのモンスターを駆除させたいってのはよっぽど恨みがあるんだろうな」
「なんでもモンスターが徘徊してるから駆除しようとしたらそれが失敗した上、何故か一部のトンチキばあさんがそのモンスターを女神扱いしだした上に町長の座から蹴落とされたって言ってたからなぁ。それに8年も前のことだから恨みも相当深いぜこれは」
「はは、しがみついていた自分の地位から振り落とされたんだ。恨みが強くなるのも無理はねえさ。というかもう8年も前なんだからきっと誰かに倒されてると思うんだがな俺は。まぁそれだったらそう報告するまでだけどな」
かつて、ミノリがまだモンスター判定を受けていた頃に、ミノリを駆除するよう仕向けた元キテタイハ町長が再びミノリを駆除しようと企て、それが彼らにこのあたりを徘徊させる要因となっているようだ。
数ヶ月前に、カツマリカウモの宿で働いていたメーイがクビになった事を現町長でメーイの母であるハタメ・イーワックに話していた事が今現実になろうとしていた。
……ちなみにだが、ミノリは既にモンスターという扱いではなくなっていたので、容姿は似ていてもモンスターだと彼らは気づくはずもなく、ミノリは普通の一般人と同じ扱いだ。
その為、彼らは絶対にミノリを駆除することが出来ないし、これで容姿が似ているからとミノリを駆除しようとした場合、普通に犯罪になる。
結果的に、ミノリは絶対にそういった面で襲われることが無くとても安全な状態になっているのだ。
しかし、それはあくまでミノリの話。
もし同じようなモンスターの判定を受けてしまう人に似た姿のモンスターがいた場合、彼らは敵と見なしてその者を攻撃してしまうだろう。
「……あーだめだ。やっぱり見つからねえ!! もうあきらめて帰ろうぜ」
「でもよぉ、折角の依頼金がパーになるのは惜しすぎるぞ……町では既に情報が回っている可能性があるから決して中には入るなって言われてるから情報集めもままならねえし……。とりあえずその辺りの通行人を見つけたらそいつらから情報を集めるぞ」
「しかたねぇなぁ……まぁいいか、もう少しつきあってやるよ。……お、ちょうどいいところに通行人がいるな。折角だしあいつに聞いてみようぜ」
男達が誰かいないか探し始めたところ、ちょうどキテタイハから歩いてくる人影を見つけたので声をかけた。
そして声をかけられたのが運の悪いことに……キテタイハで買い物を済ませ、帰りを待つザルソバの小屋へと向かう『モンスター化してしまった人間』であるクロムカであった。
「すまないそこの嬢ちゃん。ちょっと尋ねたいことがあるんだが……」
「へ? あ、こんにちはですの……あっ!!」
すれ違った際に男達に突然声をかけられ、緊張しながらも振り向いて挨拶をしたクロムカだったが……タイミング悪く、突然の強風が辺り一面に巻き起こり、クロムカはフードが外れ、男達の前に素顔を露わにしてしまったのだ。
「な、この女は人間じゃない、モンスターだ!! 変装して町に入って罠か何かしかけていたのか!!」
「え、ち、違いますの!! ワタシ、れっきとした人間……」
慌てて自分は人間だと主張するクロムカであったが……クロムカはモンスター化してしまった人間である以上、男達の耳にはモンスターが何か変なことを言っている程度にしか伝わらない。それどころかそれでも尚ごまかそうとする質の悪いモンスターとして心象をさらに悪化させてしまった。
「なわけないだろう! 俺たちの目はごまかせないぞ!! どう見てもモンスターじゃないか!!」
「早く仕留めちまおうぜ!! 俺はさっきからお目当てのモンスターが見つからなくてイライラしてたんだ、だからこいつでストレス解消だな!」
その上、冒険者崩れであったが中途半端に正義感だけはあった男達は、クロムカに剣の矛先を向けると、間髪入れずに襲いかかってきた。
「ひっ……いや!! やめて! やめて!!! ちがう、ちがうんですの!! アタシ、本当に人間、人間……痛っ! 痛い!!」
急いでその場から逃げようとしたが、男達の方がクロムカよりも足が速かった為、次々と攻撃を加えられてしまうクロムカ。
モンスター化してしまったクロムカは、ボスモンスターという立場であるため生命力はズバ抜けて高く、死霊に未だに取り憑かれていない為にそれに関する技が使えない以外、攻撃力も攻撃魔法もそれなりに充実しているのでその力を振るえば簡単に男達をあしらえたはずなのだが……クロムカは男達に対して反撃をしようとする素振りさえ見せない。
まだ自分が人間であると信じていたクロムカは、人間と戦うのは犯罪に当たると考えており、いくら相手が襲ってきたからといって、自分も同じように悪事に手を染める事だけは避けたいという気持ちを矜持していたかったのだ。
しかし、その矜持のせいで次々体を傷つけられていくクロムカは、やがて肉体へのダメージだけでなく、同じ人間が自分をモンスターと見なして攻撃してくるという耐えがたい状態に心にまで大きな傷を受けてしまい、結果的にクロムカは心身ともに大きなダメージを受けた事によって走ることもままならなくなり、その場に倒れ込んでしまった。
「……なんだこのモンスター、全く抵抗しないじゃんか」
「たいしたことねぇな、こいつ」
「……」
何度もモンスターじゃ無いと主張しても聞いてくれなかった為、クロムカももうそれ以上男達相手に言葉にする元気すら無くなっていた。
そして事態はさらに悪い方向へと向かい始める。
「なあ、ここまでおとなしいモンスターならこの場で急いで始末する必要ないよな。折角だからラコカノンヤの闘技場へ売りに行こうぜ」
「そりゃあいいな! 人間型の女モンスターはすげえ大金になるって話だもんな。こりゃ元町長の依頼なんかよりもよっぽどいい金になるぞ!!」
闘技場が仕入れるモンスターは、普通の討伐とは異なり生け捕りが厳守である。そうなると当然ながら難易度は必然と高くなるが成功すればその分、大金を一度に手に入れることの出来るというチャンスなのだ。
そして捕らえたモンスターが女性型モンスターである場合、見目が良いが為に彼女らが出場すると『人間相手だと攻撃したり、殺害してしまうのは犯罪になるので無理だが、見た目は人間に近くてもモンスターならば、何のお咎めも無くにそれを娯楽として観戦する事ができる』という質の悪い嗜好を持つ層が詰めかけ、巡り巡って闘技場の資金も潤う事にもなるので、闘技場としてもそういった類のモンスターを集めようと付加価値をつけるために、女性型モンスターは余計狙われやすくなる。
過去にシャルが襲われたのも一攫千金を夢見た無法者によるものであったが、闘技場に売られると聞いたクロムカは顔面を蒼白とさせたまま、ポツリと
「そんな……」
とだけつぶやくのが精いっぱいであった。
そして、先程まであんなに『自分は人間である』と主張していたクロムカもここにきて、徐々に自分は今まで大きな勘違いをし続けていたのではないかと漸く気づき始めた。
(もしかしてアタシ……本当に、モンスターになってしまったんですの……?)
その考えが脳裏を過った途端、今までなんとかしがみついていた『人間であるという信念』という名の足下が崩れ、そのまま地の底まで落ちてしまったような錯覚に陥ってしまったクロムカだったが……彼女の災難はまだ終わらない。
「もしかして、ワタシ以外のみんながそれを知ってい……きゃっ!」
独り言ちていたクロムカの視界が突如真っ暗になった。どうやら男達によって麻袋を頭から被らされてそのまま中に入れられてしまったらしい。
「よーし、袋詰め完了っと。おい、確かお前麻痺魔法使えたよな? 暴れないようにそのモンスターにかけてくれねぇか」
「おう、もちろん」
(ああやっぱりそうだったんですのね。……認めたくなったけど……ワタシ……本当にモンスターになってしまっていたんですのね……。ザルソバさ……ま……)
ボスモンスターである以上、普段なら耐性があるはずの麻痺魔法が心身の弱りが原因でかかってしまい、身動きが一切取れなくなってしまったクロムカは、絶望したような気持ちで麻袋に入れられ担ぎ上げられてしまった。
そして心の中でこの半年間、一緒に過ごし、自分に安らぎと幸せを与えてくれた想い人の名前を呟きかけたままクロムカの意識は遠のいていった。




