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ここ数年の出来事とお友達?が出来ました

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 ブランデンブルク選帝侯子のアルブレヒトとして生まれて数年が経った。結局、インドに行きたいだの、船乗りになりたいだの騒いでいたら、両親も呆れ果てたのか、教会に送られることは無くなった。

 そのため、選帝侯子として数年を過ごすこととなったのだが、その間にも様々な出来事が起こっていた。



 1495年に父のヨハン・ツィーツェロは、姉のアンナ及び兄のヨアヒムと、ポーランド王室の子女との縁組を模索したらしい。しかし、失敗してしまった。

 父は悔しがっていたので、何でかと思えば、ポーランド王位の相続権を得ようとしていたようだ。

 結局、父の野心が実を結ぶことはなかった、平凡な人だと思っていた父にそんな野心があったことを知り、驚いたものだ。


 1499年には父が亡くなり、兄のヨアヒムが選帝侯位を継いだが、成人していなかったため、叔父のアンスバッハ辺境伯フリードリヒ2世が摂政として選帝侯領を統治することとなった。

 叔父のフリードリヒ2世は、兄のヨアヒムと姉のアンナにデンマーク王室との縁談を持ってきた。

 ヨアヒムの相手は、デンマーク王ハンスの娘でエリサベトである。父の従兄弟のドロテア伯母上の孫にあたる。

 アンナの相手は、デンマーク王ハンスの年の離れた弟でシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公フレゼリクで、姉にとっては又従兄妹の関係になる。

 ドロテア伯母上は、末息子のフレゼリクを寵愛し、巧みな財政運営によって、シュレースヴィヒとホルシュタインの両公爵領を、夫から実質的に担保の形で譲り受け、この公爵領をフレゼリクに相続させたらしい。父上の従兄弟は出来る人だったみたいだ。


 1500年に両国の婚約が成立し、婚礼はアンナの14歳の誕生日に行われることになった。ヨアヒムとエリサベトの婚礼も同時にやる予定らしい。

 アンナとフレゼリクは又従兄妹同士で近親婚にあたるため、婚姻には教皇の特免が必要らしく、手続きと金がかかりそうだ。



 そんなこんなで、俺にも友達?が出来ました。

 一番最初に側にいたのは、新参の官僚貴族としてトロット家の家督を継げない息子だった。官僚貴族として、新参者ながら取り入っているのだから、目敏い一族である。

 ランデスハウプトマン(知事のような役職)を代々輩出しているアルヴェンスレーベン家、シューレンブルク家、アルニム家、ブレドウ家、クネーセベック家の家督を継げない息子たちも、いつの間にか側にいるようになっていた。

 特に、アルニム家、シューレンブルク家は官僚貴族化し始めており、ベルリンにいることも多く、なかなか油断ならないヤツ等だ。

 最後に現れたのは、昔からこの辺りに強い影響力を持つグライフェンベルク家、ブランケンブルク家の庶流の子どもが送られてきた。

 ちょっと生意気だったので、軽く絞めたら、言うことを聞くようになったのは内緒である。

 こうして、俺の周りに取り巻きが出来るようになった。

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