死の渡廊
1
ジョニーたちは、広間を進んだ。広間には、倒れた柱と、過去に“動く死体”だった死体と、“灰巨人”だった灰の山しかなかった。
“動く死体”や“灰巨人”は、時間経過とともに甦る。
再生するまでに箱にでも詰めて縛っておけばいいのに、と、残骸を眺めながらジョニーは思った。
「……次は、合流地点だ。ヴェルザンディの奴らと出くわすだろう。……気を引き締めて行けよ」
と、ボルテックスが仲間たちに指示を出した。合流地点、とは聞き慣れない言葉である。
ジョニーたちは、ボルテックスを先頭に歩き出した。
広間から出るには、前方の壁にある門をくぐらなければならない。
丸みを帯びた門には、扉がなく、向こうの空間が見える。空間内部は暗く、中がよく見えない。
門は、二つあった。
「分かれ道か……。どちらかを選べ、という話だな」
と、ジョニーは呟いた。ボルテックスからは、反応がなかった。
「ん? なんだこの音は……?」
と、野蛮人風の男ゲインがざわついた。姿格好が野蛮人なので、周辺の異常に敏感なのかもしれない、とジョニーは思った。
前方の門から、音がする。
仲間たちは無言で緊張していた。状況の奇妙な変化に、情報を集めようと全神経を尖らせていた。
ジョニーは、金属と金属が擦れる、錆びた音を想像した。
突如、右側の門に、異常が起こった。
門の向こう側で、上から巨大な物体が、金切り声を出しながら降りてきたのである。
仲間たちは、出来事を呆然と見守るしかなかった。
落下物が地面に叩きつけられると、門は轟音を立てて、自分の口から砂煙を吐き出した。
門の隙間から、落下物の頂点には、鎖でつながれているのが見えた。
「アーガス! 釣り天井が落ちてきたぞ。これで俺たちは、右側の階段を降りられなくなった」
と、ボルテックスが頭を掻いた。面倒くさそうな声を出す。
「釣り天井?」
「罠の一種だ。別名、落ちる天井、とも呼ばれている。天井が落ちてきて、その場にいる奴は死ぬ。普段は足下にスイッチがあって、踏むと作動するが、この釣り天井は、どちらかというと、障害物の役割を果たしているな。ここから通さないっていう意図だ」
「……そんな技術をもっているとは。魔王の技術は、シグレナスの技術を遙かに凌駕しているのだな」
ジョニーは釣り天井を、手で触れた。
天井というと、木材と岩の組み合わせを想像していたが、釣り天井は、床や壁と素材を同じくした、一枚の岩であった。切断面にムラがなく、完璧と呼べるほど直線をもって切り分けられた。
「シグレナスが、魔王時代に発明された技術をそのまま受け継いたんだ。技術や文化という観点では、シグレナスは、魔王の後輩だと考える学者もいるくらいだからな」
ボルテックスの説明に、ジョニーはまた驚かされた。
魔王の残した技術が、シグレナスに恩恵をもたらしている。魔王とは、悪人だと考えていたが、決してそうでもない。善悪では単純に語られない歴史の深みを、ジョニーは感じた。
もう一度、釣り天井を確認する。釣り天井は重く、霊骸鎧の力を持ってしても、持ち上げられない、とジョニーは目算した。
ボルテックスが階段を降りていく。ジョニーは従いていった。
発光している壁のお陰で、足を踏み外す危険はない。
下に降りると、少し広い空間……踊り場に出た。
さらに降りる階段とは別に、上り階段がある。
「この上り階段は、ヴェルザンディの連中がいた部屋に通じている」
と、ボルテックスは、上り階段を見上げて、親指で指した。
「では、挨拶でもしてやるか?」
ジョニーは自分の拳を叩いて笑った。闇に紛れて、鼻のつく連中を一人でも殴り倒してやりたい。
「いんや、階段を昇ったところで、釣り天井が邪魔をしていて、奴らには会えないだろう」
「俺たちがいた場所と同じ障害物があるのだな?」
「そうだ。さっきの俺たちがいた部屋とまったく同じ構造……対になっているんだ」
「とかげ女……アイシャも、俺たちと同じくように“動く死体”たちと戦っていたんだな?」
ジョニーは、アイシャたちが“動く死体”たちを圧倒している様子を思い浮かべた。
「おそらく、ヴェルザンディの連中は、俺たちよりも早く“動く死体”を片付けたのだろう。それで、どこかに隠されたスイッチを見つけ出した」
と、ボルテックスは自分の顎に触れ、階段を降り始めた。ジョニーはボルテックスに従いていく。
「……スイッチは二つあるのだな?」
と、ジョニーは閃いた。ボルテックスが驚きの視線を覆面越しから送ってきた。
ジョニーは自分の推理を披露した。
「早く勝利したヴェルザンディ側が、次の分かれ道を好きに選べる。遅れて来た俺たちは、釣り天井で邪魔をされて、不利な道しか選べない。……そうだろう?」
ジョニーはボルテックスと会話をしていると、ふと視線を感じた。振り返ると、セレスティナが後ろに歩いていた。セレスティナは長い睫毛を伏せて、ジョニーの視線を躱した。
「よく分かったな。だがな、それだけじゃないぞ。この遺跡は、いくつかの区画で成り立っている。次の区画に行くには、スイッチを押す必要がある。……問題はここだ。スイッチは離ればなれにあって、しかも、両方を押さないと動かない仕組みになっている」
と、ボルテックスが説明をした。後ろで、セレスティナが頷いている。話に参加しているつもりらしい。
「離ればなれになったスイッチを押すには、俺たちとヴェルザンディが二手に分かれて、協力し合わなくてはならないんだ。……いきなり一度に相手を皆殺しにはできない。先に進めなくてなってしまうからだ」
殺しにかかってくる相手と力を合わせなくてはならない。殺すにしても、一人一人と微調整しなくてはならない。
ジョニーは、ヴェルザンディとの奇妙な共闘態勢に、複雑な感情を抱いた。
「それでだ。同時押しのスイッチは、合流地点にある。顔を見合わせなければ、スイッチを同時に押せないからな。……ここで殺し合いの機会が生まれるって話さ」
ボルテックスが話し終えると、階段を降り終えていた。
目の前に、両開きの扉があった。重厚で、橋を思わせるような絵が描かれている。
ボルテックスが、両肩の筋肉をいからせて、扉を押し開いた。
2
「なんだここは……?」
扉をくぐると、中から風が吹き荒れた。野獣の咆哮にも似た音を立てて、ジョニーの髪とマントが舞い上がらせた。
そこは、巨大な穴だった。ジョニーたちは、巨大な穴の横穴から出てきたのである。
横穴から出る足場は、周囲を欄干に覆われていて、地面は柔らかかった。土に似た素材である。
欄干から覗くと、遙か下は、奈落の底だった。白い靄がかかっていて、よく見えない。
穴は、円形の筒でくりぬいたかのように、上空にも穴が続いている。靄のせいで、こちらも視界が悪い。
ジョニーは、自分たちの斜め上に、もう一つ横穴と、欄干に囲われた足場があると気づいた。
見覚えのある人物が見えた。人数は、一つや二つではない。
「ごきげんよう、シグレナスの同志諸君。今日も、国家と理念のために戦っているかね? ずいぶん、ゆっくりなご到着であったな。遅かったな。待ちくたびれていたぞ……?」
靄が晴れ、ヴェルザンディの王女、アイシャが姿を見せた。
アイシャは、欄干にもたれかかり、顎杖をついている。
ヴェルザンディの配下たちはアイシャの背後に並んで、ジョニーたちを見下ろしていた。「そちらは、全員集まったようだね……」
と、アイシャが言い終えると、何かが、作動した音が聞こえた。岩と岩がぶつかる、鈍い音である。
下の靄から、巨大な正六面体の岩が、抜き出てきた。
岩が、宙を浮き上がり、足場の前にぶつかった。突然の衝撃に、仲間たちは驚いた。ジョニーたちは、揺れる欄干にしがみついた。
岩は、一個だけではなかった。浮く岩が、いくつも宙に集まっていく。
お互いの身体をぶつけ合い、果ては、一個の長細い塊となった。
橋、である。
向こう岸の横穴にまで架かる橋であった。
ジョニーは欄干の外に出て、橋の上に足を付けた。
両足をつけても、落下しない。
橋の向こう岸が、小指のように小さく見える。橋には補強もないのに、謎の強度を誇っていた。
表面の切断面が滑らかである。気を抜いたら、脚がもつれて、滑落するかもしれない、とジョニーは思った。
幅は、大の男が二人くらい並んで、通れるくらいの余裕があった。三人だと、窮屈で両端の人間が突き落とされる可能性がある。
ジョニーはしゃがんで、岩に触れた。
冷たく、堅い。釣り天井と同じ素材である。
「魔王の力は凄まじいな。勇者シグレナスに倒されるまで、世界を長く支配していた、と聞いていたが、ここまでだとは……」
アイシャたちヴェルザンディ側にも、橋が架かっていた。
二本の橋が、段差を作って、併走しているのであった。
「ようこそ、シグレナスの同志諸君。ここは、“死の渡廊”だ。ヴェルザンディとシグレナスが揃わなければ、二つの橋は架からない」
と、アイシャが、芝居がかかった腕の動きをして、声を張り上げた。
(これが、同時押しのスイッチって奴か)
と、ジョニーは納得した。
「渡り廊下の向こう側に、一定時間、レバーが発生する。レバーは扉を開くスイッチだ。このスイッチを押せば、次の区画に入れる扉が開く。……スイッチレバーの発生条件は、今いる場所に九人以上いなくてはならない。いいかね? 重さではない。霊力だ。霊力を感知して、スイッチが発生する。九人のうち一人でも足場から離れるか、死ねば、スイッチレバーは消えてしまう」
ジョニーの背後で、欄干がせり上がった。欄干の先端は、鋭い槍の刃に変化し、高く伸びて鉄格子になった。自分たちの居場所が突然、牢屋となり、仲間たちは困惑の表情を浮かべた。
たまたま外に出ていたボルテックスと、フリーダは、牢屋の外……つまり橋にいた。フリーダは意外そうな表情をしている。
「走者は三人だ。三人が橋の上に立つと、自動的に牢屋になる。ふふふ、シグレナスの諸君。君たちは誰を走らせるか決めていたようだね」
と、アイシャが含み笑いをした。馬鹿にしているかのようにジョニーは感じた。
ヴェルザンディ側からは、誰も出ていない。
「では、こちらも、走者を出そう。……出でよ、“爆走”アフラ・バイゼナク。“泥棒”ファルーゼ・ガウト、そして、“刃の鎧”バニラ・ターキエ!」
三人の人物が、欄干を蹴って、橋に躍り出た。
バイゼナクは、浅黒い肌をした細身の男鷲鼻をしている。鷲鼻の両脇に小さな丸い目がついている。
頭巾で顔を隠した少女、ガウトも肌が薄黒かった。
ターキエと呼ばれた女は背が高く、肌がもっとも黒く、光沢がある。角刈りにした髪は、後ろだけが長く、三つ編みにしている。奇妙な髪型だとジョニーは思った。
「そいつらが、貴様らの走者か。では、早速向こうの端まで行かせてもらうぞ」
「待ちたまえ。まだ僕らは九人揃っていない。だから、まだスイッチレバーは発生していない」
「なんだと……?」
茶髪の男が、ヴェルザンディ側の横穴から現れた。
髪の毛がひげと同化している、大男だった。
大男が足場に入ると、ヴェルザンディ側の欄干も、格子となって、牢屋を形成した。
「遅かったぞ、デビアス。あんな雑魚どもに時間をかかるとは、君も腕を落としたのだね」
と、アイシャが笑顔で迎え入れた。
デビアスは恥ずかしそうに、眼を伏せて、赤い石……灰巨人の不死核を三つ、アイシャに見せた。
「面目ない、不死核を見つけるのに、時間が掛かりました。灰を吹き飛ばして、ようやく見つかりました」
「デビアス。君は細かい仕事は向いていないのだ。そこまでしなくても構わないのだよ」
アイシャは腕を組んで、笑っている。大男デビアスは恐縮して、頭を掻いた。
「あのデビアスは、たった一人で灰巨人を三体も倒したのか? ……奴は、俺たちの三倍は強いのか?」
ボルテックスがジョニーの隣で驚いた。だが、すぐに機嫌を取り直した。
「なあに、リコ。お前が加われば、戦力は五倍になる。……俺たちは負けないさ」
と、ボルテックスは一人で驚いて一人で解決した。
シグレナスとヴェルザンディの牢屋双方から、悲鳴が漏れた。
上空の白い靄から、鎖付きの釣り天井が降りてきたのである。
「セレスティナ……!」
ジョニーは不意に叫んだ。だが、釣り天井は地面まで下がらず、途中で止まった。仲間たちは、頭上の釣り天井に冷や汗を流していた。
牢屋の中で、混乱した仲間たちは一斉に変身をした。
変身できないセレスティナは、不安げな表情を浮かべている。ジョニーはセレスティナの苦しんでいる顔を見て、悲しい気持ちになった。
「さあ、スイッチは発生した。間違っても、囚われた九人を死なせてはならない。これからの行動には気をつけたまえ」
と、アイシャは頭上に釣り天井が迫っているにもかかわらず、涼しげな表情を浮かべている。 ジョニーは、アイシャに対して怒りが湧いてきた。セレスティナの苦痛な表情を見て、喜ぶアイシャが憎らしかった。
「ふざけるな。鉄格子を破壊すれば良いだろう? 破壊して、仲間を安全な場所に避難させろ。それから、ゆっくりとスイッチを押せば良い」
と、怒鳴った。だが、アイシャは軽く指を振って、ジョニーの提案を否定した。
「だめだ。破壊するな。破壊すると、橋が落ちる仕掛けになっている。今度は走者である君たちが死ぬ番だ。ちなみに、鉄格子は、たとえ壊れても、あとで自動修復する。それに、この場所には、九人の霊力が必要だ。絶対に出てはいけない」
アイシャの反論に、ジョニーは何も反応できなくなった。どうしても、全員を危険に晒したいアイシャの考えが汲めない。
そもそも、アイシャ本人も牢屋の中にいる。自分も死ぬ危険があるのに、冷静でいられるアイシャに、ジョニーは狂気を感じた。
「今から、君たち六人が、向こう岸まで走り抜ける。スイッチを押したら、仲間は解放され、次の扉が開く」
と、アイシャは橋の先を指さした。ジョニーは自分がいる橋の先を見ると、遠方に巨大なレバーが、見えた。いつの間にか現れていた。
遠方だから小さく見えるが、近づけば人間の大きさくらいある、とジョニーは思った。
「……釣り天井が、完全に下がり切るまでの間に、スイッチを押せ、いや、レバーを倒せ、というのだな」
「心配性の君に朗報だ。そこまで頑張らなくても良い。基本的に、この橋、いやガレリオス遺跡全体が霊力を感知する構造になっている」
アイシャの説明に、ジョニーは光る壁や階段を思い返した。
「それぞれの先頭が橋を進めば進むほど、ガレリオスは霊力を感知し、釣り天井を上昇させてくれる。だから、心配せず先に進み給え」
ジョニーは、自分が橋の上を走って行く様子を思い浮かべた。先に進めば、釣り天井が上昇していく。
アイシャの説明を聞いていくうちに、ジョニーは、ガレリオス遺跡に対する印象が全く変わってきた。
罠の殺意が強すぎる。
釣り天井とか、九人以上揃わないと扉が作動しないとか、訪問客を温かく迎え入れる構造になっていない。
ガレリオスはただの文化遺産、というより、むしろ、外敵を追い払うための戦術要塞だったと解釈すべきである。
「先に進むだけで釣り天井が引き上がるのなら、大した罠ではないな」
ジョニーは安心した。とにかく、先に進めばよい。だが、ジョニーには疑問点が発生した。その疑問点が言葉にできず、ジョニーの胸の中でくすぶった。
「デビアス! 霊骸鎧に変身しろ」
と、アイシャが空気を裂くような声で命令した。
大男デビアスは巨体の霊骸鎧に変身した。禍々(まがまが)しい牙を口から生やし、頭部の両側面には角があった。邪悪な形状の青い甲冑を身にまとい、両の腕には、鎖付きの分銅を手にしていた。
デビアスは分銅を床に置き放ち、自由になった片腕を釣り天井に向かって突き出した。
釣り天井の鎖がたわみ、ゆっくりと重力に反発して、デビアスが腕を掲げた分だけ、地面との距離に差が生じた。
ジョニーの仲間たちから、驚きのため息が聞こえた。
頭上の空間が広がって、アイシャは満足げな表情を浮かべた。
「ふむ、さすがは“十二神将”の一人、“悪鬼大王”ベラヒアム・デビアスだ。……この程度の釣り天井なぞ、デビアスが一人いれば十分だ。……では、始めるとしよう。僕が始まりの音頭をとる。走者の諸君らは、変身を済ませたまえ」
と、アイシャは手を上げ、号令の準備を構えた。アイシャは余裕の表情である。デビアスの存在がある限り、アイシャはこの場で死ぬ可能性はない。
ヴェルザンディの三人が、煙に包まれた。
アフラ・バイゼナクの“爆走”は、鳥や魚を思わせる、流線形の霊骸鎧だった。両足の底に刃が着いていて、不安定な歩き方をする。
頭巾をかぶった小柄な少女、ファルーゼ・ガウトは、“泥棒”に変身した。変身しても、頭巾をかぶったままである。頭巾には、猫の耳を思わせる小さな突起物が二つあった。腰の部分に、猫の尻尾らしい飾りがぶら下がっている。
バニラ・ターキエの“刃の鎧”は全体的に黒く、紋様のように浮かび上がった白線が、女の曲線に沿っていた。両肩のそれぞれに、鋼鉄製の輪が光沢を放って、輪の半分だけ姿を現して浮き上がっている。
ボルテックスは、ヴェルザンディの霊骸鎧を観察していた。意を決したように、ジョニーとフリーダに向き直った。
「フリーダ、この中で、お前が一番足が速い。だから、先に行って、レバーを倒してこい。……いいな?」
と、ボルテックスはフリーダに指示を出した。優しく暖かい声であった。
フリーダは頷いて、犬型の霊骸鎧、“猟犬”となった。変身すると、吠える動作をする。だが、霊骸鎧なので、発声できない。
「リコ。おそらく、奴らは俺たちに、何かを妨害をしてくるだろう。俺は、お前を守る。俺とお前とでフリーダを守る。フリーダがスイッチを押せば、次の扉は開かれる。……目的は達成されるわけだ。三人が全員とも最終地点に辿り着く必要はないからな」
「嬉しいぞ、また俺を温存するというのか心配になったぞ」
ジョニーは笑って、印を組んだ。“影の騎士”に変身した。
「準備は良いかね……? では、始まりだ! 国家と理念のために、走るが良い!」
アイシャのよく分からない掛け声で、ヴェルザンディは走り出した。ジョニーたちも、追いかけるように走り出した。
3
橋の表面は、綺麗に削られていて、滑りやすい。ジョニーは足下がとられまいと、覚束ない姿勢で走った。欄干のない橋である。下手に転んでは、滑落する危険があった。
“光輝の鎧”となったボルテックスは、以外と足が速い。ジョニーは全力で走っているのに、“光輝の鎧”ボルテックスの背中が小さくなっていく。
(これも、霊骸鎧の性能差ってやつか……)
だが、敵はさらに速かった。
シグレナスで一位のフリーダですら、敵二人に差を付けられていたのだった。
先頭の“爆走”は、武器を一切もたず、走行に特化した霊骸鎧である。足裏の刃で地面を蹴りながら、進んでいた。刃で削れた岩から火花が散り、ますます“爆走”を加速させていった。
次に走るガウトの“泥棒”は小型の霊骸鎧で、身を屈めて猫耳と猫尻尾を丸めて、走っている。
“爆走”がいなくても、“泥棒”がいれば、ヴェルザンディが先に到達するだろう、とジョニーは思った。事実、犬のフリーダが差を付けられている。
(犬よりも猫が速いのか?)
だが、シグレナス、ヴェルザンディ、両陣営ともに、一人だけ走り出していない者がいた。
背筋を伸ばして、腕を組んでいる、両肩に鋼鉄の輪を宿した、“刃の鎧”であった。
「ターキエ、“円月輪”を犬の霊骸鎧に投げろ!」
と、アイシャは命令をした。犬の霊骸鎧……フリーダは橋の中心くらいの場所にたどり着いていた。
“刃の鎧”ターキエは、自分の肩から浮き上がっている、二つの“円月輪”をそれぞれの手で引き抜いた。
円形の刃を指でつまみ、左右それぞれ、連続で投げつけてきた。
(今回の冒険は、相手の妨害をしても良い)
と、ボルテックスの発言をジョニーは思い返した。
二つの“円月輪”が、まるで自分の意思を持っているかのように軌道を変えて、フリーダの背中を切り裂いた。ジョニーは、ゲインの黒い衝撃波に似ている、と感じた。
「おおっと、手が滑ってしまったようだね」
と、アイシャが態とらしい声を上げた。命令をした本人がとぼけているのである。
輪の刃、“円月輪”を二つ、まともに受けたフリーダは、緑色の煙を放出して、生身の姿を晒し、その場に倒れ込んだ。
ボルテックスがフリーダに駆け寄った。
抱き起こすが、返事はない。流血や外傷はなかった。
攻撃を耐えきれず、霊力をすべて失っただけだ。
だが、容赦なく“円月輪”が飛んでくる。ボルテックスの背中に突き刺さった。
“刃の鎧”が宙に飛び、今度はジョニーめがけて、“円月輪”を投げた。
ヴェルザンディの橋は、ジョニーたちのいる橋よりも高い位置にある。ジョニーやボルテックスの居場所が丸わかりだ。だから、固定砲台“刃の鎧”が、こちらの位置を把握させるために、アイシャはデビアスを置いてまで、優位な橋を先に選んだのだった。
ジョニーは、腰に下げていた鎖鉄球を引き抜いて、二つの軌道を打ち落とした。“円月輪”が金属音を鳴らして、奈落の底に飛び散っていった。
ジョニーは、背後から仲間たちに動揺がしていると気づいた。
振り向くと、味方の釣り天井が下がっていた。サイクリークスやクルトが身を歪め、肩や腕で釣り天井を支えている。
アイシャの高笑いが聞こえる。
「一つ伝え忘れていたよ。先頭が先に進めば進むほど、相手側の釣り天井が下がる仕組みなのだよ。つまり、僕たちの“爆走”や“泥棒”が、諸君らに差をつければつけるほど、諸君らの釣り天井は下がっていく」
“爆走”が先に進む。“泥棒”が“爆走”の出した火花をかき分けて、後を追う。ボルテックスは、生身のフリーダを抱きかかえて守っている。ボルテックスの背中めがけて、“刃の鎧”が“円月輪”を矢継ぎ早に投げまくっていた。
ジョニーは振り返って、仲間たちの様子を窺った。
味方の釣り天井が、先ほどよりも遙かに下がっている。仲間たちは片膝をつけて、両腕を上げていた。釣り天井と地面の差が、仲間たちにとって残りの生存時間なのだ。
(セレスティナ……!)
ジョニーは叫びたがったが、霊骸鎧は口が塞がっているので、声が出なかった。




