包囲殲滅陣
1
「ジョエル・リコ。お前は確かに強い。仲間の中でも、頭一つ抜けている。それはもう十分わかったよ。お前を出せば、どんな敵にでも勝てるだろう、いや、勝てる」
と、ボルテックスがジョニーの肩に手を乗せた。くすぐったい気持ちになった。ボルテックスのような不良に褒められたところで嬉しくもないが、気分は悪くない。
「ただ、お前の霊骸鎧は、ちょっと打たれ弱いよな。“影の騎士”は、俺たちが想像している以上に強くない。いや、誰かが指摘したように、最弱の部類に入るかもしれん。お前自体が強いから、なんとかなっている印象だな」
「余計なお世話だ」
ジョニーは、怒りを隠しつつ、苦笑した。褒めてもらった気分が帳消しになった。
だが、確かに“影の騎士”は強くない。他の霊骸鎧と比べて、力もなければ、打たれ強さもない。特殊能力に関しては、“気配を消す”程度だ。
“黄金爆拳”から、量産型と馬鹿にされていた。
ボルテックスが話を続けた。
「だから、お前を戦わせない。雑魚は俺たちが狩るから、お前はなるべく戦わないでいろ。だが、強い敵が出てきたら、リコ、お前の番だ。……お前を強敵にぶつけるために、お前をどれだけ温存できるかが、今回の冒険での鍵になるんだ。……なあに、お前がいつ戦うかは、俺が決める。その戦う時期が来たら、俺から合図するよ。合図は、こうだ」
ボルテックスは握り拳を作って、親指を天井に向けて突き立てた。そのまま手首をひねる。親指が床を向く。
「いいか、俺が合図をするまで、攻撃するんじゃねえぞ。たとえ俺たちが死にまくっていてもな。……じゃあ、行ってくる」
と、ボルテックスは言い残し、印を組んだ。
白い霊骸鎧、“光輝の鎧”となって、戦地に赴く。
“動く死体”の数体が、クルトを袋叩きにしていた。刀剣や槍の刃を受けて、クルトの霊骸鎧“鉄兜”が火花を散らしている。
“光輝の鎧”ボルテックスは、一体の横っ腹に跳び蹴りを食らわした。
吹き飛ばされた“動く死体”は、壁に打ち付けられ、粉々に砕け散った。
クルトの“鉄兜”から、黒い煙が沸き立った。煙とともに、鎧の破損した部分が元に戻っていた。クルトは、敵の攻撃を食らっても、自力で傷を治す能力を持っている。
隣では“四ツ目”モルアート・ダルテが長槍を振り回して、“動く死体”を怯ませていた。ボルテックスとクルトが加勢して、さらに、“動く死体”を遠ざけた。
突如、轟音とともに“動く死体”が連々と倒れた。頭部が消し飛んでいたり、胸に大きな穴が空いていたり、被害の状況は様々である。
周囲を見渡すと、サイクリークスが高所で拳銃を構えていた。ジョニーはサイクリークスが空中を飛んでいるのかと、一瞬だけ錯覚したが、サイクリークスは柱を背にしていた。
サイクリークスの霊骸鎧“蔦走り”は腕から、糸を放出する。糸は仲間や自分自身を持ち上げるほどの強度を持っていて、サイクリークスは自分自身の身体を柱に糸で巻き付けている。高い位置から、銃撃を繰り返している。
サイクリークスとセルトガイナーの連携は強力だった。
セルトガイナーの“火散”は連射が可能な拳銃である。それだけでも強いのに、手先が器用で、拳銃の命中精度が高いサイクリークスの能力が相まって、多数の“動く死体”を“動かない死体”に変貌させていった。
サイクリークスの反対側から、光線が、暗い地下室を横切った。
光線の発生源は、シズカの“サールーンの日輪弓”……サルンガであった。
シズカが弓を構えている。シズカの霊力に反応して、弓の周囲に光が集まった。光は、まるで太陽のような球体となって、膨らんでいく。
弓から解き放たれた矢は、光線を残して、敵をまとめて貫通し、蒸発させていく。
「“動く死体”の弱点は、太陽の力なのだな」
と、ジョニーは納得した。ボルテックスがアイシャに説明していた通りの状況が起こった。
ただ、サルンガは連射ができなかった。シズカは矢を構えて弓を引くまでは早いが、霊力を込めて光を集める作業については、時間がかかった。
“動く死体”が、シズカを狙って集まってくる。シズカを、もっとも危険な存在だと思っただろうか、ジョニーは“動く死体”に一定の判断力があると理解した。生前の記憶なのか、魔王の魔力ゆえなのか、それまではジョニーには分からなかった。
黒い霊力でできた波が、地面を這い、シズカの両脇を通り過ぎて、“動く死体”たちを巻き込んだ。“動く死体”たちの下半身が砕け散り、“動く死体”たちは、胴体だけで地面の上に直接すごす生活を余儀なくされた。だが、そんな新生活も虚しく、脳天を、ダルテに長槍で叩き潰されていった。
ダルテの役割は、射撃部隊がし損じた相手の始末も含まれていた。ダルテの霊骸鎧“四ツ目”は、眼球が多く、視界が広い。
シズカよりも背後に、“振動”ゲインが、長い腕を振り上げた。握った拳で床を打ち鳴らす。何度も床を殴りつけ、黒い衝撃波を連発していた。
地上を這う黒い衝撃波は、軌道を曲げて、敵を捉えていた。わずかだが、追跡能力がある。
地上からの攻撃は、避けづらい、とジョニーは思った。
槍や剣がぶつかり合い、矢が降ってくる戦闘中には、足下を意識できない。ゲインは簡単に“動く死体”足下を刈り取っていった。もっとも、“動く死体”に意識があるかどうかは不明だが。
両側面からの火力が交差して、“動く死体”たちは、砕け散り、砂埃となっていった。
もう一度、壁役を見る。
クルトは、何度攻撃を受けても、自分の傷を癒やし、また敵に立ち向かっている。
「奴は……クルトは、最強の壁役なのだな」
と、ジョニーは感心した。
クルトの“鉄兜”は自分の怪我を治せても、攻撃手段がない。せいぜい、最近習い始めた拳闘くらいである。性能的にはジョニーの“影の騎士”を上回っているとはいえ、クルトは単独で敵を倒す決定力はない。
だが、敵を足止めして、仲間に敵を攻撃してもらうという点では、最大限の力を発揮し、輝いていた。
クルトの隣で、ボルテックスの霊骸鎧“光輝の鎧”が暴れていた。
白い全身に青と赤の装飾がなされた霊骸鎧で、頭部には鍬形の角を持つ。仲間の中で最も壮麗で美しい外見をしていた。
外見とは裏腹に、ボルテックスの戦い方は力任せであった。“動く死体”の頭を掴んで、他の頭と鉢合わせにしたり、“動く死体”の股間を蹴り上げていたり、それこそ街の不良のように、無茶苦茶であった。
壁役の三人の中で、長槍使いのダルテがもっとも戦闘経験が豊富であった。だが、ダルテはボルテックスやクルトと同じく、敵を追い払う目的にのみ専念していた。射撃部隊の火力には敵わない、と知っているからだ、とジョニーは理解した。
壁役三人が奮闘していても、射撃部隊が殺戮を繰り返していても、“動く死体”の数は多かった。中には、ボルテックスたちの処理が追いつけず、壁役の隙間を突破する者が出てきた。
セレスティナの前に躍り出る。
剣と盾を構えて、慎重な動きで、距離を縮めていく。歩き方からして、生前は、腕の良い古強者だったに違いない、とジョニーは思った。
無力なセレスティナは自分の口に手を当てている。だが、隣のプリムがセレスティナの手を引いて、古強者の“動く死体”から距離をとった。
プリムは、“螺旋機動”に変身していた。変身しても、背は小さいままだった。胸の形を見てみたら、やはり大きいような気がする。
(ボルテックスから、攻撃の指示を受けていない。かまうものか……)
と、ジョニーは印を組んだ。
だが、ジョニーは自分の変身が無意味だとすぐに分かった。大きな影が、“動く死体”とセレスティナの間に乱入したのである。巨大な犬型の霊骸鎧、“猟犬”であった。
“猟犬”となったフリーダが、“動く死体”の足首に食らいつく。
普通の霊骸鎧と違って、“猟犬”は口が開閉する。口からは鋭い牙が光っていた。“猟犬”フリーダは、全身をひねり、“動く死体”の足首を食い千切った。
片足となって自由に動けない“動く死体”に、“無花果の騎士”フィクスが手にした手槍で、鋭い連続斬りを披露した。
壁役や射撃部隊が打ち漏らした敵を、フリーダとフィクスが二人がかりで倒していった。
「これが“包囲殲滅陣”なのか……」
流れ作業的に“動く死体”たちを殲滅していく様子を見て、ジョニーは、軽く感動した。
護衛対象であるセレスティナを守りながら、逃走経路を確保し、壁役が足止めをした敵を、射撃部隊が蹂躙し、打ち漏らした相手を、護衛部隊で掃討する。この間、最終秘密兵器のジョニーは一切消耗させない。
ボルテックスの命令は、単純だった。「前に進め」と、「待て」しかない。手の動きだけで表現している。霊骸鎧に変身すると、口が塞がれている。言葉による相互意思伝達ができない事情もあるが、命令が二つだけで十分だった。あとは、せいぜいジョニーの攻撃許可くらいである。
幾何学的に並んだ、霊骸鎧の陣形は、ボルテックスを頭脳とした、一個の巨大な生命体のようであった。
「こんな戦いもあるのか……」
ジョニーはボルテックスを以前とは別人のように思えてきた。
ジョニーは、これまで一人で戦っていた。一人で判断し、一人で攻守に奔走していた。正直、クルトとか足手まといであると思っていたふしがある。
強い霊骸鎧が一体いれば、戦いは、なんとかなると思っていた。
だが、“包囲殲滅陣”は違う。
クルトの“鉄兜”やゲインの“振動”、フリーダの“猟犬”といった、単独ではそれほど戦果を上げられない霊骸鎧であっても、明確な役割を与えて、他の霊骸鎧と弱点を補え合えば、何倍もの戦力に変身するのである。
前進と停止くらいしか命令がないので、独自の判断をいちいちしなくてもよい。
ボルテックスは、入念に戦いの準備をしてきた、とジョニーは感じた。仲間たちと連携の練習をしてきたのである。事前の打ち合わせがなければ、ここまで上手くいかないだろう。
(俺は、呼ばれていないぞ。……参加したかった)
呼ばれていないと気づいて、ジョニー少しさみしくなった。
2
振動音が聞こえる。
振動音は大きくなるたびに、何かが近づいてくる、とジョニーは感じた。
ボルテックスたちと“動く死体”が戦いを止めた。
後ろを振り返った“動く死体”たちが、広い空間から身を避け、空間を作った。巨大な影が、逃げ遅れた“動く死体”たちを踏み潰して、現れた。
足音の主は、巨大な“動く死体”であった。“動く死体”の数倍は大きい。体格に見合うほど、巨大な戦斧を肩に担いでいる。
巨大な“動く死体”の頭部を見ると、“動く死体”の腕や脚が樹木のように絡み合っていた。腕や脚の隙間から、“動く死体”の顔面がいくつも覗かせている。眼球のようにも見える。“動く死体”の顔面は、忙しなく蠢いていた。
左肩には、“動く死体”の頭部が埋め込まれている。虚ろな瞳が、ジョニーの視線を捉えて離さない。
“動く死体”の集合体である。
「あれも魔王の魔力なのだな。なかなか強そうな奴だぞ。……俺の番だな」
と、戦いを予測して、ジョニーは興奮した。
集合体が、戦斧を叩き下ろす。
クルトやダルテ、ボルテックスはそれぞれ違う方向に飛び退いた。
敵の動きは緩慢だが、床に敷き詰められた岩が舞い上がるほどの圧力があった。
連発した弾丸が、集合体の肩に命中した。だが、穴が開いたかと思ったが、弾丸は吸収されていった。黒い衝撃波が、集合体に脚に絡みつき、一部を吹き飛ばしたが、すぐに別の肉が傷を覆い隠した。
ボルテックスは、弓を引く真似をして、シズカに合図を送った。サルンガで矢を放て、と伝えている。
だが、シズカの様子がおかしい。首を振って、弓が引けない動きを見せている。ジョニーが凝視すると、サルンガの弦が切れている、と気づいた。
「ボルテックス、俺を使え。サルンガでは攻撃できない」
と、ジョニーが叫んだが、ボルテックスは、ジョニーに合図を送ってこなかった。
ボルテックスの霊骸鎧“光輝の鎧”が、輝いた。
“光輝の鎧”の能力、“体力増強”が発動された。ボルテックスの戦闘能力を倍増させる、と聞いている。
ボルテックスの動きが速くなった。光の粒子を残して、ボルテックスは、集合体の背後に回り込んだ。集合体が斧を振り回す。巻き添えになって宙に舞う“動く死体”の肉片から、ボルテックスは光とともに、斧の上を駆けだした。
集合体の腕から、肩に飛び乗り、首の後ろに絡みついて、ぶら下がった。
ボルテックスは万力のような腕で集合体の首を絞めた。
集合体は苦しみ、斧を捨てて、ボルテックスを蚊でも叩くかのように、平手打ちをした。
最初は殴られて動揺していたボルテックスであったが、さらに“光輝の鎧”を輝かせた。“光輝の鎧”を覆っている光の強さが、さらに増した。
輝きを増したボルテックスは、集合体に殴られても、平然としている。
「……ボルテックスの奴、さらに強くなったのか?」
集合体の無防備な胸に、サイクリークスは銃弾を浴びせかけた。
集合体が音を立てて、足下から崩れた。舞い上がった埃……元々は“動く死体”だった……の中から、ダルテが、足の甲に長槍を突き立てている様子が見えた。
もう片方の足には、ゲインが黒い衝撃波が連発している。
地面に叩きつけられても、ボルテックスが首をしつこく締め上げている。ボルテックスの横で、クルトは拳を振り上げ、集合体の顔面を殴っていた。
ボルテックスは自身の身体をねじった。集合体の首は、不気味で鈍い音を立てて、あらぬ方向に歪んだ。
集合体は動かなくなった。ボルテックスが無力になった首を足蹴にすると、集合体は土埃となり、巨大な灰に変わっていった。
ボルテックスは大股で灰の山に近づき、中に腕を突っ込んだ。
中身を探り当ててから、赤い石を取り出した。赤い石は透明で、歪な形をしている。
ボルテックスは地面に叩きつけた。赤い破片が粉々になって、床に散らばった。
周りにいた“動く死体”たちが、次々と埃になっていった。埃、というより灰に近い。
ボルテックスは黄色の煙を発して、元の姿に戻った。
手を払い、深呼吸をしている。仲間たちも変身を解き、元の姿に戻っていった。
「リコ。お前、怪我はないか?」
と、ボルテックスはジョニーに訊いた。不思議な質問に、ジョニーは首を傾げた。
「おかげさまで怪我はないぞ。……誰かのせいで、戦いに参加させてもらえなかったからな。貴様こそ、ずいぶん疲れているぞ? 貴様は貴様の心配をすべきだろう?」
と、皮肉で返した。ジョニーは、存在価値を否定された気分になっていた。自分から喧嘩をとったら、何も残らない。
「まさか、いきなり灰巨人が出てくるとは思わなかったからな。三倍を久しぶりにやっちまったぜ。しょうがないべ」
と、ボルテックスは太い首を鳴らした。わざとらしい、とジョニーは思った。
「三倍だと?」
「俺の特殊能力“体力増強”は、戦闘能力を二倍、三倍、と重ね掛けができる。その分、霊力の消耗が激しくなるがな。灰巨人の回り込んだときは、二倍の力を使って、締め上げたときは、三倍の力で仕留めた。四倍はやった試しがないが、危ないからやらねえ」
ボルテックスの説明に、ジョニーは羨ましく思った。ただでさえ“光輝の鎧”は高性能なのに、強力な能力によって、さらに強くなるのだ。ジョニーの“影の騎士”と比べて、恵まれすぎている。
「さっきの奴は、灰巨人と呼ぶのか? 灰巨人から出てきた赤い奴は、なんだったのだ?」
ジョニーは話題を変えた。床に散らばった、赤い破片を眺めた。
「赤い石は、不死核って呼ばれているんだ。原理は分からんが、“動く死体”の動力になっているらしい。そんで、不死核を破壊すれば、周りの“動く死体”は、動きを止める。でも、不死核は破壊しても自動修復するから、また“動く死体”は動き出すだろうな。ま、これでしばらくは出てこないだろう。……ところで、レディ・セレスティナ。お怪我はありませんか?」
と、ボルテックスはセレスティナに質問をした。
セレスティナが無事を伝える。緊張から解放された表情をしていて、特に外傷はない。ジョニーはセレスティナの横顔を見て、胸が洗われるような感覚になった。
ジョニーは、セレスティナがジョニーの視線を避けていると気づいた。セレスティナは、ジョニーを一切視界に入れず、仲間たちを見ていた。
「怪我はないか?」
ボルテックスは仲間たちの様子を見回った。広い背中に、頼もしさを感じる。
(いや、なぜ俺がボルテックスに頼もしいと思うのだ……?)
「クルト、ダルテが疲れているな。……フィクス。“癒やしの木”を育ててくれ。二人を回復したい」
と、ボルテックスはフィクスに命令した。穏やかな声で、以前のボルテックスとは別人のように、優しさが籠もっていた。
「ボルテックス。太陽光はなくても、私の木は育つ。だが、土が必要だ。土がなければ、根が育たないのだ。ここには、土がないので、無理だ」
と、フィクスは残念そうな表情で、踵の高い靴で石畳の床を軽く突っついた。
「なあに、ここの遺跡は土の中だ。先に進めば、土なんて見つかるだろう。……ダルテ、クルト、皆。回復は少し待ってほしい。フィクス。これからは、土のある場所が見つかったら、よろしく頼むぜ」
と、ボルテックスが頭をかいて指示をして、ジョニーを驚かせた。
ボルテックスが仲間たちを心配している。
自分が一番疲労しているのに、仲間たちの回復を優先している。
ボルテックスの性格は、本当に変わった。何が原因なのか、ジョニーにはまったく心当たりがない。
「いっぽぉん、にほぉん……、さぁあんほぉん……。うらめしやぁ」
井戸の底から鳴り響くような不気味な声が聞こえた。
全員の注目を集めた声の主は、シズカだった。
矢筒から矢を一本ずつ床に置いて、数を数えている。
「ボルテックスよ。ヴェルザンディの奴らめ、弓に細工をしたのじゃ」
シズカがサルンガを見せた。弦が真ん中で切れて、室内の風に揺られていた。
「稽古をしておっても、弦は切れなかった。ヴェルザンディの者どもに渡すまで、弦はまったくの無傷であったのに。あの子鬼どもめぇ。……この恨み、晴らさでおくべきかぁ」
と、シズカの表情が鬼のように怒り狂っていた。声は底冷えするような怒りで満ちている。
「裏でこんな陰湿な真似をしていたとはな。せこい奴らだ」
ジョニーは兵士たちが一生懸命、裏でサルンガの弦に仕掛けをしている様子を思う浮かべ、呆れた。
「“龍王”は天属性の飛行系だからな。とかげ女の弱点は飛び道具を恐れるだろう」
アイシャはサルンガを、強力で危険な存在だと思っている。アイシャにとって、サルンガは相性が悪すぎる。
ボルテックスがシズカから弓を受け取る。無残に切られた弦を眺めた。
「おいおい、茶の間に飾るくらいの家宝だぞ? 最悪な真似をしてくれるよな。おい、サイクリークス、修理できるか?」
ボルテックスがサイクリークスに弓を見せた。サイクリークスは前髪で隠れた目を光らせた。
「できますけど、弦が必要です。どこからか弦を調達する必要があります」
「周りには、“動く死体”どもが残した弓があるぞ? 弦だけを取り出せばいい」
「サルンガは長弓で、落ちている弓は、どれも短弓ばかりで、弦の長さが足りません。長弓が見つかれば、修理は可能となります」
「これからは長弓を探せ。……“動く死体”の中で、必ず持っている奴がいるはずだ」
と、ボルテックスはサイクリークスに指示を出して、足下の短弓を拾い上げた。“動く死体”の武器である。
「シズカちゃん。しばらくは、これで我慢してくれ。矢もなるべく拾って使おうな」
怒りを隠しきれないシズカに、ボルテックスは馴れ馴れしい呼び方をした。
「シズカちゃんとは、妾をそう呼ぶのは、おぬしくらいじゃのう」
と、シズカの表情が和らいだ。




