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龍王

        1

 街道から、黒くて急峻な山岳が見えてきた。黒い山岳は、曇り空に覆われていく。

 平坦な街道は、徐々に傾斜を持ち始め、いつの間にか急峻な山岳の一部になっていった。

 多い茂った木々から緑の色がなくなり、枯れ木だらけになった。煉瓦造りの道路は、途中から砂と石を積めた、ただの山道に変わり果て、文明を失っている。

 曇り空に集まった雨雲たちは、大気中の水分を自身の頬に集め、今にも雨として吐き出す準備をしていた。

 ジョニーは、セレスティナの後ろ姿を見た。

 セレスティナに話しかけたがったが、隣にボルテックスがいつもいて、邪魔だった。

 セレスティナは急な勾配の細道に、今にも折れそうな足取りで、つんのめりながら歩いている。セレスティナの靴は、素足に靴底を、指の隙間から紐でしばった構造をしていた。最低限の本数しかない紐には、小さな宝石が、複数埋め込まれている。山奥を行軍するには不向きであった。

 セレスティナは、時折、ボルテックスの太い腕に掴まって姿勢を正した。ボルテックスは心配した様子で、何度もセレスティナを支えている。ボルテックスは護衛の仕事をしているのであり、倒れてきた人間を助ける状況は、決して間違った話ではない。

 ジョニーとしては文句をつけるつもりはない。ただ、ボルテックスの意図が不明だが、ときどき、困難な歩行を続けているセレスティナの肩や腰に手を回している様子に、気分が悪くなった。

 二人は、頻繁に話をしている。

 ジョニーは耳を傍立てて聞いていたが、セレスティナとボルテックスの声は小さく、内緒話をしているかのようだ。

「“神金オリハルコン”……。皇帝陛下がご所望の品です」

と、ジョニーには聞き慣れない言葉が、セレスティナの小さな口からこぼれた。

「“神金”ですって? 物語や伝説の中でしか存在しないと思っていましたけど、“神金”が、地下遺跡にあるのですか? ご大層なものを見つけろ、とは、皇帝陛下は何をお考えでなんでしょうかねぇ?」

と、ボルテックスは巨体を揺らして驚いていた。

 ジョニーは“神金”がいかなる存在なのか知らない。帝の叡慮など想像すらできない。 ビジーがいれば、すぐに解説をしてくれるのだが、ビジーは同行していない。

 ジョニーは腹が立った。“神金”がどうとかは置いておいて、セレスティナが自分以外の誰かと、自分ではまったく知らない話をしているのである。

 さらに気分が悪いことに、ボルテックスとセレスティナは言葉を交わさずに、お互い見つめ合って何かをやりとりしている。

 怒りの炎が胸の中であふれかえっている中、一方では冷静になっている自分もいる。

(俺の恋人でもない女が、他の男と話をしているだけで、なぜ俺に怒る資格があるのか? 俺は、セレスティナに交友関係の邪魔をするほど偉いのか?)

と、ジョニーは自分が情けなくなった。

 ゲインが、口を開いて立ち止まった。顎のひげが、山風に冷たくさらされていても、藪睨みで空を見つめていた。腰巻き一枚という野蛮人風の出で立ちである。マントを羽織ったジョニーは、寒くないのかな、と思った。

「おい、あれは何だ……?」

と、ゲインが節くれ立った指で、空を指した。

 指さす先の空に、黒い影が浮かんでいた。

 巨大な両翼を広げて、薄暗い曇り空を横切っている。トカゲに似た、巨大な生き物、いや、霊骸鎧であった。普通の霊骸鎧と比べて、はるかに体積がある。

 飛行する霊骸鎧は、首を傾けて、ジョニーたちを見た。空中で大きく旋回し、こちらに向かってきた。

「隠れろ!」

と、ボルテックスが叫んだ。

 仲間たちが次々と山道から外れ、枯れ木の中に身を隠した。

 一人だけ、セレスティナが呆然としている。

 ジョニーは、セレスティナの腕をつかみ、山道の端まで引っ張った。セレスティナの嫌がる顔を想像したが、どうでもよかった。自分が嫌われても、セレスティナの護衛が最優先である。

 山道の端まで連れて来ると、ボルテックスが、山道から出てきて自らの巨体を挺して、セレスティナをかばった。クルトも、ボルテックスの後に続いて、セレスティナの前で壁となった。

 ジョニーは、セレスティナの手を握ったままだ。

 セレスティナは頬を紅くしていた。山のように逞しいボルテックスの胸を目の前にして、瞬きを繰り返している。

 耳を塞ぎたくなるような轟音が近づく。突風が土煙を巻き起こし、枯れ木は折れるほど、その身を揺らした。

 ボルテックスは“光輝の鎧(シャイニングアーマー)”に変身していた。黄色い煙を散らして、屋根のように、外壁のように、セレスティナをかばった。

 頭上に、有翼の霊骸鎧が迫った。地面に邪悪な影を示して通過していく。仲間たちの中で、誰かが叫んだ。だが、叫び声は、爆音によって、かき消されていった。

 ジョニーは手を握ったまま、セレスティナを伏せさせた。

 セレスティナが、嫌がらない。むしろ、手を握り返してくる。

 セレスティナの心臓が怯えきっている。怯えは恐怖に凍りつく鼓動となり、手から伝わってくる。セレスティナはたとえ帝の愛人であったとしても、巨大な存在の前で、なすすべのない無力な、たった一人の少女であった。

 ジョニーは目を閉じた。

(大丈夫だ、セレスティナ。何も怖くない。……俺が守る)

 ジョニーはヘソの奥に灯る黒い霊力を感じた。

 霊力は、暖かい。

 霊力が暖かく広がり、ジョニーの身体を満たしていく。つないだ手から、セレスティナに暖かさを送った。

 目を閉じているせいで、セレスティナの表情は見えないが、セレスティナの驚く顔が見えた。

 セレスティナは、もう怯えていない。

 自分が何に怯えていたのかでさえ、忘れたかのようだ。

 恐怖と、無力さは、しょせん、自分の作り出した幻影にすぎない……。

 ジョニーが目を開くと、“光輝の鎧”の隙間から、空の彼方に黒点となっていった巨大な霊骸鎧が、見えた。

 嵐が過ぎた翌朝のように、辺りは静まりかえっていた。犠牲となった枯れ木は、無残になぎ払われている。

「あれは……“龍王ドラゴン”。剣や槍が届かない高い位置から、強力な炎を吐く。炎の火力は、あらゆる金属を溶かす、ヴェルザンディでも最強格の霊骸鎧だ。まさか奴が来ているとは……」

と、フィクスが青ざめた。髪は乱れ、唇が震えている。

「俺の“鎖鉄球モーニングスター”で、どうにかなる相手ではないな」

 ジョニーは、自身の武器である鎖鉄球を見て笑った。重力に負けた棘付きの鉄球が、地面に向かって項垂れている。

 仲間たちは、暗い空気に包まれた。

(お前たちを、いつでも殺せる)

と、自分たちの想像を超える強敵が、声明を空中から叩きつけ、あざ笑っているかのように感じたからである。

 ジョニーはセレスティナを見ると、険しい表情を浮かべている。唇をかみしめて、怒りを押し殺しているように見えた。

 ジョニーはセレスティナの手を握ったままだ。

 殺気を感じて、ジョニーは手を離した。

“光輝の鎧”ボルテックスは、セレスティナの無事を確認し、変身を解除した。

 黄色い煙から、生身の姿を現す。

「お前ら、油断するなよ。……遠足は帰るまでが、遠足だからな」

と、意味不明の冗談を投げ、仲間たちを笑わせた。

 胸を張り、いつもの肩で風を切るかのような動きで、力強い一歩を踏みしめた。仲間たちが従いていく。仲間たちの表情は和やかになった。

 ボルテックスの自信に満ちあふれて、動じない態度が、仲間たちの不安を払拭ふっしょくしたのである。

 元気を取り戻したセレスティナはひな鳥のように、小走りで親鳥のボルテックスに従いていった。

 ジョニーは、歩を遅め、二人から距離を置いた。セレスティナを追いかける行為は、なんだか場違いな気がしてきた。

 セルトガイナーとサイクリークスに合流する。

「セレスティナは、ボルテックスを好きなのかもしれん」

と、ジョニーは分析した。セルトガイナーとサイクリークスが、同時に首を振った。

「それはないでしょう」

と、セルトガイナーが否定した。自分たちの親分だが、肩を持つ気持ちはない。

「奴は身体が大きく、金もある。女の扱いが上手く、フリーダといった愛人も多い。生まれは聞くところによると、高貴な出らしい。……俺とは格が違いすぎる」

「いくら女好きの会長でも、セレスティナは難しいですよ」

と、セルトガイナーが呆れた声を出した。ジョニーを面倒くさがっている。

「話があう仕事仲間って感じでしょう。会長もセレスティナも、お互いを恋人候補だとは考えていませんって」

 サイクリークスが分析する。サイクリークスの意見は独特だが、的確である。

 安心を取り戻したジョニーは、もう一度セレスティナを見た。

 ボルテックスが、恵まれた身体を揺らし歩いている隣で、セレスティナがボルテックスの横顔に、視線を送っていた。

        2

 山道が終わると、広場につながった。広場は、崖を背中にしていて、木材で粗く組まれた矢来やらいで覆われている。

 切り立った崖に向かって、奇妙な形をした天幕が集まるように配置されていた。

 シグレナスではお目にかかれない天幕であった。

 シグレナスの天幕は、四方向に杭を打ち、中心部に柱を立てて構成されている。杭や柱に布を固定すれば、天幕の外観は四角錐となる。

 だが、広場にある天幕の外観は、円柱形であった。頭頂部は、布のしわうずを巻いている。

 切り立った崖には、縦穴の洞穴があった。縦穴は巨大で、ジョニーの背丈よりも数倍もある。

 矢来と矢来の間に、木造の門があった。

 ボルテックスが先頭に、ジョニーたちが近づくと、異国の兵士たちが、武具を持って集まってきた。

「何者だ!?」

 二人の兵士が、互いの槍を十字に交差させて、門前でボルテックスの侵入を防いだ。

 兵士たちは二人とも肌が黒かった。黒い髭を生やしている中年の男と、と生やしていない若者である。

「シグレナスから、遺跡探索のお手伝いにやってきました~。これが入場許可書です。よろしくどうぞ~」

と、ボルテックスは、懐から木片を見せた。何か文字が書かれた、割賦かっぷであった。

 中年の兵士が怪訝けげんな顔つきで割賦を預かると、洞穴に引っ込んでいった。

 入場審査が行われている間、ヴェルザンディの兵士たちが集まってくる。

 ある者は侮蔑の表情を浮かべ、ある者は地面に唾を吐き、ある者は嘲笑した。

 クルトは黒い煙を立てて、にらみ返した。腹に煮えたぎった怒りを、視線から放出しているかのようであった。 セルトガイナーもサイクリークスも、フリーダも、クルトにならって冷たい視線を送っている。

 ダルテは胸を張り、隣のフィクスは口を真一文字で怒っているようなそうでないような、あまり迫力のない顔をしている。ゲインは歯をむき出しにして、野猿のような威嚇をしている。

 シズカは扇子で顔を隠し、ふくろうのような甲高い笑い声を小さく上げている。

 プリムは我関せずの態度で、空を見上げている。

 セレスティナは、俯いていた。ジョニーには強気な態度だが、見知らぬ人々の悪意に対しては弱くなる傾向にある。誰かからの悪意に対して、免疫がないのだ、とジョニーは感じ取った。

 セレスティナはしがみつくように、隣のボルテックスを見た。

 ボルテックスは、堂々としていた。揺るぎのない光を静かに放ち、媚びもせず、偉ぶりもしなかった。

 ボルテックスの態度が、ヴェルザンディの兵士や仲間たちを瞠目させた。

 ボルテックスを中心に、両者の怒りや侮蔑が薄まり、睨み合いは収まっていった。

「敵味方の争いを無くすとは、なんという指導力カリスマなのだ……? ボルテックスは、希代の英雄かもしれない」

と、ジョニーの隣でフィクスが驚いた。いつも驚いているな、とジョニーは思った。

「“光は稀少な霊力で、純粋な魂を持った者のみに宿る”……」

 ジョニーは、書物の一部を思い返した。ボルテックスの“光輝の鎧”は光の霊骸鎧である。光の霊力を持ったボルテックスは、もともと純粋な魂を持っていた……とジョニーの頭に仮説がよぎった。

「馬鹿な……」

と、ジョニーは頭を振った。これまでのボルテックスの所業を思い返すと、ボルテックスが純粋な魂の持ち主だとは思えなかった。

 ただ、ボルテックスの中で、何かの化学変化が起こっているとは、ジョニーは、なんとなく理解していた。子どもが生まれたり、カーマインを死に追いやったり、自分の生き方を見つめ直す機会は、これまでのボルテックスにあった。

 いや、もともとボルテックスの性格が、生来の性格が、人の上に立つ器なのかもしれない。そうでなければ、自警団の長にはなれない。

 年長らしき兵士が、洞穴から出てきた。

「失礼しました。ライトニング・ボルテックス様以下、シグレナス調査団の皆様、お待ちしておりました。お通りください」

 言葉遣いが丁寧で、それなりの身分だと、ジョニーは分かった。

 だが、ボルテックスが門の内側に足を踏み入れると、兵士たちに止められた。

「その前にですが、一度だけ、武器を預からせていただきます。どうぞ、こちらの籠にお入れください」

 ヴェルザンディの兵士が持ってきた籠を目の前にして、仲間たちから不満の声が上がった。「またか。お前らヴェルザンディの人間は、武器を持っていない相手としか話ができないのか?」

と、クルトが毒づいた。同意する声が聞こえた。

 ヴェルザンディの兵士たちが、気分を害した表情をしている中、年長の兵士も、困った顔をしている。

 ボルテックスは、自分の首や肩を鳴らした。

「まあいい。渡してやれ。俺たちは、強い。相手がどんな武器を持っていようと、俺たちは普通に話をしてやる」

 仲間たちは、渋々、武器をヴェルザンディの兵士たちに渡した。

「調査開始時にはお返しします。どうか、それまではご辛抱のほどを……」

と、年長の兵士が苦しげな声で、ヴェルザンディ風のお辞儀をした。

 ジョニーたちは、洞穴に通された。

 洞穴といっても、天井はなかった。まるで、頭の部分だけが割れた、卵の殻にいるような気分になった。

 床は、大理石が人工的に詰められ、入った向こう側には、山の景色が見える。

 向こう側に、人工的な段差があり、黒い玉座があった。

 黒い玉座には、黄色や赤の宝石が埋め込まれており、竜をあしらった意匠が施されている。 この空間は、巨大な謁見室だとジョニーは分かった。

 複数の男女が立っていた。背の高い者から低い者、肌が浅黒い者や、白い者がいた。

 主のいない玉座の前で、横一列に並び、全身から霊力を称えている。

 喧嘩でも始まるのか、とジョニーは内心喜んだ。遺跡調査だの小難しい話よりも、どこの誰だか知らない相手と殴り合っている状況が、ジョニーにとっては、好都合である。

 仲間たちはたじろいでいた。歓迎されていない圧力に加え、外にいる兵士たちと比べて、内部に秘めた高い戦闘能力を感じざるを得なかった。

 少数とはいえ、精鋭である。

 ジョニーは、喧嘩相手を見定めた。一番強そう奴……身体の大きい男が目に入った。短い茶色の髪は、伸びて顎髭までに合流している。隣で肌の浅黒い少女がいる。頭巾で顔を半分隠している。

 ジョニーが品定めをしていると、地鳴りが起きた。

 地面が揺れ、仲間たちはうめいた。

 ジョニーは、跳んだ。セレスティナの前に飛び込み、セレスティナをかばった。セレスティナが意外そうな顔をしている。完全に嫌われているかもしれない。だが、身体が勝手に反応する。ジョニーは、セレスティナの、いや自分の意思を確認する前に、セレスティナを守りたかった。

 空から強烈な風圧が吹き荒れた。

 地鳴りの発生源は、地面ではなかった。

 空からだった。

 巨大な霊骸鎧“龍王”が、羽ばたいて降りてくる。凶悪な形状をした後ろ足を、鷹がねずみを捕らえるかのように爪立てていた。

 ジョニーは、舌打ちをした。武器を取り上げられている。たとえ変身しても、戦いにはならない。

(ならば、せめてセレスティナだけでも避難させよう……)

 だが、ジョニーの考えは、杞憂に終わった。

 謁見室の上空で、白い煙に覆われた。

 煙の中から、少女が降り立った。ヴェルザンディの精鋭たちが、円陣を組んで少女を受け止めた。

 少女は、砂漠の国出身とは思えないほどの白い肌をしていた。

 踊りでも踊っているかのように、地面に一回転して着地した。

 細い身体に巻き付けられた衣類は、軽装の甲冑にも見える。

 白い少女は、ジョニーたちに背を向け、段差を上っていく。髪は白に近い銀髪で、後ろに複雑な形状で編み込まれている。全身から、白い印象を受けた。

 玉座に、はねるように座った。

 足を組み、顔を上げる。

 双眸は自信に満ちあふれ、まぶたには、薄い青色が塗られていた。

「ごきげんよう。シグレナスの同志諸君。……今日も、国家と理念のために戦っているかね?」

 透き通った第一声に、意味不明の挨拶である。ジョニーたちは返答に窮した。

「僕はヴェルザンディの王女、アイシャ・インドラ。同志諸君とともに、国家と理念のために戦える今日の日を、心持ちにしていたぞ? 遠慮しなくても構わない。僕を、アイシャと呼びたまえ。シグレナスの同志諸君!」


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[一言] 嫌われてもいいからセレスティナを守りたいと思って動くジョニーがほほえましく、かわいく思います。
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