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        1

 丘と野の隙間を縫うかのように、シグレナスの街道は続いていた。石畳の通路は、無数の馬車が残したわだちを刻み、大地の遙か向こうまで永遠と表現できるほど、長く続いている。

 街道は丘を越え、森をすり抜けて、ときには、頑丈な石造りの橋となって、川を横断していた。

 杭で打ち抜かれた看板が現れた。

「ここよりヴェルザンディ領……」

と、セルトガイナーが看板を読み上げた。

 シグレナスの街道は、代わり映えのない姿を続けている。他国といっても、関所もなく、人影もない。

 ジョニーは、ヴェルザンディの国境に足を踏み入れ、通過した。

 シグレナスで散々待たされた検問所を想像していたジョニーにとっては、誰かに咎められる事態もなく、拍子抜けをした。

 サイクリークスが、何もない空間を、わざとらしくまたいだ。まるで足下に何か障害物があるかのような動きである。

 セルトガイナーが、何かにつまづく仕草を見せた。路面には、躓く物質はない。

 サイクリークスとセルトガイナーが示し合わせたかのように笑っている。

「なんだ、なにがあるんだ……? おれには、なにもみえないぞ……?」

と、くせっ毛の少女プリムが、自分の髪を掻きむしって、街道を見渡した。

「おっと、場所に何かがつっかえたようだ」

と、馬車を駆るクルトが、演技をした。口元が笑っている。

 他の仲間たちが次々と国境越えをしている中、プリムは一人だけ立ち止まり、思案顔になっている。

 最後の一人になって、取り残されたプリムは、恐る恐る踏み入れた。

 何事も起きず、プリムは首をかしげた。

 セルトガイナーたちが笑った。プリムをからかっているのである。

 プリムはふくれっ面をして、悔しげに顔を赤くしていた。

 ジョニーは子どもじみた冗談に呆れ、関与しないと決めた。

 冗談よりも、クルトの駈る馬車が忌々しい。

 車内には、ボルテックスとセレスティナが同乗している。

 二人は、馬車の中で話をしている。ときどき、声が聞こえる。

 どのような内容かジョニーには知り得なかったが、おそらく仕事の打ち合わせであるとは分かった。ボルテックスがセレスティナに不埒な行いをしていない状況だとわかり、多少の救いがあるものの、二人が同じ空間に居合わせている状況を気が気でなかった。

 ジョニーたちは歩いた。シグレナスの街道とほぼ変わらない道を歩いていると、他国にいる自覚が中々出てこない。

 日が暮れる。

 一日中、歩き通しだった。今回の冒険は、ほとんど歩いてばかりのような気がしてきた。

 誰かが、喜びの声を上げる。

 遙か先に、灯の光が見える。いくつもの建物から漏れる明かりが、集合体となっている。

 高い低い建物が入り交じった、宿泊施設が街道を包み込むかのように敷設されていた。

 シグレナスの建物によく似ている石造りの建物もあれば、砂と藁で組まれた見慣れない建物もあった。

「シグレナスが過去に作った駅だな。ヴェルザンディの占領下になってから、ヴェルザンディの奴らが好き勝手に利用している」

と、“四ツ目(フォー・アイズ)”ダルテが、怒気が吹き出るほど渋い顔をしている。祖国を占領され、踏みにじられた怒りを噛み殺しているかのようにジョニーには感じた。

 ジョニーたちは毎晩、野営をせず、必ず宿泊所に泊まっていた。

 シグレナスの街道は、一定間隔に駅が敷設されている。旅人は、宿泊施設に泊まり、あるいは馬場から馬を借りる。多くの旅人は、男女の区別がない安宿で雑魚寝をした。金がない者、満室の宿にあぶれた者は、野宿をしなければならなかった。夜の駅は、周辺に天幕や毛布にくるまった者たちの姿が見られた。

 帝の愛人であるセレスティナを護衛するとなると、駅は最優先で、高級で快適な宿を用意してくれていた。

 クルトの駈る馬車が、低層の宿泊所に泊まった。

 ジョニーは今夜の宿を見上げた。

 重厚な石造りの外壁と、頑強な木材で組まれた門扉の前に、二人の奴隷が立っていた。

 シグレナスでよく見かける高級住宅を、ジョニーは想起した。シグレナスが建てた宿を、そのままヴェルザンディが流用しているのである。たしかに、シグレナスの人間からしてみれば、楽しい話題ではない。

 馬車からボルテックスが降りて、続いて、セレスティナが後を追う。

 セレスティナのはかなげな横顔を、ジョニーは目で自然と追った。

 門の前で、屈強な男の奴隷が二人も立っていた。一人は肌が黒く、もう一人は肌が白い。

 すでにお達しが来ているのか、ボルテックスの持っている割り札を見ると、肌の白い奴隷は門を押し開き、肌の黒い奴隷は、洗練された手つきで、ボルテックスとセレスティナを宿の内部に誘導した。

 中から灯火がこぼれる。セレスティナが振り返った。

 ジョニーと視線が合う。

 セレスティナの表情は冷たい。口を真一文字に結び、燃え上がるような目つきで睨みつけてくる。

 旅が始まってから、セレスティナとは一度も話をしていない。会話をしようにも、避けられている。いや、近寄るな、という霊力オーラを放出している。

 ボルテックスとセレスティナが宿に入ると、門は閉じられた。

 ジョニーたちお供が外で待っている中、黒い奴隷が、滑車のついた籠を運んできた。

「手前どもでは、武器類の持ち込みを禁じています。宿泊中は、お預かりさせていただきます」

 仲間たちはざわついた。他国の宿に、丸腰で泊まる状況は、危険すぎる。

 ジョニーは強引に突破しようか、相手の戦闘力を値踏みし始めた。

「渡してやれ。渡さない奴は、野宿だぞ~」

と、ボルテックスの間抜けな声が、宿の中から聞こえた。

 上司の命令は絶対なので、サイクリークスは、武器を籠に入れる。サイクリークスの武器は、細長い二本の棒を鎖でつなぎ止めた“二節棍フレイル”であった。

 サイクリークスが預けると、ダルテやフィクスが次々と槍や剣を籠に入れていく。ジョニーは自宅から持ってきた棍棒を籠に預けた。

 武器を持たないセルトガイナーやプリム、“振動トレマー”ゲインは、何喰わない顔をして通過した。セルトガイナー自身が武器の役割を果たしているので、宿側の人間が実態を知ったら、どんな対応をしてくるかジョニーには想像できなかった。

「セルトガイナーやゲインが宿に入ったら、武器の回収など無意味ではないか?」

と、ジョニーはサイクリークスに話しかけた。

「武器を預かるって、余計な騒ぎを起こさないでくれっていう、宿からの気持ちなのでは? 高級店ですし、いざこざは起こらないと思いますけど」

 サイクリークスが、冷静な分析を見せた。前髪で表情が見えず口数が少ないが、以外と大人のような思慮深い性格だとジョニーは見直した。

 シズカは最後に残っていた。

 ボルテックスから借りた“サールーンの日輪弓ボウ・オブ・サン”を惜しそうな表情で、籠の隙間に突き刺した。

        2

 宿の中に通される。

 異国の聞き慣れない曲調の音楽と、シグレナスでは嗅ぐ経験のないお香が漂っていた。

 一階は酒場で、異国風の装飾品に身を包んだ男たちが、床に座り込み、食事をしていた。床に敷いた毛布の上に、料理を盛られた皿が並んでいる。シグレナスでは見慣れない料理を手づかみにして、それぞれの口に運んでいた。シグレナスでは使われない言語で会話をしている。

 建物の外観や内装が、シグレナスの宿そのものなのに、ヴェルザンディの文化が浸水して溶け込んだ、独特の雰囲気があった。独特の雰囲気に、仲間たちは圧倒されていた。

 フリーダは、金と赤の髪を掻き分け耳を塞ぎ、不快そうな表情をした。野蛮人風のゲインは鼻を押さえ、吐くようなそぶりを見せた。

 セルトガイナーは動きを止め、緊張した表情をしている。

 クルトは三角形の眉をしかめて、眼光を鋭くしていた。

 サイクリークスは前髪が邪魔で表情が見えず、プリムは、他の客が旨そうに食べている異国の食事を不審げな顔で眺めていた。

 フィクスとダルテは、腰を屈めて、警戒体勢を取った。いつでも戦いができる準備をしている。素手なので、表情が不安で埋め尽くされていた。

 シズカは金色の扇を広げて、顔を隠している。

「ホッホッホッ」

と、笑い声を出していた。夜中の猛禽類を思い起こさせる響きであった。ジョニーは、シズカの故郷では、敵に対する警告音なのだ、と解釈した。

 ジョニーは、仲間たちと比べて、警戒しなかった。むしろ、懐かしい気がしてきた。絶え間なく流れている、笛や太鼓の音が、ジョニーの全身を脈動させた。刺激的な匂いをしているものの、空気と一体となったお香は吸い込むと、清涼感があった。シグレナスにいる以上に、無駄な緊張が解けていく感覚になった。

(俺は、やはりヴェルザンディの人間なのだな……)

 だが、過去の記憶がまったくない。ビジーの父親に拾われてから、今までの記憶しかない。幼少期の記憶は、断片的にしか残らない、とビジーが説明していたが、ジョニーには欠片かけらの一つもないのである。

(ヴェルザンディに行けば、記憶を辿れるかもしれん。……だが、面倒ではある。子ども時代の記憶など思い出して、なんになる……?)

 ジョニーは空想から身を置いて、現実を見据えた。

 酒場の二階は吹き抜けになっていて、二階に向かう階段の先に、個室がいくつかあった。

 セレスティナは小脇に書物と荷物を抱えて、階段を上がり、一部屋に入っていった。 

 ジョニーはセレスティナを追いかけ、階段を駆け上った。

 ボルテックスを含め、ジョニーたちお付きの者は、個室を与えられず、酒場のような開かれた区画で雑魚寝をしていた。腐っても高級宿であるので、個人的な空間距離は確保されていて、サレトス奪還作戦のときに泊まった安宿のような息苦しさはない。

 セレスティナの泊まる個室の前で、あぐらを掻いて座る。今回の冒険で、不寝番ねずのばんを日課にしていた。

 普段であれば棍棒を抱えているのだが、棍棒は預けている。

 自分の太ももに手を当て、目を閉じた。

 ヘソの奥側にある、黒い光に意識を集中させる。

 世界が暗転し、酒場の騒がしさが消え、人々が放出する熱気が遠ざかった。

 ヘソの奥側が、優しく煮立った牛乳鍋のように沸々と暖かくなった。眉間に穴が開き、暖かさが蒸気となって、世界に流れ出していく。

 ジョニーは、ただの光となった。

「そこで何をしている? 一緒に飲もう」

と、女の声が聞こえた。ジョニーは目を開くと、フィクスが酒の入った杯を、ジョニーに突き出していた。

 紅に染まった頬から吐き出された息が、酒気を帯びて、空中に消えていった。

 顔色が柔らかく、締まりがない。

「貴様、酔っているな」

「酒は良いぞ。……貴公も飲め。明日から本格的な仕事だ。ボルテックス会長から、見舞いの酒を振る舞われた。だから、飲め。それとも貴公、私の酒が飲めんのか?」

 ただの酔っ払いである。シグレナス帝国発足から続いていた名家、フィクス家の威厳は、飲酒後の息とともに消えていた。

護衛しごとがあるのだ。酔っ払っている場合ではないぞ。それに、俺は酒を飲めん。まだ十七歳だからな」

「貴公、まだ十七なのか? 以外と子どもなのだな。ガルグは八十歳と同じくらい熟練の戦士だと評価していたが……」

 言葉を詰まらせて、フィクスの表情にかげりが入り込んだ。知人の急死を思い返したから、とジョニーは分析した。

「あの健康で有名だったガルグが、なぜ死んだのだろう? 顔中から血が出るとは、どんな病気なのだろう?」

と、フィクスが目を伏せて、疑問を呈した。

「さあな。俺は医者でもないので、病気については良く分からん。目や口から血を吹き出す病気とは、初めて見た。……毒殺の可能性はないのか?」

「……ガルグは恨まれるような性格ではない。ただ、ヒルダが毒を盛ったのかもしれん。ガルグはヒルダに嫌われていた……。性格が違いすぎて、気が合うとは思えん」

と、フィクスは推理した。真剣な表情をしながらも、頬に赤色が帯びている。

 ジョニーは、ヒルダの奔放さを持て余したガルグの、困った表情を思い返した。ジョニーはジョニーで、ヒルダの顔を思い返し、腹が立ってきた。セレスティナに対して、いつも意地悪をしている。

 だが、フィクスの推理に、ジョニーは、無理だと感じた。ヒルダとガルグの関係は、ブレイク家に例えると、パルファンやマミラの関係に似ている。ビジーが、経済力に優れたパルファンやマミラを殺すはずがない。

「ガルグは、学者軍人と呼ばれるほど、ロンドガネス家では自慢の食客ディペンダントだ。殺しても、ヒルダにはなんの得もない。それに、ガルグは死ぬ直前まで、ヒルダと普通に会話をしていた。なにかの確執があったようには見えなかった」

「とすれば、ヒルダが犯人ではない。毒殺でも、病死でもないとしたら……」

「誰かに狙撃された……?」

と、ジョニーは、セイシュリアの王子カーマインを思い返した。ジョニー自身がカーマインの背後を狙撃したのである。

「ガルグは、遠隔攻撃をする霊骸鎧にやられたのかもしれん。だが、殺したい理由がよく分からん。しかも、よりによって、どうしてあの時期タイミングで殺したのか?」

と、ジョニーは推理した。殺人の動機と時期を無視した推理である。

 与えられた情報が少なすぎる。他殺説を採用すると、ますます混乱してきた。

「いや、待てよ……」

と、ジョニーは目を閉じて、世界を暗転させた。

 頭で考えても分からないのなら、瞑想状態で、答が分かるかもしれない。

 ジョニーが光そのものになると、時間は巻き戻された。

 ガルグが死ぬ直前の映像が見えてきた。

 ガルグの身体は透明で、身体の中心、胸になにか植物の芽が生えている。

 芽から茎が伸び、茎から葉が生えた。さらにつぼみが現れ、花が開いた。

 花は、死の花だった。開花すると、花弁は爆発物のように身体全体に飛び散り、血となった。

 ガルグの目や鼻や口を、血の噴流が突き破っていく。

 絶命するガルグが、地面に倒れ込んでいった。

 ジョニーは目を開いた。

「……どういう意味だ?」

 自分の見えた映像に戸惑った。

 ただの妄想かもしれない。

 だが、ただの妄想は自作できる。自分の意思通りに話が進んでいく。目を閉じて見えた映像は、自分の創意を無視して進行していた。

 目の前のフィクスが赤ら顔をして、ジョニーを見つめていた。

 フィクスが強引にジョニーの腕を引く。

「……ええい、分からない。今は分からない話を続けても、どうにもならん。面倒な話はナシにしよう。一緒に来い」

 抵抗しても無意味そうなので、ジョニーは素直に従った。

 一階に降りると、仲間たちが、板間の床に敷かれた地べたに座っていた。

 生地の薄い布を敷いて、酒や料理を囲っていた。

「リコさん、飲みましょうよ。いつも一人になっちゃうんだから」

と、セルトガイナーが盃を勧めてきた。

「まだ子どもだから、飲めないって」

と、フィクスが舌を出してジョニーの代弁をした。

「酒だと……」

と、隣の客が振り向いて、不穏な表情をした。布を頭に巻き付けた異国風の出で立ちをしている。

 同僚らしき男が、客の肩を小突いた。

「シグレナスの人間だよ。奴らは酒を飲む。……俺たちと違って、神に対する畏敬がない哀れな者たちなのだ。ゆるしてやれ」

と、なだめた。客は不満な表情を残して、自分たちの食事に戻った。

 クルトは、ゲインやダルテと酒を酌み交わし、談笑している。クルトでも酒が入ると、表情が緩む。大人の世界を垣間見たような気がして、ジョニーは新鮮な気持ちになった。

 セルトガイナーはフリーダに話しかけた。セルトガイナーは楽しそうにしているが、環境に慣れないフリーダは不快そうな表情で酒をすすっている。

 サイクリークスは、酒を片手に、短刀を操り、木材を削っている。細長い指の繊細な動きは、酒の巡りに負けていない。

 サイクリークスの隣で、プリムは自分の顔と同じくらいの大きさをした盃を一気にあおった。頬を膨らませて目を閉じ、音を鳴らして酒を飲み込んだ。

 目を閉じたまま、波に揺られているかのように、身体を右から左、左から右へと振るわせている。

「プリム、貴様は酒を飲んでもよいのか?」

 ジョニーが話しかけると、プリムは目を開き、ゲップをして応えた。

「ばかにするな。これでも、おれは、さけをのめるねんれいだ」

 目が据わっている。

 ジョニーにとって、以外だった。プリムが自分よりも年上なのである。飲みっぷりから、飲酒経験は長い。

 ボルテックスとシズカは、話をしている。シズカは酒の入った小さな盃を片手の上で回して飲んでいた。

 ジョニーの隣で、フィクスが酒をおかわりしている。柔らかな見た目に似合わず、酒が強い。

 フィクスとは、殺し合いをしていた関係であったのに、今では警戒心のない態度で酒を飲んでいる。

「それにしても、ボルテックス会長は、なかなかの人物だな。豪放磊落ごうほうらいらく、と呼ぶべきだな」

と、フィクスはボルテックスを眺めていた。焦点が合っていない。

「酔いすぎだぞ、フィクス。ボルテックスは無教養で粗暴で、女と金にだらしない男にすぎん。俺にはそうだとしか見えん」

と、ジョニーは、フィクスのボルテックス評に異論を挟んだ。自分の評価が通説だと確信している。

「ヴェルザンディの人間は、宗教上の理由で酒を飲まない。飲んで良い時期は、限られた祭りのときだけだ」

と、フィクスが説明した。酔っ払いは、すぐに酒の話題をしたがる。

「……ここは、ヴェルザンディの領地だ。祭りでもないのに、酒を飲むなど、ヴェルザンディの人間はどう思う? 喧嘩を売られていると感じるだろう? 敵地で敵の嫌がる行為をするとは、まったく恐れを知らない、豪快な人物だ」

 フィクスはボルテックスを見ていた。尊敬のまなざしを向けている。ジョニーはフィクスを珍獣のように見た。ボルテックスを褒める人間が、この世にいるとは信じがたい。

「豪快というより、ただの無神経な奴では?」

「見ろ、当のボルテックスは一滴も呑んでいない。ボルテックスは確信犯だ」

 ボルテックスはダルテとゲインに話しかけていた。ダルテがボルテックスに酒を勧めるが、ボルテックスは手を振って酒を断った。

 酒を飲まず、ダルテたちを笑わしている。

「飲まないから、どうなのだ?」

 フィクスは酒をすすり、話を続けた。

「ボルテックスは、常に周囲に気を配っている。自分がどう思われているか常に理解をして、何をすれば効果的かを把握している。酒を飲まずに、的確な判断力を維持しているのだ。緊急事態になったとき、いつでも対応できるために、な」

 褒めすぎ、とジョニーは思った。

 悪い男に騙されそう、と、徐々にフィクスが心配になってきた。

 ボルテックスの話題など興味がないジョニーは、皿に盛られた鶏のもも肉に手を着けた。甘酸っぱい味付けに、肉厚な歯ごたえから、鶏特有の脂が口に広がる。もも肉は人気だったらしく、ジョニーの一口が最後となった。

 焼いた米が盛られた皿を見つけた。米は、誰も手を着けていなかった。シグレナスでは、米は家畜の餌だと考えられているので、人気がない。

 ジョニーは未使用の皿を手にして、遠目にある焼いた米を凝視した。

「あ、取りたい? 私が代わりに取ってあげようか」

 フィクスがジョニーの皿に、米を盛り付けてくれた。

 ジョニーは匙で米を口に運ぶ。油で包まれた、米特有の粘り気が口の中ではじけて、とろけた甘みとなった。繰り返す匙を止められず、すぐに自分の皿から米がなくなった。

「美味しい? 美味しそうに食べるね」

と、フィクスが小さな玉が転がるような笑いをした。

 ジョニーが米を食べると、他の仲間たちも米に手を着けた。サイクリークスが好反応を示し、クルトは米の旨さに驚いていた。プリムは米に対して怪訝けげんな視線を送っていた。サイクリークスに勧められても、断った。

 音楽が止まった。

 楽士たちが、楽器から手を離した。酒場の客たちも黙った。客の視線は、階段に集まった。 階段から、髪を下ろしたセレスティナが降りてきた。

 青いドレスに身を包み、足音を立てずに酒場の床に足を着ける。

「……美しい」

と、ヴェルザンディの客が息を呑んだ。

「シグレナスの女性は、あれほど美しいのか?」

と、ざわめく声が聞こえた。客同士は、興奮した面持ちで、セレスティナの美貌を賞賛した。

 学士たちは、セレスティナに見とれて、仕事が再開できないでいる。

「こっちに来る! どうしよう?」

と、フィクスの後ろに座っていた中年の客が、勝手な想像を膨らませ、恐れおののいた。防衛本能が働いたのか、腕を伸ばす。

 フィクスは小さく悲鳴をあげて、客の腕を避けて、ジョニーの腕にしがみついた。

 フィクスの色々な箇所が、ジョニーの腕に巻き付いて、色々と柔らかい。フィクスの全体重が、ジョニーの片腕に深々とのしかかった。わざとだな、とジョニーはフィクスの酔っ払いぶりに苦笑した。

 一方でボルテックスは、セレスティナに席を勧めていた。

「レディ・セレスティナ。今夜は珍しいですね。普段はいつもお部屋にいるのに……。ささ、何かお飲みになられますか?」

と、ボルテックスが巨体を揺らして、給仕役を買って出た。

 だが、セレスティナは反応しなかった。

 ジョニーを睨みつけている。

 底冷えするような、どす黒い霊力オーラを放出し、酒場の雰囲気は凍りつかせた。

 ボルテックスは、肩を振るわせ、身をのけぞった。フィクスは、ジョニーから身を離した。 セレスティナがジョニーから視線を外すと、酒場は、元の騒がしさを取り戻した。

「ごめんなさい、ボルテックス。私はまだ、十七で、お酒は飲んではいけないの……」

と、セレスティナは控えめな態度で断った。ジョニーはセレスティナの儚げだが、どこか力強さを感じる声が好きだった。睨まれても、声が聞こえるだけで、幸せな気持ちになった。

「じゃあ、ソフトドリンクにしましょうね。……ウーロン茶、一丁!」

と、ボルテックスは、調理場に向かって、声を張り上げた。

 セレスティナは、ボルテックスを隣にして、話の輪に入っていった。

 ボルテックスはもちろん、セルトガイナーやダルテたちとも話をしている。セレスティナは、笑顔を見せた。

 ジョニーは、時折見せるセレスティナの笑顔に、心を暖かくしていたが、その一方で、急激に寂しくなってきた。

 自分だけ取り残されたような、いわゆる孤独感である。

(セレスティナは他の奴らと楽しげに話をしているのに、何故、俺はセレスティナと話ができなのだ?)

 話をするどころか、何もしていないのに、睨まれている。

「どうした?」

と、フィクスに背中を強打された。フィクスの攻撃を受けるほど、まったくの無防備であった。

「なんでもない……」

「なんでもない、どころか、今にも死にそうな顔をしているぞ? セイシュリアの連中を皆殺しにした貴公にしては、ずいぶん弱気で、珍しいな」

と、フィクスが心配する表情を見せた。皆殺しにはしていない。

 ジョニーは黙っていた。セレスティナに冷たくされると、生きる気力がなくなっていく。

(酒でも飲めれば、すべてを忘れるのに……)

と、ジョニーはフィクスが片手にしている酒を見た。

「……別の話をしよう。貴公は“炎の棒(ファイヤー・ワンド)”を投げ飛ばしていたが、背後にいる敵の動きを、どうやって見ぬいたのだ?」

 フィクスは話題を変えた。フィクスは、ジョニーの心情を理解している。

 ジョニーは、自分の内部情報が、いつフィクスに漏洩したのか驚いた。

「瞑想をした。瞑想をすれば、“炎の棒(ファイヤー・ワンド)”の動きが手に取るように分かった」

「瞑想だと? 瞑想などして、どんな意味があるのだ?」

「“星幽界”に行ける」

「“星幽界”? 話には聞いた記憶があるが、そんな話は、噂話だろう。行って戻ってきた者はいない」

「いいや、いる」

「どこに?」

と、フィクスが不思議がった。

「ここに、いる」

と、ジョニーは自分を指さした。

「……どういう意味だ? 貴公は、“星幽界”に行って戻ってきたのか?」

「瞑想状態、つまり、俺たちがヘソの奥側に眠っている霊力に意識を集中させた結果、世界が暗転する。……その暗転した世界が、“星幽界”だ」

「なんだと? 意味が分からん」

「フィクス。貴様も霊骸鎧に変身するとき、ヘソの奥側に意識を集中するよな? “潜在開放オーラドライブ”したとき、霊骸鎧が現れる。この一連の動作は、すべて“星幽界”から霊骸鎧を召喚しているのだ」

「貴公の話は、まるで分からん。私には難しすぎる」

「瞑想も、霊骸鎧も、霊力操作オーラコントロールという点では、根源は同じだ。俺が“炎の棒”の動きを見切ったが、あれは、過去の霊骸鎧が持っていた能力だと思っている」

「まるで話し方が学者ガルグのようだな。貴公は、どんな本を読んで、そんな話を知ったのだ?」

「本を読んでいて、思っただけだ。あくまでも俺の推測にすぎない。だが、もしも俺の推測が間違っていなければ、どんな霊骸鎧にでもなれそうな気がする。自分以外の霊骸鎧に変身できるかもな。できなくても、能力だけは再現できるかもしれん」

「すごい……。理屈は分からんが、他の霊骸鎧と同じ能力を持てば、まさしく最強だぞ?」

と、フィクスは手を合わせて驚いた。

「貴公は、戦いの天才だけではなくて、学者ガルグと匹敵するほどの頭脳の持ち主なのだな? すごい、格好いい……!」

 フィクスは宝物でも見つけたかのように、はしゃいだ。周囲の客から、注目を集めた。

「やめろ、皆が見ている」

と、子どもをあやすようにジョニーは声を大きくした。

「うるさいです。静かにしてください!」

と、セレスティナが斬りつけるような声を出した。瞳は怒りに満ちあふれている。

 ジョニーもフィクスも下を向いて黙った。ジョニーたちが黙ると、セレスティナはボルテックスたちとの会話を続けた。

        3

 消灯の時間になった。

 酒場は旅人にとって、食事の場所であり、寝床でもある。皿をどけて、脚を投げ出し、寝息を立てている。これまでの騒がしさは嘘のように、夜が更けていった。

 ジョニーは、セレスティナの個室の前で、座っていた。

 持参した棍棒を、宿の預かり籠から、黙って奪い返した。武器は必要である。

 棍棒を脇に置き、胡座をかいて、瞑想の体勢に入った。

 ジョニーの全身から、黒い霊力を放出した。睡眠を取らなくても、身体の疲れが癒えていく。

 足音が聞こえる。

 ジョニーは瞑想状態が解除された。目を開いても、暗闇で前がよく見えない。

 階段がきしむ音がする。何者かが、階段を上ってくる。

 一人、二人……。

 二人の人物が階段を上り終えると、ジョニーに向かってきた。

 いや、狙いはジョニーではなく、セレスティナだ。

 ジョニーは、もう一度、瞑想状態に入った。

 透明の人間が、忍び足で迫ってくる。霊力を見たが、二人とも霊力がなかった。二人とも、霊骸鎧に変身できない。

 ジョニーは暗闇の中を立ち上がり、わざと扉の位置から身を外した。二人を通過させた。

 先頭が扉に手をつかんだ瞬間、ジョニーは顔面目がけて、棍棒を振り切った。

 一人が倒れる。だが、ジョニーは犠牲者を支えた。音を鳴らしては、セレスティナの安眠を妨げる結果になるからだ。ゆっくりと、地面に転がす。

 ジョニーは逃げるもう一人の背中を殴打した。叫び声を上げる前に、手で口を押さえた。

「貴様ら、ヴェルザンディの差し金か? それとも、ロンドガネスの手の者か?」

「違う。違うんだ……。お連れのお嬢さんが、あまりに綺麗だったもんで、ついご挨拶をしようと……」

「こんな夜更けに、女の部屋まで挨拶をしに来るとは、なかなか不届きな奴らだな」

と、ジョニーは苦笑した。あまり大騒ぎをしていると、セレスティナが目覚める。破廉恥な輩を突き出してやってもよいが、いちいちこんな輩と付き合うほど、暇な旅でもない。何事も起きなかった、という話にしてやれば、お互いのためになる。

「……行け。警告しておくが、俺の仲間は、俺ほど優しくないぞ。ひどい目にあわされたくなかったら、さっさと自分の寝床に戻って、朝一番で宿から逃げるんだな。ケガを怪しまれたら、夜風に当たって転倒したとでも説明しておけ」

 男たちは小さく悲鳴をあげて、逃げ出した。朝まで寝床で震えている状況を想像したら、ジョニーは笑みを浮かべた。

 ジョニーはもう一度、瞑想を始めた。

(扉の向こう側に、セレスティナがいる)

 ジョニーにとって、これ以上のない幸せだった。

 背後の扉が少しだけ開いた。

 セレスティナが異変に気づいたのだ。

 ジョニーは扉の動きに合わせて、扉の影に隠れた。

 セレスティナが、しばらく外を確認すると、また扉が閉まった。

(……俺は気づかれていない)

 セレスティナに警護をしていると気づかれたら、また怒られるかもしれない。

 ジョニーは、セレスティナの怒り顔が可愛い、と想像しながら、瞑想の体勢に戻っていった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ジョニーとセレスティナが実は17歳ということに驚きました。 今まで、もっと大人の年齢のイメージで読んでいました。
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