墓石
1
黒い水の中を進む。
背景のない、ただ、世界は黒く塗りつぶされていた。
水中橋のおかげで、後ろを振り向かなくても、背後を確認できた。ピンクの丘を背後に、貝殻頭たちが水面を前にして、佇んでいる。
貝殻頭たちは、追ってこない。
カレンは、今いる場所を海水だと理解した。
遙か向こうに、光が見える。光の正体は、カレンには分からない。
敵が焚き火をしているのだろうか? なにかの罠なのだろうか? カレンは疑問と不安に悩んだが、進むと決意した。
レミィの声が聞こえる。
(あの霊骸鎧は一体、なんなんだい?)
レミィの顔は包帯に巻かれていて、視線は分からない。だが、カレンには分かった。レミィは水中橋の姿を観察している。
「水中橋のことかい? 僕の貝殻頭、いや君たちの言う霊骸鎧だよ」
カレンは気分良く説明した。レミィたちと違って、霊骸鎧に変身できない分、自分が無力な存在だと感じていた。だが、水中橋の存在が、自信をつけさせてくれるような気がした。
(でも、君の霊骸鎧は、君の身体から外にあるよね? 霊骸鎧は普通、身体の周囲に身にまとうものなのだけど)
レミィが驚いている。何故、驚いているのか、カレンには理解できない。
「皆さん、すごいよね。霊骸鎧に変身できちゃうんだから。僕は変身できない。外に出すのは簡単だけど」
(いや、君みたいに外に出す人は初めて見た。ガルグですらできないよ。水中橋だっけ? どこで見つけてきたんだい?)
「……家の近くで拾った」
カレンは、説明を省略した。自分でも、わかりにくいと思った。
(霊骸鎧って、拾うものなの?)
「拾ってしまったものは、仕方がないだろう? じゃあ、どこで見つけるんだい?」
カレンの問いに、レミィは一瞬黙った。カレンは、余計な質問をしてしまった、と心配したが、レミィは穏やかに答えた。
(心の中だよ……)
以前のカレンであれば、そんな馬鹿な、と思うところである。だが、水中橋を呼び出す段階で、心の中にひも付いているものとカレンにとっては、どこか納得できた。
「心の中ねぇ。僕にもあるかな?」
(あるよ。みんなが、それぞれの霊骸鎧を持っている。ガルグの受け売りだけどね)
ガルグ、と聞いてカレンは、言葉を思い返した。
ナスティの後ろ姿が見えてくる。
ナスティは無事だろうか?
意識朦朧としていたが、あのまま貝殻頭たちに何か悪いことをされていないか心配になった。
「ねえ、レミィ。女の子が霊骸鎧になるのは不利なのかなぁ?」
(ナスティのことを言っているのかい? 性別は関係ないと思うな)
「ガルグに、ナスティを支えてやってほしい、なんて言われたよ」
連れてくるべきではなかった、とも言っていた。
(仕方ないよ。これまで戦ってきた敵が強すぎたんだ。ナスティもかなり強いけど、ガルグやインドラと比べちゃ可哀想だよね)
レミィが応える。カレンは、レミィの包帯姿を見て生じた疑問を口に出した。
「レミィって、女の子?」
(違うよ。男だよ。……取れちゃったけどね)
「何が取れたの?」
(男の子のシンボルだよ。取れたところ、見る?)
「見たくない!」
カレンは、自分の顔が熱くなった、と感じた。
レミィはいたずらっ子のように笑っている。
2
光に近づく。
光は、黒い島の上で輝いていた。
カレンは水中橋と協力して、レミィとともに上陸した。
たくさんの白い岩が、無造作に並んでいる。岩は長方形で、どこかで見た記憶がある。
光を目指して、歩いていく。「シグレナスの皇帝だから」と、カレンは先頭を歩いた。ミンティス、水中橋と続く。
カレンは、岩には注意を払わなかった。ただ夢遊病者のように、光を目指した。
レミィも水中橋も、カレンに従いて来れない。二人を置き去りに、カレンだけ小走りに、光に向かった。
光は、女性だった。母親と同じくらいの年齢の貴婦人で、穏やかな笑みを浮かべている。ゆっくりと、手招きをしている。
カレンが目の前にたどり着くと、光輝く女性は手を伸ばした。
カレンも、手を伸ばし、女性の手に重ねた。
光は巨大化して、カレンを包み込んだ。
白い光は、突風になった。風の強さに驚きながらも、そよ風のような心地よさを感じた。
光の中で、カレンは裸だった。内部から、余計なものがすべて消し飛んでいく状態を感じた。
カレンは、いつの間にか目を閉じていた。目を開くと、光は消滅していた。
世界は闇に包まれたかと周囲を見回したが、光源は残っていた。
(岩が光っている……?)
岩は、光を微弱ながらも、発していた。通過している間には、岩の光に気づかなかった。
(いや、もともと岩は光を発していたんだ。僕はそれを見落としていた。僕自身に、光を感じ取る能力が身についたのだ)
肉眼で光を感じ取れないものが、この世界には存在する。それが、この岩が放つ光だったのだ。
カレンは誰からも教わっていない。だが、もともと持っていた知識を思い出すかのように、理解できた。
貝殻頭の姿は見えないが、現在地も安全ではない。早く逃げなければいけない。
分かっているものの、カレンは好奇心に負け、岩に近づいた。
六つの穴、穴と穴をつなぐ線。聞き慣れぬ言葉が、二つ並んでいる。
シグレナスの跡地で見た記憶がある。水中橋と伝説に出会った、あのベッド岩だった。
(ようやく追いついた)
背後から、レミィが呟く。
(どんどん先に行っちゃうんだもの。ここって、まるで、ジョナァスティップ……)
カレンにとっては、聞き慣れない言葉を言う。レミィの発言が気になるが、カレンはベッド岩に興味をひかれた。近くにあったベッド岩の前にしゃがんだ。
カレンはベッド岩に刻まれた穴と線を指でなぞり、霊骸鎧の名前を呼んだ。
「蛇姫」
六つの光が現れた。光の線を一点に向かって放射し、女の姿を思わせる造形の霊骸鎧を形作った。下半身を見ると、蛇の下半身であった。
「……ベルザ・ダイバ・ラニア」
蛇姫に続く言葉を呼ぶ。蛇姫の両目が光り、蛇姫が動き出した。
「……そうか、この謎の言葉は霊骸鎧の変身者の名前だったんだ」
“癒し手”レミィ・ミンティスであれば、“癒し手”が霊骸鎧の名前を表し、レミィは本人の名前である。とすれば、“水中橋”の本名は、スコルト・ハイエイタスとなる。
蛇の半身を持つ蛇姫を眺めた。蛇姫は、どんな能力を持っているのだろうか?
カレンは目を閉じると、ベッド岩が立ち並ぶ、島の様子が見えた。
カレンの位置から見える情景とは、微妙に違う。
蛇姫の視点を通して、カレンは理解した。
ここは、墓地だ。
ベッド岩は、霊骸鎧の墓石だった。
カレンは目を開く。目の前で蛇姫が佇んでいる。
「……手持ちの霊骸鎧を増やしてしまえばいい」
蛇姫と水中橋だけでは頼りないが、霊骸鎧の人数を増やせば、有利に運べるかもしれない。
カレンは墓石の前に座り込んだ。
「“棘肩”リゼクト・ハーケン」
両肩に複数の棘が生えた霊骸鎧が現れた。
肩にウニが乗っているようだ、とカレンは思った。
棘肩は両手にそれぞれ、棍棒を二刀流で持っている。“電磁棍棒”という。電磁棍棒の先端にも棘が無数に生えていた。
カレンは、ウニだと思った。
ウニのような棘肩が、頼もしく感じた。
ナスティが変身する、スカートのついた霊骸鎧を思い返した。棘肩も同じく、戦いが得意なのだろう。
数を増やせば、貝殻頭を撃退できるかもしれない。
次の墓を、指で撫でる。
「 “堅牢城”……リカルド・セプテリオン!」
何も起きない。頭が痛い。
(一度に出せる人数は、三人までらしい)
水中橋、蛇姫、棘肩の姿を見た。
一度に出せる限界はあるが、霊骸鎧には、夜空に輝く星のように、それぞれ個性と役割がある。
「霊骸鎧の出し方を覚えておこう!」
隣の墓石に刻まれた、穴と穴をつなげる線を指でなぞる。
墓から目をそらし、空中に向かって書き出し、もう一度、墓を見て、答え合わせをした。
霊骸鎧、変身者の名前を覚え、空中に向かって唱えた。墓にもう一度目をやって、答え合わせをする。
むさぼるように、カレンは次から次へと暗記をしていった。
(カレン……!)
レミィの叫び声が聞こえる。レミィから、自分が狂っていると思われているかもしれない。それでもカレンは、霊骸鎧の呼び出し方を暗記し続けた。
カレンの隣で、音がした。
誰かが、背中を天に向けて倒れている。背中には、無数の矢が突き刺さっていた。
霊骸鎧“水中橋”であった。
島の岸を見ると、一隻の船が、墓石の光に照らされていた。船上には貝殻頭が、弓をつがえていた。槍や斧を手に、船から下りて、島に上陸してきた。こちらに向かってくる。
「水中橋……?」
カレンの足下では、水中橋が青い煙を立てて、消えていった。