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読書

        1

 ジョニーは、暗い闇の中を彷徨っていた。

 最初は、地下道だった。黒い壁から、無機質な冷たさを感じた。途中から、夜の川辺になった。丸石や草木が生え、黒い川が流れている。不思議と足の裏に感覚がない。

 ジョニーの意思とは関係なく、景色が移り変わっていく。ジョニーは自分が夢を見ている、と分かった。

 闇の一部が、長方形に開いた。中から、光が差す。

 光の中から、セレスティナが現れた。

(セレスティナ!)

 ジョニーの全身が喜びで溢れた。

 胸が高鳴る。 

「触らないで……」

 セレスティナが軽蔑したかのような視線を投げかける。ジョニーから顔を背けると、表情がなく、まるで職人が彫った像であるかのような乳白色になっていった。セレスティナは象牙の像となった。

 セレスティナの像にヒビが入る。ジョニーは慌てて、処置をしようとしたが、身体が動かない。どうして夢だと無力化するのか、ジョニーには分からなかったが、セレスティナは粉々に砕け散って、破片となり、塵となった。

 ジョニーの視界が揺れた。いや、世界が揺れた。暗い闇が、赤や黄色が波打つ空間となって、歪んでいく。

 聞きなれない音楽が聞こえる。悲鳴のような声で誰かが歌っていて、声は男でも女でもない。どちらとでも解釈できる。いや、これは人間の発する声ではない。

(意識だ。何者かが、俺に伝言メッセージを伝えようとしている)

 理由は分からないが、分かった。

 だが、誰が送っているのか、ジョニーは思案できなかった。

 ジョニーは頭の中で、血流が激しく打ち鳴り続けていると感じた。頭が重く、足下が崩れ去った。立ち上がろうとするが、力が入らない。身体中が、燃え上がるように熱い。

「触らないで……」

 セレスティナの冷たい声が聞こえる。セレスティナの顔は見えないが、声だけは聞こえる。 ジョニーは身悶えした。地面に伏せたくなった。だが、身体が思うように動かない。

「触らないで……」

 言葉が繰り返される。世界は不規則に歪み、ジョニーの背中や頭を打つ血流のリズムは激しく打つのに、セレスティナの言葉だけは、明確に聞こえる。

「兄貴……! 兄貴……!」

 ビジーの呼ぶ声が聞こえた。

 ジョニーは目を開くと、ビジーが心配そうに顔を覗き込んでいた。パルファンがビジーの隣にいた。二人とも心配そうな顔をしている。

 ブレイク家の屋敷だった。

「どうしたの? 兄貴? 悪い夢でも見ていたのかい? すごい汗だよ……。夢でうなされていたんだ。昨日、帰ってきてから様子が変だったけど、よほど怖い目に逢ったんだね。兄貴がこんなに弱っているの、初めて見た。兄貴でも敵わない人と喧嘩したの? 外傷ケガはないようだけど……」

 ジョニーは、汗だくだった。頭の動きが熱で鈍くなっている。唾を飲み込むと、喉が痛んだ。

 パルファンが、たらいを持ってきた。布を絞り、ジョニーの額にのせる。

「おいら、今から図書館に行こうと思ったけど、今日は家にいるよ。このままだと、兄貴が心配だ」

と、ビジーは椅子に座り直した。足を組み、思案顔になった。

(図書館……セレスティナ……)

 図書館と聞いて、セレスティナを思い返した。図書館の隣で、青空教室をしているセレスティナの細い腕が思い浮かぶ。

「俺も図書館に行く。……ビジー、支度しろ」

 と、ジョニーはパルファンが作ったお絞りを頭から振り払い、上体を起こした。背中が痛い。

 図書館に行けば、セレスティナに会える……気がする。

「そんな身体で? 無理したら、駄目だよ。熱があるんだから、今日は寝てなさい」

と、ビジーは、いつもとは珍しくご主人様のような態度で諭した。ビジーはジョニーの体調を気遣っているときは、ご主人様になる。

「知ったことか」

 目眩めまいをしながら、ジョニーは寝台から脚を投げ出し、立ち上がった。

「行くぞ、ビジー。俺は絶対に行かねばならんのだ。……死んでもかまわん」

 足腰に力が入らないが、見得を切った以上、最後までやり遂げる必要がある。

「凄い決意だね。そんなに読みたい本があるの? ……わかった。でも、まあ行けるだけ行ってみて、駄目なら引き返そうね」

 ビジーは戸惑いながらも、立ち上がるジョニーに肩を貸した。

 ジョニーは壁を伝いながら、歩き出す。

「重症だ……」

 ビジーの感想を無視して、ジョニーは図書館に向かった。

(セレスティナ……)

 ジョニーは熱病患者のように、足を引きずった。

        2

 図書館の中は、薄暗かった。

 高い位置に複数の窓が設置されていて、開いた窓から、陽の光が薄暗い空間に差し込んでいた。

 白い光に包まれて、セレスティナが本を選んでいた。

 ジョニーは、自分の中で、滝が流れていく感覚に陥った。悪い病魔が流されていく。

 セレスティナはジョニーの視線を感じ取り、振り向いた。驚いた顔をしている。顔を合わせると、いつも驚いた顔をしているな、とジョニーは思った。

(顔見知りなのだから、挨拶だけでもしておくか)

と、ジョニーは、考えた。

 ……セレスティナに話しかける。

 命がけの登山に挑む難解さを感じた。だが、ジョニーの胸は希望に脈打っている。これまでは頭痛は不愉快だったが、胸の動悸は心地が良い。

 だが、セレスティナの表情は、冷たく強ばっていった。言葉を使わないまでも、ジョニーを拒否している。山登りどころか、侵入者を阻む氷壁が立ち塞がっているかのようであった。(どう挨拶すれば良いのだろう?)

 ジョニーは迷った。

 ジョニーは、自分の髪と眉を手で触れた。今朝起きてから、一切、手入れをしていない。

 セレスティナは、毛虫のような嫌悪動物に出くわしたかのように不快な顔をしている。

(セレスティナが俺を拒否する理由は、髪と眉が整っていないからか?)

 いつもの冷静なジョニーと違って、どうでもよい分析をしている。

(踏み込め。踏み込まなければ、何も始まらない。相手を殴りたければ、自分が殴られる位置まで近づかなくてはならない)

 ジョニーは意を決して、一歩近づいた。得意の喧嘩理論である。

 だが、セレスティナは身体を揺らして一歩後ずさった。肉食動物の攻撃範囲から距離を取る小動物のようだ。

(そんなに俺を嫌いなのか?)

 ジョニーは、うつむいた。自分の胸に十字の傷でもいれられたように、胸が苦しい。

 殴られようと、殺されかけようと、身体を傷つく状況に何度も出会ったが、これほど苦しい状況はなかった。

 挨拶を諦め、ジョニーは、セレスティナから身体を反らした。

 セレスティナはジョニーから視線を外し、渋い表情で本棚に置かれた巻物に指をかけた。

 完全に狩人と獲物の関係であり、恋人の関係とは、ほど遠い。

 頭の熱が、ぶり返してきた。喉の痛みは、前よりも和らいだとはいえ、まだ残っている。

「あれあれ、急に元気になったね?」

と、巻物を小脇に抱えたビジーが、後ろから話しかけてきた。

「おや、セレスティナだ……。さては、兄貴……」

 ビジーは、セレスティナを見て微笑んだ。ビジーは、回復の理由を悟ったのである。ジョニーは焦った。焦りを隠すため、ジョニーは咳払いをした。

 ビジーが我に返った。

「おいら、論文の題材を探しているんだけど、なかなか良い本が見つからなくてね……兄貴は、どんな本を探しているんだい?」

「本をガルグに紹介してもらった。自分では選べないからな」

 ガルグにもらった書き付けを取り出す。ビジーは眉間に皺を寄せて、書き付けに目を通した。

「どれも面白そうな本だね。一緒に本を探してあげる。兄貴のためなら、頑張って探すよ。兄貴が本に対して関心が出てきたなんて、嬉しいなあ。兄貴と共通の趣味ができたみたい……。瞑想の本なんて、どこにあるのだろう?」

 興奮した面持ちで、興味を示している。ビジーの本好きに、ジョニーは苦笑いをした。

 本を探す。

 ビジーが図書館を歩き回っている一方、ジョニーはセレスティナを見ていた。この際、本などどうでも良かった。

 相変わらず、セレスティナの周囲に近づけなかった。

 本を探しているふりをして、本棚の隙間から、セレスティナを見ていた。

 セレスティナは巻物を抱え、吟味している。

 図書館は吹き抜けになっていて、一階部分には巻物が並び、二階は背表紙のある本が並んでいた。

 シグレナスの書籍は巻物と、背表紙のある本が取り扱われていた。

 シグレナスでは、巻物が多く普及しており、役所の公式文書は必ず巻物で発行される。

 ビジーは、巻物を嫌っていた。

「巻物なんて、時代遅れだよ。読みづらくて、なんの利点もない。読みやすい本が、これから一般的になるだろうね」

 ビジーの不満を思い返しながらも、ジョニーはセレスティナを観察した。

 セレスティナは、細長い指を優しい動きで巻物をなぞった。ジョニーは、セレスティナの動きに書物や知識に対する敬意を感じた。

 セレスティナの姿勢は伸びて、長いクリーム色の金髪を複雑に編み込み、真剣な表情をしている。美しく整えられた眉から、ジョニーは男と女の眉毛の整え方の違いを知った。細いうなじに、ジョニーは目を奪われた。

 たとえ薄暗くて、埃が舞う場所であっても、セレスティナは、差し込む太陽よりも眩しかった。

 セレスティナは、巻物を抱え、本棚から離れた。

 本棚とは別に、丸机が並んでいる空間があった。利用者たちが思い思いに自分たちが選んだ本を読んでいる。

 セレスティナが、一席に座る。

 本や巻物を広げ、仕事に取り掛かった。

 ジョニーは適当な巻物を抱えて、セレスティナが見える机に陣取った。

 セレスティナが一字一句、書物の内容を読んでいる。睫毛を伏せたセレスティナの顔に、ジョニーは息を呑んだ。

(なんて美しいのだろう……)

 セレスティナの前では、朝の体調不良など、世界の果てに飛んでいった。

「お待たせぇ」

 ビジーが本を二冊ずつ持ってきた。巻物ではなく、背表紙のある本であった。巻物嫌いぶりが、出ている。

「“霊力基礎講座”と“世界瞑想”……。もう一冊は見つからなかった。とりあえず、これだけでも読んでみたら?」

 ジョニーはビジーが持ってきた書物に興味がなかった。机の上になにか物体があるくらいしか認識していない。 

「セレスティナが気になるのかい? おいらが話しかけに行こうか?」

 ビジーが提案した。いたずらを思いついた子どもがするような笑顔を残して、席から離れる。

(是非お願いします)

と、ジョニーは言葉には出さなかったものの、ビジーを応援した。

 ビジーがセレスティナに声を掛ける。

 館内は、私語厳禁である。ビジーの声は小さく、聞こえない。

 ビジーがジョニーを指さして、セレスティナと何かを話している。

 セレスティナの視線が来たので、ジョニーは本に視線を移した。書物に読みふけっているふりをした。

 ジョニーは“世界瞑想”を紐解いた。

(俺は、瞑想に興味がある。決して、セレスティナに会いに来たくて、図書館に来たのではない……)

と、ジョニーは心の中で自己弁護した。誰にも分からないが、ジョニーの内部で解決していれば、それで良いのである。

 ジョニーは奴隷だが、最低限の字を読める。ビジーと一緒に基礎的な勉強はしたつもりだ。奴隷が主人の子どもと一緒に勉強させる状況は、シグレナスでは珍しくない。

 ジョニーは字に指を当て、文章を読み始めた。

『瞑想を始める前に、霊力についての理解を深めなければならない。

 霊力とは、世界の万物を構成する。

 霊力は、光、天、火、水、地、闇の六つに分類される。

 正六角形の法則性をもって、相互に関係する。火は地を焼き、火は水に消される。

 霊力の本質は、伝達である。

 飲み水に例えれば、杯に注がれた水は、人間に飲まれて意味が完成する。杯に留まっているだけでは、何の価値もないのである。

 伝達には始点と終点がある。“星幽門アストラルゲート”を始点とし、行者の身体を終点としている。“星幽界”から送り込まれた情報を、行者は自身の肉体、すなわち現世に表出させるのだ。

“星幽門”は“星幽界アストラルワールド”の出入り口に他ならない。“星幽界”と現世のつなぎ役を、行者が負う。

 行者は、瞑想を経て、自身の肉体を捨て去る。魂となって“星幽界”に行き、また、現世に還ってくる。

 瞑想とは、霊力の伝達を自由に行うためにある。』

 ジョニーはページを閉じた。

「分からん」

 言葉は読めるが、言葉の意味が分からない。

 最初の出だし数行を読んだだけで、眠たくなった。

 一頁も進んでいない。本は分厚く、残りをめくって、読了時間を予想したが、終わりそうにもない。

 ビジーは、どうしているだろうか?

 ジョニーがセレスティナの机に目を向けると、ビジーは働いていた。セレスティナと一緒に、巻物に目を通している。

 ジョニーは本との格闘をしながら、セレスティナを見ていた。

 気づけば、差し込む太陽が赤く染まり、図書館の管理者が閉館の時間を告げた。

 ビジーがセレスティナに別れを告げ、ジョニーと帰途に着いた。セレスティナはビジーに頭を下げたものの、最初から存在していなかったかのようにジョニーを無視した。

「何をやっていた?」

 ジョニーは内心傷つきながら、ビジーに探りを入れた。

「セレスティナのお手伝いだよ。……セレスティナは、ガレリオス遺跡について研究をしていた。遺跡の構造から、過去の歴史から遡って、あらゆる内容を頭に叩き込んでいたよ。セレスティナは本を読むのが滅茶苦茶早いね。理解力が凄いというか、情報の整理が上手なんだよな」

 セレスティナは、冒険の準備をしている。ジョニーはセレスティナが、ただの愛人でないと分かった。

 いや、違う。

 セレスティナの前任者であるヒルダが、皇帝の秘書だった、と説明されていた。皇帝の愛人を務めるには、外見だけではなく頭脳までも要求されるのだと、ジョニーは理解した。

 ビジーは両腕を広げ、伸びをした。

「今日は論文の題材を探しに来たんだけどなぁ。ヴェルザンディに提出する奴。セレスティナの仕事を手伝い終えたら、おいら、自分の題材を集めるよ。でも、どうしよう。何を書けばいいか分からない」

「好きな話題を題材にすればいい。……ビジー。貴様の好きな分野は、なんだ?」

と、ジョニーはガルグの受け売りを、ビジーに伝えた。

「歴史……かな」

 ビジーが、何かを閃いた。

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[一言] セレスティナがジョニーに冷たい理由が気になります。 ただのツンデレ?
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