舞台装置
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気分を悪くする描写が含まれています。
1
カーマインの処刑日は、奇しくも、ポーリーの葬儀と同じ日に行われた。
ジョニーはエレナを連れて、処刑場に向かった。
いつも隣にいる、ビジーの姿はない。
ビジーは、パルファンたちと一緒に、葬儀の準備に出かけている。葬儀は、夜に行われる予定であった。雑用が苦手なジョニーだけが、エレナに付き添うと決まった。
カーマインの処刑に関しては、もはや止めようがなかった。ビジーの主張するとおり、対策が遅すぎたのである。
「死罪ありきの裁判だったな」
と、ジョニーは呟いた。結論が先に決まっていたかのように思えた。
エレナは姿勢を正して、ジョニーに従いてくる。付き人を一人も連れていない。
ジョニー以上の護衛はおらず、多人数だと目立つからだ。自分の夫が死ぬ様子に立ち会うとは、エレナの態度は気丈であった。
都市シグレナスの中心には、“皇帝の丘”と呼ばれる巨大な丘がある。帝がおわす城があり、城から見下ろす一角に、傾斜の急な崖があった。“舞台装置”と呼ばれている。
外部からの視線から逃れるかのように、巨大な木や岩で取り囲まれていた。
ジョニーは、見物客に紛れて、下から崖……“舞台装置”を眺めていた。
崖の上には、二つの黒い人影が見えた。カーマインと、トリダールである。
「何をする気だ……?」
と、ジョニーは疑問に口にした。
責任者らしき年配の男が、崖の上めがけて、手を挙げて合図を送った。
男たちが、黒い影の一つを突き飛ばした。
足場を失った黒い影は、トリダールだった。
目を見開いて落ちてきた。絶叫もせず、ただ自分の死のみを受け入れていた。残酷な運命の前では、絶望するしかなかったのである。
はじけ飛ぶような激突音がした。
見物客たちは、力の抜けた、驚きの声を上げた。
「ひどすぎる……」
と、エレナは涙を浮かべ、口をおさえた。
トリダールの片足は損壊し、肉と骨が見えていた。鼻や口から血を吹き出して、絶命していた。
即死である。
次は、カーマインの番だった。
エレナが、泣き声に近い悲鳴を上げたと同時に、男たちは、カーマインを突き落とした。
カーマインは空虚な表情をしていた。いや、すでに死んでいるかのようにジョニーには見えた。途中で崖に引っかかったが、一回転して、地面に叩きつけられた。
カーマインの腕はあらぬ方向に折れ、腹からは内臓が見えた。
観客たちは息を呑み、後ずさった。
エレナが手で自分の顔を隠している。
巨大な十字架が、二つ用意されていた。
男たちは、カーマインとトリダールの遺体を、巨大な十字架にそれぞれ横たえた。
男の一人が、手にした石鎚で、太い釘を穿った。釘はトリダールを肉や骨かまわず貫く。
石鎚が振り下ろされるたびに、トリダールの残った側のつま先は、生きているかのように激しくはねた。トリダールは木製の十字架と一体化したのである。
ジョニーの隣で、隣国セイシュリアの王女エレナが、震えている。顔を背け、手で視界を隠している。
ジョニーは、自分の顔にまとわりつく不快な音を、手で払った。執拗にジョニーの顔を狙うので、捕まえると、羽虫だった。
どこからともなく、新鮮な肉の死臭に引き寄せられていたのだろう。ジョニーは握りつぶして、地面に投げ捨てた。
最後にトリダールの独立した片足を十字架に打ち付け終わると、男たちはカーマインに群がった。
カーマインは内臓が出ていたので、トリダールよりも扱いが難しく、手間がかかった。
石鎚が、カーマインに振り下ろされる。
ジョニーの隣で、何かが草木に倒れ込む音がした。
「エレナ……!」
と、名を呼ぶが、返事はない。エレナの顔面は青白く変色している。
ジョニーは、エレナを抱き起こしたが、反応がない。
失神している。
釘が打たれ終わると、男たちが縄を引いた。
カーマインとトリダールを磔にした十字架が、それぞれ起き上がった。
カーマイン、トリダールも、力がなく、頭を垂れ下げていた。
トリダールの損壊した片足から、血が飛び散った。カーマインの状況はもっとひどかった。内臓が垂れ下がっている。
凄惨な様子に、観客たちは静まりかえっていた。
トリダールの遺族らしき女や子どもたちが、トリダールに近づくが、槍を持った男たちに阻まれた。遺族たちは涙を流して、なにかを訴えているが、阻止された。
(見せしめのためか……。“舞台装置”か。名前の由来が分かった)
と、ジョニーはエレナを抱きかかえて、処刑場を離れた。
“舞台装置”の出入り口は、草の生えた天然の坂に、石を積んでできた階段であった。
階段を上り終えると、広場にたどり着いた。石畳でできた人々の往来となっている。広場の先に、帝の城が見える。
広場の中央に、噴水があった。
布を絞って、エレナの額に乗せた。
悪い夢でも見ているのかと思うほど、唸っている。
「どうする……? “戻りし者”まで戻るか? それとも医者に向かうか?」
と、ジョニーは自問自答した。エレナの付き人に引き渡す必要がある。
「問題ありません、ジョエル・リコ。一人で立って歩けます。……参りましょう」
と、エレナが、ジョニーの布きれを手で払った。
エレナは、草食動物のような細い身体で立ち上がり、歩き出す。
だが、すぐに崩れ落ちた。地面に蹲り、小さい両肩を揺らしている。
嘔吐く音が聞こえた。エレナが顔を上げると、紫色の唇から、細い糸のような吐瀉物を垂れていた。
腫れぼったい瞳は血走り、悲しみの涙が浮かんでいた。
「このまま、祖国に帰ります。もう、こんな恐ろしい国にいたくありません……」
と、エレナは自分の瞳と口を拭った。そこには王女としての威厳も品格もなかった。愛する夫を無残な見世物にされた、哀れな女がいるだけであった。
「それはそうと……」
と、エレナは話題を変えた。日常生活に戻ったような、平然とした表情になった。
「カーマインは、セイシュリアに送り返されるのでしょうか……? もしも夫が死んでいたら、夫を弔わなくては……。盛大な葬儀を執り行いましょう」
と、エレナは切れ切れに言葉を送った。
現実を直視できず、錯乱している。
磔の刑になって見せしめの対象となったカーマインが、祖国に送り返されるとは、ジョニーには思えなかった。
ジョニーの背後を見て、エレナの表情が、強ばった。精神的に追い詰められると、感情が二転三転するらしい、とジョニーは分析した。
ジョニーはエレナの視線を追い、振り返ると、覆面の男が立っていた。
「ボルテックス……!」
ボルテックスは、普段とは違い、不遜な態度はなかった。ボルテックスの巨体から罪悪感のような感情が滲み出ていた。
エレナの表情が驚きから、怒りに変わっていった。
「このケダモノ!」
歯をむき出しにして、肉食動物のように喚た。一国の王女とは思えない言動である。
「……よくも、私の夫を殺してくれたな?」
と、エレナが怒りに震える声を出した。本当に同一人物なのか、ジョニーはエレナを一度、確認した。
エレナの態度に、ボルテックスは動揺していた。
「待てよ、落ち着いてくれ。レディ・ドリュー。俺は殺していない。裁判のとき、俺が助けに行ってやったのは、見ていただろう? 俺だってカーマインを死なせたくはなかったんだよ。あれから、川に投げ飛ばされて、死にかけていたんだ。大変だったんだよ」
と、ボルテックスは、激しい手振り身振りで弁解した。
「ちがう、お前のせいだ! お前がカーマインと戦わなければ、勝たなければ、処刑にはならなかった。カーマインは死なずに済んだ」
と、エレナは骨が浮かび上がった小さな拳で、石畳を叩いた。エレナの白い手は、自身の血で滲んだ。ジョニーは、エレナの論理展開に従いてこれない。
「ジョエル・リコ」
と、エレナは王女然とした態度で、ジョニーの通称を呼んだ。
「この男を殺しなさい。ライトニング・ボルテックスを殺しなさい。我が夫、アレックス・エイル・カーマインよりも惨たらしい処刑方法で殺しなさい! 夫の敵を取るのです」
「俺に殺せ、だと? ……どういう話の展開だ?」
ジョニーは理不尽な命令に、混乱した。ここでボルテックスを殺してしまえば、ただの殺人犯である。それに、そもそもセイシュリアの臣下でも、なんでもない。
ボルテックスは、慌てている。
「俺が勝ったから、カーマインは死んだのか? 勝った負けたなんて、じゃあ、俺が負ければ良かったのか? だったら、カーマインがシグレナスに来なければ良かった話だろう?」
「うるさい! 黙って聞いておれば、ごちゃごちゃと言い訳ばかり。男らしくもない、その態度、恥ずかしくないのですか!」
と、エレナは怒り、ボルテックスを大声で詰った。先ほどから、通行人たちが、エレナの顔を見て、過ぎ去って行く。
いつものシグレナス市民は、野次馬根性が強く、事件が起これば、集まってくる。往来の多い広場であれば、なおさらだ。
だが、今日のエレナは、髪と髪の隙間から、怒りと悲しみに満ちた瞳を燃やして、石畳に爪を食い込ませている。
野次馬に、近づいては危険だと察知させるほどの迫力があった。
「今日、俺は、カーマインを助けようとしたんだ。間に合わなかったけどな……」
と、ボルテックスは躊躇った口調で、縄を懐から取り出した。
縄一本でどうやって助けるのか、ジョニーには分からなかったが、ボルテックスなりの努力は感じ取った。
エレナはますます怒りだした。
「絶対に許さない。この恥知らずのろくでなし! 無知で無教養で、自分の利益しか考えない、この守銭奴め! 美辞麗句で自分を着飾る自己陶酔者のくせに、自分の思い通りでなければ気が済まない、幼稚な、幼稚な男! 金のためなら、弱い者を踏みにじるくせに、自分が不利と分かれば、弱者のふりをする卑怯者! 私は、お前を許さない。この暴虐、一生、呪ってやる」
と、エレナはまくし立てた。よくも次から次へと罵詈雑言を連打できるな、とジョニーは驚いた。
「なんで俺だけが悪いんだよ? 俺だけを責めないでくれ」
と、ボルテックスは、大げさな手振りで、石畳に地団駄を踏んだ。声の半分は、泣き声が混ざっていた。
「出でよ、我が霊骸鎧……“憤怒の女神”……!」
エレナは煙を出して、霊骸鎧に変身した。
“憤怒の女神”は、血で全身を染めているかのように赤かった。黒い眼窩は空洞で、後頭部から、複数の赤い管が、生えていた。
“憤怒の女神”は、ボルテックスを指さした。後頭部の赤い管すべてが、風に煽られたかのように、上に舞い上がった。
ボルテックスの頭上に、竜巻のような煙が、巻き起こった。
「やめろ……!」
手で払っても、渦巻く煙は消えない。頭を押さえて、蹲った。食いしばった歯から、苦しみに悶えていた。
エレナは、黒い煙を立てて、人間の姿に戻った。
「ライトニング・ボルテックス。お前に呪いをかけた。お前は、いや、お前の子ども、孫に至るまで、無残に殺されるだろう。ただ殺されるのではない。お前や子どもたちが愛する者に殺されるのだ。愛する者の刃に殺される、呪われた運命に、怯えて生きるが良い」
と、エレナは吐き捨てた。汗ばむボルテックスに一瞥もくれず、歩き出した。ジョニーに目をくれず、狂気に満ちた笑い声をあげ、避ける通行人の間を通っていった。
2
ポーリーの葬儀は、夜であった。
「そりゃあ、エレナも怒るよ。……シグレナスは、やりすぎたんだ」
と、ビジーはジョニーの報告について感想を述べた。他人事とはいえ、関与している話なので、頭が痛そうに片目をつぶっている。
「皇帝陛下は、どうしたいんだろうね……。このままだと、セイシュリアとの戦争になっちゃうよ」
ビジーは煉瓦に囲まれた燃える炎を眺めていた。暗い寺院の敷地内で、熱に煽られた木材が静かに破裂している。
プティは、夜空を見上げていた。
サラが泣いている。赤ん坊のサラには、葬儀の意味は分からない。だが、悲しい雰囲気に反応しているのである。ビジーの母親が、泣くサラをあやしていた。
マミラが、パルファンの胸に頭を埋めて、すすり泣いている。パルファンが、マミラの頭をなでて、慰めていた。
「おいらたちで、ポーリーさんの遺志を継ぐんだ。そのためには、お店を一生懸命頑張ろうね……」
と、ビジーは、マミラに声をかけた。マミラが泣きながらも、頷いている。
ビジーの様子が、いつもと違う。
店を頑張る、とは、土地と建物を自分たちの所有にする、という意味である。ジョニーには、どこかビジーから罪悪感のような雰囲気を感じ取った。
(ビジーは、マミラを慰めているかのようで、実は自分を正当化させようとしているのだ)
と、ジョニーは思った。
突如、笛が鳴った。
寺院の神官が、男たちを引き連れて建物から現れた。男たちは棺桶を引いている。
棺桶の後ろには、黒い頭巾をかぶった集団が、笛を鳴らしている。悲しみを含みながらも、どこか楽しげな響きが聞こえる。
男たちはジョニーたち参列者の前に、棺桶を置いた。
棺桶にポーリーの亡骸があった。亡骸には、小さな包みがあった。
小さな包みの中に、“忌み子”と呼ばれた赤子が眠っているのである。
ビジーたちは花やポーリーの遺品を棺桶に入れた。マミラは、自分が焼いたパンを忍ばせた。
ポーリーが眠っている棺桶は、燃えさかる煉瓦の上に置かれた。
炎が、新たな燃料を見つけたとばかり、ポーリーの棺桶に乗り移った。最初は難儀したが、すぐに自分たちの占領下に治めた。炎はポーリーを焼き、煙となって、夜空に向かって浄化していった。
すすり泣く声が聞こえる。
(一国の王族が、見せしめで処刑されている一方、一般市民の死が悔やまれている。……皮肉な話だな)
と、ジョニーは肩を落とした。
火葬の途中で、音楽に合わせて、道化が現れた。
燃え盛る棺桶の前で踊り始めた。
時折、転んだり、躓いたりして、笑いを誘った。
おどけた動きから、鋭い空中一回転を披露して、プティたちを驚かせもした。
「シグレナスのお葬式は、楽しくする習わしだ。死んだ人を頼ませてあげないとね」
と、ビジーは笑った。笑顔の中から、疲れを感じる。
葬儀は終わった。
ポーリーの遺灰は、寺院に埋葬される。
ジョニーたちは、家路に就いた。
「あの、明日も仕込みをしますから、家には帰らないで、お店に泊まります……」
と、マミラがパン屋“戻りし者”の前に立ち止まった。マミラの唇が震えている。
「じゃあ、僕も泊まろうかな……。お店の仕事が溜まっているし」
と、プティが提案した。マミラの表情が曇った。
「そうだね。移動時間がもったいないね」
ビジーが同意する。
マミラが困った顔をしている。
マミラがどうしたいか理解できなかったが、マミラの視線で、ジョニーは壁際にいる人物に気づいた。
鋭い眼光をした、クルトである。クルトは、マミラをまっすぐに見ていた。
マミラは、ビジーたちとクルトを交互に見ている。
「プティ、帰るぞ。暗い話が続いているからな。たまには、明るい話も悪くないだろう」
と、ジョニーはプティの肩を優しく叩いた。ジョニーは、笑いをこらえた。
「え? 明るい話ですって? どういう意味ですか? マミラさんが一人だけだなんて、危なくないですか?」
「……一人ではない」
ジョニーはプティの肩を抱いたまま、強引に歩かせた。プティが困惑しているが、ジョニーは無視した。
「ジョニーさん、ありがとう……」
背後から、マミラの小さな声が聞こえた。
ある程度、距離を取ると、店の前には二つの影が重なっていた。
「クルトの奴め。前回の戦いで、誰も倒せなかったくせに、今回は、射止めるべき相手を射止めたな。本当の撃墜王は、奴かもしれん」




