学者軍人
嵐は、治まっていた。
夜の森は、今までのが嘘であったかのように、静まりかえっていた。
ジョニーの変身は解けていた。
仰向けで、背中が、小石や枝葉の感触がする。起き上がるには、力が残っていない。
「ジョニーの兄貴!」
ビジーが泣きながら近寄ってくる。
「ごめんよ。見捨てて……。もしも、ナスティがいなかったら……。兄貴に何かあったと思うと、おいら……」
ビジーに抱き起こされた。丸顔だったビジーの頬が、少し痩けている。
(貴様は俺を見捨てなかった。最後まで俺を心配してくれた)
隣にナスティが倒れている。
明かりが見えた。
「あれは松明……? 光が見えるよ。あ、あれは、帝国の兵士たちだ……! おいらたちを探しているに違いない」
ビジーの顔が険しくなっていく。いつの間にか隣にいたナスティが、激しく頷いた。
「兄貴を洞穴に連れて行こう。安全の確保が先だ」
ビジーたちに担架にのせられ、洞穴までに送られた。
洞穴の内部は、意外と広かった。空洞は壺の底を思わせるような広がりを見せている。野生動物が潜んでいないか心配だったが、今夜は留守であった。
洞穴の中央は窪んでいた。窪みの上には、長方形の岩がある。
岩は、机と椅子の役割を果たすために、人為的に積み上げられていて、何者かが生活していた形跡となっていた。
緊張が解けたのか、ジョニーに全身の激痛がぶり返してきた。
鉄槌で殴られるような痛みが襲い、熱が全身に回る。
だが、痛みが前よりも収まった気がする。
先ほどの変身で、霊力を消耗したので、余計に酷くなると思っていたが、意外だった。
洞穴の外が騒がしい。
ジョニーは、フリーダとセルトガイナーの隙間から、洞穴の出入り口が見えた。
フリーダは、見張りを買って出ていた。セルトガイナーはフリーダに付き合うとして、隣に座っている。
小さな明かりが、何度も洞穴の前を横切った。
帝国の兵士たちが、自分たちを捜索しているのだ、とジョニーは理解した。
外の騒がしさに比べて、洞穴の内部は静かであった。
ナスティが膝枕をしてくれた。
石床は冷たく硬い。覆面のせいで読み取れないが、痛みを我慢しているとジョニーは理解した。
包帯の交換をしてくれている。
自身が濡れているにもかかわらず、献身的だった。
(この女といると、とても安らぐ……)
相変わらず身体は痛いが、ナスティの不可思議な力で、ジョニーは穏やかな気持ちになった。
ビジーはナスティの隣で、ナスティの手伝いをした。
「大丈夫。ジョニーの兄貴なら、生き延びる。絶対に死なない……」
と、優しい口調で語りかけてくる。
ボルテックスは、洞穴の一番奥で、巨体を小さくして震えていた。
なにやら呪文めいた言葉を口から発している。
ボルテックスの隣にはセロンがいた。顔をしかめ、頭を抱えていた。現状に後悔しているかのような表情である。
クルトは壁にもたれかかり、鋭い瞳を瞬きさせている。肥満体が打ちのめされたように疲れ切っていた。
スパークは放心した顔つきで、洞穴の天井を眺めていた。
サイクリークスは洞窟の隅で膝を抱えている。周囲の干渉から、すべてを遮断しているかのようであった。
セルトガイナーはフリーダと一緒に、外の世界を見張っていた。ときどきフリーダの横顔を観察している。
「どいつもこいつも、貧相な顔を並べやがって……」
と、フリーダは不機嫌な舌打ちをした。小声であったが、ジョニーには聞こえた。
だが、フリーダが短く呻いた。
洞穴の前に、松明を掲げた兵士が、驚いた顔をしている。
「セルトガイナー!」
フリーダのしわがれた声に反応して、セルトガイナーがフリーダの前に飛び込んだ。拳銃型の霊骸鎧“火散”となって、フリーダの手に滑り込んだ。
フリーダが銃弾を放つ。
破裂音とともに、兵士の鎧は穴があき、兵士は血を吹いて絶命した。
音と悲鳴を聞きつけて、兵士たちが集まってくる。
矢を放つ音が聞こえた。
“鉄兜”となったクルトがフリーダをかばい、矢を全身で受け止めた。
クルトの肩越しで、フリーダが、銃を連発していた。
「ケッ。奴ら隠れやがった」
と、フリーダは銃を構えたまま、クルトの背中に隠れた。兵士たちは、銃の当たらない場所に避難したのである。
クルトたちと、外の兵士たちは、静かに睨み合った。籠城は部が悪く、外にいる兵士には突破口は無い。
「賊ども。よく聞け」
老人の声が、静寂を切り裂いた。
「私を知っているか? 私はシグレナス帝国のガルグ・マリウス。嵐を巻き起こす霊骸鎧“強風”と言えば、少しは名前を知っていよう。先ほど見せたように、私は嵐を操る能力を持つ」
ガルグ!
クルトたちは顔を向かい合わせた。
先ほどの大雨は、ガルグの仕業であったのだ。
「お前たちの出入り口は、封鎖した。大人しく出てくれば、命だけは助けてやる。この大嵐だ、食糧も物資もすべて吹き飛んだだろう。飢え死にしたくなければ、さっさと出てこい……!」
ガルグが話し終えると、また深夜の森は静まりかえった。
代わりに、会話の空白期間を埋めるように、風の動きが荒ぶる音が聞こえてきた。
風が、風を切り裂く悲鳴に似た音をを立てている。
「どうする……?」
と、サイクリークスが小声でスパークに問いかけた。
「出て行けねえよ。……ガルグの“強風”は、嵐を操って、空を飛べるんだぞ? 空に逃げられたら、剣とか銃とかで太刀打ちできる相手ではない。ガルグは、シグレナスの中でも四強……四天王の一人、と呼ぶ奴がいるくらいだぞ」
スパークが、口の中が砂でざらついたような口調で答えた。
サイクリークスは、目を伏せた。
変身を解いていたクルトは、自信なさげに瞬きをした。ボルテックスは皆に背中を見せている。
フリーダと変身を解いたセルトガイナーが壁にもたれかかって、体力の回復に集中していた。
セロンは岩の机で、頭を振っている。弟の命が心配で同行してきたにもかかわらず、自分にも危害が向けられているのである。
「自然災害を操るガルグが出てくるなんて、勝ち目がないよ……」
と、ビジーが呟いた。
「それに、ガルグは“学者軍人”と呼ばれているんだ。ヴェルザンディには、シグレナスと違って、大学があるんだ。大学って知っているかい?」
と、ビジーがジョニーに問いかけてくる。
(どうでもいい。興味がない)
ジョニーは膝枕の上で顔を逸らした。ときどき、ビジーは聞いてもいない豆知識を披露したがる。
「大学は、頭の良い勉強家たちが集まる場所なんだ。認められた人が、“ガルグ”になれる。選ばれるには、論文を提出しなくちゃいけない」
ビジーが熱く語り始めた。ビジーの情報開示は雨と同じで、降り出すと止まらない。
「どんな論文なのかは、それぞれの専門分野なんだけど。ヴェルザンディでもガルグに選ばれる人は、ごく珍しい。とっても難しい話なんだよ」
ビジーの話が続く。楽しげに話している。
痛みを紛らわす効果があるかもしれない、とジョニーは思った。
「それなのに、ガルグ・マリウスはシグレナスの軍人でありながら、論文を送り続け、ガルグになったんだ。すごいよね、優秀だよね。ガルグがシグレナスで“学者軍人”と呼ばれる所以だよ」
ビジーは、まるで自分について語っているかのように胸を張った。
(それほど好きなら、今からサインでも貰いに行けばいいのに)
と、ジョニーは心の中で毒づいた。
ビジーは、学者や知識人に憧れている。
楽しい対象に目が向くと、周囲が見えなくなるビジーの傾向が腹立たしくなった。
今の状況では、その興味対象であるガルグに危機を突きつけられているのである。
ジョニーは、苛つきで身体を揺らした。
ナスティと眼が合った。覆面をしているので、分からないが、合った気がする。
ナスティの手が伸びて、ジョニーの額に触れた。優しく撫でられた。手つきが優しく、暖かい。誰かにしてもらった経験のない感触であった。
暖かく優しい手つきが、ジョニーのビジーに対する苛つきを治めた。
ジョニーの心が落ち着いていくと、ある閃きが出てきた。
(ガルグとは、ヴェルザンディの言葉で“学者”を意味するのだな)
ジョニーがナスティから感じている暖かさとは、反対方向を走るように、洞穴の中は冷え切っていた。
外では、嵐が怒り狂い、雷鳴を鳴らしている。
ガルグの攻撃性を表象するかのようであった。
洞穴の中では、言葉を発する者がいなかった。何か具体的な行動をする者もいない。
洞穴の中にいさえすれば、安全だった。
だが、その安全は仮初めである。
食糧や装備は風に飛ばされている。時間が経過すればするほど、体力が消耗していく。
ジョニーたちは誰しもが濡れ、疲れ切った表情をしていた。負けの報告を待つ、敗戦者たちのようであった。
セロンが、いきなり立ち上がった。
「私が出よう。……すべてを正直に話すのだ。霊落子(霊落子)襲撃は、事故だった、と弁明する。罪を償う」
外に出ようとするセロンを、慌ててボルテックスが引き留めた。
「まて、兄貴。兄貴はクソ真面目すぎて敵わねえ。ここで投降したら、今回の仕事は失敗なんだよ。霊落子と俺たちがつながっている、とあの太っちょ皇帝にバレたら、俺たちは身の破滅だ。それに今、奴らは殺気立っている。下手に出て行けば、兄貴が射殺されちまうよ。もう少し様子を見よう。なっ? なっ?」
「しかし、このまま何日も、この場で籠城はできない。食糧がない状態なのだ。連中は恐らく我々の消耗を待つ作戦なのだろうから、安全な場所で我々を監視しているに違いない。いずれは降伏しなければならない時期が来る。……私はガルグとは面識がある。私が説得しよう……。我が弟、ボルテックスよ。そなただけは、私がどうなろうと守ってみせる」
セロンとボルテックスが兄弟で口争いをしている。
だが、兄弟喧嘩はすぐに止まった。
嵐が治まったからだ。
風の暴力的な鳴き声よりも、悲鳴が聞こえだした。
風ではなく、人間の悲鳴である。
「何が起きている?」
クルトとスパークが立ち上がり、外の様子を確認した。
「殺されている……!」
と、スパークが息を呑んだ。
「シグレナスの兵士たちが、一方的に殺されているぞ……?」
スパークの頬を、赤い明かりが照らした。
外のどこかが燃えている、とジョニーは理解した。




