嵐
吹き荒ぶ雨風は、天幕を穿っている。
天幕の内部には雨水や風が入り込み、人々は雨水から逃れるため、お互いに身を寄せ合って震えていた。
「おいら、この戦いが終わったら、パルファンに結婚を申し込むんだ……。パルファンなら、絶対に受け入れてくれると思う」
隣のビジーが、小声で自分の計画を告白した。
「だから、ジョニーの兄貴、死なないで。生き延びて、元気になって、おいらたちの結婚式に来て、見守って欲しい」
異論が多い内容であるものの、ビジーなりの励ましである。
ビジーは話を続ける。
「サレトスは見つからなかった。今回の冒険は、失敗したんだ。おいらたちのパン屋は、お終いだ。借金を返せなくなって、屋敷と一緒に誰かに奪われちゃうだろう。でも、それでも構わない。ジョニーの兄貴さえ生きていてくれさえすれば、おいらはいくらでも借金するよ。一生掛けても、返す」
相変わらず、熱で頭が割れるほど痛い。全身の痛みに、寒さで身体を震わせていた。ビジーの戯言に相手をするほどの余裕はない。
どこかから、大木が軋む音が聞こえる。全身を捻られ、苦しんでいる悲鳴のようだった。
暗い天幕が、歪む。天幕の骨格が悲鳴を上げている。
「冷てぇ。だめだ、寝てられねえ」
と、スパークが跳ね起きた。
「何でだ? どうして、風が強くなったんだ? 昼間は天気が良かったのに……。まさか、本当にガルグが来ているのか……?」
セルトガイナーが自分なりの分析を伝え終わる前に、布が引き裂かれた。想像よりも、派手な音を立てて、雨水が滝のように落ちてきた。
天幕の内部で動揺が広がった。
「うわっ、おいら、全身ズブ濡れになっちゃった!」
と、ビジーが報告した。報告を受けたジョニーも、全身が濡れている。
「もういい、皆、起きろ。起きて、天幕から出ろ」
クルトが声を張り上げた。どこか諦めが混じっている。
自警団たちが出て行く。
紐が弾けて、空を斬る音が、同時多発的に聞こえた。
天幕は舞い上がり、空中に向かって飛んでいった。
冷たい雨水が、槍のようにジョニーに降りかかった。冷気と水分が、ジョニーの体温を奪っていく。
天幕をセルトガイナーとサイクリークスが追いかけるが、すぐに見失った。
「だめだ、移動しよう。……近くに洞穴があったはず」
と、スパークが雨に打たれながら、提案した。
「……あたしが一番最初に行く。あたしの霊骸鎧なら、夜目が効くからね。……みんな、従いてきな」
フリーダは、自身の霊骸鎧“猟犬”に身を変え、強風を避けるため低い姿勢で慎重な動きで、仲間たちを先導していった。
「兄貴、担架に乗せるよ」
ジョニーはビジーとセロンに担架に乗せられ、あとで加わったナスティの三人に運送された。
担架は強風に煽られ、ビジーたちは、ときおり体勢を崩していた。
雨が直接、ジョニーの全身を打つ。
洞穴は、絶壁の下だった。
「蛇がいるかもしれんぞ、気をつけろ」
クルトが、フリーダに注意をした。どこか指導者の威厳が含まれていた。親分のボルテックスよりも、指導者向きの性格である。
洞穴まで行く途中、傾斜があった。ジョニーは縄で担架に固定されていたが、坂を登るにつれ、ずり下がった。
ボルテックス、クルトと、次から次へと洞穴に入っていく。
ボルテックスが、後ろを振り返って、叫んだ。
「おい、あれを見ろ! ……竜巻が来るぞ。……アーガス、なんてことだ!」
ボルテックスは奇妙な罵り言葉を口走り、唖然とした。
普段の体調であれば、数秒もかからずに駆け上がる距離である。だが、今夜は、横風が吹く天候の悪さに加えて、足場の悪い状況に、担架を三人がかりで運んでいるので、一歩進むにも立ち止まらなくてはいけなかった。
ビジーが、呻いた。足を滑らせたのである。
ジョニーは、これまで空中で支えられていたのに、一気に地面に脱落した。背中に地面を叩きつけられた。
固定されていた紐が、音を立てて解け、雨水によって滑りやすくなった斜面に、ジョニーは滑り落ちていった。
無限に滑り落ちていくような感覚であったが、一番下の地面くらいで引っかかって止まった。
身体を浮き上がらせる風に揺れながら、ジョニーは、竜巻を見た。
ボルテックスが騒いでいた竜巻は、ボルテックス自身を乗せていた馬車を、馬ごと飲み込んでいった。
馬車であった物体は、台風の内部で旋回上昇していき、中身もろとも、粉々に砕け散って、木片となった。
(こちらに来る!)
と、ジョニーは、予測した。
馬車の部品だけではない。枝や石、地上のあらゆる物体が、竜巻に飲み込まれ、あるいは、吹き飛ばされているのである。
だが、重傷の身であるジョニーは、無力であった。身体を動かせず、退避などできない。
「ああ、ごめんよ、ジョニーの兄貴! おいらのせいで!」
と、ビジーの泣き声をあげた。嵐が、ビジーの泣き声をかき消していった。
風と風の隙間から、フリーダの声が聞こえた。
「ほっておいちまえ。そんな奴! 勝手に死んでろ!」
ジョニーは文句も悪態もつけられなかった。
目の前から、石や木片が向かってくるのである。
(俺は、もう助からない……)
と、ジョニーは目を閉じた。
自分の人生など、ろくでもなかった。
なんの意味もなかった。お似合いなくらい、意味のない無駄死にである。
だが、異変が起こった。
すべてを覚悟したジョニーの前に、暖かい霊力が降り立ったのである。
(誰だ……?)
細い身体に、身体の特徴を消す構造の服を着ている。
顔を見ようにも、覆面が邪魔をして良く分からない。
覆面の少女、ナスティだった。
ナスティが一人だけ、身を投げ出してきたのである。
ナスティは、立っていられないほどの強風の中、両手両脚を広げた。
通行止めの仕草である。
(馬鹿な女だ! 俺を守っているつもりか? 貴様も無駄死にするぞ?)
だが、ジョニーの危惧は無駄だった。
石や枝といった飛来物は、ナスティに当たらなかった。
無生物たちは、まるで意思を持って、ナスティに怪我をさせまいとしているかのように、すべて素通りしていった。
よく見れば、ナスティの全身から、優しげな光の霊力が放出されている。
(奇跡だ……。俺は夢でも見ているのか? いや、すでに死んでいるのかもしれない)
ナスティを死後の世界に出てくる存在であるかのように、ジョニーは驚いた。
だが、驚愕の存在ナスティは、ジョニーの片腕を掴んできた。実感があるので、死後の世界ではなく、現実だと理解した。
ナスティが背中を反らして、ジョニーを引っ張っている。
洞穴まで連れて行く気であると分かるが、ナスティの腕力は弱々しく、ジョニーの体重は、微動だにしない。
「ああ、兄貴ぃ! おいらも助けるよ!」
と、ビジーが洞穴から顔を出した。
「だめだ、ブレイク。君まで怪我をしてしまうぞ!」
セロンに引き留められた。
「あぶない!」
ビジーの悲鳴が、轟音でかき消された。
ナスティが小さい声で悲鳴を上げて、滑った。地面に尻餅をついた。
ナスティに危険が及ぶ、とジョニーは直感した。予知能力とまでは断言できないが、実現可能性の高い予測であった。
ジョニーは、霊骸鎧“影の騎士”に変身していた。思考も意識もなく、動かせない腕をどうやって動かしたかも分からない。
ただ、無意識の行動であった。
ジョニーは、倒れたナスティの上に覆い被さった。
ジョニーの背中に衝撃と同時に、痛みが走った。何か大きな物体だと分かった。
視界に、黒いモヤがかかる。
か細い肩を抱きしめ、身を低くして、ナスティを守った。
長い間、自然が生み出した危険物を、ジョニーの背中を通過していく。ときには、かすり、目も眩むような衝撃を与えるなど、ジョニーの背中を、いや、魂を削り取っていった。
(馬鹿っ! 馬鹿っ!)
誰かに罵られている。
罵られるほどの悪事を働いていないと思うが、声が聞こえる。
耳からではない。
直接、ジョニーの心に届く声であった。




