妊婦
1
朝になった。
居間に来ると、ビジーたちが集まって、話をしていた。
いつもであれば、パン屋で仕事を始める時間である。だが、昨日はキズスに店を荒らされ、サレトスは逮捕され、誰も仕事をする余力がなかった。
ビジーは、パルファンたちに昨晩の状況を報告していた。
パルファンは目を見開き、マミラは理解できない表情をしていた。
ビジーの母親は、家事に追われていながらも、聞いていた。
サラは、籠の中で眠っている。
ジョニーは、机の上に、木材を置いた。木材は、自分の腕と同じくらいの太さと長さがある。懐から短刀を取り出し、木材を削り始めた。
ビジーの説明が終わると、プティが発言した。
「僕は、あれからシグレナスを回って、サレトスを探しました。サレトスが拘留されていそうな場所を全部探しましたが……」
ジョニーは、“混沌の軍勢”が攻めて来た時期を思い返した。
ジョニーが囚人だった頃……正確には未決囚だが、裁判が始まるまで、台車に乗せられていた。台車は木の格子で覆われていて、広場で晒し者にされる。
視線の痛みを思い返した。
「……捕まっている霊落子が多すぎて、見つかりませんでした。霊落子は全員、頭巾を被っていて、見分けがつきません」
プティが声を落とした。表情が憔悴している。シグレナスの広場を駆け巡り、結果が出なかった。自分の責任だと感じているのだ、とジョニーは理解した。
ビジーは笑顔を見せた。プティの気持ちをくみ取っているのだ。
「ありがとう、プティ。……ご苦労様だったね。ジョニーの兄貴とおいらで、移送されている霊落子たちを追いかけるよ。それまでに、君はサレトスを探し続けてくれないかい? お金を支払うから、人を頼んでも構わない。サレトスの手がかりが少なすぎるのだから、できる対策はいくらでもやろう」
ビジーは、叱責せず、優しくプティを労った。だが、表情は疲れている。
「あるいは、パン屋を畳んじゃおうか。……あの一等地で家賃を支払い続けるって、大変だと思う」
と、ビジーは、弱気な提案をした。力のない笑みを浮かべている。
「い、いや……。閉店しないで」
マミラは首を激しく振って、反対の意思を示した。パン屋はマミラの生き甲斐、いやマミラそのものである。閉店は、マミラの存在を否定するに他ならない。
パルファンは、机を叩いて、立ち上がった。
「閉店したら、借金が残るだけ。サレトスが見つかるまで、続けましょう。仕事には、苦しい時期が何度もある。ここをくぐり抜ければ、大丈夫だから。……家賃は、あたしが大家さんと交渉する。事情を説明すれば、支払いを待ってくれるかもしれない。だから、諦めないで」
パルファンの説得には、商売の豊富な経験が裏打ちされていた。迫力に負けて、ビジーは下を俯いた。
だが、家賃の支払いを延期しても、根本的な問題解決にはなっていない。
肝腎の小麦粉を仕入れなければ、サレトスが見つけなければ、苦しい現状は続く。
皆が、机の皿を見た。
皿には、僅かなパンしか残っていない。誰も食欲はなく、手を伸ばす者はいない。
ジョニーは、木材を削り続けた。あれこれ心配するよりも、自分の仕事に集中するだけだ。ジョニーが削る木片が、机に飛び散る。木を削る音が、部屋に虚しく響く。
「もっちゃ、もっちゃ」
削る音を上書きするように、独特な咀嚼音が聞こえた。一人だけ、パンを頬張っている者がいた。
癖っ毛の上に、奇妙な帽子があった。帽子は本人の拳よりも小さく、小さなプロペラが、天井を向いて載っている。帽子、というより装飾品に近い。
昨晩、セロンを襲ったプリムであった。
「この子、誰? どこの子?」
マミラが、瞬きをした。いつの間にか見知らぬ人物が増えているのである。驚いて当然であった。
「よく分からない。大神殿の前でセロン……大神官に逢いたがっていた。夜も遅いし、女の子を一人置いておくわけにも行かないし。うちに連れてきたけど……」
と、ビジーは言葉を選んだ。セロンを殺しかけていた、と、正確な情報を伝えれば、マミラなど、ひっくり返るだろう、とジョニーは予想した。
「セロンたま? セロンたまが、ここにいるのか?」
と、プリムは空になった皿で顔を隠した。頬が赤くなっている。ときおり皿から周囲を見回して、セロンを探している。
「大神官様のファンなのね。大神官様は、シグレナスで随一の美男子って評判だから」
と、マミラが微笑んだ。
セロンがいないと確認したプリムは、皿を机に戻し、別皿のパンに手を着けた。
結局、パンを一人で平らげた。
口の周りには、食べかすをつけている。
目を閉じ、腕を組み、ゲップをする。
「てきのほどこしは、うけない!」
「食べ終わった後に言わないでね!?」
と、ビジーは、椅子から転げ落ちた。
「君を助けたのは、おいらたちだからね? なんだか変な子だなぁ。……頭に変な帽子を着けているし」
ビジーの発言に、プリムの満足した表情が、怒りに変わった。
「へん? うるせぇ、プロペラぶつけんぞ!」
プリムが、ビジーに頭突きを喰らわす動きをした。
ジョニーは短刀で削った木材を手のひらで回転させた。作品の出来映えに、まだ作業が必要だと分かった。
「口が悪いなぁ。そのプロペラが、どうしたの?」
と、ビジーは反論した。
「よくぞ。きいてくれた。プロペラは、このよで、もっとも、とうといものである。こうていより、えらい」
と、プリムは胸を張った。ジョニーは、話に従いていけない。いや、他の者もついて行けないだろう、と予測した。
「ぷぷぷ。おまえらは、なんでプロペラをあたまにつけていないんだ? はずかしくないのか?」
と、笑い出す。会話に、笑う箇所があるとは、ジョニーには思えなかった。
「いやいや、プロペラを頭に乗せる人は、いないよ」
と、ビジーが対応した。ビジー以外、プリムに反応する者はいない。
「それは、おまえらが、おくれているからだ。みかいのやばんじんどもめ! プロペラはいいものだ。おまえらに、プロペラをのせるけんりをあたえる」
「そんな権利、ないからね。頭にプロペラなんて乗せたら、変な人だと笑われちゃうよ」
「笑われる? さべつだ! プロペラさべつをゆるしてはいけない」
「誰も差別なんてしないよ。君に意地悪なんてしないよ……されるとして、どんな意地悪をされるのさ?」
ビジーが困った表情をした。プリムの独特な世界観が、面倒臭い。
「……てでとめられた」
プリムの返事に、ビジーは顔をしかめた。頭痛に苦しむ表情である。
「結局、君は、どうしたいのさ?」
と、ビジーは話を続けた。疲れている。世界一意味のない会話である。ジョニーは、自分なら無視する、と思った。
「プロペラに、じんけんを! プロペラの、プロペラによる、プロペラのためのせいじを!」
「とんでもない子を家に入れちゃったかなぁ」
と、ビジーは頭を抱える。
静まる部屋の中で、プティが口を開いた。
「次は、どうするんですか? そのボルテックスとかいう人とまた会うんですか?」
と、ビジーを救出した。プリムと会話をしていても、話が先に進まない。
「聞いていなかった。クルトの連絡を待たなきゃね。多分、クルトがお店に来ると思うよ」
と、ビジーが救われたような表情を見せた。
「クルトさん?? あの、格好良い人?」
と、今度はマミラが頬を赤らめた。
「クルト……? あいつがか……?」
ジョニーは肥満体のクルトを思い返した。容姿に迫力はあるが、美男子には思えなかった。
「クルトはパルファンと知り合いだし、お店にいれば、クルトがやって来ると思う。……プティ。小麦粉の在庫はまだあるかい? 在庫が切れるまで、パンを売り続けよう。今日は仕込みの時間が間に合わないから、休業で仕方がないと思うけど、掃除とか、片付けとかできるだけの仕事はしておこう。おいらたちにボルテックスやクルトと繋がりがある以上、キズスが意地悪をしてくるとは思えない」
と、ビジーが話をまとめた。
マミラはパン屋の支度を始め、プティはシグレナスの地図を広げて、回る場所を確認した。
ジョニーの対面に、パルファンが座る。ビジーはパルファンの隣になったが、ビジーは下を向いて、落ち着きのない動きをしている。
パルファンが、ジョニーの手に自分の手を重ねてきた。ジョニーは手を引っ込めた。
「ジョニー様、いくらクルトたちと一緒でも、危険な仕事に変わりないわ。私、心配なの。無事に戻ってきてね……」
と、目を潤ませた。パルファンの気持ちが分からなくもないが、ジョニーには、何の感情も湧かなかった。冷たい自分に嫌悪感があったものの、ジョニーは何もできないでいた。
パルファンに何か気の利いた返事が一つでもできればよかったが、心に動きがないので、何も話せない。
「大丈夫、おいらが従いているから。ジョニーの兄貴に何かあったら、おいらが助けてあげるからね」
と、ビジーが、自分の胸に拳を当てる。自信ありげな態度だが、パルファンはビジーの存在を無視した。
「パルファンって、恥ずかしがり屋さんだよね」
と、ビジーがジョニーに耳打ちをしてきた。ビジーの気持ちが分からなくもないが、ビジーの分析は、間違っている。
ジョニーは、削りきった木材を眺めた。
「もう充分だろう」
短刀を置き、木材を握りやすくするために、一部分に布を巻いた。
布をきつく縛れば、木製の鈍器、棍棒の出来上がりである。
柄を細く握りやすくし、布を巻いた。
ジョニーが素振りをすると、鈍い音で空気を切った。
短刀を懐に忍ばせ、投石器と、棍棒を腰のベルトに下げた。
「ビジー。喧嘩の準備はできた。俺は、いつでも行ける」
ジョニーは、ビジーたちと一緒に、屋敷を出た。ジョニーはこれから大暴れできる、と期待して、足取りが軽い。
マミラはジョニーの動きを見て、感想を述べた。
「そうね、私も元気をださないとね。ジョニーさんを見習わなきゃ……」
ジョニーの真意を誤解している。
2
途中で、引っ越しの準備をしている家族を見かけた。高層住宅から家財を運び、荷車に積み込んでいる。
「家賃が払えなくて、大家さんに追い出されちゃった。主人の田舎に引っ越そうと思うの」
と、年配の女が、友人らしき女と会話をしている。
「最近、なんでもモノが高くてねぇ。シグレナスは家賃が高いから……」
パン屋“戻りし者”にやって来た。
店内は荒らされ、開店の準備は難しい。
キズスが暴れた跡を丁寧に片付け始めた。
閉まっている店に、女性がやって来た。
店内は荒らされ、開店の準備は難しい。
キズスが暴れた跡を丁寧に片付け始めた。
閉まっている店に、女性がやって来た。長い髪を後ろに束ねて、お腹が大きい。妊婦だと、ジョニーはすぐに分かった。パルファンは椅子を用意し、女性を座らせた。
パルファンと女性は親密な態度で、話を始めた。
話が一段落すると、パルファンはジョニーに女性を紹介した。
「大家のポーリーさん。ポーリーさんがもともとはお店をしていたのだけど、赤ちゃんができて、お店を閉めちゃったの。今、家賃を後払いできないかお願いしていたの」
「苦しい状況はお互い様。皆さんのパン屋さんは人気があるから、絶対に終わらせたら駄目よ」
と、ポーリーはジョニーに笑顔を見せた。ポーリーとパルファンは微笑みあった。
ビジーが、ジョニーに耳打ちをした。
「家賃支払いの交渉は、パルファンに任せたんだ。大成功だね。やっぱり、パルファンは頼りになるぅ。パルファンって、なんであんなに素敵なんだろう? 可愛くて、しっかり者で……。ああいう子を、お嫁さんにしたいなぁ。……ああ、おいらは何てことを言っているんだ」
と、ビジーは頬に手を当て、身悶えしている。自分の結婚を想像して、恥ずかしがっているのだ。
パルファンは、ポーリーと話し込んでいる。
ビジーの母親と一緒に片付けを始めた。ビジーの母親は、サラを背負っている。サラは、静かに眠っている。
ビジーは、立て看板を作っている。キズスに壊された立て看板の代わりである。
プティは、サレトスを探しに出掛けたので、姿が見えない。
マミラは、物品や食材の名前を口に出し、帳簿に書き付けていた。
ジョニーは手伝わなかった。雑事不干渉がジョニーの生き方であり、今さら生き方を変える気はない。雑事よりも喧嘩に興味がある。どんな敵と戦いになるのか、頭の中で想像して楽しんでいた。
3
ビジーの予想通り、夕方になると、クルトがやって来た。白い肌をした巨体で、不機嫌な目つきをしている。
「わぁ、クルトさん? いらっしゃい」
と、マミラが、歓声をあげた。作業を止めて、クルトを迎えた。手を合わせて、顔から熱気を出している。
クルトは、鋭い目つきでマミラを見た。マミラがうっとりとした表情で、見返した。
クルトの目つきは厳しかったが、徐々に柔らかみを帯びてきた。お互いを見つめ合っている。二人の時間が止まったようだ。
ジョニーは両者の顔を見比べて、咳払いをした。
クルトは、マミラから目を逸らし、不機嫌な表情を作った。不良としての威厳を保つためなのか、照れ隠しなのか、ジョニーには分からない。
「行くぞ。親分の家までだ……」
と、ジョニーとビジーに命令した。クルトの眉毛が鋭角に剃り上げられているせいで、眼力が増している。
ビジーは、クルトの迫力に負けて、従いていく。ジョニーは後を追った。
老女と、すれ違った。
「あら、貴女……」
老女が、パルファンを見た瞬間、買い物籠を地面に落とした。
「ねえ、ひょっとして……。貴女、メルサの娘よね? 顔が似ているわ」
パルファンに話しかけてきた。
「あたしのお母さんはメルサですけど。あたしに、なにか用ですか?」
と、パルファンは、自身のゆるふわな髪に似合わず、きつい口調であった。
「やっぱり! こんなに大きくなって。お母さんは元気?」
と、老女は涙で瞳を潤ませて、パルファンに抱きつく仕草を見せた。パルファンは避ける。
「あたしのお母さんは、昔に死にました。どこのどなただか知りませんけど、そんな話、貴女には関係ないです」
と、パルファンは冷たく拒否した。いつもと違って、機嫌が悪い。
「そうだったの……。ねえ、メルサの娘。うちに帰ってきて。私は、貴女のお母さん、メルサの主人だったの。貴女を奴隷として引き取るわ。貴女は私の奴隷として、一緒に暮らして欲しいの。貴女のお母さんとは仲良くしていた。だから、貴女とも仲良くできるはず」
「あたしのお母さんは、解放奴隷、つまり平民です。お母さんが平民のときに、あたしを産んだの。だから、あたしは平民であって、貴女の奴隷ではないの」
と、パルファンは口を結んで、老女を睨みつけた。威嚇する小動物のように思えた。
「貴女のお母さんを確かに解放したけれど、私は貴女を解放していない」
「解放されたとき、あたしは、まだお母さんのお腹にいました」
「いいえ、貴女のお母さんを解放するとき、メルサは貴女の手を引いていたわ。だから、私が解放したのは、貴女のお母さんであって、貴女は解放していない」
「そんなの言いがかり、屁理屈よ。あたしを奴隷にして、安くこき使う気なのね? ふざけないでください。一度、解放した奴隷を自分の都合で元通りにしないで」
老女とパルファンの押し問答が続いている。
「あわわ、なんだかややこしい話になってきたぞ? パルファンが、あのお婆ちゃんの奴隷にされちゃうの? このまま、パルファンが引き取られたら、大変だ」
と、ビジーが慌てた。
ジョニーとビジーは成り行きを見届けていたが、クルトは苛ついた声を出した。
「どうした? さっさと行くぞ。パルファンの問題は、パルファンが解決する話だ。俺たちは無関係だ」
クルトの勢いに負けながらも、ビジーは何度も、後ろを振り返り、パルファンの様子を窺った。
「ああ、おいらはパルファンに何もしてあげられないんだ……」
と、悲観的な口調で自分を責めた。
4
ボルテックス商店にたどり着いた。
“商店”と聞くと、雑貨店を思い浮かべたが、屋敷だった。ブレイク家よりも広く、塀が高い。
門をくぐると、広い庭が見えた。庭は群生する蔓に支配され、蔓の中に石が積まれてできた浴水槽がある。
「すごい。豪華だね。いくら儲けているのだろう?」
ビジーが周りを見て驚いた。
屋敷に入ると、屈強で目つきの悪い男たちが列を作って、クルトに礼をした。
執務室に通された。床や壁は大理石でできていて、天井は高く、床には獅子の毛皮が、絨毯として敷かれていた。
執務室の奥に、巨大な机があり、多人数が机を囲っていた。
ジョニーたちの気配に振り返った。
フリーダ、スパーク、セルトガイナー、サイクリークス、いつものメンバーに加えて、セロンの姿が見えた。セロンの隣に、頭巾を被った人物が立っている。
「よう、遅かったな。クルト」
机の向こうには、ボルテックスが机上に脚を乗せて、巨大な椅子にふんぞりがえっている。
「おお、ジョエル・リコ……」
と、セロンはジョニーを呼んだ。口で手を押さえ、笑いを堪えている。
(何が面白いのか……?)
と、ジョニーは不審がった。セロンの隣に立っている、覆面をした灰色の頭巾が、ジョニーを見ている。頭巾のせいで、顔が分からないが、確かに見られている。ジョニーは、頭巾がセロンの付き人かなにかだと理解した。
「クルト、お前が説明しろ。お前が考えたんだ」
と、ボルテックスが、机を指で叩いて、クルトに命令した。
クルトが、ボルテックスに礼儀正しく頭を下げた。
机の上で、羊皮紙を広げた。一同が中を覗き込む。内容は、シグレナスの地図であった。
クルトは自身の太い指で、地図の一カ所を指し示した。地図の北部には、丘のある街が描かれていた。“シグレナス”と注意書きがあった。
「計画はこうだ。明日の早朝に、帝国の護送部隊が霊落子を連れて、シグレナスから出る。街道を越え、ギルザムを経由し、港町バスティアンを目指す。帝国は港の船に霊落子を乗せて、セイシュリアに送り出す予定だ」
太い指は、地図上にあるシグレナス最南端の港町、バスティアンを越え、内海を通り、巨大な島を叩いた。下には“セイシュリア”と書いてある。
「俺たちは、帝国軍の後を追う。商人の旅団に化けて、つかず離れずの距離を取る。……で、問題は、カナタリア山脈を越えた先にある、森の中だ」
南までたどり着いた指は、北の山まで引き返した。山の周辺には、森が描かれていた。
「陸路を通る限り、バスティアンまでには、森を通る必要がある。森の中で襲撃をする。休憩中の兵士に奇襲をかけ、護送車を破壊する。霊落子を逃がせば、今回の仕事はお終いだ。……何か質問があるか?」
と、吐き捨てるように終えた。
「ずいぶん、乱暴な作戦であるな。作戦にしては、子どもっぽいぞ……? たとえ成功しても、シグレナスに帰ったら、すぐに身元が割れ、逮捕されそうだ」
と、ジョニーは鼻で笑った。
クルトが睨んでくる。ジョニーは、クルトの態度が気にくわない。いつでも殴り合いに応じるつもりだ。ジョニーはクルトから顔を背けて、笑っているふりをした。
「よしなよ……」
と、ビジーが窘めるが、無視した。
「これでは、まるで自分の国に対する反乱行為のようである。……暴力はいかんぞ。もう少し平和的な手段はできないのか……?」
と、セロンが眉をひそめる。子どもの悪巧みを見抜いた親のようであった。
「ふん。今の皇帝が無能だからだ。あいつのせいだ。反乱されて当然の奴だ。霊落子といえども、誰かを差別するような奴が皇帝になっちゃいけねえ。シグレナスは、自由と平等の国だからな」
と、ボルテックスが鼻を鳴らした。責任転嫁している、とジョニーは思った。
「違う、私はお前を心配しているのだよ。弟よ。リコの申すとおり、反逆罪に問われれば、お前は死刑だ。今すぐ止めろ」
と、セロンが悲痛な声を出す。隣に頭巾を被った人物が、セロンを見た。動きから、女だとジョニーは察した。
「いいか、兄貴。俺は死なねぇ。誰も俺を殺させねぇ」
と、ボルテックスは、自分の胸に手を当て、抑揚をつけて反論した。
「シグレナスの自警団、悪党どもは俺の味方だ。皇帝だろうと、元老だろうと、自警団や悪党どもの力がなければ、何もできねぇ奴らばかりだ。それなのに、皇帝は俺たちを押さえつけ、威張り散らしていやがる……。あの愚かな皇帝に一泡吹かせてやらないと、気が済まねぇ」
「そなたは分かっておらぬ。弟よ。目を覚ませ。そなたの気持ちは分からぬでもないが、争いは何も産まないのだよ」
セロンは諭した。できるだけ穏やかであろうとしているセロンの気持ちが、ジョニーに伝わった。
女が部屋に入ってきた。女は腹が出ていて、ポーリーと同じ、妊婦だとジョニーには分かった。盆をもった奴隷たちを引き連れている。
「マリア。俺の女房だ」
と、ボルテックスが紹介した。
マリアは化粧が厚く、鼻を突く香水をつけていた。マリアが手を叩くと、奴隷たちが盆からジョニーたちに杯を渡した。
杯が皆に行き渡ると、ボルテックスが杯を天井に向かって持ち上げ、
「勝利を我らが手に! ……乾杯!」
と、中身を一気に飲み干した。フリーダ、クルトらも続く。
ジョニーが、杯に鼻を近づけると、嫌な匂いがした。酒だった。ビジーも嫌な顔をしている。二人とも、酒が飲めない。
酒の力で、空間の緊張が解けた。
各自が談笑してるいる中、マリアが、セロンに近づく。
「大神官様。うちの旦那はロクデナシで、馬鹿でケチで大食いで、金と女と酒に目がなくて、どうしようもない奴だけど。やるときは、やるからね。だから、心配しないでおくれ」
と、マリアが、セロンに片目で瞬きした。褒めていない、とジョニーは思った。
「へへっ。うちのカーチャンはな、人相見ができるんだ。当たっているんだな、これが。おう、お前ら、うちのカーチャンに占ってもらえ」
と、ボルテックスが自慢した。
「俺たちは、いつも占ってもらっているので……」
と、スパークは辞退した。どうも日常的に行われている迷惑行為である、とジョニーは直感的に理解した。
マリアは、セロンをじっと見つめた。
「大神官様……。貴方はさらに高貴な身分に就くわ」
と、口角をあげて、笑顔を作った。マリアは、セロンの隣にいる頭巾の人物は素通りした。
マリアは、次にビジーをじっと見つめた。パルファンが気になっているとはいえ、基本的には女嫌いのビジーである。顔を背けた。
「あなた、凄いわね」
だが、マリアは笑顔であった。
「本当ですか? えー、好きな人がいますけど、相手はどう思っていますか?」
「いいえ、相手は貴方に興味ないから。そんなことよりも、貴方。仕事運が良くなるわよ」
と、マリアが断言した。
ビジーは落胆した表情を一瞬だけ見せた。パルファンの件について思い返したのかもしれない、とジョニーは思った。
「仕事? どんな仕事ですか? おいら、働いていないんだなぁ。どこかで勤め出すのかな? それとも、パン屋さんが繁盛するのかもしれない」
「貴方の仕事ぶりは、死後、評価されるわ」
「死後? 死んだ後ですか? ……なんですか、それ。喜んで良いのか悪いのか分かりませんけど……」
と、ビジーは驚きつつも、頭を掻いた。
マリアは、ジョニーを上下左右と見つめた。
社交辞令的な笑顔は消え、表情が険しくなっていく。
マリアの顔つきは黒ずみ、肩から怒りを発した。
叫んだ。
「この男は、今すぐここで殺すべきよ。この男は、とんでもない奴。悪の塊。絶対に生かしておけない。多くの人々を死に至らせしめ、どん底の不幸に落とす、人の形をした悪魔なのだから」
マリアが唾を飛ばす罵った。思いつく限りの言葉を尽くしたかのように、ジョニーには思えた。
談笑していた者たちは黙って、マリアとジョニーを見た。
「俺が貴様に何をした……?」
と、ジョニーは不機嫌さを隠しきれないでいた。妊婦に嫌われる覚えはない。
マリアは怒りが収まらない表情で、ジョニーに背を向けた。
ボルテックスが、半分笑いながら、話に入ってきた。
「カーチャン、そう怒るなって。ただの占いだろう? リコちゃんも気にするな。占いにいちいち本気にしてたら、寿命が縮むぞ? ああ、せっかくの酒の場が台無しだ。今晩は、皆、俺の家に泊まってもらう。朝早くに出発だ。ちゃんと風呂入って、寝ろよ? 明日から忙しくなるからな」
それぞれが、各自に割り当てられた個室に向かっていく。
「今日は、泊まりかぁ。どうしよう、準備は全然してこなかったけどね。家に一旦帰らせてもらえないかな?」
と、ビジーは、怖々と周囲を窺った。
ボルテックス商店の家人らしき、目つきの悪い男が、ビジーを睨んだ。
「あ、無理みたい。もう家に帰れない」
ビジーが小さくなった。
ジョニーとビジーは、目つきの悪い家人に個室まで連れて行かれた。
「ジョエル・リコ……。そなたも来てくれたのか? 頼もしいぞ」
セロンの優しい手つきが、ジョニーの肩に乗った。ジョニーは馬鹿にされているような感覚で、振り払いたくなった。
「大神官殿ともあろう人が、こんな反社会勢力どもと同伴しても良いのか?」
と、ジョニーは冷たく質問した。自分でも不思議なくらい、失礼な反応であった。
セロンは、ジョニーの意外な態度に面食らった。軽く咳払いをする。
「私は、弟に同行すると決めた」
一瞬で、普段の穏やかな表情に戻った。だが、どこか力がない。
「このままだと、弟が死ぬかもしれん。私は、とても心配だ。奴は生き急いでいる。どうしようもない、ロクデナシだが、私にとって唯一の肉親なのだよ。若き勇士、リコよ。私が、そなたに頼む権利などない。だが、あえてお願いする。どうか弟を助けてやって欲しい。命を救ってくれ。頼む……」
と、セロンは、声を絞り出して頭を下げた。
ジョニーは、貴人に頭を下げられて、内心、動揺した。そもそも人に物事を頼まれる体験が少ない。
覆面をした灰色の頭巾が、ジョニーを見ている。頭巾のせいで、顔が分からない。
セロンが、穏やかな口調で紹介する。
「私は、小間使いに連れてきた。この者の名前は……。そうだな」
と、セロンは顎に手を当てて、考える仕草をした。
「ナスティ。そうだ、ナスティだ」
と、何度も頷いた。まるで今さっき、セロンが思いついたかのような印象をジョニーは受けた。




