表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/173

妊婦

        1

 朝になった。

 居間に来ると、ビジーたちが集まって、話をしていた。

 いつもであれば、パン屋で仕事を始める時間である。だが、昨日はキズスに店を荒らされ、サレトスは逮捕され、誰も仕事をする余力がなかった。

 ビジーは、パルファンたちに昨晩の状況を報告していた。

 パルファンは目を見開き、マミラは理解できない表情をしていた。

 ビジーの母親は、家事に追われていながらも、聞いていた。

 サラは、籠の中で眠っている。

 ジョニーは、机の上に、木材を置いた。木材は、自分の腕と同じくらいの太さと長さがある。懐から短刀ナイフを取り出し、木材を削り始めた。

 ビジーの説明が終わると、プティが発言した。

「僕は、あれからシグレナスを回って、サレトスを探しました。サレトスが拘留されていそうな場所を全部探しましたが……」

 ジョニーは、“混沌の軍勢(ケイオス・ウレス)”が攻めて来た時期を思い返した。

 ジョニーが囚人だった頃……正確には未決囚だが、裁判が始まるまで、台車に乗せられていた。台車は木の格子で覆われていて、広場で晒し者にされる。

 視線の痛みを思い返した。

「……捕まっている霊落子スポーンが多すぎて、見つかりませんでした。霊落子は全員、頭巾フードを被っていて、見分けがつきません」

 プティが声を落とした。表情が憔悴している。シグレナスの広場を駆け巡り、結果が出なかった。自分の責任だと感じているのだ、とジョニーは理解した。

 ビジーは笑顔を見せた。プティの気持ちをくみ取っているのだ。

「ありがとう、プティ。……ご苦労様だったね。ジョニーの兄貴とおいらで、移送されている霊落子たちを追いかけるよ。それまでに、君はサレトスを探し続けてくれないかい? お金を支払うから、人を頼んでも構わない。サレトスの手がかりが少なすぎるのだから、できる対策はいくらでもやろう」

 ビジーは、叱責せず、優しくプティをねぎらった。だが、表情は疲れている。

「あるいは、パン屋を畳んじゃおうか。……あの一等地で家賃を支払い続けるって、大変だと思う」

と、ビジーは、弱気な提案をした。力のない笑みを浮かべている。

「い、いや……。閉店しないで」

 マミラは首を激しく振って、反対の意思を示した。パン屋はマミラの生き甲斐、いやマミラそのものである。閉店は、マミラの存在を否定するに他ならない。

 パルファンは、机を叩いて、立ち上がった。

「閉店したら、借金が残るだけ。サレトスが見つかるまで、続けましょう。仕事には、苦しい時期が何度もある。ここをくぐり抜ければ、大丈夫だから。……家賃は、あたしが大家さんと交渉する。事情を説明すれば、支払いを待ってくれるかもしれない。だから、諦めないで」

 パルファンの説得には、商売の豊富な経験が裏打ちされていた。迫力に負けて、ビジーは下をうつむいた。

 だが、家賃の支払いを延期しても、根本的な問題解決にはなっていない。

 肝腎の小麦粉を仕入れなければ、サレトスが見つけなければ、苦しい現状は続く。

 皆が、机の皿を見た。

 皿には、僅かなパンしか残っていない。誰も食欲はなく、手を伸ばす者はいない。

 ジョニーは、木材を削り続けた。あれこれ心配するよりも、自分の仕事に集中するだけだ。ジョニーが削る木片が、机に飛び散る。木を削る音が、部屋に虚しく響く。

「もっちゃ、もっちゃ」

 削る音を上書きするように、独特な咀嚼音が聞こえた。一人だけ、パンを頬張っている者がいた。

 癖っ毛の上に、奇妙な帽子があった。帽子は本人の拳よりも小さく、小さなプロペラが、天井を向いて載っている。帽子、というより装飾品に近い。

 昨晩、セロンを襲ったプリムであった。

「この子、誰? どこの子?」

 マミラが、瞬きをした。いつの間にか見知らぬ人物が増えているのである。驚いて当然であった。

「よく分からない。大神殿の前でセロン……大神官に逢いたがっていた。夜も遅いし、女の子を一人置いておくわけにも行かないし。うちに連れてきたけど……」

と、ビジーは言葉を選んだ。セロンを殺しかけていた、と、正確な情報を伝えれば、マミラなど、ひっくり返るだろう、とジョニーは予想した。

「セロンたま? セロンたまが、ここにいるのか?」

と、プリムは空になった皿で顔を隠した。頬が赤くなっている。ときおり皿から周囲を見回して、セロンを探している。

「大神官様のファンなのね。大神官様は、シグレナスで随一の美男子って評判だから」

と、マミラが微笑んだ。

 セロンがいないと確認したプリムは、皿を机に戻し、別皿のパンに手を着けた。

 結局、パンを一人で平らげた。

 口の周りには、食べかすをつけている。

 目を閉じ、腕を組み、ゲップをする。

「てきのほどこしは、うけない!」

「食べ終わった後に言わないでね!?」

と、ビジーは、椅子から転げ落ちた。

「君を助けたのは、おいらたちだからね? なんだか変な子だなぁ。……頭に変な帽子を着けているし」

 ビジーの発言に、プリムの満足した表情が、怒りに変わった。

「へん? うるせぇ、プロペラぶつけんぞ!」

 プリムが、ビジーに頭突きを喰らわす動きをした。

 ジョニーは短刀で削った木材を手のひらで回転させた。作品の出来映えに、まだ作業が必要だと分かった。

「口が悪いなぁ。そのプロペラが、どうしたの?」

と、ビジーは反論した。

「よくぞ。きいてくれた。プロペラは、このよで、もっとも、とうといものである。こうていより、えらい」

と、プリムは胸を張った。ジョニーは、話に従いていけない。いや、他の者もついて行けないだろう、と予測した。

「ぷぷぷ。おまえらは、なんでプロペラをあたまにつけていないんだ? はずかしくないのか?」

と、笑い出す。会話に、笑う箇所があるとは、ジョニーには思えなかった。

「いやいや、プロペラを頭に乗せる人は、いないよ」

と、ビジーが対応した。ビジー以外、プリムに反応する者はいない。

「それは、おまえらが、おくれているからだ。みかいのやばんじんどもめ! プロペラはいいものだ。おまえらに、プロペラをのせるけんりをあたえる」

「そんな権利、ないからね。頭にプロペラなんて乗せたら、変な人だと笑われちゃうよ」

「笑われる? さべつだ! プロペラさべつをゆるしてはいけない」

「誰も差別なんてしないよ。君に意地悪なんてしないよ……されるとして、どんな意地悪をされるのさ?」

 ビジーが困った表情をした。プリムの独特な世界観が、面倒臭い。

「……てでとめられた」

 プリムの返事に、ビジーは顔をしかめた。頭痛に苦しむ表情である。

「結局、君は、どうしたいのさ?」

と、ビジーは話を続けた。疲れている。世界一意味のない会話である。ジョニーは、自分なら無視する、と思った。

「プロペラに、じんけんを! プロペラの、プロペラによる、プロペラのためのせいじを!」

「とんでもない子を家に入れちゃったかなぁ」

と、ビジーは頭を抱える。

 静まる部屋の中で、プティが口を開いた。

「次は、どうするんですか? そのボルテックスとかいう人とまた会うんですか?」

と、ビジーを救出した。プリムと会話をしていても、話が先に進まない。

「聞いていなかった。クルトの連絡を待たなきゃね。多分、クルトがお店に来ると思うよ」

と、ビジーが救われたような表情を見せた。

「クルトさん?? あの、格好良い人?」

と、今度はマミラが頬を赤らめた。

「クルト……? あいつがか……?」

 ジョニーは肥満体のクルトを思い返した。容姿に迫力はあるが、美男子には思えなかった。

「クルトはパルファンと知り合いだし、お店にいれば、クルトがやって来ると思う。……プティ。小麦粉の在庫はまだあるかい? 在庫が切れるまで、パンを売り続けよう。今日は仕込みの時間が間に合わないから、休業で仕方がないと思うけど、掃除とか、片付けとかできるだけの仕事はしておこう。おいらたちにボルテックスやクルトと繋がりがある以上、キズスが意地悪をしてくるとは思えない」

と、ビジーが話をまとめた。

 マミラはパン屋の支度を始め、プティはシグレナスの地図を広げて、回る場所を確認した。

 ジョニーの対面に、パルファンが座る。ビジーはパルファンの隣になったが、ビジーは下を向いて、落ち着きのない動きをしている。

 パルファンが、ジョニーの手に自分の手を重ねてきた。ジョニーは手を引っ込めた。

「ジョニー様、いくらクルトたちと一緒でも、危険な仕事に変わりないわ。私、心配なの。無事に戻ってきてね……」

と、目を潤ませた。パルファンの気持ちが分からなくもないが、ジョニーには、何の感情も湧かなかった。冷たい自分に嫌悪感があったものの、ジョニーは何もできないでいた。

 パルファンに何か気の利いた返事が一つでもできればよかったが、心に動きがないので、何も話せない。

「大丈夫、おいらが従いているから。ジョニーの兄貴に何かあったら、おいらが助けてあげるからね」

と、ビジーが、自分の胸に拳を当てる。自信ありげな態度だが、パルファンはビジーの存在を無視した。

「パルファンって、恥ずかしがり屋さんだよね」

と、ビジーがジョニーに耳打ちをしてきた。ビジーの気持ちが分からなくもないが、ビジーの分析は、間違っている。

 ジョニーは、削りきった木材を眺めた。

「もう充分だろう」

 短刀を置き、木材を握りやすくするために、一部分に布を巻いた。

 布をきつく縛れば、木製の鈍器、棍棒の出来上がりである。

 グリップを細く握りやすくし、布を巻いた。

 ジョニーが素振りをすると、鈍い音で空気を切った。

 短刀を懐に忍ばせ、投石器スリングと、棍棒を腰のベルトに下げた。

「ビジー。喧嘩の準備はできた。俺は、いつでも行ける」

 ジョニーは、ビジーたちと一緒に、屋敷を出た。ジョニーはこれから大暴れできる、と期待して、足取りが軽い。

 マミラはジョニーの動きを見て、感想を述べた。

「そうね、私も元気をださないとね。ジョニーさんを見習わなきゃ……」

 ジョニーの真意を誤解している。

        2

 途中で、引っ越しの準備をしている家族を見かけた。高層住宅から家財を運び、荷車に積み込んでいる。

「家賃が払えなくて、大家さんに追い出されちゃった。主人の田舎に引っ越そうと思うの」

と、年配の女が、友人らしき女と会話をしている。

「最近、なんでもモノが高くてねぇ。シグレナスは家賃が高いから……」 

 パン屋“戻りし者(リターナー)”にやって来た。

 店内は荒らされ、開店の準備は難しい。

 キズスが暴れた跡を丁寧に片付け始めた。

 閉まっている店に、女性がやって来た。

 店内は荒らされ、開店の準備は難しい。

 キズスが暴れた跡を丁寧に片付け始めた。

 閉まっている店に、女性がやって来た。長い髪を後ろに束ねて、お腹が大きい。妊婦だと、ジョニーはすぐに分かった。パルファンは椅子を用意し、女性を座らせた。

 パルファンと女性は親密な態度で、話を始めた。

 話が一段落すると、パルファンはジョニーに女性を紹介した。

大家オーナーのポーリーさん。ポーリーさんがもともとはお店をしていたのだけど、赤ちゃんができて、お店を閉めちゃったの。今、家賃を後払いできないかお願いしていたの」

「苦しい状況はお互い様。皆さんのパン屋さんは人気があるから、絶対に終わらせたら駄目よ」

と、ポーリーはジョニーに笑顔を見せた。ポーリーとパルファンは微笑みあった。

 ビジーが、ジョニーに耳打ちをした。

「家賃支払いの交渉は、パルファンに任せたんだ。大成功だね。やっぱり、パルファンは頼りになるぅ。パルファンって、なんであんなに素敵なんだろう? 可愛くて、しっかり者で……。ああいう子を、お嫁さんにしたいなぁ。……ああ、おいらは何てことを言っているんだ」

と、ビジーは頬に手を当て、身悶えしている。自分の結婚を想像して、恥ずかしがっているのだ。

 パルファンは、ポーリーと話し込んでいる。

 ビジーの母親と一緒に片付けを始めた。ビジーの母親は、サラを背負っている。サラは、静かに眠っている。

 ビジーは、立て看板を作っている。キズスに壊された立て看板の代わりである。

 プティは、サレトスを探しに出掛けたので、姿が見えない。

 マミラは、物品や食材の名前を口に出し、帳簿に書き付けていた。

 ジョニーは手伝わなかった。雑事不干渉がジョニーの生き方であり、今さら生き方を変える気はない。雑事よりも喧嘩に興味がある。どんな敵と戦いになるのか、頭の中で想像して楽しんでいた。

        3

 ビジーの予想通り、夕方になると、クルトがやって来た。白い肌をした巨体で、不機嫌な目つきをしている。

「わぁ、クルトさん? いらっしゃい」

と、マミラが、歓声をあげた。作業を止めて、クルトを迎えた。手を合わせて、顔から熱気を出している。

 クルトは、鋭い目つきでマミラを見た。マミラがうっとりとした表情で、見返した。

 クルトの目つきは厳しかったが、徐々に柔らかみを帯びてきた。お互いを見つめ合っている。二人の時間が止まったようだ。

 ジョニーは両者の顔を見比べて、咳払いをした。

 クルトは、マミラから目を逸らし、不機嫌な表情を作った。不良としての威厳を保つためなのか、照れ隠しなのか、ジョニーには分からない。

「行くぞ。親分の家までだ……」

と、ジョニーとビジーに命令した。クルトの眉毛が鋭角に剃り上げられているせいで、眼力が増している。

 ビジーは、クルトの迫力に負けて、従いていく。ジョニーは後を追った。

 老女と、すれ違った。

「あら、貴女……」

 老女が、パルファンを見た瞬間、買い物籠を地面に落とした。

「ねえ、ひょっとして……。貴女、メルサの娘よね? 顔が似ているわ」

 パルファンに話しかけてきた。

「あたしのお母さんはメルサですけど。あたしに、なにか用ですか?」

と、パルファンは、自身のゆるふわな髪に似合わず、きつい口調であった。

「やっぱり! こんなに大きくなって。お母さんは元気?」

と、老女は涙で瞳を潤ませて、パルファンに抱きつく仕草を見せた。パルファンは避ける。

「あたしのお母さんは、昔に死にました。どこのどなただか知りませんけど、そんな話、貴女には関係ないです」

と、パルファンは冷たく拒否した。いつもと違って、機嫌が悪い。

「そうだったの……。ねえ、メルサの娘。うちに帰ってきて。私は、貴女のお母さん、メルサの主人だったの。貴女を奴隷として引き取るわ。貴女は私の奴隷として、一緒に暮らして欲しいの。貴女のお母さんとは仲良くしていた。だから、貴女とも仲良くできるはず」

「あたしのお母さんは、解放奴隷、つまり平民です。お母さんが平民のときに、あたしを産んだの。だから、あたしは平民であって、貴女の奴隷ではないの」

と、パルファンは口を結んで、老女を睨みつけた。威嚇する小動物のように思えた。

「貴女のお母さんを確かに解放したけれど、私は貴女を解放していない」

「解放されたとき、あたしは、まだお母さんのお腹にいました」

「いいえ、貴女のお母さんを解放するとき、メルサは貴女の手を引いていたわ。だから、私が解放したのは、貴女のお母さんであって、貴女は解放していない」

「そんなの言いがかり、屁理屈よ。あたしを奴隷にして、安くこき使う気なのね? ふざけないでください。一度、解放した奴隷を自分の都合で元通りにしないで」

 老女とパルファンの押し問答が続いている。

「あわわ、なんだかややこしい話になってきたぞ? パルファンが、あのお婆ちゃんの奴隷にされちゃうの? このまま、パルファンが引き取られたら、大変だ」

と、ビジーが慌てた。

 ジョニーとビジーは成り行きを見届けていたが、クルトは苛ついた声を出した。

「どうした? さっさと行くぞ。パルファンの問題は、パルファンが解決する話だ。俺たちは無関係だ」

 クルトの勢いに負けながらも、ビジーは何度も、後ろを振り返り、パルファンの様子を窺った。

「ああ、おいらはパルファンに何もしてあげられないんだ……」

と、悲観的な口調で自分を責めた。

        4

 ボルテックス商店にたどり着いた。

 “商店”と聞くと、雑貨店を思い浮かべたが、屋敷だった。ブレイク家よりも広く、塀が高い。

 門をくぐると、広い庭が見えた。庭は群生する蔓に支配され、蔓の中に石が積まれてできた浴水槽プールがある。

「すごい。豪華だね。いくら儲けているのだろう?」

 ビジーが周りを見て驚いた。

 屋敷に入ると、屈強で目つきの悪い男たちが列を作って、クルトに礼をした。

 執務室に通された。床や壁は大理石でできていて、天井は高く、床には獅子の毛皮が、絨毯として敷かれていた。

 執務室の奥に、巨大な机があり、多人数が机を囲っていた。

 ジョニーたちの気配に振り返った。

 フリーダ、スパーク、セルトガイナー、サイクリークス、いつものメンバーに加えて、セロンの姿が見えた。セロンの隣に、頭巾を被った人物が立っている。

「よう、遅かったな。クルト」

 机の向こうには、ボルテックスが机上に脚を乗せて、巨大な椅子にふんぞりがえっている。

「おお、ジョエル・リコ……」

と、セロンはジョニーを呼んだ。口で手を押さえ、笑いをこらえている。

(何が面白いのか……?)

と、ジョニーは不審がった。セロンの隣に立っている、覆面をした灰色の頭巾フードが、ジョニーを見ている。頭巾のせいで、顔が分からないが、確かに見られている。ジョニーは、頭巾がセロンの付き人かなにかだと理解した。

「クルト、お前が説明しろ。お前が考えたんだ」

と、ボルテックスが、机を指で叩いて、クルトに命令した。

 クルトが、ボルテックスに礼儀正しく頭を下げた。

 机の上で、羊皮紙を広げた。一同が中を覗き込む。内容は、シグレナスの地図であった。

 クルトは自身の太い指で、地図の一カ所を指し示した。地図の北部には、丘のある街が描かれていた。“シグレナス”と注意書きがあった。

「計画はこうだ。明日の早朝に、帝国の護送部隊が霊落子を連れて、シグレナスから出る。街道を越え、ギルザムを経由し、港町バスティアンを目指す。帝国は港の船に霊落子を乗せて、セイシュリアに送り出す予定だ」

 太い指は、地図上にあるシグレナス最南端の港町、バスティアンを越え、内海を通り、巨大な島を叩いた。下には“セイシュリア”と書いてある。

「俺たちは、帝国軍の後を追う。商人の旅団に化けて、つかず離れずの距離を取る。……で、問題は、カナタリア山脈を越えた先にある、森の中だ」

 南までたどり着いた指は、北の山まで引き返した。山の周辺には、森が描かれていた。

「陸路を通る限り、バスティアンまでには、森を通る必要がある。森の中で襲撃をする。休憩中の兵士に奇襲をかけ、護送車を破壊する。霊落子を逃がせば、今回の仕事はおしまいだ。……何か質問があるか?」

と、吐き捨てるように終えた。

「ずいぶん、乱暴な作戦であるな。作戦にしては、子どもっぽいぞ……? たとえ成功しても、シグレナスに帰ったら、すぐに身元が割れ、逮捕されそうだ」

と、ジョニーは鼻で笑った。

 クルトが睨んでくる。ジョニーは、クルトの態度が気にくわない。いつでも殴り合いに応じるつもりだ。ジョニーはクルトから顔を背けて、笑っているふりをした。

「よしなよ……」

と、ビジーがたしなめるが、無視した。

「これでは、まるで自分の国に対する反乱テロ行為のようである。……暴力はいかんぞ。もう少し平和的な手段はできないのか……?」

と、セロンが眉をひそめる。子どもの悪巧みを見抜いた親のようであった。

「ふん。今の皇帝が無能だからだ。あいつのせいだ。反乱されて当然の奴だ。霊落子といえども、誰かを差別するような奴が皇帝になっちゃいけねえ。シグレナスは、自由と平等の国だからな」

と、ボルテックスが鼻を鳴らした。責任転嫁している、とジョニーは思った。

「違う、私はお前を心配しているのだよ。弟よ。リコの申すとおり、反逆罪に問われれば、お前は死刑だ。今すぐ止めろ」

と、セロンが悲痛な声を出す。隣に頭巾を被った人物が、セロンを見た。動きから、女だとジョニーは察した。

「いいか、兄貴。俺は死なねぇ。誰も俺を殺させねぇ」

と、ボルテックスは、自分の胸に手を当て、抑揚をつけて反論した。

「シグレナスの自警団、悪党どもは俺の味方だ。皇帝だろうと、元老だろうと、自警団や悪党どもの力がなければ、何もできねぇ奴らばかりだ。それなのに、皇帝は俺たちを押さえつけ、威張り散らしていやがる……。あの愚かな皇帝に一泡吹かせてやらないと、気が済まねぇ」

「そなたは分かっておらぬ。弟よ。目を覚ませ。そなたの気持ちは分からぬでもないが、争いは何も産まないのだよ」

 セロンは諭した。できるだけ穏やかであろうとしているセロンの気持ちが、ジョニーに伝わった。

 女が部屋に入ってきた。女は腹が出ていて、ポーリーと同じ、妊婦だとジョニーには分かった。盆をもった奴隷たちを引き連れている。

「マリア。俺の女房だ」

と、ボルテックスが紹介した。

 マリアは化粧が厚く、鼻を突く香水をつけていた。マリアが手を叩くと、奴隷たちが盆からジョニーたちに杯を渡した。

 杯が皆に行き渡ると、ボルテックスが杯を天井に向かって持ち上げ、

「勝利を我らが手に! ……乾杯!」

と、中身を一気に飲み干した。フリーダ、クルトらも続く。

 ジョニーが、杯に鼻を近づけると、嫌な匂いがした。酒だった。ビジーも嫌な顔をしている。二人とも、酒が飲めない。

 酒の力で、空間の緊張が解けた。

 各自が談笑してるいる中、マリアが、セロンに近づく。

「大神官様。うちの旦那はロクデナシで、馬鹿でケチで大食いで、金と女と酒に目がなくて、どうしようもない奴だけど。やるときは、やるからね。だから、心配しないでおくれ」

と、マリアが、セロンに片目で瞬きした。褒めていない、とジョニーは思った。

「へへっ。うちのカーチャンはな、人相見ができるんだ。当たっているんだな、これが。おう、お前ら、うちのカーチャンに占ってもらえ」

と、ボルテックスが自慢した。

「俺たちは、いつも占ってもらっているので……」

と、スパークは辞退した。どうも日常的に行われている迷惑行為である、とジョニーは直感的に理解した。

 マリアは、セロンをじっと見つめた。

「大神官様……。貴方はさらに高貴な身分に就くわ」

と、口角をあげて、笑顔を作った。マリアは、セロンの隣にいる頭巾の人物は素通りした。

 マリアは、次にビジーをじっと見つめた。パルファンが気になっているとはいえ、基本的には女嫌いのビジーである。顔を背けた。

「あなた、凄いわね」

 だが、マリアは笑顔であった。

「本当ですか? えー、好きな人がいますけど、相手はどう思っていますか?」

「いいえ、相手は貴方に興味ないから。そんなことよりも、貴方。仕事運が良くなるわよ」

と、マリアが断言した。

 ビジーは落胆した表情を一瞬だけ見せた。パルファンの件について思い返したのかもしれない、とジョニーは思った。

「仕事? どんな仕事ですか? おいら、働いていないんだなぁ。どこかで勤め出すのかな? それとも、パン屋さんが繁盛するのかもしれない」

「貴方の仕事ぶりは、死後、評価されるわ」

「死後? 死んだ後ですか? ……なんですか、それ。喜んで良いのか悪いのか分かりませんけど……」

と、ビジーは驚きつつも、頭を掻いた。

 マリアは、ジョニーを上下左右と見つめた。

 社交辞令的な笑顔は消え、表情が険しくなっていく。

 マリアの顔つきは黒ずみ、肩から怒りを発した。

 叫んだ。

「この男は、今すぐここで殺すべきよ。この男は、とんでもない奴。悪の塊。絶対に生かしておけない。多くの人々を死に至らせしめ、どん底の不幸に落とす、人の形をした悪魔なのだから」

 マリアが唾を飛ばすののしった。思いつく限りの言葉を尽くしたかのように、ジョニーには思えた。

 談笑していた者たちは黙って、マリアとジョニーを見た。

「俺が貴様に何をした……?」

と、ジョニーは不機嫌さを隠しきれないでいた。妊婦に嫌われる覚えはない。

 マリアは怒りが収まらない表情で、ジョニーに背を向けた。

 ボルテックスが、半分笑いながら、話に入ってきた。

「カーチャン、そう怒るなって。ただの占いだろう? リコちゃんも気にするな。占いにいちいち本気にしてたら、寿命が縮むぞ? ああ、せっかくの酒の場が台無しだ。今晩は、皆、俺の家に泊まってもらう。朝早くに出発だ。ちゃんと風呂入って、寝ろよ? 明日から忙しくなるからな」

 それぞれが、各自に割り当てられた個室に向かっていく。

「今日は、泊まりかぁ。どうしよう、準備は全然してこなかったけどね。家に一旦帰らせてもらえないかな?」

と、ビジーは、怖々と周囲を窺った。

 ボルテックス商店の家人らしき、目つきの悪い男が、ビジーを睨んだ。

「あ、無理みたい。もう家に帰れない」

 ビジーが小さくなった。

 ジョニーとビジーは、目つきの悪い家人に個室まで連れて行かれた。

「ジョエル・リコ……。そなたも来てくれたのか? 頼もしいぞ」

 セロンの優しい手つきが、ジョニーの肩に乗った。ジョニーは馬鹿にされているような感覚で、振り払いたくなった。

「大神官殿ともあろう人が、こんな反社会勢力どもと同伴しても良いのか?」

と、ジョニーは冷たく質問した。自分でも不思議なくらい、失礼な反応であった。

 セロンは、ジョニーの意外な態度に面食らった。軽く咳払いをする。

「私は、弟に同行すると決めた」

 一瞬で、普段の穏やかな表情に戻った。だが、どこか力がない。

「このままだと、弟が死ぬかもしれん。私は、とても心配だ。奴は生き急いでいる。どうしようもない、ロクデナシだが、私にとって唯一の肉親なのだよ。若き勇士、リコよ。私が、そなたに頼む権利などない。だが、あえてお願いする。どうか弟を助けてやって欲しい。命を救ってくれ。頼む……」

と、セロンは、声を絞り出して頭を下げた。

 ジョニーは、貴人に頭を下げられて、内心、動揺した。そもそも人に物事を頼まれる体験が少ない。

 覆面をした灰色の頭巾フードが、ジョニーを見ている。頭巾のせいで、顔が分からない。

 セロンが、穏やかな口調で紹介する。

「私は、小間使いに連れてきた。この者の名前は……。そうだな」

と、セロンは顎に手を当てて、考える仕草をした。

「ナスティ。そうだ、ナスティだ」

と、何度もうなづいた。まるで今さっき、セロンが思いついたかのような印象をジョニーは受けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] プロペラの話をしているところがおもしろかった。 これから先パン屋さんと戦いがどうなっていくのかが楽しみです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ