大神殿
1
大神殿は、丘の上にあった。
幅の広い階段を駆け上ると、高い柱に囲まれた建造物が、徐々に全貌を現していった。
満月が青白く照らす大神殿には人の気配はなく、巨大な扉は、深く閉ざされている。すべての生命が寝静まったかのようにジョニーは感じた。
ジョニーたちは裏手に回った。
高い壁に遮られている。建物の二階分は高さだ、とジョニーは思った。
「サイクリークス……」
ボルテックスが静かに命令した。
サイクリークスが緑色の霊骸鎧……“蔦走り”になった。
“蔦走り”が足の裏を壁に貼りつけた。垂直な姿勢で登っていく。“蔦走り”の前では、どんな障害物でも無意味である。
壁の上から上半身を出して、腕から細い蔦を発射した。
“蔦走り”が垂らした蔦に、フリーダが勢いよく掴まった。
「あたしが一番乗りだ。最初に行かせてもらうよ!」
と、軽い身のこなしでよじ登っていく。
「以外と警備が薄いのな」
と、スパークが手持ち無沙汰らしく、簡単な踊りを踊っている。だが、視線は上だった。
「暗闇が最大の衛兵なんだよ。今夜は月明かりで見通しが良いがな」
セルトガイナーが腕を組んで、上方にむかって顔を固定した。
「オメェら、さっきから、どこを見ているんだよ?」
と、フリーダが壁の上で、太ももの出るスカートを手で押さえて喚いた。
順番に登っていく。
「おいら、高いところは苦手なんだよなぁ」
ビジーが不満を呟きながら登る。辿々しく、普段の運動不足が露呈している。
ジョニーは見張りをしていたので、最後だった。
壁の向こうを越えると、中庭だった。綺麗に手入れをされた花や草木があった。
クルトたちは、ロープを大木に括り付けて、脱出経路を確保した。
ボルテックスが地図を広げ、指で指し示す。
「大神殿には、三つの宝物庫がある。お前らは三手に分かれて、宝物庫まで金目のものを掠め取ってこい」
クルトとスパーク、セルトガイナーとサイクリークス、ジョニーはビジーと二人一組になった。
ジョニーが指示された場所は、現在地よりも一番遠かった。
「ボルテックス、貴様はどうするつもりだ?」
と、ジョニーは訊いた。不平不満を伝える意図はなく、単純に感じた疑問をぶつけた。
「……俺たちはここで見張りをするよ」
と、ボルテックスは口元を歪めて笑みを浮かべた。
皆が各自の目的地に出発したとき、ジョニーは振り返った。ボルテックスはフリーダの尻を撫でていた。フリーダは表情を変えていない。
窓に、はめ込み用の板はなく、簡単に侵入できた。
クルトたちと分かれ、ジョニーは周囲を見回す。石造りの壁をくりぬいたような窓から、月の明かりが差し込んでいる。
眠る時間なのか、物音が一切聞こえない
ジョニーは腰を落として、廊下を歩いた。
後から続く、ビジーの足音が騒がしい。
「やかましい。もう少し静かに歩け」
と、奴隷のジョニーはビジーに注意した。
「だってぇ、馴れていないもん。普段から泥棒なんてしないよ」
と、主人のビジーが言い訳をする。ジョニーは単独行動を主張したくなった。
暗闇の向こうから、小さな光が向かってくる。ジョニーはビジーの腕を引いて、壁に身を潜めた。
息を殺して、相手の出方を窺う。
白い服を着た、年配の女が燭台を手にして歩いていた。ジョニーたちを素通りした。
「巫女さんだよ。大神殿は、女性しか住んでいないんだ」
ビジーが小声で説明した。
ジョニーは室内なのに、風を感じた。
どこかに、外気が入り込んでくる。
見上げると、天井と壁に隙間があった。
今は夜だから分からないが、隙間をつくって、外からの光を取り込むためだ、とジョニーは理解した。
「上に登るぞ。壁と天井の隙間を歩いて、見つからないように進む」
「無理。おいらには泥棒は向いていない。ジョニーの兄貴が行って」
ビジーは口を曲げて、首を振った。ジョニーには、泥棒に向いている人物と出会った経験はない。
「ビジー。ならば、貴様はここで身を隠しておけ。俺は一人で行く」
役立たずの世話を焼いている暇はない。
ジョニーは壁を蹴って、壁の上まで登った。天井までの高さはなく、這って進まなくてはならない。
目の前で埃が舞う。口を押さえて、咳を我慢した。
地図は記憶してある。
明かりのある部屋は避けて、先に進む。
遠くから女の悲鳴が聞こえる。
女たちが騒ぎ出した。
「誰か見つかったな。ビジーか? それとも、あのスパークとかいう奴か?」
ジョニーは、騒ぎがある間に、自分の目的を達成しようと考えた。見つかった仲間は、囮である。
十字路に当たった。壁は左に折れている。目的地に向かうには、対面の壁に飛び移らなくてはならなかった。ただ、這った状態から飛び移るのは難しい。一度地面に降りる必要があった。
向こうから、足音が聞こえる。女たちの一群がやって来た。
ジョニーは身を伏せた。
通過を待つ。
だが、最後尾の女が、ジョニーに気づいた。台所で害虫にでも遭遇したかのような表情になっていく。
女が叫んだ。
女の一人が、手にしていた棒を投げつけてきた。棒は頭上の壁に跳ね返る。
「大神殿の女たちは、殺意が高いな」
壁の上は回避する場所が狭すぎる。
ジョニーは身を翻して、地面に降り立った。女たちのど真ん中である。
女たちが悲鳴を上げ、ジョニーを中心にして空間を広げた。
怖がらせるだけで良い。
ジョニーは霊骸鎧に変身するため、印を組んだ。だが、“影の騎士”が出てこない。
「俺の霊力が尽きたのか?」
だが、ジョニーは仮説を否定した。霊力を使い果たせば、気絶しているはずだ。
大神殿の独特な空気に、何か原因があると、直感した。
棒を持った女たちが冷静さを取り戻した。密集隊形を作り、幅狭しとジョニーに向かって突き進んできた。
最前列の女たちは身体の大きく、圧力を感じる。
「なかなか訓練されているな。そこらへんの不良どもより強いかもしれん」
ジョニーは背を向け、走り出した。
曲がり角から暗闇に、身を隠す。
身をかがめて、廊下を全速力で走った。曲がり角から燭台を持った女が出てきたが、ジョニーは両脚を揃えて飛んだ。女の頭上で横回転して、衝突を避けた。
女は気づいていない。
外に出た。
外には渡り廊下が走っていて、別棟が目に入る。
別棟に入ると、廊下に並べられている機材から、炊事場だと分かった。湯気が出ている門を見つけた。
風呂場だ。シグレナスの建設哲学からいくと、台所と水場は同じ空間になければならない、と考えられている。
前方から、人の気配を感じた。
途中の門を潜る。
潜伏先は、棚が並ぶ、脱衣所だった。棚には、衣類用の籠がある。
浴場とは、壁に仕切られ、壁と壁の隙間から湯気が漂っている。
籠の一つに、衣服が綺麗にたたまれてあった。
仕切りの向こうから、湯が床を打つ音が聞こえる。持ち主は入浴中だ。
(服を盗んで、女のふりをする)
ジョニーは忍び足で、服を手にした。
自分の服を脱ぎ捨てる。埃と汚れで黒くなっている。
裸で廊下に出るわけには行かない。全裸で発見されたくない。持ち主が入浴を終えるまで、着替えなくてはならない。
目の前で広げた。
「なるほど、これがこうなって、こうなっているのか……」
女の服は複雑である。ジョニーは、何度も裏返して構造を理解した。
腕を袖に通す。
柔らかくて良い匂いが衣服から伝わってくる。
籠を手探りすると、布きれが残っていた。
「むっ、柔らかい。……取り忘れがあったか」
布きれを指でつまんだ瞬間、仕切りの向こうから、白い肌をした少女が姿を現れた。
濡れたクリーム色の金髪を、タオルで拭いている。
見覚えのある人物で、ジョニーは名前を知っていた。
(セレスティナ……!)
後ろから足音が聞こえる。騒がしく、猪の群れかとジョニーは思った。
「ここにいた!」
棒を持った女たちが、更衣室に殺到してきた。
ジョニーはもみくちゃにされながら、セレスティナの驚いた表情を見つめていた。
2
ジョニーは一室に押し込まれた。
岩壁の無機質な部屋で、机と椅子があるだけだった。
ジョニーは椅子に座った。
唯一の窓から、月明かりが差し込んでいる。
クルトが入ってきた。セルトガイナー、サイクリークス、ビジーもいる。
「ぞろぞろと……。貴様らまで捕まったのか?」
「ここでは変身できなかったんだ! おまけに、シグレナスの女は、霊骸鎧より強くてね」
と、スパークが応えた。おどけた仕草をする。いつも踊っているな、とジョニーは思った。
(ここ大神殿では、変身できない仕掛けがある)
と、ジョニーは自分の仮説が正しいと理解した。
「それじゃあ、あたしが二重に強いみたいじゃねえか!」
と、フリーダはスパークを殴った。
最後にボルテックスが入ってきた。
ジョニーは仲間と思われたくないので、席を立ち壁に背をつけた。部屋の隅である。椅子にあぶれたビジーとサイクリークス、セルトガイナーも立った。
ボルテックスとフリーダ、スパークとクルトが横一列に座った。反対側は空席となった。
「大神官様がいらっしゃいます……。そのままでお待ちください」
と、女の声が部屋の外から聞こえた。
「わかったぁ。ありがとね~」
と、泥棒として捕まったのに、ボルテックスは余裕を見せていた。机に脚を投げ出し、顎を掻いている。
クルトは剃り上げた眉毛を動かさず、目を閉じている。スパークは、机を指で叩いて韻律を刻んでいたが、あえなくフリーダに殴られた。セルトガイナーとサイクリークスは小声で談笑している。
自警団たちは余裕であったが、ビジーだけが困惑していた。
しばらく待たされた。
「大神官、セロン様がいらっしゃいました」
と、女が声を出す。
青と白の頭巾で顔を隠した人物が入ってきた。背筋を伸ばし、両腕を身体の全面に組んでいる。
クルトとフリーダが席を立った。スパークも遅れて立つ。ジョニーを含む席に座れない組は立ったままだ。唯一ボルテックスだけが座ったままである。
ボルテックスが、最初気づいていないふりをしていたが、振り返って手を振った。
「よう。元気か、兄貴?」
大神官セロンは無視して、ボルテックスの向かい側に座った。
「我が弟、ボルテックス。脚をどけたまえ。そなたは子どもの頃から行儀の悪い奴だったな」
と、セロンは頭巾を外した。
輝く金髪に、温かい眼差しをした若い男の顔が現れた。素顔をさらすと、月明かりの部屋が、金色に輝いたかのように感じた。
セロンの美丈夫ぶりにクルトたちは息を呑んでいる。
(老人かと思った……。二十歳後半くらいか)
ジョニーは驚いた。驚くと同時に、胸が締めつけられるような感覚がする。
(何か変だぞ……。俺はどうしたのだ?)
ジョニーは内部の変化に戸惑った。
「ボルテックスと大神官って、兄弟だったんだね? 自警団の長と、宗教施設の長が兄弟って、つまり二人とも凄い立派な家柄の出身なんだろうな」
と、ビジーが小声で驚いていた。
「セレスティナ、お客様に水を持ってきなさい」
と、セロンが部屋の外に向かって命令した。低い声は優しく、安心感を与えるようだと、ジョニーには感じた。
盆を持った、セレスティナが部屋に入ってくる。
セレスティナが入ってくるだけで、男たちはどよめいた。セレスティナの横顔に、視線が釘付けになった。
ボルテックスの前に杯が置かれると、ボルテックスは脚をどけた。美女に手懐けられた野獣のようである。
クルトは、セレスティナに興味を示さない態度を取った。だが、杯を机に置かれると、耳が赤くなった。
フリーダは、かしこまって一礼をした。
スパークは動揺したかのような意味不明の動きで踊り、杯を受け取った。
セルトガイナーは表情を緩ませ、サイクリークスは前髪で目を隠し、ビジーは縮こまって受け取った。
照れ笑いする男たちのせいで、部屋の空気は和やかになっている。
だが、杯はビジーに手渡した分で終わった。一番遠い位置にいたジョニーまで杯は足らなかった。
セレスティナと目が合った。
セレスティナは眉間にしわを寄せ、睨みつけてくる。
睨みつけてくる相手には睨み返すジョニーであったが、目を逸らした。
あまりにも美しくて、正視できないのである。
セレスティナは盆を胸で抱えて、部屋の出口に駆け足で向かった。
「セレスティナ。君はここにいなさい」
と、セロンが止める。セレスティナは紐でも着いているかのように立ち止まり、身をかがめて、セロンの後ろまで走った。
セレスティナがセロンの後ろで背筋を伸ばすと、ボルテックスたちは目を瞠った。
「美男と美女、お似合いの二人組だねぇ」
と、スパークが余計な発言をする。だが、いつもと違って、フリーダはスパークを殴らなかった。セロンとセレスティナに見惚れていたからだ。
ジョニーには腹の底から、異変を感じた。煮えたぎった湯が湧き上がるような感覚だった。
「さて、我が弟、ボルテックスよ。こんな夜更けに、大神殿に何の用だったのかね?」
と、セロンが話を続ける。声は落ち着いている。
「この世で一番価値の高いお宝をいただきに来たのよ」
と、ボルテックスは大げさな動きをしながら、発言した。
「……たしかに、ここ大神殿にはシグレナスの宝が集まっている。だが、世界一の宝は、存在しない」
「いいや、あるね」
「あるとして、私はあくまでも、シグレナスの宝物を預かっている身分にすぎない。そなたは私に悪事を持ちかけるのなら、そなたは私にどのような交換条件を持ってきたのかね? ……もっとも、誰も悪事に加担しないがね」
「……皇帝の座、よ」
と、ボルテックスが口元に人差し指を当てた。
セロンの表情がみるみる険しくなってくる。席を立ち、声を荒げた。
「そなた! たとえ兄弟でも、不敬な発言は許さんぞ!」
怒るセロンに、ボルテックスは笑い出した。
「悪い、悪い。兄貴。冗談だよ。兄貴は昔から冗談が通じないんだから。……でも。俺は兄貴が皇帝になって欲しいと本気で思っているよ。兄貴みたいな優しい男が、帝国の頂点に立てば、もっと皆が幸せになると思うな」
ボルテックスの声が穏やかになった。
「そなた、このまま衛兵に突き出して、処刑しても構わないのだぞ? これ以上の不敬は許さん」
「兄貴、落ち着けって。ごめんって。……アーガス。なんて日だ」
と、ボルテックスは天を仰いだ。
「またアーガス教か。くだらない宗教に戯れているから、そなたは妄言を吐き散らすのだ」
「いやいや、アーガス教は最高だ。兄貴も入信しなよ。ぶっ飛ぶぜ? ……良いか、お前らもよく聞け。これから、世界は真っ二つに引き裂かれる。一つは人が住めない場所になって、もう一つにの場所には“魔王”が復活する。世界の人口は百分の一になって、世界は、世にも恐ろしい“魔王”に支配される。……恐怖政治の始まりだ」
と、ボルテックスは演説を始めた。
クルトは顔を強張らせている。フリーダは腕を組んで舌打ちをし、スパークは天井を見上げた。セルトガイナーとサイクリークスは下を向いている。聞き飽きるほど聞かされた話題なのだ、とジョニーは直感した。
「そこで、登場するのが、救世主様だ。神々しく光り輝く軍団を引き連れて、“魔王”の住まう国を攻める。救世主様は“魔王”をお倒しになり、世界を幸せと平和の中で末永く治められるのだ」
と、ボルテックスは自分の太ももを叩いて話を終えた。
「ビジー。コイツは何を話している? 同じ言語を使っているのに、俺にはまったく理解できないぞ」
と、ジョニーは小声で質問した。
「アーガス教についてよく分からない。でも、開祖であるアーガスは、人々を怖がらせた罪で死刑になった、と歴史書で呼んだ記憶がある」
ビジーは困った顔をしている。
ボルテックスの話を最後まで聞いて、セロンは口を開いた。
「一神教など、争いの種になるだけだ。……セイシュリアとヴェルザンディを見たまえ。彼らはいつも戦争をしている。一神教は、他宗教の否定に他ならない。我が国シグレナスは他国の宗教を受け入れてきた。各人に信仰の自由を認めたから、世界帝国になりえたのだよ。寛容こそ神々の御意志だとは思わないのかね」
セロンの発言も、ジョニーには理解できなかった。ボルテックスの考えが間違っていると主張している、と仮説を立てた。
ボルテックスが反論する。
「いいや、神は唯一無二の存在だ。多神教やヴェルザンディ、どれも偽物さ。神がいっぱいいて、それぞれ動き出したら、世界は混乱するよ。しょせん唯一神の前では、ただの幽霊さんだ。兄貴も、アーガスの書を読んでみろよ。あれはな、預言の書なんだ。この世におわせられる唯一神が、俺たち人間に唯一神の存在を証明するために、未来の出来事を書かれたもうたんだよ」
「またの機会にゆっくりと読ませてもらうよ。ボルテックス、弟よ。……だがな、宗教の話は喧嘩になるだけだな。これからは、シグレナス大神殿では、宗教の話は禁止にするとしよう」
と、セロンは話を終わらせた。
セロンが水で喉を潤わせていると、ボルテックスが話を続ける。
「で、兄貴。俺が欲しがっているお宝は何か、目星がついたかい?」
「さあ。まったく分からん。何なのだ?」
首を捻るセロンに、ボルテックスは指を向けた。ボルテックスの指が少しずつ動いていく。
「その女だ」
セレスティナを指さしていた。




