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“聖母”が話を始めた。

 教訓や説話であった。どれもが霊落子スポーン中心の話題であり、ジョニーにとって興味の対象外となった。

 目を閉じて、余計な体力の消耗を避ける。人の話を聞いても、頭に入ってこない性質である。

 隣のビジーに肘で突っつかれたが、無視した。

“聖母”の訓話は終わり、歌が聞こえた。霊落子たちの歌だった。


 ラウ ウフ サルンガ インザルギーン

 ラウ ウフ ガウロン インザルギーン


 月破れ 星砕け 舞い降りる 我ら神

 沈む城 地にむくろ 火が止まぬ 終焉おわりの日

 取り戻せ 奪い去れ 忌む家畜 我らいのち

 絶望を 受け入れよ 希望のぞみなく 覚醒めざめの日


 歌声は地の底から響く地鳴りのようであった。不気味な歌詞と一体となった歌声に、ジョニーは足下から冷えを感じた。

 歌が終わると、“聖母”を称える歌が始まった。比較的楽しげな曲である。壁際の霊落子たちが楽器を鳴らしている。

 楽しげでも、どこか珍妙な律動リズムである。演奏中、“聖母”の前に、子どもの霊落子が行列を作った。

 子供の霊落子たちは、順番に“聖母”の足に口づけをしていく。

 小柄な霊落子スポーンの番になった。“聖母”の足下に飛びつき、口づけをすませる。他の子どもたちと違って、すぐには出て行かなかった。蟷螂かまきりに似た顔を、“


聖母”の太ももに乗せている。

 蟷螂顔の霊落子は、ジョニーを指さし、“聖母”に何かを伝えた。

 顔半分が植物の根で覆われているにもかかわらず、“聖母”はジョニーの方向を振り向いた。

「ジョエル・リコ……」

“聖母”が手招きをした。声は大きくなかった。霊落子たちが雑談している中、澄んだ声で、直接、心に響いてくる。

(俺はジョニーだ。ジョエル・リコではない)

 ジョニーは反論したかった。だが、口にはできなかった。

 自分の意思に関係なく、ジョニーは立ち上がった。ビジーが不審がったが、ジョニーはなんら弁解をしなかった。いや、できなかった。夜のかがり火に群がる虫のように、光を放つ


“聖母”に引き寄せられていった。

“聖母”の座る舞台の前に立ち、巨大な椅子に座っている“聖母”を見上げた。“聖母”の背後には、二人の人物がいると気づいた。それぞれ頭巾を被って顔を隠し、一人は背が高く


、もう一人は小柄であった。

 ジョニーは不気味さを感じた。

 深くは詮索できなかった。いや、あえてしなかった。

 ジョニーは恐怖の感情を抑えつけた。ジョニーの中では、恐怖は存在しない。

“聖母”は顔の上半分から植物の根のような管をいくつも生やし、天井につなげている。植物の根は、柔らかく、脈動していた。むしろ、蛸や烏賊といった軟体動物の触手に似ている


。触手は、各自の意思をもつかのようにうごめき、“聖母”の動きに柔軟に対応している。

 この世にあらざる存在を前にして、ジョニーは唾を飲み込んだ。

 苦みのある唾だ。

(俺は恐怖している……? いいや、俺は恐怖を捨てた。俺に恐怖があるはずがない。これは、心の迷いだ……)

 ジョニーは必死に自分の恐怖を否定した。だが、自分の内部から湧き起こってくる謎の感覚に、ジョニーは飲み込まれつつあった。

 並んでいる霊落子たちが道を開けた。ジョニーは“聖母”から呼び出されたのである。“聖母”の意思は、何事にも優先される、とジョニーは理解した。

 ジョニーは、舞台の階段を一歩ずつ登った。まるで、誰かに操られていくようだった。

 登るたびに、腰が、頭が下がっていく。

 舞台の上に立つと、ジョニーは完全にひざまずいていた。自分の行動が理解できない。

 これまで、相手が自警団だろうと、帝だろうと、誰の下につく気はなかった。ジョニーは自分を貫いていた。

(俺は夢でも見ているのか? 俺が誰かに頭を下げるなど、ありえない!)

 ジョニーは心の中で叫び、立ち上がろうとした。

 だが、強い力で地面に押さえつけられる。何者かが背後にいる。だが、後ろには誰もいない。人智を超えた何かが、見えない存在が、エネルギー体が、ジョニーを床に這いつくばら


せているのである。

 抵抗できない。ジョニーの全身から汗が噴き出た。

 身体の鍛錬をしていて、筋肉が限界に達したときのように起き上がれない。いや、鍛錬と違って、疲労がない分、異様さが余計に増している。

 蟷螂顔の霊落子が、ジョニーと同じ高さまで自分の顔を並べた。緑色の複眼を横からジョニーに見て、口づけをする仕草をしている。

 ジョニーにお手本を見せているのだ。

 霊落子に対して差別意識のないつもりではいたものの、昆虫の顔が自分を教育している状況の前では、冷静でいられなかった。 

 だが、蟷螂顔の霊落子に対応している場合ではなかった。

 ジョニーの震える首から、汗が滴る。

 白い足の甲が眼に入った。

“聖母”の足は、骨が浮き上がった、大理石のような肌をしていた。

 ジョニーは、ボルテックスや霊落子たちと同じく、唇をつけたい感覚に陥った。だが、口づけをしてしまえば、自分が自分でなくなる気もする。

 霊落子と市民がシグレナス市民広場で衝突しあったとき、助けた霊落子に足下を口づけされた記憶が甦った。

(まさか、あのときの霊落子が……)

 隣の蟷螂を見て、納得した。

 自分の意思とは関係なく、ジョニーの顔に足の甲が近づく。いや、ジョニーが近づいているのだ。

(ボルテックスが素直に口づけをしたのだ。俺がしても構わないだろう……)

と、ジョニーは意味不明の言い訳をした。自分でも口づけをしたい衝動を抑えきれない。

 足の甲は冷たかった。

 唇に電気が走る。感電による痛みが、全身に伝わった。

 ジョニーの視界には、光が広がった。

 光の力は強大で、ジョニーは自分自身の全身が破裂したかと思った。

 光が波紋のように広がっていく。光が過ぎ去った空間は、暗闇になった。

 暗闇の周辺には壁がなく、無限に続いているように思えた。だが、ジョニーは、現在地が白い壁に覆われている、と知っていた。

 目が馴れてきた、というより、現在地からは知覚できない白い壁が光源だと理解した。なぜ理解したのか分からないが、ジョニーは知っている。

 ジョニーは裸だった。

(俺は、夢でも見ているのか……)

 胸の赤い宝石を見下ろした。

 頼る存在もなく、ただ歩いていると、女の姿が見えた。

 髪は長く、銀色の光沢を放っている。両手で胸を隠し、静かに微笑んでいる。

「誰だ?」

 ジョニーは刺すように質問した。警戒の含んだ声から、だが、ジョニーは、この女が誰かを知っている。

「ここは、どこだ? どうして、俺たちはここにいるのだ?」

 女は一歩近づいて、ジョニーに自分の身体を押しつけた。ジョニーの背中に手を回す。

「“聖母”、貴様はここで何をしている?」

 女の柔らかい肌に、ジョニーは動揺した。女は微笑みを見せた。

 両の瞳は、硝子ガラスのように透明で、硝子の中には、砂時計のような形をした瞳孔があった。

 瞳孔は左右の瞳で、それぞれ違っていた。片方は、金で、もう片方は銀だった。

“聖母”は想像以上に若かった。自分よりも少し年上である。

「“聖母”だなんて呼ばないで。私の名前はマグダレーナ。マグダレーナと呼んで。……ジョエル・リコ。貴方は私たちアポストルに選ばれました。さあ、私とともにいらっしゃい。


どこまでも続く、永遠の愛をお見せしましょう」

 マグダレーナは両眼を伏せ、唇をジョニーに近づけた。

「よせ、やめろ」

 ジョニーは叫んだ。抵抗しようにも、強い力の前では、なすすべがない。

 ジョニーは恐怖した。

 自分が、自分でなくなってしまう。

        2

 ジョニーは目隠しをされていた。

 慌てて目隠しを外すと、見知らぬ道路に立っていた。外は暗くて、吹いた風がジョニーの顔を涼しく撫でた。

 汗をかいていた。胸の動悸が止まらない。

 マグダレーナも霊落子も姿がない。

 押さえつけられた力はなくなった。夢でも見ていたかのように、ジョニーは周囲をうかがった。

 セルトガイナーが肩を回している。サイクリークスは衣服からほこりを払っていた。スパークが踊ると、フリーダに叩かれた。ボルテックスとクルトは話をしている。

「大丈夫? ジョニーの兄貴? うなされていたようだけど」

 ビジーが心配そうな声で話しかけてきた。

 ジョニーは額の汗をぬぐった。

「ビジー。俺は“聖母”に呼ばれてから、記憶がない。誰が俺に目隠しをした?」

「ジョニーの兄貴が自分でやっていたよ。“聖母”から離れて、まるで操り人形みたいに、おいらの隣に座ったよ。ジョニーの兄貴は、明らかに変だった。……お行儀良く座っていた


からね」

 頭巾で顔を隠した霊落子たちが同伴していて、目隠しを返すと、クルトが話しかけてきた。

「リコ、“聖母”と何をしていた? “聖母”は人間嫌いで有名だ。“聖母”に呼ばれる奴など、初めて見た」

 名前を間違えられている。

 ジョニーは蟷螂の顔をした子どもの霊落子を思い浮かべた。

「さあな、俺には、霊落子の知り合いがいるからな。奴らのつながりかもしれん」

 マグダレーナ。

“聖母”の名前を知って、どこか嬉しい自分がいる。 

「リコ、お前に何かを伝えていたようだな」

 クルトがさらに問い詰める。クルトの背後に、覆面のボルテックスが腕を組んでいる。クルトはボルテックスに質問をさせられているのだ。

「なんだかよく分からんが、光に包まれた。何が起こったかは、記憶にない」

 ジョニーは嘘をついた。

(マグダレーナ)

 ジョニーは“聖母”の名前を心の中で唱えた。自分だけが知っている。クルトたちは知らない、ジョニーにとって特権であった。優越感で、胸が熱くなってきた。

 ジョニーは話題を変えた。

「それよりもクルト。貴様、さっきから俺の名前を間違えているぞ。……俺は、ジョニーだ。“ジョエル・リコ”ではない」

「俺は、レダから“ジョエル・リコ”と聞いた」

 クルトが面倒な表情で、レダ・フリーダを横目で見た。

「あたしは、スパークから“ジョエル・リコ”と聞いたんだ。おい、そこのオメェ、なにかでも描いたのかい?」

 フリーダが、かすれ声でビジーを非難した。

 ジョニーはビジーに視線を移した。

 ビジーが顔を振って否定した。

「おいらが、兄貴の名前を間違えるはずがないでしょ? 隣の人にはちゃんと伝えたよ」

と、ビジーは、助けを求める表情で色白なサイクリークスを見た。

「俺には“ジョニー”と聞こえた。そのままガイに伝えた」

と、サイクリークスが応えた。目にかかった前髪を、神経質に触っている。

 赤い髪のセルトガイナーがバツの悪い表情をした。

「俺は、ジョエルと聞こえた。サイの言う通りに伝えた。周りの雰囲気が騒がしかったもんよ」

 セルトガイナーは逞しい身体をしているが、知恵が回らない印象をジョニーは受けた。

「貴様が原因か、セルトガイナー。……リコとは、何なのだ?」

 ジョニーには怒る気は失せた。怒る理由もない。

「……リコは知らん」

 ジョニーの疑問に、セルトガイナーは顔を背けた。

「リコは俺だ」

 膨れ上がった髪型のスパークが入ってきた。。

「ジョエルって、名前だけしかないのも変だよな? 名字を聞き逃していたら、俺のせいになるかもしれん。だから、名字が必要かな、と思って、“リコ”と付け加えておいた。ちな


みに、リコとは、最近死んだ飼い猫の名前だからな」

「貴様、死んだ猫の名前を、他人に付けるな」

 セルトガイナーよりも、スパークの思考回路が危険だ、とジョニーは思った。ジョニーが文句を伝えると、スパークが騒ぎ出した。

「うるせえ、間違えたものは間違えたんだよ。文句があるなら、今からもう一度“聖母”のところまで行って、変えてもらえばいいだろう。……あいてっ」

 スパークはボルテックスに頭を殴られた。このスパークは殴られやすい体質らしい。

「馬鹿野郎。どこの誰が“聖母”に、名前が違っていました、と訂正しに行く奴がいるか? 俺に恥をかかせる気か、スパーク。おい、リコ。もう面倒だからよ、お前さんはジョエル


・リコだ。……これからはジョエル・リコで通せ。おい、お前ら。こいつは“ジョエル・リコ”だ。いいな?」

 ボルテックスの意見を、クルトたちは賛同した。

「知ったことか。……好きにするが良い」

 ジョニーは面倒になった。知能が低い集団だと理解できて、得したと言えば得したのかもしれない。

 ボルテックスは天を見上げた。覆面の穴から出た両眼で、星と月の位置を把握している。

「アーガス! 下らない話をする暇はないぞ。次の場所に行く。予定が押している」

「今は夜だぞ?」

 ジョニーは眉をひそめた。

「夜だからこそ、都合が良いんだよ。忍び込むのさ。シグレナス大神殿に、な」

と、ボルテックスが応えた。買い物にでも行くかのような態度である。

「なぜ大神殿に用がある? また別の神にでも拝みに行くのか?」

「違う。大神殿には、帝国のお宝が隠されているんだ。お宝を頂戴しに行くのよ」

 ボルテックスは右手の人差し指を曲げて、鍵を作る仕草をした。

「自警団というよりも、盗賊団だな……」

と、ジョニーは呆れた。従いていく相手を間違えたのかもしれない。


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― 新着の感想 ―
[一言] ジョニーの名前がジョエルリコになってしまったことがおもしろかったです。 聖母の能力がどういったものなのか気になります。
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