女と奴隷
「おかえりなさいませ、ご主人様。勇者様」
帰宅したジョニーとビジーを、蜂蜜髪の少年奴隷、プティが出迎える。
「いい匂いがするなぁ」
ビジーが、屋敷の匂いを嗅いだ。
玄関に入ると、中庭が見える。中庭には、花や草木の生えていて、中央には紋様のある水槽が置かれていた。中庭は光源と雨水を集める仕組みになっていた。
中庭を挟んで、食堂があった。食堂は台所を兼ねていて、香ばしい匂いを漂わせていた。
プティに食堂まで誘導される。
「ジョニー様ぁ」
ゆるふわ髪のパルファンがジョニーに駆けよってきた。ジョニーの腕につかまる仕草をした。
「今ね、マミラたちとパンを焼いているの。焼けたら、ジョニー様も食べて」
パルファンが上目遣いでジョニーに訴える。
ジョニーは、不愉快な気持ちになった。虫か蛇かのような扱いで、パルファンの腕を振りほどく。
パルファンの表情が悲しげに映った。
ジョニーには、パルファンに対して申し訳ない気持ちになった。だが、一方的に掴まれた立場としては、謝罪する義務も義理も感じなかった。
「ごめんねぇ。ジョニーの兄貴は、女嫌いだから」
ビジーが、ジョニーの代わりに謝った。だが、パルファンは頬を膨らませて、ビジーを無視する。次はビジーが肩を落とす番であった。
落胆が連鎖する中、ビジーの母親が、出迎えてきた。
「お帰りなさい。ビジー、ジョニーくん。一緒に帰ってくるなんて、珍しいね」
顔は丸顔で、優しそうな顔をしている。白髪の交じった髪は後ろにまとめられていた。
マミラは赤子を抱えて、立っていた。仕事が一段落したのか、汗で額が濡れている。
サレトスは、隅っこの椅子に座っていた。相変わらず頭巾で顔を隠し、気配を消している。 プティは、ビジーとジョニーのため、椅子を引いた。
プティたちは、“混沌の軍勢”襲撃以降、家を失った。
ブレイク家の屋敷に身を寄せていた。プティは主人が死んだので、ブレイク家の奴隷として引き取られた。
ブレイク家にはジョニー以外に奴隷はいなかったが、プティが二番目の奴隷になったのである。
「ジョニーさん、この子の名前が決まりました」
マミラが抱えた赤子を見せた。
「死んだ祖母から名前をもらって、サラと名付けました。これからはサラ・リターナーと呼びます」
「サラ・リターナー……」
ジョニーは口の中で、赤子の名前を呟いた。
この子は、将来、どんな人物になるのだろう?
ジョニーには、女性の姿が見えた。
髪は白く、癖っ毛で、肩にかかるくらいの長さで、年齢は、ジョニーと同じか、少し上くらいに見える。口を真一文字に結んでいた。
シグレナス市民広場に立っていた。
口を開き、帝国の広報官さながら、話を始めた。内容は分からない。
手を振り上げ演説をしている。
サラを見て、市民たちは驚きの表情を並べていた。
市民の中には、ジョニーが見知った顔はいない。
(夢……?)
空想の世界から、引き戻された。
もう一度、赤子のサラを見る。
無垢な目つきで、ジョニーを見ている。僅かだが、頭には白い癖っ毛が生えていた。
「パパですよ~」
と、ビジーがジョニーの肩越しから、おどけると、サラは無邪気に笑った。
赤子の暖かい笑顔から、ジョニーは美しいクリーム色の金髪を連想した。
セレスティナだ。
ジョニーは、セレスティナが赤子を抱えている様子を想像した。
(俺との子だろうか? もしも、セレスティナとの子を一緒に育てるのだとしたら、どんな子に育つのだろうか?)
胸が締め付けられる。セレスティナを思い浮かべると、暖かい気持ちに満たされる。
不思議な感覚である。
「どうしたの、ジョニーの兄貴? 楽しそうだね?」
ビジーに話しかけられ、ジョニーは驚いた。
(いかん、俺は何を想像しているのだ……? ビジーにすら心を見透かされている)
悔しがった。
(男は常に冷静であるべきだ。弱さを見抜かれてはならない。俺はどんな相手でも、恐怖を感じない)
と、ジョニーは考えていた。実際、常に冷静である。
(そんな俺が女ごときに心を乱されるとは……。だが、あの女は、皇帝の愛人だ。俺のような貧乏貴族の奴隷になど、歯牙にもかけないだろう)
住む世界が違う。接点がなさ過ぎる。
セレスティナは子どもたちから慕われていた。だが、ジョニーは街の不良から恐れられている。
ジョニーは、ジョニーなりの自己解決方法で、セレスティナを頭から振り払い、誤魔化した。
暖かった身体中に異変が起こった。
(おかしい。どうしようもないほど、惨めな気持ちだ)
ジョニーは胸に赤い石が埋まっているが、赤い石がなくなって、穴が開いた感じがした。封じ込めていた感情が溢れかえり、全身が、急速に冷え込んでいく。
(いや、弱気など俺らしくない。こんな下らない、弱った感情など、俺の人生に不要だ。惨めな感情など、感じずにいろ。……黒く塗りつぶせ)
ジョニーは自分の胸が黒い闇に埋まる想像をした。ジョニーが邪魔な感情だと考えている、劣等感や空虚な気持ちを消す手段であった。
気が晴れたかどうか疑わしいが、ジョニーは周囲を見回した。ビジーたちがパンを口にしている。
「うん、美味しい。さすがパン屋の娘さんだね。ジョニーの兄貴も食べなよ」
渡されたパンを、ジョニーは噛んだ。焼けた表面が砕けて、中から柔らかい小麦粉の味が、口に広がった。
笑顔のパルファンが、自分の頬を触り、マミラに提案する。
「このパン、売り物にすればいいのに。お店を開こうよ」
パンを頬張ったビジーやプティが、一斉に頷いた。
「でも、家が焼けちゃって、お金もないし……。ビジーさんの家でお世話になっているから、迷惑をかけられない」
マミラが下を向いた。やりたくないわけではないが、誰かに頼る状況が嫌いなのだ、とジョニーは理解した。
「屋台をやればいいのよ。お金がある分だけ仕入れをすればいいし。……あたし、手伝う」
パルファンが腕まくりをした。
「僕も手伝いますよ! せっかくの才能がもったいないです」
プティが声を張り上げた。
マミラが目を輝かせた。
「お金が必要だけど、払ってくれる人いないかなぁ……」
パルファンが呟いた。独り言のふりをして、横目でビジーを見ている。
パルファンの意図を察したビジーは、咳払いをした。
「でも、今のご時世、新しく商売を始めて、儲けを出すには難しいよ。今、物資が足りなくなって、買い占めが増えているからね。小麦粉の値段を見たかい? 倍になっているよねえ。……たしかにこのパンは売れる。でも、パンの売値よりも小麦の値段が高い。だから、パンを焼けば焼くほど、損する結果になるね……」
ビジーは、何かに気づいて口をおさえた。
部屋の中では暗い沈黙が流れた。
プティは呆気にとられた表情をして、マミラは「やっぱり……」と半ば諦め、パルファンは下を向いている。
「余計な発言をしちゃったかな……」
ビジーは自分の頭を掻いて、後悔していた。
サラが泣き声が部屋に響く。赤子が、暗い雰囲気に反応したのである。
マミラとビジーの母親が、二人がかりであやしはじめた。
「あの……」
と、サレトスが手を挙げた。控えめで、静かな声だった。
「私の知り合いで、小麦粉を売っている人がいます。その人に頼めば、安く譲ってくれると思うのですが……。でも、私と同じアポストルです……。アポストルから小麦粉を買ったとなると、皆さんにご迷惑をおかけしてしまいそうで……」
アポストル、と聞いてジョニーは午前中のイニステを思い返した。
サレトスは、皿のパンに手をつけていなかった。
「霊落子……」
マミラの表情が強張った。アポストル、つまり霊落子と聞いて拒否反応する、シグレナス市民は多い。自分自身が奴隷であるジョニーには、市民がアポストルを差別する気持ちが理解できなかった。
弁護士のガプスがアポストルのイニステを忌み嫌っている様子を思い返した。
ビジーは空になった自分の皿と、まだパンが残っているサレトスの皿を見比べた。
「アポストル同士の結束は強いからね。僕たちからは想像できないほどの組織力がありそう」
サレトスの皿を羨ましげに見た。
「ちょっと待ってください!」
プティが、真鍮製の算盤を懐から取り出した。
「サレトスさん、小麦粉の値段は、いくらですか?」
サレトスが伝える数字を、算盤に打ち込む。
「マミラさん、パンを一枚、いくらで売りますか?」
プティがマミラに数字を聞いて算盤の音を鳴らした。
「屋台だから、家賃も払わなくていい。給料を支払わないとしたら……」
独り言を呟きながら、数字を算盤から指で弾き出す。細い身体つきから想像できないほど、精力的な動きであった。
「ビジー様……いや、ご主人様。一ヶ月の売上は、これくらいになります」
ビジーが算盤をのぞき込むと、驚いた。
「悪くないね。数字だけなら、大儲けだよ。パンは、どんな人でも必ず食べるから、一度人気が出れば、もっと儲かるかもしれないね」
ジョニーはプティの計算能力に感心した。あまり人の話を聞かないビジーですら、数字を見たら納得した。
「あとは、お金だよね……」
と、ビジーを呟いた。自身の発言のせいで、全員の視線が、ビジーに集中した。
「どうしよう……? ジョニーの兄貴」
視線に耐えきれず、ジョニーに助けを求めた。
「ビジー。俺に頼るな」
ビジーは母親を見た。助けを求めている。
「払ってあげたら……?」
母親が優しく笑った。
「でも、今こんな時期に新しい商売を始めるって、危険すぎるよ。帝国はまだ“混沌の軍勢”に報復をしていない。また“混沌の軍勢”が攻めてくるか分からない状況なんだよ?」
と、ビジーが反対すると、パルファンは立ち上がった。
「誰も新しく商売を始めないなら、競争相手がいない、という意味だと思いますぅ。この時期だからこそ、商売を始めるべきですぅ」
と、不機嫌な声を出す。
「君は、商才があるね。どこぞの商家のお嬢さんなのかな?」
ビジーは苦笑した。ビジーは女が苦手だと、ジョニーは知っている。
「ねえ、お願い」
パルファンがビジーに縋り付く。ビジーは女嫌いなので、女に触れられると、たじろぐ。
ビジーはパルファンからジョニーに視線を移した。
「ジョニーの兄貴。お金を払ってあげようかな? ……どうしよう?」
頭痛がする。
(どっちだよ?)
と、叫びたくなったが、ジョニーは指で自分の眉間をおさえて耐えた。
「ビジー。貴様は自分で自分の物事を決められないのか? いちいち母親や奴隷の俺に許可を得なくてはならないのか?」
「難しいよ、分からないよ。ジョニーの兄貴が決めてよぉ」
「どっちが主人で奴隷だか分からないな」
ジョニーが苦笑する番であった。
困惑するビジーに、ジョニーは諭した。
「喧嘩の秘訣を知っているか? 殴りたければ、迷わず殴れ、だ。躊躇えば、敵に殴られる。俺は商売について詳しくは知らんが、先手必勝は、喧嘩と一緒なのだろうな」
なんだかよく分からない戦いに巻き込まれて、面倒だった。
だが、パルファンの申し出を否定する気はない。
パルファンから微笑み向けられている、とジョニーは感じた。
「お願い~。ほらほら、マミラ、プティもお願いして。サレトスも……!」
パルファンがビジーに縋り付く。本日二回目である。
マミラ、プティ、ビジーの母親が参戦して、ビジーを取り囲んだ。
「……分かった! 分かったから、お金を払うよ」
ビジーは応えた。決断した、というより、押しに負けた感じである。
「おっしゃ」
パルファンは、顔の傍に、小さい拳を握りしめて喜んだ。ゆるふわな外見とは裏腹に、自分の意見を必ず通す性格である、とジョニーは理解した。
「あ、そうだ。お店の名前を考えなくちゃ……。ジョニー様、お店の名前を考えて」
パルファンが、ジョニーに振り返った。
「何故、俺が決める?」
「いいから、ジョニー様が決めて!」
パルファンが上目遣いでお願いをしてくる。
嬉しくもないが、無視する理由もない。
閃いた名前をそのまま告げた。
「“光る泉の森のパン屋”はどうだろう……?」
我ながら良い出来である。ジョニーは自負があった。
だが、皆からの反応がない。
マミラは息を吸い込んだ。パルファンは青ざめている。プティは手で自分の顔を覆い、自分の動揺を隠している。頭巾で表情が見えないサレトスは、足を組みかえた。ビジーの母親は、困った笑顔を向けている。
ビジーが優しい表情を浮かべた。
「ごめんね、ジョニーの兄貴。さすがにそれは格好が悪い」
プティたちは、無言の緊張が解けた感じがした。ビジーは全員の気持ちを代弁したのである。
「単純に、“戻りし者”でいいと思うよ」
ビジーの発案に、皆は静かに頷いた。
「パンは、家庭の味だからね。いつでも帰れる場所……という意味でね。マミラちゃんの名字が、リターナーだし。どうだろう、ジョニーの兄貴」
周りが暖かい笑顔を見せた。ジョニーの“なんとかの森”よりも、感触が良い。
「知ったことか。好きにしろ……。“戻りし者”もそれほど変わらないと思うがな」
冷静さを装ったものの、悔しかった。賛同者が一人もいないのである。自分の命名的才能を否定され、しかもビジーに負けたのである。
次の日になった。
サレトスは、誰よりも早く起きた。アポストルの会合があり、そこで話をつけてくる、と言い残して、出て行った。
次にパルファンが、店舗候補の物件を探しに外出した。
マミラは出かけなかった。サラを背負って、パン焼きの練習をしている。
ビジーの母親は、織機を前に、サラのオムツを編んでいた。
プティは家の帳簿をつけていた。ブレイク家が保有している資産を割り出して、新しい商売に耐えられるか計算している。
ジョニーとビジーには、仕事がない。
「昔から伝わる言葉がある。シグレナスの女と奴隷は、優秀でよく働くってね。僕たち男らは、家の隅っこで小さくなるしかないのさ」
と、ビジーは、舞台俳優のように肩をすくめた。ジョニーは奴隷であるが、優秀でもないし、まったく働かないので、シグレナスの言葉は釈然としなかった。
「ジョニーの兄貴、知ってるかい? 男としての威厳を保つには、外に出かけなくてはいけない。僕は今から外で働いているふりをするよ。シグレナスの男は演出で大変ってわけ。……ねえ、プティ」
「はい、ご主人様」
プティが算盤から手を離した。
「仕事中悪いね。いいかい、この部屋には入らないでね」
ビジーは一室を指さした。扉に錠前を掛けられている。
「女の子たちにも注意して欲しい。ここに入っては、大変な事態になるって」
ビジーは芝居がかった命令をした。プティが背筋を伸ばし、了承した。
ジョニーが割り込んだ。
「プティ。気にするな。俺も一度入った経験があるが、こいつが書いた、よく分からん本が積まれているだけだ。貴様が気にくわなければ、鍵屋を呼んで、錠前を破壊しろ。中身を川に捨ててもかまわん」




