国滅の美女
病み上りです。
1
奴隷用の公衆浴場は暗い。脱衣所から浴場まで、細い通路を歩く必要がある。
ジョニーは、暗い通路を、壁伝いに歩いた。
通路の窓が少なく、外からの光源が僅かで、しかも湯気が邪魔になって視界は悪い。
暗い通路では、左手で壁に触れて歩く決まりだった。対向する相手も左側通行をしているので、衝突の恐れはない。
前方から人の気配がする。
ジョニーは思わず、右手で自分の胸を隠した。
風呂上がりの客とすれ違った。
最初は一人、二人と帰りの客が増えてきた。
風呂上がりなのに、身体が濡れていない者もいる。
「お兄さん、今日は帰りな。……おかしな連中が、風呂を占領しちゃってるよ」
優しげな声をした奴隷の中年が、苦々しげに教えてくれた。
ジョニーが、忠告を無視して先に進むと、若い男が出入り口の前で立っていた。
目つきが悪く、唇の片側が歪んでいる。
「お兄さん、ここは貸し切りだ。悪いけどさあ、今日は帰って欲しいんだけど」
口調は優しいが、どこかに脅迫の意を含んでいる。
ジョニーは、面倒になった。午前中は裁判で、一眠りしたとはいえ、疲れている。
男の横を素通りする。
腕を掴まれた。
「おい、てめぇ、コラガキ。シカトするんじゃねぇよ。コビディ親分を知らねえのか? ここらを取り仕切る、自警団の長よ。俺様は一の家来、キズス様だ」
キズスがドスのきいた声を飛ばす。腕に、キズスの指が食い込む。
腕を掴まれるのは、好きではない。
「離せ。今、両手が塞がっている」
「お前、胸に何か隠してやがるな?」
キズスがジョニーの胸を見る。
苛ついたジョニーは、掴まれた腕で掴み返し、キズスの関節を巻き上げた。呻くキズスの顔面を蹴りあげる。
顔が揺れ、キズスは、仰向けになって倒れた。白目を剥いている。
「貴様は、この浴場の管理人なのか? ……おっと、返事ができないほど、お取り込み中だったか。失礼した」
出入り口の門をくぐると、熱気のこもった、大部屋に入った。床には、無骨で黒い正方形に切られた岩が敷き詰められ、中央には、浴槽が複雑な図形で掘られていた。
岩床に座った老人がふんぞり返って、湯船に足を投げ出している。
男たちが囲まみ、小さな鎌で、老人の全身を垢すりしていた。
男の一人が、鋭い目つきでジョニーを睨みつけた。全身に入れ墨が彫られている。
「なんだぁ、てめえ。どっから入ってきやがった」
風呂場に、怒声が響く。
ジョニーは面倒だったが、返事をした。
「入り口からだ。そこのご老人がコビディとかいう親分だな。……今、そこで潰れている虫けらがいるが、貴様らも虫けらの仲間なのか?」
怒り狂う男が拳を振り回してくる。
(虫けらに似て、蠅や蚊のような遅さだ)
ジョニーは笑いを隠して、体を躱し、すれ違う男の腹に膝蹴りを突き刺した。
嗚咽音を出して、男が蹲った。
もう一人の男が迫ってくるが、ジョニーは蹴り上げた足の裏で、顔を踏み潰した。
「あわわ……」
老人コビディが入れ墨の入った肩を震わせた。両脇にいる男たちが困った顔でコビディとジョニーの顔を見比べている。
「俺はただ、風呂に入りたいだけだ。料金も払っている。貴様らがどこで何をしていようと、邪魔はしない。ただ、用事が済んだのなら、帰ってもらってもかまわない」
取引だった。
これ以上、傷つけて欲しくなければ、出て行け、とジョニーは伝えたいのである。
ジョニーの取引に、コビディは激しく頷いた。恐怖のあまり、歯と歯が鳴っている。
子分の手前、恥ずかしい姿は見せられない。頷く動きで、歯の動きを誤魔化しているのだ。
「おっ、そうだな。兄ちゃん。もうそろそろ帰ろうと思っていたんだ。おい、お前ら、帰るぞ!」
コビディが半笑いで、湯船から足を離した。
「オラッ。まだ寝てるのか!」
と、子分を叩き起こして、去っていった。
いつも奴隷たちで密集されている浴場であったが、今日は貸し切り状態になった。
湯船に肩まで浸かる。
湯には垢と汚物が大小問わず浮いているが、奴隷風呂ではよくある状況なので、気にならない。
湯をすくって、顔を洗った。コビディの慌てる様子を思い返すと、笑みがこぼれた。
ジョニーには、裸の胸を隠す癖がある。
湯船から肩を引き揚げて、隠していた胸を見下ろした。
胸の中央に、菱形の宝石が埋め込まれている。いつ埋められたか記憶にない。赤く輝く小さな宝石は、内部で赤い血のような煙を巻き起こして循環している。
他の誰かと違っている部分である。
見られると、嫌な気分になる。
子どもの頃、枝や刃物で取り外そうと考えたが、無理だった。肉体が傷つくので、止めた。恐らく死ぬまで外れない、とジョニーは直感していた。
普段の入浴でも安心できなかった。
貸し切り状態は、助かる。
長い湯を楽しんでいると、人が入ってきた。
2
浴場の外に出る。
表を抜ける風が、ジョニーの頬を涼しげに撫でた。髪は、自然乾燥である。
狭い路上には、屋台が出され、果物や野菜が売られていた。屋台から、肉の焼ける匂いがする。
立ち並ぶ高層住宅の窓から、昼食の準備をしているのか、煙が上がっていた。
“混沌の軍勢”からの襲撃はなくなった。
首都シグレナスは復興しつつある。
だが、人通りが少ない。出店の配置は疎らで、客寄せの声も大人しい。
子どもたちが、玩具を取り合って、ジョニーの横を通り過ぎる。
入浴で水分が失われた。
木材を組み合わせた機械……自動販売機、と呼ばれている……の前に立つ。
自動販売機の前方、ジョニーの胸と同じくらいの高さに細い切れ込みがある。切れ込みに銅貨を投げ込むと、貨幣が重なる音が聞こえた。
機械の中央には、小さな窪みがあって、中にはお椀が置かれていた。
内部で作動し、窪みの上から、黄色い果汁が小さな滝となって、お椀に注ぎ込まれていく。
お椀を取り出し、ジョニーは口につけ、飲み干した。
乾いた内部を、吸収された果汁が、潤した。
お椀を元に戻す。
水分が体内に入ると、用事ができた。
用事を済ませるため、公衆便所に向かった。
公衆便所は、崖が切り立った場所の上に設置されていた。
壁も屋根もなく、都市の様子を見下ろす形になっている。
便座は地面を丸く切り抜かれてできた穴である。順序よく並んでいて、男たちは、穴の上でしゃがみ込んで、用を足している。
男たちが用を足しながら、談笑している。奴隷も平民も、貴族も関係なく用を済ませていた。
出した内容物は、地下の水にぶつかり、音を鳴らした。下水道を通って、都市の外、多くは海に排出された。
海と下水道が直結しているのである。
便所穴の前には、壺がある。
壺には棒が刺さっていて、引き抜くと、先端に海綿のついた尻拭きだと分かる。
海綿から酢の臭いがする。消臭処理をされていて、海綿で尻につけると、しみた。
公衆便所を出る。
特に目的もなく、歩く。
ジョニーは奴隷でありながら、特定の仕事を与えられていない。ただ気ままに時間を過ごしている。
仕事のない奴隷にとって、日々とは、むなしく過ぎていく、暇の連続であった。
ジョニーの体質なのか、以前はよく、喧嘩を売られていた。
売られたら、買う。
普段であれば、不良や荒くれがたむろする場所を通る。わざと喧嘩を売られるためである。
だが、最近のジョニーは、有名になった。
喧嘩に勝ちすぎて、顔をそらす者の数が増えてきた。負かした不良たちは、遠目でジョニーを確認すると、道を引き返していく。
挑戦者の数は減っており、“混沌の軍勢”の襲撃以来、最近は平和である。
ジョニーも、今日は朝に裁判をして、昼に風呂場で喧嘩をしていたので、面倒になってきた。
あと半日、平和に過ごす。
ジョニーは決めた。
比較的人通りの多い通りを選んで歩いた。
だが、ジョニーは、息を呑んだ。
人と人の間に、クリーム色の金髪が見えたのである。
髪の美しさは、世界中からかき集めた財宝に紛れ込んでいても、おかしくない。髪の持ち主は、シグレナスを探しても、一人しかいない。
ジョニーは駆け寄った。
帝の傍に侍っていた奴隷少女、セレスティナであった。
ジョニーは、叫びたくなったが、口をおさえて我慢した。
ジョニーは唾を飲み込んだ。
髪の持ち主は、通行人に挟まれ、左右を窺っている。必死な横顔には、不安が混ざっていた。
(声を掛けるか……?)
ジョニーは迷った。声を掛けるか、掛けないか。
全身で動揺している。
ジョニーには、自身の胆力について、一定の自負があった。
“混沌の軍勢”や、ガラの悪い自警団を前にしても、平然としていられる。
(面倒ならば、殴り倒してしまえば良いだけだ)
と、さえ思っていた。
全身が胆力と筋力で構成されたジョニーであったが、少女一人に話しかけるかどうか、決断できなかった。
恐怖やためらいを感じている。
(いや、それほど仲も良くない。いきなり声を掛けられては、相手も困るだろう)
ジョニーは自分を説得した。意味不明の言い訳である、との自覚もあったが。
(そもそも俺は、女に声を掛けた経験がない。声を掛けたところで、何を話せばいいのだろう?)
便所で用事を済ませたばかりである。
セレスティナは、辺りを見回している。
(道に迷っている? 探し物をしている?)
ジョニーは見とれていた。
(あのセレスティナは、どこに行こうとしているのだろう? 何を考えているのだろう……?)
セレスティナの内心を想像するだけで、胸に暖かい光に満たされていく。胸に埋まった、赤い宝石が熱くなっているような気がする。
(なんなのだ、この感覚は……?)
ジョニーの異変を知ってか知らずか、セレスティナは歩き出した。
ジョニーは、追いかけた。
セレスティナの歩行速度は中々であった。
風のように通行人の隙間を縫っていく。
(“混沌の軍勢”のとき、投石をしていたが、見かけによらず、身体能力が高いのかもしれん)
見失う恐れがあるため、ジョニーは人混みをかき分けた。
髪の毛が濡れている。
濡れた髪の隙間から見える白い肌は、触れたら崩れそうな雪のようであった。
広場を横切る。
広場には人だかりができていて、中心には、赤い肩掛けを掛けた帝国の広報官が、帝国の決定を読み上げた。
「執政官ガザー・チェルドは、野蛮人どもの襲撃によって戦死した。……元老院は後任として、アラン・バルトルランを皇帝陛下に上奏した。畏れ多くも皇帝陛下からご裁可を賜り、アラン・バルトルランは、執政官となった」
群衆から、驚きの声が聞こえる。
「誰だ? バルトルランとは?」
異口同音の疑問が飛び交う。
「広報官殿! バルトルラン殿は、どのような実績をお持ちなのか? 年齢は?」
市民の一人が、広報官に質問した。群衆が一番気になる疑問である。
広報官は、目を伏せて、答えた。
「バルトルラン殿は、二三歳であります。実績は、これから積み上げる所存です」
市民たちから、呆れた声が上がった。
広報官が、次の報告に移った。
「次は、日常必需品の買い占めを禁止する議案を、元老院にて決定した。明日、皇帝陛下のご裁可をいただける見通しである……」
広報官の声を無視して、男二人が言葉を交わしている。
「ふん、野蛮人どもの襲撃で我々シグレナス市民は、疲弊している。それなのに、二三歳の若造を執政官にするとは、あの馬鹿皇帝、何を考えていやがる?」
「おい、黙れ。声が大きいぞ」
「いいや、声を大にしても、聞こえまい。太っちょ皇帝の耳は、市民の血税でできた肉で、塞がってやがるのさ。分かるだろう? 野蛮人どもに怯え、屋敷にこもっている臆病者の豚め。恥を知るが良い」
「お前の気持ちは分かるが、そこまで皇帝を侮辱しては、豚に失礼だぞ。……これまでの皇帝であれば、すぐにでも、仕返しに行くだろうがね。豚以下だから、仕方ないのさ」
男たちが笑う。
二人の背後を、ジョニーは通り過ぎた。
セレスティナが、広場の先にある大理石の階段を駆け上がっていた。
太陽が煌めく。
セレスティナの後ろ姿が眩しかった。
「俺は、何故あの女を追いかけているのだ?」
ジョニーは立ち止まった。
急に馬鹿馬鹿しくなった。
まともに話をしてもいない女を追いかける。
これでは“影の騎士”ではなく、ただの不審者である。
ジョニーは、自分自身が下らない行為をしている、と恥ずかしくなった。
(これが、自己同一性の崩壊という奴か)
ジョニーは自虐的に笑って、踵を返した。
(このまま、家に帰ろう。女を追い回して、何が楽しい。そもそも、あの女は、皇帝の女だ。俺がどうこうできる相手ではない)
鐘が鳴った。
広場に集まった群衆たちは、顔を上げた。
もう一度、鐘が鳴る。
群衆は散らばった。
「やれやれ、仕事かよ……」
各自の労働に戻るため、歩き出した。
ジョニーだけが立ち止まっていた。
最後に、鐘が鳴る。
(皇帝の女……)
ジョニーは暗い気持ちになった。
(あの皇帝が、セレスティナにどんないかがわしい所業をしているのだろう? 持っていても、誰も皇帝に逆らえない。このシグレナスでは、皇帝は圧倒的な存在なのだ)
一方、自分は奴隷でありながら、仕事もせず、ただ喧嘩相手を探している日々を過ごしてきた。
帝と自分を比較するなど、愚かな思考にすぎない。理解はしている。
だが、胸が締め付けるほど苦しくなった。
喧嘩では負けなしといえども、ジョニーでは絶対に勝てない相手であられた。
「俺は、一体、どうしてしまったのだ……?」
身体が勝手に歩き出す。
大理石の階段を駆け上がる。
駆け上がると、巨大な柱に囲まれた、建造物が建っていた。柱の周囲には、木の植え込みが順序よく並んでいた。
3
建造物の中から、太陽のように明るい金髪をした若者が飛び出てきた。
ジョニーと、顔を合わし、口を開いた。
「そこの君。スコルト・ハイエイタス殿を知らないか?」
「知らん。そのような知り合いは、おらん」
ジョニーは返答した。ジョニーも、質問をした。
「この建物は、どんな場所なのだ?」
「帝国図書館だ。君は、見たところ、奴隷のようだが、ご主人様の命令で本でも預かりにきたのかね?」
図書館。
ジョニーは、自分の主人が日課として通っている場所だと知っていた。
「そうではない、人捜しをしている」
「ふむ、君もそうなのか。では、スコルト・ハイエイタス殿を見つけたら、私に連絡をくれ給え」
名前だけ聞いても、ジョニーには分からなかった。
ジョニーが返事をするまでのなく、男は足早に去っていった。
「……スコルト・ハイエイタス殿、どちらにおわす? このシュナイダーが探しております!」
と、叫んでいる。
ジョニーはシュナイダーを無視して、図書館の中に入った。
「委任状はあるの?」
年配の女が、立ち塞がった。身体が細く、頬が痩せこけている。
「貴方は奴隷でしょう? ご主人様の委任状がない限り、この図書館には入れないわよ」
ジョニーは、女の肩越しから、中の様子を窺った。
木造の棚で敷き詰められており、棚には、丸まった紙が収納されている。
金持ち風の中年が、巻物を広げて、何かを呟いている。目を離し、空中に向かって、内容を暗唱していた。
「この図書館は、一切持ち出し禁止。泥棒は許されないの」
女が高圧的な口調で、ジョニーに唾を飛ばしている。
「本に興味はない。ここに、若い女が通らなかったか?」
ジョニーは質問した。
「はぁ? 貴方、本よりも女性目当てなの? 何しに来たの? 警備兵を呼ぶわよ」
コウモリのように金切り声を上げている。
「勝手に呼べ。若い女が通ったかどうか聞いているのだ」
ジョニーは低い声で威圧した。男であれば、拳を顔面にめり込ませるところだが、女は殴らない、と決めている。
だが、殴る気勢を見せていた。
ジョニーに気圧され、女はたじろいだ。
「通っていないわよ」
ジョニーの意図をどこか読み取って、青ざめている。
ジョニーは外に出た。
図書館の周囲を歩いた。植え込みの大木を通り過ぎる。
「ここにはいないのか……」
諦めかけた瞬間、鈴の音のような、優しい声が聞こえた。
「今日は、歴史の授業をします」
セレスティナがいた。
セレスティナの周りには、子どもたちが集まっていた。子どもたちは、誰も小綺麗で、裕福な家庭の出身だと見て分かった。
ジョニーは、慌てて木の陰に隠れた。
セレスティナが、子どもたちに話しかける。
「みんな、我が国の英雄、シグレナス帝は、どこ生まれたか知っている?」
子どもたちは、各自好き好きに答えた。
「知らなーい」
「シグレナスー」
「自分の家」
最後に笑いが巻き起こった。
笑いの中、一人の女の子が手を挙げた。
「北の国……“混沌の軍勢”です」
子どもたちの笑いが凍りついたように止まった。
セレスティナは、一瞬だけ意外な顔をしたが、笑った。
「正解、リゼル。シグレナス帝は、“混沌の軍勢”に育てられたの」
子どもたちが、驚きの声をあげた。ジョニーも内心、驚いた。
子どもたちが大騒ぎする中、男の子が一人、セレスティナに近寄った。
「お姉さん先生、本当なんですか?」
悲しげな表情をしている。
セレスティナはしゃがんで、男の子の顔をのぞき込んだ。
「そうよ。でも、事情があるの」
子どもたちの騒ぎが止まる。
「このときのシグレナスは、魔王が支配していたの。シグレナス帝のお父さんに嫉妬して、赤ちゃんを川に流したの」
「嫉妬って、なあに?」
子どもが首を傾ける。
「シグレナス帝のお父さんが、勉強ができて、賢かったから、魔王は羨ましかったの。やっつけられるかもしれないって、怖がったの」
「魔王って悪い奴ー」
子どもの一人が囃し立てた。
「シグレナス帝を殺せ、と命令されたのだけど、魔王の家来が、可哀想だと思って、赤ちゃんを川に流したの」
子どもたちが息を呑んで、静まりかえった。
「“混沌の軍勢”の女が、赤ちゃんを拾って育てたの。最初は奴隷だったのだけど、大人になったら、立派な指導者になっていた。ある日、故郷に帰りたくなって、シグレナスに戻ってきた」
ジョニーも息を呑んだ。子どもたちと一体化して、セレスティナの物語に引き込まれている。
「でも、魔王はシグレナス帝を帰らせなかった。反対に殺そうとしたわ。十二人の仲間と一緒に、シグレナス帝は逃げる。でも、魔王に追い詰められてしまう」
子どもたちが頭を抑えて怯えている。
「そこに、アポストルたちがやって来た。アポストルたちは、シグレナス帝たちに霊骸鎧になるための力を授けたの」
子どもたちが、顔を輝かせた。
「霊骸鎧の力で、魔王をやっつけた。魔王は海を越えて、ヴェルザンディに逃げた、と言われているわ」
セレスティナは声を落とした。下を向いている。疲れたのか、とジョニーは思った。
子どもたちが感心していた。
男の子が質問した。
「ねぇ。なんで勇者シグレナス……帝は、魔王を追いかけなかったの? ヴェルザンディでやっつければ良かったのに」
セレスティナは笑顔を見せた。
子どもが好きなのだ、とジョニーは分かった。
子どもからの質問を嫌がらない。むしろ子どもたちの好奇心を引き出せて、喜んでいる。
「霊骸鎧は塩水に弱い。だから、霊骸鎧は海が苦手なの。霊骸鎧を身につけたシグレナス帝はシグレナスとヴェルザンディの間にある、大きな海を越えられなかった。……ちょっと難しいかしら?」
半分以上の子どもたちが呆然とした。理解できないでいる。
だが、年長の子どもたちは理解した表情を見せた。
先ほど、正解をしたリゼルが、微笑んでいた。
リゼルの隣で不満げな表情をした男の子が文句を呟いた。
「歴史なんて勉強しても、意味がないよ。過去の話をしても、同じ事件は起きないのだから」
子どもたちが黙った。一斉にセレスティナの表情を見る。
セレスティナは表情を崩さず、少し考えて答えた。
「ジム。意味がない。でも、どんな物事にも、必ず意味がある、と思う。今は分からないだけで、後で分かればいいと思う。……そう思う」
子どもたちは静かになった。不満げな男の子ジムは舌打ちをした。
「それって、答えになっていませんよ」
「意味があるとすれば、歴史から、何を学んだか? だと思う。みんなは、このお話で、何を学んだ?」
セレスティナが切り返した。賢いな、とジョニーは思った。
子どもたちが次々に感想を述べた。
「赤ちゃんを大切にする~」
「アポストルのおかげで、魔王をやっつけたのだから、アポストルを大切にする」
「ええ、アポストルって、気持ち悪いよ。オバケみたい」
「でも、お父様が、差別はよくないって」
「そうだ、そうだ。差別反対!」
子どもたちが大合唱した。
一人だけ、不満顔の男の子が、セレスティナに質問をする。
「なんで戦いの強い霊骸鎧が、皇帝にならないんですか? 今の皇帝って、弱くて頼りないですよ」
セレスティナが困る質問をしているのだ、とジョニーは気づいた。
セレスティナの笑顔が曇った。
「裁縫が得意な人には、服作りをしてもらえばいい。政治が得意な人には、政治をしてもらう。霊骸鎧が強くても、皇帝に向いているとは限らないわ。……霊骸鎧は長く戦えない。昔、強い霊骸鎧の皇帝がいたけど、変身が解けて、寝ている隙に殺された人もいる」
「だったら、今の皇帝をやっつけちゃえばいいんだ。あの皇帝が役立たずだって、誰もが知っています」
不満顔のジムが、質問を続ける。子どもにしては生意気だ、とジョニーは思った。
「ジム。戦いにとって、何が一番大切だと思う?」
セレスティナが、ジムに質問する。
「……強い霊骸鎧に決まっている」
ジョニーは、ジムの回答は間違っている、と感じた。
(容赦のなさ、だな。相手に情けをかけない)
ジョニーは自分の回答に自信があった。
だが、セレスティナの回答は違った。
「違う。戦いにとって、一番大切なのもの。……それは、ご飯よ」
子どもたちは笑った。
ジョニーは、セレスティナの言い分も分からなくもなかった。
「100人の霊骸鎧と、100人の普通の人。どっちが勝つ?」
セレスティナが問題を出す。
「霊骸鎧!」
子どもたちが即答した。
「じゃあ、霊骸鎧には、ご飯がありません。普通の人たちはご飯を食べられます。……どっちが勝つ?」
子どもたちが黙った。
「普通の人たちです」
リゼルが、落ち着いた表情で手を挙げた。
リゼルは、優秀な生徒だと、ジョニーは分かった。
「そんな簡単にいくものか」
ジムが頬杖をついて、不満げな顔をしている。どうして反抗的なのか、ジョニーには分からなかった。
4
「兄ちゃん。あの子を狙っているのかい」
後ろから、男が話しかけてきた。
頭頂部の髪はなく、痘痕だらけの顔で、赤い鼻をしている。
数人の男たちが、ジョニーと同じく木の陰に隠れていた。男たちはセレスティナに、視線を注いでいた。
「やめときな、あの子は、大神官様の奴隷だ。普段は大神殿にいて、ただの奴隷じゃない。そこらの貴族よりも偉いのだ。俺たちが影も踏めないような存在なんだ。なぜだか分かるか?」
頼んでもいないのに、男がセレスティナについての質問を、ジョニーにしてくる。
「皇帝陛下の愛人って噂だ。お忍びで、何度も会っているらしい。皇帝が“混沌の軍勢”の対応に遅れた理由なんだと」
ジョニーは耳を塞ぎたくなった。こんな下品な男に、セレスティナの噂話を聞きたくない。
「“国滅の美女”と呼ばれているんだぞ。知っているか? さっきからの反応を見ていると、何も知らないようだな。いいか、このシグレナスは十二の王国に分かれている。十二に分かれている理由は、勇者シグレナスが魔王を倒したとき、自分の家来が十二人いたから分け与えたのだ。ああ、俺はアヒコという、よろしくな」
痘痕顔の男アヒコは話を続ける。
「十二王国のうち、トル王、クルセルド王が、ある日、皇帝と一緒に狩りに出かけた。そのとき、“国滅の美女”も同席していた。トル王とクルセルド王がとても気に入って、皇帝に譲るよう交渉したわけさ。でも、皇帝は認めなかった。当然だわな。で、トル王とクルセルド王の怒りは、皇帝ではなく、お互いのライバルに向かった。なんと、皇帝の前で刃物を抜いて、殺し合いを始めた」
アヒコが興奮している。自分の物語に陶酔しているのだ。
ジョニーは、セレスティナを前にして、つかみ合いをしていた“混沌の軍勢”を思い返した。連中もまた、セレスティナを奪い合って喧嘩をしていたのだ、とジョニーは理解した。
「皇帝は無事だったものの、怒り狂った。自分の愛人を奪い合おうとしたのだから、な。で、トル王とクルセルド王は、皇帝の前で乱暴狼藉を働いたかどで処刑されちまったのさ。トル王国も、クルセルド王国も、帝国に滅ぼされちまうってんで、大騒ぎよ。まあ、王様をすげ替えて、なんとか無事平穏にすませたわけだが。ああ、それにしても、あの助平な豚みたいなのが、俺たちの皇帝だとはねぇ……」
二つの国を滅亡寸前に追い詰めるほど、美しい。
まさに“国滅の美女”である。
ジョニーは、セレスティナを見た。
目が合った。
セレスティナの表情は冷たく、軽蔑の眼差しをしている。
(授業を妨害されたから、怒っているのか……?)
アヒコが大騒ぎしているので、アヒコを睨んでいるのかと思った。
ジョニーは、自分たちが公衆便所の内容物にでもなったかのような感覚に陥った。
セレスティナは、ジョニーから目を逸らした。口元から静かな怒りを感じる。
鐘が鳴った。
仕事が終わる合図だ。
セレスティナと子どもたちも授業を終わらせた。
子どもたちが密集して、図書館の敷地から去っていく。後ろを、セレスティナが続く。
セレスティナは振り返って、渋い表情を見せた。
アヒコをはじめ汚い男たちが、セレスティナに下品な視線を送っているからだ。
だが、誰もがセレスティナの近寄る者はいなかった。あまりの美しさに、自分では相手にされない未来を予想できたからである、とジョニーは解釈した。
「いや、俺も、この連中と同類か……」
ジョニーは目眩がした。地面が崩れそうな気分である。セレスティナに嫌われた。
暗澹たる気持ちで、立ち止まっていると、後ろから声を掛けられた。
「あれ、どうしたの。ジョニーの兄貴? 図書館に来るなんて、珍しいね」
赤い夕日を背に、丸顔で、鼻の大きいやや小太りの若者が立っていた。
「ビジー……」
ジョニーは知り合いの名前を呼んだ。
「ジョニーの兄貴、ちょうど良かった。一緒に帰ろうね……」
ジョニーの主人、ビジー・ブレイクであった。




