代理裁判
あれから、三ヶ月が経った。
「おい、囚人ども。この弁護士のガプス様が、お前らのケツを拭いて回ってやる。いい子で、並んでいろよ」
シグレナスの城壁に、下品な男の声がこだました。
弁護士のガプスが、木箱を叩いた。簡易な椅子に座って、鼻をほじりはじめた。伸びた髪は白く、寝癖で跳ねていた。鼻が赤い。
ガプスの前に、腕を拘束された未決囚たちが、列をつくって待っていた。
ジョニーは、行列の最後尾にいた。未決囚を数えたら、自分を含めて、八人いる。
並ぶ男たちの体臭が鼻をつく。男たちは、身体が細く、血色の悪い顔をしていた。誰もが不安げな表情をしている。
ジョニーは腕に嵌められた手錠に窮屈さを感じながらも、シグレナスの城壁を見た。
外から眺める都市から、まだ煙が立っている箇所がある。
“混沌の軍勢”は、霊骸鎧によってシグレナスから追い払われた。
シグレナスは早くも復興に集中している。
焼け跡も目立つが、シグレナスの市民たちは元の生活を取り戻していった。
ジョニーたち未決囚たちは、再び逮捕された。犯罪の記録は残っていたのだ。
“混沌の軍勢”の侵攻に、ほとんどの未決囚が死んだが、生き残った者もいる。混乱に乗じて逃亡した者もいれば、逃亡しなかった者もいる。
ジョニーは逃げなかった。
ジョニーが逃げたら、主人が逮捕されるからである。
弁護士ガプスの隣に、老人と若者が立っていた。白い巻き毛の鬘をかぶった太った老人……裁判官と、髪を刈り込んだ若い検察官だ。検察官は黒塗りの仮面を身につけていた。
「被告人から逆恨みされる職業だから」
と、呟いていた。
未決囚を木箱の前に立たせて、検察官が、罪状を読み上げる。
罪状に対して、裁判官はガプスに何か意見はないか訊く。
ガプスは、鼻の穴から指を引き抜いた。指に付着した黒い球体を眺めた。
ガプスが指で弾くと、黒い球体は空に飛んでいく。
「はい、こいつは有罪でいいぞ。鼻クソの飛び方が気にくわねえ」
被疑者を一瞥だにせず、うなった。裁判官は頷き、判決を言い渡す。
「弁護側から、反対尋問がなかったので、この者を有罪とする」
有罪と決められた者は、槍を持った兵士たちに連行された。柵の中に追いやられていく。
「これが、シグレナスの裁判か……。自由と平等の国とは、素晴らしいものだな」
ジョニーは呆れた。
検察官が読み上げ、何も争われず、裁判官が判決を下す。ガプスは何も弁護をしていない。鼻からの黒い物体を飛ばしているだけである。
機械的に行列が消費されていく。
「進行だけは早いから、昼飯までには帰られそうだな」
と、ジョニーは悪態をついた。裁判の仕組みをよく知らないが、納得できない。
行列の半分くらいを消化すると、ガプスが鼻から指を外した。
「鼻クソの在庫がなくなった」
と、今度は足下にある小石を蹴って、小石の転がり具合で有罪か無罪かを決めはじめた。
だが、どんな結果が出ても、「気にくわない」の一言で有罪となる。
未決囚はジョニーともう一人だけになった。
もう一人の未決囚、つまりジョニーの直前だが、弁護士ガプスは上下に見て、周囲を止めた。
「ちょっとまて。鼻クソも小石もなくなった」
懐から何かを取り出した。羊の革袋である。
口をつけ、喉を鳴らし、中身を飲む。
ゲップをした。
「酒が旨い……。気分が良いので、無罪。……と見せかけて有罪」
未決囚が、柵に連れて行かれる。
「いっけね~」
ガプスが白い髪をかきむしり、悲鳴を上げた。
「なあ、裁ちゃん、検ちゃん、頼むよ。十人に一人くらいは無罪にしておかねえと、俺の実績にならねえんだよ。次の奴は最後だから、こいつだけは無罪にしよ。な、頼む。今度、いい感じの店に連れて行って、可愛い女の子を紹介してやるからよ。な、な、頼むって」
ガプスの申し出に、裁判官も検察官も、呆れた顔をしつつも、断りもしなかった。沈黙の了解をしたのである。
「こいつら、仕事が適当すぎる。ガプスが、弁護士の中でも特殊な存在なのだろうか? それとも、シグレナスの裁判など、この程度なのだろうか?」
と、ジョニーが呟いた。
ガプスの前に立つと、ガプスは酒を飲んでいた。
「おお?」
口から革袋を離し、ガプスがジョニーの周囲を回って、観察した。
唾を飛ばしてまくし立てた。
「こりゃあ、とんでもねえ悪い奴だ。おい、裁ちゃん、検ちゃん、四の五の言わねえで、さっさと有罪にしちまいな」
「貴様。先ほどは無罪にする、とほざいていなかったか?」
「おっと、怒るなよ。でけえ声では言えねえが、ここだけの話、裁判は時間が掛かる。時間が掛かりゃあ、金も掛かるって話よ」
「なんの話だ?」
「ま、お前ら再逮捕された未決囚たちは、奴隷ばかりだ。分かるか? お前らには、ご主人様がいるだろう? ご主人様の身代わりとして、ここに連れてこられたわけだ。お前もそのクチだろう? ええ?」
「それがどうした?」
「もしお前が奴隷でないとして、ただの未決囚だったら、どうする? “混沌の軍勢”のドサクサに紛れて、逃げだすとか考えないのか?」
「逃亡は、俺も考えた。だが、俺は無事でも……」
「そうだ。奴隷のお前が逃げれば、ご主人様が逮捕される。ご主人様が逮捕されたら、奴隷だからな、居場所がなくなる。逃げようがないのさ。まあ、逃げても別の奴隷を用意けどな。……代理奴隷を立てられるほどの金持ちだ。貴族や金持ちなら、どこぞの会社の経営者であるし、地主である。裁判なんて金と時間の無駄遣いだ。しかも殺しみたいな重大な裁判だと、評判が悪くなっちまって、商売の邪魔にならぁ」
ガプスが革袋に口をつけて、一休みした。口を離し、話を続ける。
「ご主人様の犯した罪が有罪になったら、ご主人様の代わりに、お前ら奴隷が刑罰を受ける。むち打ちだろうと、棒叩きだろうと、な」
ガプスの説明で、ジョニーは事態が飲み込めてきた。
「効率性の問題なのだな。奴隷の主人としては、裁判に金と時間を奪われるくらいなら、有罪を認めて、奴隷に棒打ちでも受けさせれば良い。有罪が決まっているので、細かい審議は不要だ。裁判官や検察官を含めて、弁護士である貴様らにとって楽な仕事である」
勝ち負けが決まっている競争のようだ。誰が言い出したわけではなく、暗黙の了解で自然発生した、ただの茶番だった。
「……ま、お前ら奴隷たちが一番ワリを食うわけだ。お前らの忠誠心はたいしたものだよ」
「俺に忠誠心などない。俺が今日出向いた理由は、無実だと自信があるからだ。一切殺しはしていないし、あいつ……つまり俺の主人に殺しをするほど度胸はない。しかも、俺は皇帝から恩赦の特例を受けている」
ジョニーの発言に、ガプスは飛び上がった。
「ほう。皇帝陛下から恩赦を受けているだと? おい、裁判官、本当なのか?」
ガプスに確認され、かつらをかぶった裁判官は咳払いをした。
「そのような報告は受けていない……。恩赦の書類はあるか?」
書類。
家にはまだ届いていない。裁判官の家に送り込まれたのか、とも思っていた。
ジョニーは冷静さを保った。慌てては、つけこまれる。
「……まだ届いていない。手続きが遅れていると思われる。法務官イドルトと話は通っている」
と、素直に答えた。
ガプスが声を裏返した。
「届いていない? それは、何もないっていう意味だぞ。ここは、法治国家のシグレナス帝国。たとえ皇帝陛下でも、法律には従わないといけない。書類もなしに、誰がお前の無罪を信じる?」
ガプスが空になった革袋を振り回した。面倒で不利な事態になると、法律を振りかざす性格だ、とジョニーは見抜いた。
(イドルトめ、約束を違えたな。命を助けてやったのに……)
ジョニーは両手首の拘束を忌々しげに見つめ、想像上のイドルトに毒づいた。
「ほいじゃ、有罪な。お・ま・え」
ガプスは、ジョニーの鼻に指先を突きつける仕草をした。
怒りは湧いてこない。むしろ、ガプスの顔面を蹴り潰したら、どんな反応をするのか興味が出てきた。
足は自由なので、ジョニーは片足を持ち上げる。
「ちょっと待ったぁ!」
女の声が響く。
弁護士ガプスと、ジョニーの間に、突風が舞い込んできた。
突風の正体は、頭巾をかぶっている、女だった。
「法務官イドルト殿下の紹介で、ジョニーの弁護士をさせていただきます。イニステ、と申します。遅刻して、すみません」
全力で走ってきたのか、膝に手を当てて、肩で呼吸をしている。
荒い呼吸のせいで、顔全体を覆い隠す覆面の口元が前後していた。
ジョニーは、貝肉顔のサレトスを思い返した。
裁判官が渋い顔をした。
「そんな話は聞いていない」
イニステの乱入に尻餅をつけていたガプスが、立ち上がった。イニステに掴みかかる。
「けっ。豚くせえ霊落子がよお。俺様の職場に何しに来た? てめえら霊落子どもは、いつも俺たちの仕事を奪いに来やがるな」
顔を赤くして、怒っている。
「皇帝陛下と法務官の許可はあります。こちらの書面に」
イニステが冷静な声で、鞄から羊皮紙を取り出す。広げると、裁判官とガプスがのぞき込んだ。
文面を目で追っていくうちに、ガプスの顔が青ざめていく。歯を鳴らし、身をすくめている。
「はわわ、これは皇帝陛下のお達しだぁ……。法務官がお選びになったブレイク家のジョニーを弁護せよ、と書いてある」
ジョニーはガプスの変わりように眉をひそめた。帝も法律に従わなければならない、と発言していたが、詔の前では、怯える犬のようになった。
裁判官も検察官も、イニステに一目置くような視線を向けた。
(法律の世界では、文書で喧嘩の勝ち負けが決まるのだ)
物理的な方法で物事の優劣を決めていたジョニーにとって、新鮮な発見であった。
「……イニステ、といったな。本当に貴様は俺を弁護してくれるのだな?」
「はい、もちろん。お任せください」
イニステは腰に手を当てて、胸を張った。子どものような動きである。本当に大丈夫か、とジョニーは思った。
裁判が始まった。
「では、いくつかの質問をさせていただきます。貴方の名前は……?」
イニステがジョニーを指さす。
「貴様、知っているのではないか?」
「確認事項です」
「ジョニーだ。面倒な奴め」
「職業は?」
「ブレイク家で奴隷をやっている。これも知っているはずだ」
「……ブレイク家で、どんな仕事をしていますか?」
「ちょっと待て。そんな質問に、どんな意味がある?」
「いいから答えて。貴方と主人の関係を知りたいの。貴方は代理奴隷。主人との信頼関係が深い奴隷なら、刑罰を代理する価値はある。でも、昨日今日買われた奴隷だったら、主人としては何も痛くない。刑罰を受けるための奴隷を許したら、お金持ちは悪事を限りなく働ける結果になるでしょう?」
イニステの説明に、ジョニーは納得した。ガプスの五百倍は、まともに弁護士をやっている。
「わかった。……仕事はしていない。あるとすれば、揉め事になったら出て行くくらいだ。おかげで、貴様らのお遊びに付き合うハメになったがな」
「何も働いていないの?」
イニステは飛び上がった。ガプスたちから笑い声が上がった。弁護士にしては、動きが幼い。頭巾と覆面で顔を隠しているので分からないが、案外、ジョニーよりも年下かもしれない。
「おいおい、どうした。皇帝陛下の弁護士さんよ。こいつは本当に代理する価値のある奴隷なのか?」
ガプスが煽る。
イニステはしばらく考えて、質問を続けた。
「わかった。ジョニー。貴方はどこの生まれかしら?」
「ヴェルザンディ……かもしれない」
「かもしれない?」
「ここではない、どこか砂漠の国だったと思う。……子どもの頃、船に乗ってシグレナスに渡ってきた記憶はある。俺は奴隷として連れてこられたのだと思う」
「……記憶がないのね」
イニステは、残念そうな声を出した。どこかに痛みを感じる。
「誰もがそうだろう。子ども時代の思い出は、昨日見た夢と同じだ。たいていは忘れているが、憶えていても、砂粒ほどしかない思い出せない」
ジョニーが返事をすると、イニステは静かに息を吸い込んだ。
自分は今、不利な発言をしている、とジョニーは感じた。
イニステは話題を変えた。
「シグレナスに来て、どこかの奴隷市場に売られたの?」
「いや、奴隷市場には、俺はいなかった。街で、ブレイク家の当主に拾われた。息子と同じくらいの奴隷が欲しかったらしい。当主が死に、息子が後を継いだ。その息子が俺の主人だ」
「……兄弟みたいなものね。奴隷、というより養子に近い感じがするわ」
「……そうかもしれん。あいつは気弱で、弟のような存在だがな」
「兄弟に近い絆ね。弟を守るために、お兄ちゃんが代わりに裁判を受けにきた……」
イニステは優しく頷いた。何度も。
沈黙の後、イニステは質問を変えた。
「貴方はとても戦いが強いけど、どこで戦いを学んだの?」
「何故、貴様が俺の強さを知っている?」
「……皇帝陛下からお聞きしたの。貴方は百戦錬磨の勇者だって」
話をするくらいなら、恩赦状を寄越して欲しかったが、ジョニーは質問に答えた。
「俺の主人が、通りを歩いていたら近所の悪ガキに殴られた。たまたま隣にいたので、俺が殴り返したら、悪ガキは気絶した。それが生まれて初めて喧嘩に勝った経験だ」
「いくつ……?」
「おそらく、十歳の頃だ」
「すでに才能の片鱗を見せていたのね」
「悪ガキが、三つ上の兄貴を呼んで仕返しに来た」
「やっつけたの?」
「……当然だが、ボコボコに殴られた。子どもの頃は、一個年齢が違うだけで身体つきが違うのだ」
ジョニーの話にイニステが、静かに笑った。顔は見えないが、可愛い笑い方をするな、とジョニーは思った。
話を続ける。
「異国の男が、公園で金持ちの子どもたちを集めていた。異国の武術を教えていたのだ」
「……一緒に学んだの?」
「いや、俺には金がなかった。金が払えないから、遠くで眺めていた。……いつも追い払われていたが、教師の目を盗んで、異国の技を、蹴りと突きを学んだ」
「見ただけで分かるものなの?」
「どうも俺には才能があるらしい。誰かの動きを見ると、忠実に再現する才能だ。……勉強には才能がないとすぐに気づいたがな」
ジョニーは、目を閉じた。
異国の男が蹴りを繰り出す様子を思い返す。
男の筋肉や骨の動きが見える。いや、ジョニーは身体で感じ取っていた。異国の男が身体に憑依したようだ。
蹴りを放つと、異国の男とは変わらない動きになっていた。
「俺は通りでよく喧嘩を売られる。自分から喧嘩を売るような真似はしないが、売られた喧嘩は買ってきた。喧嘩で、負けた記憶がほとんどない。事情や体調によっては負ける場合もあるが、負けるたびに戦い方を学んで、仕返しをしていた。……気づけば、どんな奴でも勝てる自信がついたよ」
ジョニーの話を、イニステは聞いていた。頭巾からは見えないが、笑っている様子だ。
イニステは、ジョニーの感想を言った。
「自分よりも、他の人を優先する人だと思った。弱い人を守る、優しい人。皇帝陛下や女の子たちを守る姿は、本当の勇者……だと皆が思っている。……話を聞いて、だけど」
「さあな。たまたま居合わせただけだ。俺が倒したい奴らが、たまたま悪い奴らだったまでの話だ。……貴様、俺について詳しいな」
ジョニーはくすぐったい気持ちになった。
「当然よ。弁護する相手を調べなくてどうするの?」
イニステは質問を変えた。
「ご主人様が、無意味な殺人を命令したら、貴方は殺す?」
「……状況によるが、俺が無意味だと判断したら、殺しはしない」
「もし、貴方のご主人様が誰かを殺そうとしたら、貴方は止める?」
「何度も言うが、奴は殺しをするより泣き寝入りを選ぶ臆病者だ。だが、もし仮に奴が誰かを殺そうというのなら、俺は止める。奴を投獄させない」
頭巾と覆面のせいで、顔が見えないが、イニステは声を出さないで笑っている。
(こいつ、なかなかやるな……。俺に話をさせて、自分たちにとって有利な情報を引き出させた)
ジョニーは嘆息した。どこの世界でも、喧嘩上手は、いる。
「最後に、質問だけど」
「そろそろ終わりにしてくれ。俺の身の上話など、楽しくないだろう」
イニステは、一呼吸を置いた。
「恋人はいる?」
不思議な質問であった。ジョニーは固まった。
「……どういう意味だ? それが、今回の裁判に何の意味がある?」
「いいから、答えて」
「……いないが」
言葉とは裏腹に、黒いもやが見える。黒いもやの存在に、ジョニーは一瞬、恐怖を感じた。どんな敵でも恐怖を感じないジョニーであったが、黒いもやは恐ろしかった。
だが、ジョニーは首を振った。
(俺は、恐怖など感じない……!)
イニステは黙っていた。ジョニーには、長考しているように見えた。沈黙のあと、もう一度イニステは質問をした。
「好きな人は? 気になる女の子とかいないの?」
気になる女の子。ジョニーの人生で、縁のない言葉に聞こえる。
「いない。……俺は俺が信じるものは、俺の腕力だけだ。……女の話がどう必要なのだ?」
「あら、恋人がいるって、大切よ。守りたい存在がいるかどうかで、毎日が変わるわ。聞きたいの。私は、貴方を自分の利益だけで暴力を振るう人じゃない、と思っているから。今回と同じ意味のない殺しは、しないと考えているの」
「よく分からんが、俺に恋人が何かいれば、裁判で有利になるから、誘導尋問をしているのだな。残念だが、今回は貴様の作戦は上手くいかない。……俺に好きな女はいない」
ジョニーは否定しながらも、とある人物の顔が思い浮かんだ。
“混沌の軍勢”が攻めてきたとき、帝の傍に侍っていたクリーム色の金髪をした少女、セレスティナの姿であった。
ジョニーは、再び頭を振った。
(まともに言葉を交わしていない相手が気になる、だと? そんな馬鹿な話はあるか。そもそも、あれは皇帝の女だろう? 俺が相手にされるはずもない)
イニステが最後に質問をする。どんな感情なのか、読み取れない口調であった。
「最後にジョニー。貴方の名前は?」
「……名前? ジョニーだ。それ以上でも、それ以下でもない」
裁判が始まった。イニステと、検察官の戦いになった。裁判官としても早急に仕事を終わらせたいのか、検察官の味方をしている。ガプスは最初イニステの登場が気に食わず、検察官の肩を持っていた。イニステと、それ以外の戦いになった。
だが、ガプスは途中でイニステの味方になった。
(皇帝がでてきたから、皇帝側に着いたら、得すると考えたのだろう)
と、ジョニーは分析した。
四人の男女が、木箱を中心に言い争いをしている。
裁判、というより、市中の口喧嘩に近かった。
通行人が、我関せずの顔で通り抜ける。
これがシグレナスの裁判なのだ。
途中で飽きた。木陰を見つけて、寄りかかる。
目を閉じた。
都会の喧噪も、門外に出てしまえば、緑豊かな丘である。小鳥のさえずりを聞き、心地よい風を肌で感じれば、気分が良い。
「以上を持って、ブレイク家の奴隷ジョニーを無罪とする」
裁判官の声で目が覚めた。ジョニーが寝ている間に裁判は終わったのである。
裁判官が口を開く。
「ブレイク家の奴隷、ジョニーよ。皇帝陛下の御名において、今回の判決は文書として発行され、後日、そなたの家に届くであろう」
「イドルトからの文書が、まだ届いていないぞ。俺を二度も無罪にするとは、皇帝も法務官も忙しいのだな」
拘束を解かれた。錠前が地面に落ちる様子を見て、ジョニーは肩を回した。
「もう自由の身だな? さっさと帰らせてもらうぞ」
シグレナスの門を目指した。
イニステが何かを話しかけたがっているが、無視した。無罪になってしまえば、弁護士に用はない。
悲鳴が聞こえる。
振り返ると、未決囚たち……いまや有罪判決を受けているので、囚人である……が、柵の中で、怯えきっている。ジョニーと同じ、代理奴隷たちである。主人の罪を代わりにかぶった、無力な存在たちだった。
柵の外から兵士たちが、手にした槍で、囚人たちの胸を突っついた。柵に近寄るな、と命令している。
裁判官が、声を張り上げた。
「これより、刑を執行する」
弓矢を手にした兵士たちが並んだ。囚人たちから、恐怖と絶望が混じった悲鳴が巻き起こった。
弦を鳴らす音が、響き渡った。
手を拘束された囚人は逃げたり、身を伏せたりしたが、矢の犠牲になっていく。生き残った者が柵に体当たりをして脱出を図ったが、槍に胸をつかれ、絶命した。
柵の隙間から、赤い川が流れる。
「奴隷たちの流した血は、主人の犯した罪を洗い流せたのか……?」
ジョニーの問いに、返答する者はいなかった。




