投石器
大通りでは、放火や略奪が続いている。
ジョニーは、街の隙間である路地裏をぬって進んだ。
路地裏は、“混沌の軍勢”による被害が及んでおらず、静かだった。
建物から、息を殺した人々の気配を感じる。静かなのに、恐怖を放出している。不気味さをジョニーは感じた。
静けさは、仮初めの平和にすぎない。“混沌の軍勢”が押し寄せてくれば、脆くて砕け散る程度だ。
「まだ余力のある者たちが集まれば、勝てるであろうに。こいつらは、死人だ。……生きているようで、実は死んでいるのだ」
ジョニーは、歯がゆい気持ちで、独り言を漏らした。
住人たちは、現実から目をそらして、偽の平穏に安住している。
「家にいなさい、とお達しがあったからです」
後ろからプティの声が聞こえた。ジョニーを独り言を聞かれていて、決まりが悪かった。
プティが話を続ける。
「“混沌の軍勢”は、戦う前に儀式をするそうです。自分たちを傷つけたり殺したりした者に、呪いをかける儀式で、呪われた人は高熱を発して、死ぬのだとか。扉を閉めて、家に引きこもっていれば、“混沌の軍勢”と接触せずに呪いを回避できる、と。あ……」
プティは言葉を切った。ジョニーは、“混沌の軍勢”と接触している。
「くだらん。呪いなど迷信にすぎん。現に俺は熱も発しておらんし、死んでもおらん」
ジョニーは、プティの説明を斬り捨て、苛つく感情を抑えた。
「ですが、勇者様。みんな、“混沌の軍勢”の呪いを心配していますよ?」
「……蜂蜜髪のプティ。いらぬ心配をするな。俺は呪いなど恐れたりしない。周りの奴らが、どう思うと、俺は俺の仕事を果たすまでだ。仮に俺が呪われたとして、貴様はどうするつもりなのだ?」
ジョニーが言い放つと、プティは気の毒になるくらい縮こまった。ジョニーは本気で心配してくれる相手に対してした仕打ちに心を痛めたが、罪悪感に苛む暇はない。
路地裏が終わった。
新たな路地裏が大通りを挟んで、見えた。
今いる路地裏よりも細く、大人が二人ほど通れるか通れないくらいの幅だった。
入るには、一度、大きな通りを通過する必要がある。
建物の影から周囲を窺う。
右側にアーチが見える。アーチの向こうで、“混沌の軍勢”が一人、荷車の見張りをしていた。
ジョニーは腰を落として、後続を手で制した。
マミラとパルファンの足音が、気になった。赤子を抱えたマミラは仕方ないといえ、誰も抱えていないパルファンが鳴らす原因が理解できない。しかも、歩みは遅く、一番最後だ。
「俺が走り出したら、従いて来い。いいな」
見張りのよそ見は期待できない。隙を突いて、横を通過しても、パルファンの足音で気づかれるだろう、とジョニーは判断した。
見張りの動きを横目に、ジョニーは石を拾った。
抱っこ紐の中心に石を置き、石を中心に、紐を折って両端を合わせた。
「何をするんですか?」
プティが話しかけてくるが、無視した。いちいち口を挟まないと生きていけないのか、とジョニーは思った。
合わさった両端を持ち、下手投げの要領で紐を振る。
紐の中から飛び出た石が独特の軌道を描いて、鈍い音とともに見張りの頭に命中した。
「走れ!」
ジョニーは駆けだした。
「赤ちゃんの抱っこ紐を投石器にするなんて……! さすがです、勇者様!」
後から続くプティは、走っていても、口を挟む癖をやめない。
「俺を勇者と呼ぶな。やせっぽちのプティ。貴様は、一言が余計だ」
路地裏に隠れ、プティと共に、マミラたちを待つ。身体の細いサレトスが到着し、赤子を抱くマミラがたどり着く。最後は、ふわふわ髪のパルファンだった。パルファンの走り方が変だ、とジョニーは思った。
「ごめんなさい、足が遅くて……」
パルファンが、息を切らして謝っている。
(疲れるほどの距離ではない)
と、ジョニーは他人の事情ながら思った。
霊落子のサレトスを見ると、頭巾の中からは息づかいも聞こえない。身体の構造が、人間とは違うのか、単にパルファンの体力がないのか、ジョニーは結論が出なかった。
暗くて狭い道は、不快な臭いが漂っている。
金持ちが住む邸宅の裏口で、ゴミ捨て場でもあり、奴隷たちが出入りしたり休憩したりする場所でもあった。
捨てられた野菜の残骸から、虫が這っていた。魚の骨にたかっている羽虫が、ジョニーたちに気づくと散っていった。
ジョニーは歩みを止めた。
樽やゴミの塊が、山となって道を塞いでいる。悪臭を放ち、虫の巣窟となっていた。
ジョニーは、ゴミ山を見上げた。背丈の倍ほどある。山の一部が音を立てて崩壊した。
振り返って、来た道を見た。
路地裏の出入り口が騒がしくなった。
隙間から、“混沌の軍勢”の影が往復している。
「俺が気を失わせた奴は、見つかった。奴らが、集まっている。俺たちが気づかれるまで、時間の問題だ。……もう引き返せないぞ。ここを登っていく」
反対する者はいなかった。ゴミの上を歩くなど、普通の日常では考えられないが、命がかかっている。
先頭を歩いていたジョニーは、すぐに山頂に登り、女性たちを待った。
後に続くサレトスの手を引き、向こう側に送り出す。
心配性のプティがマミラから赤子を預かって、マミラを先に行かせた。ジョニーはマミラに腕を掴まれて、ものを言わぬロープになったような気分になった。
奴隷のプティは、ジョニーの手を借りず、赤子を抱えて、軽い足取りで山を乗り越えた。ゴミ山登りに馴れている、とジョニーは感じた。
パルファンが、ゴミの山を前で、躊躇っている。
ジョニーは降りて、パルファンに手を差し出した。パルファンは不安げな表情を見せる。ジョニーは強引に手を引いて、無理矢理歩かせた。
崩れるゴミの山で、パルファンの動きが固まった。
「高いよぅ……。臭いよぅ……。ごめんなさい、降りられないよぅ」
目に涙を浮かべて、謝っている。パルファンは高い場所が苦手だと、ジョニーは見て取った。
ジョニーが下まで連れて行こうとした瞬間、路地裏の出入り口から、類人猿のような金切り声が聞こえた。
“混沌の軍勢”が集まってくる。
ジョニーは、ゴミ山の麓で待つプティに叫んだ。
「プティ。先に行け。俺がパルファンをなんとかする」
“影の騎士”に変身した。
不快な音が、空を斬る。ジョニーはパルファンを屈ませた。背中に石を投げつけられた痛みが走った。“混沌の軍勢”が撃った矢だった。
「変身しなければ、即死だったな」
パルファンの肩を抱き、下まで飛んで、両脚で着地した。パルファンが驚いた顔でジョニーを見た。
プティが、サレトスとマミラを連れて路地裏の出口に向かったが、踵を返して引き返してきた。
「勇者様、外にも敵が!」
狭い路地の反対側にも、“混沌の軍勢”が押し寄せてきた。
ジョニーは、並んでいる建物の一つに、路地裏から窪んだ裏口を見つけた。皆を集め、伏せる仕草を見せた。
「ここで、矢から身を隠せ」
プティとマミラが不思議な顔をした。
霊骸鎧に変身している間は、口が塞がって、言葉が喋れない。意思疎通が難しい。
だが、パルファンはジョニーの意図を理解したらしく、伏せた。他の者も続いて、身を低く、その場に伏せた。
不愉快な音を立てて、矢が飛んできた。ゴミ山の上から、“混沌の軍勢”が弓を放ったのだ。
ジョニーは小型円盾を構えて、矢を跳ね返した。
反対側、路地裏の出入り口からも矢が飛んできた。
ジョニーが避ければ、プティたちの誰かに矢が当たる。片手曲剣で矢を切り払った。
左右からの矢を、ときには身体を回転させ、剣と盾で打ち落としていった。
矢の量が増えてきた。
道の幅が狭く、敵が横に展開できない状況が唯一の救いだ。
赤子を胸にかばっている、マミラの背中に、低空の矢が飛んできた。
ジョニーは左脚を伸ばして、矢を弾いた。左脚のつま先に痛みが広がった。
ジョニーは苦痛に顔をしかめた。
「この程度の痛みならば、耐え切れる……! 攻勢に出るぞ」
投石器を振って、山の上に陣取る“混沌の軍勢”に、石を投げた。
石は“混沌の軍勢”の顔を半分に割り、空の彼方に飛んでいった。顔の大半を失った死体は、ゴミ山に雪崩を起こして落ちていった。
出入り口で陣取る“混沌の軍勢”が、怯んだ。
「一人殺せば、こちらの勝利だ」
狭い路地裏に飛び込んでくる敵を、ジョニーは投石器で撃ち殺した。
石を投げるたびに、死体の数が増えていく。
「攻撃を食らいすぎると、変身が解けてしまう……」
ゴミの山を見る。山は死体で埋まり、敵の後続を塞ぐ防壁となった。
「ここを突破するぞ、従いて来い!」
プティの背中を優しく叩いて、起こさせた。ジョニーは盾を構えて走り、“混沌の軍勢”の胸に剣を斬りつけた。
突撃は無傷ではすまなかった。敵の矢を数本、胸や肩に受けた。打撲の痛みにジョニーは身体を揺らされたが、痛みをごまかすためにも、敵を斬り殺していた。
死体を踏み越えて、路地裏を出る。
馬に乗った“混沌の軍勢”が、馬上から矢を放ってきた。
ジョニーは難なく盾で矢を弾いた。
反撃に落ちている石を探したが、ジョニーの手は空を切った。
石がない。
馬上の敵が引き返して、弓を番えてきた。
手に、石を潜り込まされた。
振り返ると、石の持ち主は蜂蜜髪のプティだった。顔からは恐怖が消え、戦士の一人として自覚をもった表情をしている。
「プティ。貴様は気が利くな。聡い奴よ。……言葉は余計だがな」
石を投げ、敵の胸に風穴を開けた。
馬は、項垂れた死体を乗せたまま、通りの向こうに駆け抜けていった。
脅威は去った、とジョニーは判断し、変身を解いた。
石畳が、二重に見えた。石畳を踏む、足に力が入らない。
(いかん、視界が歪んできた……。敵の攻撃を食らいすぎたようだ……)
身体に怪我はないが、身体を守っている分、霊力が消耗する。
ジョニーの自己分析は、マミラが悲鳴でかき消された。
振り返ると、路地裏から“混沌の軍勢”の生き残りがマミラに向かって剣を振り上げていた。
だが、音を立てて、“混沌の軍勢”が崩れた。驚いた顔をしたパルファンが現れた。両手には、血の付いた岩を持っていた。
「俺に次ぐ戦力である」
ジョニーは微笑んだ。パルファン本人は、自分が何をしたのか理解できないでいたからだ。




