影の騎士
ジョニーは霊骸鎧に身を包んだ。
つま先から、頭頂部まで全身が一つにつながった感覚である。黒い闇の霊力が体内の上から下に降りたかと思えば、上方に跳ね返った。上昇と下降を繰り返し、往復をしている。
背筋を伸ばし、両の拳を握りしめる。
内側の霊力と、外側の肉体が一つになった。内側から、心地よい風が吹いている。
「これだ、この感覚だ……」
ジョニーは霊骸鎧“影の騎士”との一体感を噛みしめた。
ジョニーの変身によって吹き飛ばされた“混沌の軍勢”たちは、頭を抱えて起き上がった。何が起こっているか理解できていない。
“影の騎士”の腰前方には、三枚に分かれた草摺が装着されている。ジョニーは草摺をたくし上げ、横に払った。
「貴様らに、生まれてきて後悔するほど痛い思いをさせてやる。……挨拶代わりだ」
ジョニーは近くの“混沌の軍勢”に、握りしめた拳を突き出した。
顔面が砕け、数本の歯が、宙に舞う。
「もっとも、生きていれば、だがな!」
隣の奴もついでに殴る。狙うは、隙だらけの腹だ。肋骨が折れ、内臓が破裂する。口から血が吹き出し、絶命した。
少し離れた“混沌の軍勢”が二人、片刃曲剣を抜いた。
走りだして一気に距離を詰めようとする。
ジョニーは両脚を揃えて、空中に飛び、白い刃の軌道を躱した。
驚く顔を、ジョニーは着地地点とした。
周りが柔らかくて、中が硬い。まるで大きなオリーブの実に乗ったような感触だ。
生き残った“混沌の軍勢”が斬りかかる。
ジョニーは左腕で受け止めた。金属がぶつかり合う軽い音が鳴り響く。
“影の騎士”の左腕には、円形の盾……“小型円盾”が標準装備されている。
ジョニーは受け止めた勢いのまま、棍棒を握ったまま死んでいる太った男の傍まで転がった。
死体から棍棒を剥ぎ取る。棍棒を手のひらで空中回転させ、もう一度掴んで“混沌の軍勢”の一体に殴りつけた。
首があり得ないほど曲がりくねって、新品の死体となった。
新手が剣を振り上げてくる。ジョニーは、近くの敵に注意しながらも、遠くで弓を構えている者に気づいた。
敵の動きは遅い。
片手曲剣を躱して、お返しに棍棒を顔面に見舞ってやった。血しぶきがあげて、膝から崩れ倒れる。
次に来る刃をすり抜け、次の“混沌の軍勢”を棍棒でかち割った。
“混沌の軍勢”が、いくらでも湧いて出てくる。
「まるで西瓜割りでも、やっているみたいだな」
ジョニーは棍棒を振って、シグレナスの石畳に、砕けた西瓜を散乱させていった。
「今日の西瓜どもは、いつもより賢いぞ。自分から割られに来る西瓜とは珍しい」
棍棒が折れた。
遠くに敵の弓兵が集まって、矢をジョニーに向けている。
片刃曲剣を持った奴が、丸腰のジョニーに近づいてきた。
この一体を殺せば、弓矢の一斉射撃が始まる、とジョニーは判断した。
ジョニーは“影の騎士”の能力を開放した。
“混沌の軍勢”の全員が驚いた。
前方にいたはずのジョニーが消えたのである。
“影の騎士”ジョニーの姿は透明になっていない。“影の騎士”は気配を消して、自分や自分の所有物を周囲から見失わせる能力を持っていた。
持続時間は一瞬だけだが、ジョニーにとっては充分だった。
ジョニーは、目の前の奴に駆け寄り、腕を掴んで背中まで捻る。“混沌の軍勢”は関節をやられ、片刃曲剣を落とした。
ジョニーを再発見した弓兵部隊が、一斉に矢を放つ。
ジョニーは生け捕りにした敵を盾や傘にして、弓兵部隊に突撃した。
矢を受けて、生身の盾は激しく揺れ動いた。
ジョニーは死体を放り捨て、奪った片刃曲剣で弓兵たちの首を斬り飛ばしていった。
燃える街中で、野蛮人たちの断末魔や命乞いにも聞こえる悲鳴が響く。
反撃など許さなかった。一方的に首を刎ねていき、最後の一人にとどめを刺す。
静寂になった。
血の海を踏みしめ、ジョニーは、興奮状態の中、立ち尽くした。
罪なき人々を虐殺していった“混沌の軍勢”を始末した。
ジョニーの内部で、泥のように鬱積していた負の感情が、取り払われて、抜け落ちていく。心の浄化作用は一種の陶酔感となって、ジョニーを酔わせた。
顔に矢が掠めた。
振り返ると、“混沌の軍勢”の女が生き残っていた。女は弓を構えたまま、震えている。ジョニーは足下の生首を蹴って、女に寄越した。
首は吸い込まれるように女の露わになった胸と腕の中に、収納された。
抱えた首を見て、青みがかかった肌の女は、さらに青ざめていった。
ジョニーがゆっくりと近寄ると、女は悲鳴をあげて、逃げていった。
ジョニーは追わなかった。
変身を解いた。
“影の騎士”は黒い煙となり、ジョニーにまとわりついていたが、周囲の空気に溶け込んでいった。
牢屋となっている、格子の馬車に近づいた。
女性の声が聞こえる。
「近寄らないで! 殺さないで!」
自分の父親に助けを求めていた女性だった。ジョニーに殺されると混乱している。
「女。俺に貴様を殺す理由などない。俺はジョニー。……貴様の名を何という?」
自己紹介をして、少しでも相手の心が落ち着かせる。ジョニーは、女性を解放するため、奪った片刃曲剣で格子の木材を叩っ切った。
「あたし? あたしはパン屋の娘のマミラ。お願い、殺さないで! 何もしないで!」
「マミラ、今から貴様を助ける。殺しはしない。貴様は霊骸鎧に変身できるか? ……ふん。できそうもないな。霊骸鎧に変身できる者はいないか?」
野蛮人に囚われた人々は、お互い顔を見合わせ、お互いの反応を窺っている。
「貴様らの中には、いないのだな。お互い顔見知りでもなさそうだな。……格子を外した。出てこい」
生き残った人数は、ジョニーを除いて四人だけだった。
マミラが馬車から出てきた後に、女の子が降りてきた。首にスカーフを巻いていて、ふんわりとした茶髪をしている。解放奴隷のパルファン、と名乗った。ジョニーはパルファンが自分と同じくらいの年齢だろう、と分かった。
次に出てきた囚人は、奴隷の少年だった。
背が低く、肋骨が浮き出るほど痩せていて、蜂蜜を頭にぶちまけたような色の髪をしている。優しい顔つきで、最初は女の子かと思ったが、男の子だった。奴隷少年はプティ、と自分を呼んだ。
最後に、頭巾をかぶって顔を隠している人物が現れた。身体つきから、女である。
「自分の顔を見られると、不都合でもあるのか? 見せろ」
気になったジョニーは頭巾を外した。
出てきた顔を見て、全員が息を呑んだ。
人の顔ではなかった。貝をこじ開けたら出てくる、貝の中身を思わせる桃と白の顔であった。
「霊落子!」
パン屋の娘マミラが目を見開いて、憎悪の視線を投げつけた。
「お前、お前が何かしたんだ……! あたしのお父さんを殺した……。あたしの家を焼いた……。全部、お前ら霊落子のせいだ」
マミラが、顔を真っ赤にして、貝肉の顔をした霊落子につかみかかった。解放奴隷のパルファン、奴隷少年プティは呆気に取られている。
異形の存在、霊落子。霊落子は誰もが人間以外の動物の顔になっていて、差別を受けていた。ジョニーには差別する人間の気持ちが理解できなかった。だが、見た目の違いが原因なのだろう、と解釈していた。
頭巾を外された霊落子は、差別に慣れているのか、マミラに何をされても抵抗しない。顔を逸らして縮こまっている。
マミラが霊落子に掴みかかっている一方で、ジョニーには、どこからともなく声が聞こえた。
「敵か!?」
周囲を警戒したが、どこも火事で、“混沌の軍勢”は死体以外、姿は見えない。他の人間は声に気づいていない。
だが、ジョニーには聞こえる。敵の声ではなく、もっと弱い存在の声だ。
マミラと霊落子の間に、蜂蜜色の髪をした奴隷のプティが割って入った。
「マミラさん。お父上を失って、悲しいお気持ちは分かります。けど、さっきの野蛮人たちと、その人は関係ないです。僕たちと一緒に捕まった、同じ被害者です。差別はいけません。ここは自由と平等の国、シグレナスなのですよ? 差別反対、差別は駄目。みんな、仲良く、力を合わせて、この場を脱出しましょう」
プティが必死に宥めたが、マミラは邪険な仕草で腕を振り払った。
「なによ。ただの奴隷が偉そうに説教しないで! 私、生きていたくない。こんな焼けた街で、あんな野蛮人に追いかけ回されて、生き延びるなんて、まっぴらよ! 皆、殺されるんだわ! 野蛮人に辱めを受けるくらいなら、ここで死ぬ。死んでやるっ!」
マミラが幼児のように、地団駄を踏んで泣いた。髪を振り乱し、絶望と恐怖に打ちひしがれた両眼から、涙が溢れている。
プティは動揺した。
「大騒ぎしないで……。泣いていると、奴らが、“混沌の軍勢”が集まってきますよ……」
プティは心配な表情を見せた。隣で、ゆるふわ髪のパルファンが、目を潤ませている。
ジョニーは、その場を離れた。マミラが不愉快になったのではない。
先ほどから聞こえる声の主を探している。
「……これは、助けを求めている声だ。おい、女。黙れ、静かにしろ」
ジョニーが耳に手を当て、心を静めた。
泣き声に近づく。
声は、瓦礫の中からだった。瓦礫を取り除くと、女の死体が埋まっていた。
女の死体から、声が聞こえる。死体をひっくり返すと、赤子をかばっていた。
「赤子は生きているぞ……。おい、誰か力を貸せ」
泣き叫ぶ赤子を死体から引き取ると、ジョニーはマミラに赤子を渡した。
「女、死にたい、と抜かしたな。勝手に死ねばいい。だが、それでは、貴様の負けだ。あんな下郎どもの都合で、死んでしまうとは情けないぞ。……悔しくないのか?」
ジョニーは、マミラの目を見た。マミラが理解できない顔をした。
「女、戦え。死ぬまで生き残れ。生き残って、この赤子を育てろ。……貴様の戦いだ。奴らがいくら殺そうと、一人でも生き残りがいれば、俺たちは、シグレナスは、命をつなげるのだ。そうすれば、奴らと貴様の喧嘩、貴様の勝ちとなる。……女、貴様には自死する度胸もあるまい。……選べ、女。いや、パン屋の娘マミラよ。このまま、奴らに殺されるか。それとも、生き延びて、この赤子を育てるか。どっちを選ぶ?」
ジョニーは低い声でマミラに迫った。
マミラは胸の中で泣く赤子を見て、マミラ自身が泣き止んだ。自分より弱い存在を前にして、冷静になっていった。
「おーよしよし」
マミラが、赤子に笑顔を見せた。赤子も泣き止み、笑いかけた。
ジョニーは母親の死体から、赤子の抱っこ紐を取り外した。
「借りるぞ……」
半分に裂いて、片方をマミラに渡した。もう半分を自分自身の腰に巻き付けた。
「おい、小僧。母親の仇を、俺が撃ってやる。よく見ておけ」
泣き止む赤子に指を突きつけた。
「勇者様……」
プティが近づいてくる。
「勇者様、どうして変身を解いたのですか? さっきの抱っこ紐は何ですか?」
「変身を解いた理由は、霊力を温存するためだ。……連戦になる。紐だが、あとで使う。俺の霊骸鎧は武器がないからな。……何故いちいち俺が貴様に説明しなくてはならぬのだ? それと、俺を勇者と呼ぶな。ジョニーと呼べ。俺は勇者でもなんでもない、ただの奴隷だ」
ジョニーは苛ついた。余計な説明をする時間などない。プティが申し訳ない表情で俯いた。
「貴様らは、これからどうする?」
ジョニーは生き残りたちに問いかけた。帰る家は焼け、周りは“混沌の軍勢”が闊歩しているのである。誰もがお互いの顔を見合わせ、返答に困っていた。
「俺はブレイク家の奴隷だ。家に戻ろうと思う。生き残りたいなら、奴ら野蛮人どもの目を掻い潜り、街の外まで出て、どこか安全な場所を探せばよい。運良くやり過ごせば、生き残れるだろう。だが、俺は、貴様らを街の外までは案内できない。俺は奴隷にすぎないからだ。家を見捨てる真似はできないからだ。家には、俺のすべてが詰まっているのだ。ただ、家の地下室には、いくらかの備蓄がある。これくらいの人数なら、数日間、生き残れるかもしれん。……家自体が焼け残っていれば、だがな。それでも良いなら、俺に従いて来い」
ジョニーは生き残りに背を向け、坂を歩き始めた。
後から生き残りたちが従いてくる。
貝肉顔の霊落子が小走りで、ジョニーの隣に駆け寄ってきた。
「私は、サレトスといいます。アポストルの私も、従いて来ていいのですか?」
か細く、自信のない声だった。
霊落子は自分たちをアポストル、と呼んでいる。
むしろ霊落子は差別的な呼び方である。
「好きにするがいい」
ジョニーはサレトスに一瞥だにせず先に進んだ。
霊落子など、問題ではなかった。問題は、人数である。
一人であれば、走っていける。敵がいても、隠れて移動できる。
だが、非戦闘員と一緒にいると、行動に時間と手間が掛かる。敵に発見され応戦するとなると、足手まといになる。
一抹の不安がよぎったが、ジョニーは気持ちを切り替えた。
「俺が死ぬなら、俺はその程度だったまでだ」
ジョニーは、女や子どもたちの歩調に合わせた。




