首都陥落
ようやく主人公の登場です。
「人生ってぇもんは、窮屈なもんだな」
隣の囚人が、話しかけてくる。鼻が赤く、しょぼくれた両の目には、生気がない。
牢屋といっても、丈夫な木を格子状に編まれた、巨大な籠が乗った馬車である。
だが、御者や馬の姿はなく、街の大通りに放置されていた。
本来ならば、人と人でごった返す大都市シグレナスであったが、今は人影がない。誰もが、家の扉を深く閉め、息を殺して姿を隠していた。
「自分で自分の物事が決められねぇ。……これが窮屈さの大元よ。俺たちは、今牢屋にぶち込められているが、ここから出られねえ。どこに行こうと思っても、行けないわけだから、窮屈なもんよ。……そうだよな、兄ちゃん」
赤い鼻の囚人が木の格子を見ている。厳密には、囚人ではない。まだ裁判を受けていない、未決囚であった。
「俺っちは、マイダナーってぇ言うんだ。死神通りのマイダナーといえば、名の通ったもんよ。兄ちゃん、名前は?」
「ジョニー……」
ジョニーは乾いた声で応えた。マイダナーの声が不愉快である。
「ジョニー、変な名前だな。なんだ、親が酔っ払ったときにでも名付けられたのか?」
「俺に親はいない」
「そら、窮屈だな。もっとこう、景気の良い名前でも名乗ったらどうだい?」
「自分から大層な名前を名乗っても、実力が見合っていなければ、ただの笑い者だ。自分の名前を決める赤子などいるか?」
「……それがどうだってんだい? いるわきゃねえだろ」
「貴様の理論だと、すべての者が、生まれて名付けられた時点で窮屈になるな」
「へぇ、親なしのジョニー。無口そうで中々口が達者だな。そうだ、俺たちは生まれながらの窮屈者よ。名前も一種の呪いなのさ。……お前さん、年齢はいくつだ?」
「一七歳……らしい」
「らしい、とは、どういうこってい?」
「いつ生まれたか誰も知らんからだ。周囲の連中が、俺の許可なく勝手に決めたのだ」
「は、こいつは傑作だ。年齢すら誰かに決められているのかい、推定年齢一七のジョニーよ。何重も窮屈な野郎だ、お前さんはよぅ。ははっ。どんな悪さをして、パクられたんだい? ゆすりか? たかりか? それとも盗みか? どっちなんだ? ……あ、俺か? 相手がちょっと情けねえ奴でよ、飲み屋で、俺が酒を盗み呑みしたとか大騒ぎするもんだから、ちょっと頬を触ってやったのよ。そしたら、殴っただの大騒ぎしやがって、俺をショーガイか何かで訴えるとか喚いたもんだ。それでパクられたってもんよ。……で、お前さん、なんでパクられた?」
「殺人だ、小悪党」
「ふえ、その若さで殺しかい? 思い切ったもんだぁ」
「違う、俺は殺していない。俺の主人が疑われて、代わりに逮捕されてやったのだ」
「ふむ、つまり、お前さんは奴隷だってわけだね。親なし、推定年齢一七歳、で奴隷。窮屈極まりないジョニーよ。人殺しの身代わりたぁ、とんでもないご主人様をもったものだ」
「それはない。奴は臆病者だ。殺しをする度胸などない」
ジョニーはマイダナーとの会話が苦痛になってきた。マイダナーから知性を感じられない。
ジョニーは、手枷を観察した。手枷は木の板を二枚、金具でつなぎ合わされている。手枷を外すには、金具に差し通されている横木を動かす必要があった。
手首の窮屈さを除外するには、マイダナーの協力が必要だ。ジョニーがマイダナーに話しかける前に、マイダナーが立ち上がった。
「おい。お前らっ」
酒で枯れた声が、シグレナスの街並み……数階に分かれた高層建築物に木霊した。
ジョニーは通りの向こうにある上り坂を見た。上り坂には、裕福な家庭が構える邸宅が立ち並んでいた。高級邸宅は平屋や二階建てが多く、見晴らしが良い。
大都市シグレナスは、巨大な丘の集合体に、城壁で囲んで構成されていた。
住処の高低で、所得が分かる。富裕層や宗教団体は、丘の頂点を独占し、貧民は丘の麓にある、路上で眠っていた。
ジョニーのいる場所は、高層の棟割り長屋に押し込められた、中間所得者たちの住居地区であった。
通りで大声が聞こえれば、ただでさえ野次馬根性の強いシグレナス市民であれば、窓から顔を出して、やれ変人の顔を拝もうとするだろう。
マイダナーの奇声に誰も反応しない。
だが、ジョニーは部屋の奥から気配を感じ取った。何か理由があって、外に出ないと気づいた。
マイダナーが叫ぶ。
「今、何が起きてやがるんだ? えっ? どいつもこいつも表に出ねえ。何をコソコソやっているんだ? それとも、なんだ、変な悪疫でも流行っているっていうのかよ?」
耳を塞ぎたくなったジョニーであったが、異変を察知した。
地面が僅かに揺れている。
「酔っ払いのマイダナー、まだ酒が残っているのか? その耳障りな口に枷でも嵌めろ。さもなければ……」
ジョニーは、声をひそめた。ジョニーに呼応して、マイダナーも静かになった。地面の揺れが、地鳴りとなった。
ジョニーは牢屋の床に耳をあてた。
何かが近づいてくる。一人や二人ではない、数え切れないほどの人数だ。
「マイダナー、伏せろ!」
ジョニーは鋭い声でマイダナーに命令した。
明らかに異常事態が発生している。マイダナーは、おとなしく床に伏せた。
ジョニーは、顔を上げ、格子の隙間から、通りを見た。
十字路での向こうから、土煙が巻き起こった。土煙は、地響きを鳴らして、近づいてくる。 牢屋の格子に何かが当たった。牢屋の床に跳ねて、ジョニーの隣に転がった。
鉄の鏃がついた、短い矢だった。
マイダナーが短く悲鳴をあげる。
「マイダナー。このまま死んだふりをしよう。……やり過ごすのだ」
ジョニーは冷静な口調で、マイダナーの開けば喋る口を封じた。
ジョニーもマイダナーも、その場で脱力し、死体の演技に勤しんだ。
土煙が迫り、牢屋の横を通り過ぎていく。
ジョニーは死体になりながらも、横目で観察した。
土煙の正体は、人間の集団だった。
風貌が明らかにシグレナス市民ではなかった。誰もが、シグレナスでは珍しい馬に乗って移動していた。
肌は青みがかかっていて、腰には腰蓑を巻き、上半身は裸であった。男の中には、胸を露わにした女も混じっていた。
マイダナーが縮こまって、震えている。何か譫言を並べている。
「“混沌の軍勢”だ……。ガキの頃、昔話で聞いたぞ。奴らは馬に乗ってやって来る。焼き尽くして、奪い尽くして、殺し尽くす……」
大多数の“混沌の軍勢”が丘の上を目指しているのに、数人が馬を止めた。
寄りによって、ジョニーの目の前で、高層建築物を指さし、お互いの顔を見る。
(獲物を見つけた、と言い合っているのだな)
と、格子越しからジョニーは気づいた。
男も女も側頭部を刈り込み、残った長い髪を後ろにまとめ上げていた。
顔は平たく、目は細い。唇の両端には、口が裂けたかのような化粧をしている。
耳と唇に金属を埋め込み、肩には弓を抱え、腰には片刃曲剣を下げていた。
歯の隙間から漏れる呼吸で、お互いの意思疎通を図っていた。ときには、暑がっている犬のように息を荒くしたかと思えば、類人猿のように胸を叩いている。
「すべてを喰らい尽くして、雪の大地に女子どもを連れ去る……」
マイダナーが窮屈な手枷から自由に動く親指をつかって、両眼を拭った。ジョニーは黙らせたかった。
平たい顔の“混沌の軍勢”が一人、たいまつに火をかけて、民家の窓に放り投げた。
窓から悲鳴と、燃え上がる音が聞こえた。
“混沌の軍勢”の数人が笑って、中に入っていく。しばらくすると、中から殺戮と暴虐にさらされた人たちの声が聞こえた。
ある者は金品を袋に入れ、ある者は人々の首を携えて、戻ってきた。
“混沌の軍勢”の一人が、縄で縛られた女を連れ出してきた。
「助けて、助けて! 誰か、誰か!」
女は、泣き叫んでいる。だが、シグレナスの棟割り長屋は静まりかえっている。
別の建物から、棍棒を持った太った男が出てきた。
「娘を返せ、この野蛮人!」
と叫んだが、あえなく矢の犠牲になった。
ジョニーの前に立っている馬上の“混沌の軍勢”が、後ろ髪を揺らして、邪悪な笑い方をした。
ジョニーは息を呑んで、こみ上げる怒りを抑えた。
(この下郎どもを生かしてはおけん。だが、今は、俺の戒めを解かなくてはならん)
自分の手枷を見た。
窮屈だ。
こいつのせいで、窮屈だ。
(マイダナーと協力して、手枷を外す。おい、マイダナー……)
と、ジョニーは呼びかけた。
だが、マイダナーの反応は、ジョニーの希望に沿わなかった。
「いやだ、俺は死にたくない!」
マイダナーは立ち上がった。手枷をされたまま、ただ泣いている子どものように喚いた。
「よせ、マイダナー。死んだふりを続けろ」
ジョニーは声を押し殺したが、間に合わなかった。
“混沌の軍勢”に放った矢に胸を撃たれ、泣きながら死体になった。
ジョニーが生きている、と一斉に“混沌の軍勢”が振り返った。気づかれた。
ジョニーは、“混沌の軍勢”たちを見た。
身体は大きくない。よく観察すれば、どこか幼い顔つきをしている。
自分と同じくらいの年齢だと、ジョニーは気づいた。
“混沌の軍勢”は、シグレナスの仕組み……高地に行けば行くほど富裕層が集まる……をある程度理解している。
シグレナスの富裕層は“混沌の軍勢”の中でも、腕利きの熟練者たちが狙う獲物になる。富裕層は自己防衛のために、日頃から用心棒を雇っている者もいる。返り討ちになる恐れもある。
目の前の連中はまだ若く、熟練者たちと競争する力はない。熟練者たちとの奪い合いを避けて、手頃な中間層を狙って、現在地に留まったのだろう。
ジョニーが分析しているなど知らない“混沌の軍勢”たちは、犬の遠吠えのような声を出した。
鉤爪のついたロープを、複数、投げつけてきた。
ロープは格子に絡まり、ロープを握った“混沌の軍勢”たちは、各自の馬を走らせた。
窮屈な牢屋が、ジョニーの世界が横転する。
外の世界に投げ出され、地面に叩きつけられる。
視界が暗くなり、ジョニーは気を失った。
頭から血が地面に滴り、砂に飲み込まれていく。
起き上がろうとしたが、誰かに自分の後頭部を踏まれ、起き上がれない。
後ろから、邪悪な笑い声が聞こえる。
ジョニーは髪を掴まれた。ゆっくりと起き上がらされた。自分の意思で起き上がる権利を許されていない、と気づいた。
「マイダナー流で言えば、窮屈な起き上がり方だな」
世界は一変していた。
周りは青い肌の“混沌の軍勢”に取り囲まれ、その“混沌の軍勢”を取り囲むシグレナスの街は赤く燃えていた。
炎から離れていても、熱気に肌を焦がされているような気がしてきた。
街全体が燃えると、気温が上がるとは知らなかった。街が燃える体験は初めてだ。
燃えるシグレナスのあちらこちらで、殺戮と暴行が余興のように繰り広げられた。財産は荷車に運ばれて、女子どもは縄で縛られ、牢屋つきの馬車に押し込まれていた。
悲鳴と恐慌が、シグレナスを焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くそうとしていた。
外の熱気とは裏腹に、ジョニーは喉に冷たい感触を感じた。
片手曲剣の切っ先が、ジョニーの喉元に突きつけられている。髪の毛を掴まれ、刃をそのまま横に引けば、殺しの演目も終わりだ。
「貴様らは窮屈さも知らず、自由気ままで楽しそうだな……。ところで、窮屈がいつから始まるか知っているか?」
ジョニーは自分の手枷を見た後、目を閉じた。
“混沌の軍勢”たちは意味を分からず、大笑いしている。
「俺の言葉が負け惜しみだと思っているのか? 観念したと思っているのか? 残念ながら、答は違う」
おへその奥側に意識を集中した。
黒い玉が、ジョニーの内部でゆっくりと円を描いて飛んでいる。
黒い玉がジョニーの身体を内部から駆け上がり、額から出てきた。ジョニーは黒い玉を掴んだ。
闇の霊力だ。
手枷なら、牢屋が横転した衝撃で外れている。
闇の霊力が手の中で、捕まえた昆虫のように暴れている。
独自の意思を持っている。
自分の霊力なのに、自分から出てきたのに、不思議だ、とジョニーはいつも思う。
ジョニーは握った拳をシグレナスの大地に向かって、突き出した。
大地を割らんとするほど霊力が轟いて、周りの“混沌の軍勢”を吹き飛ばした。
「出でよ、我が霊骸鎧……“影の騎士”!」
黒い甲冑を着けた、目も鼻もない、真っ平らな顔をした霊骸鎧が現れた。
(我が名は……!)
ジョニーと“影の騎士”が重なり合った。




