最終形態
黒い“魔王”が、カレンが呼び出した霊骸鎧と戦っている。
「一体、誰なんだ……」
カレンは、隆起した赤土に腰掛けていた。
カレンが呼び出した霊骸鎧を、次々と倒していく。
心が読めない。
何を考えているか分かればいいのに……。
だが、さっきは一瞬だけだが、心の声が聞こえていた。
インドラと同じく、ガルグも命を投げ出して、カレンと戦おうとしている。戦う理由が、私欲ではなく、世界のためだと、カレンには漫然とだが理解できた。だが、カレンと戦って、どういう仕組みで世界が良くなるかについては、カレンは理解できなかった。
「名前が重要だ」
カレンは呟いた、誰に教わったわけでもない、誰かに向かって呟いたのでもない。
ただ、知っている。どこかで学んだ記憶がある。いや、誰かの記憶が流れ込んでくる。
「彼の名前を暴け。そうすれば、彼を知ることができるだろう」
記憶が言葉を紡ぐ。カレンは言葉どおりに繰り返した。
だが、疑問も浮かんだ。
「僕は貴方を何て呼べばいいの? ガルグ……いや、“魔王”……いや、国王……?」
どれも違う。
この人物に、どれも似合わない。
「まさに“謎の人物”……だ」
“謎の人物”いや“魔王”ガルグが、最後の霊骸鎧と対峙していた。
最後、といっても、カレンは“星降りの女神”は呼ばなかった。“星降りの女神”の召喚は霊力の消耗が激しく、使い道がよく分からない。
“魔王”ガルグの腕が、霊骸鎧の胸を貫いた。
最後の霊骸鎧が倒れ、煙を上げて消えていった。
「僕の番だ……」
カレンは立ち上がった。手で印を組み、霊力を放出させた。
「出でよ、“最終勇者”……」
再び霊骸鎧に身を包み、カレンは一歩を踏み出した。
“魔王”が、こちらに振り向く。
だが、“魔王”の黒い影は揺れ出した。液体のように崩れていく。
カレンは立ち止まった。
(霊力を使い果たした……?)
だが、“魔王”の黒い影の中から、光が現れた。
崩れ落ちた黒い塊から、人の姿が生まれてきた。卵から孵ったひな鳥のように見えた。
複数の翼、人の顔をしている。若い男にも、女にも見える。片手には杖、もう一方の片手には石版を携えている。
目映い光が周囲から溢れ出ている。
降っている雨が霊力に吸収されていた。
吸い込まれそうだ。
「“魔王”の“最終形態”……?」
姿は、吸い込まれるほど美しく、放出されている霊力は、包み込まれるほど優しかった。
“最終形態”は、カレンを静かに見た。
「これが“神”……? やはり、“魔王”は“神”……?」
カレンは、“最終形態”の荘厳な眼差しに、ため息を漏らした。
“最終形態”は杖から六色の霊力を放出した。穂先がいくつも分岐した、槍になった。
“最終形態”は、左右に身体を揺れ動かしながら、カレンに近づいてくる。
消えた。
カレンは目を閉じた。“最終形態”の居場所を捕捉するためだ。
空中に“最終形態”が見える。
カレン……“最終勇者”の頭頂部を見下ろしている。
カレンの背後に向かって、全身を横回転させた。カレンの首を切り落とす意図で、槍を横殴りに斬りつけようとしている。
カレンは、技の名前を知っている。
「……“落花流水剣”」
ナスティと同じ技である。ガルグは、ナスティの先生でもあった。
視界から消え、死角から強烈な攻撃が飛んでくる、喰らうには危険な技だが、カレンはすでに対策を練っていた。
カレンは、背後から“最終形態”の攻撃を寸前まで待ち、前に飛んだ。
位置をずらしたのである。
首に当たるか当たらないかの位置に、ガルグの穂先がかすめた。
振り向きざまに、“星白の剣”で斬りつけた。
だが、“最終形態”ガルグもカレンの心理を読んでいた。“星白の剣”と“最終形態”の杖が衝突する。火花のような霊力を散らした。
カレンは踏ん張った。吹き飛ばされるほどの力だ。
“最終形態”となったガルグの光り輝く全身から、目が眩む。
カレンは後ろに飛んだ。“最終形態”も後ろに飛ぶ。
“最終形態”は、ただでは距離を取らない。
空中に飛んだ。光を残して、真横に高速移動した。
「“加速装置”か!」
カレンの背後に回り込むつもりだ。
だが、カレンには“加速装置”は効かない。目を閉じ、ガルグの停止位置を探った。
「ここだ! “これでもくらえ!”」
カレンの両手から、霊力が熱量となって、放出される。
“最終形態”も“これでもくらえ!”を放った。
“最終形態”の“これでもくらえ!”は、自分と比較して、細い印象を受けた。
(僕の“これでもくらえ”が、太くて速い……)
カレンは優位性を感じ、安心した。力では負けない。
二つの“これでもくらえ!”は、直線的にお互いを狙って進む。だが、衝突はしなかった。
両者の放つ、目に見えない衝撃のせいで、お互いの進路を変えさせた。
あらぬ方向に飛んでいった霊力は、あらぬ場所を爆発させる。
腕で爆風から顔を守ったカレンに、“最終形態”が距離を詰めていた。
“最終形態”は胸と腹めがけて、槍を突いてきた。抉るような突きの三連撃は、一発一発が、高速で飛んでくる鉄球のように重くて速かった。
カレンは、内臓が潰れたような痛みに、吐きそうになった。
“最終形態”に向き合うが、背中に、何かを叩きつけられた。カレンは空足を踏み、意識が遠のいていく。
カレンは、自分が何をされているか、一瞬だけ理解できなかった。
すでに“最終形態”に背後に回り込まれ、背中を斬りつけられたのである。
一方的に攻撃されている!
「こんなところで負けるわけにはいかない。僕は、ガルグを倒すんだ! ナスティに会うんだ!」
カレンは頭を振り、闇雲に“星白の剣”を振り回した。
必死の抵抗も空振りに終わり、“最終形態”は、光で煌めく翼を翻して、距離を取った。
剣も槍も届かない位置から、“最終形態”が“これでもくらえ!”を放つ。
カレンも慌てて“これでもくらえ!”の準備をした。
だが、間に合わない。
諦めて、カレンはその場から離れた。
“最終形態”の“これでもくらえ!”が曲線を描いて、カレンを追いかけてくる。
「しまった……!」
“最終形態”の“これでもくらえ!”は、自分よりも細くて遅いが、追尾機能があった。
左肩に目掛けてくる熱量に、カレンには、なにも対処もできなかった。
視界が揺れる。
時間がゆっくりと流れていく。
爆風で大地がめくり上がる。
本来であれば、音が聞こえるのだろうが、音が大きすぎて、逆に何も聞こえない。
ただ、自分が木の葉のように、空中に吹き飛ばされていると分かっていた。
「絶対に勝てない……」
上空でカレンは呟いた。カレンの虚を突いてきたインドラと違って、“最終形態”のガルグは真正面から切り込んでくる。
黒い“魔王”と戦えば、勝てると思っていた。
だが、輝く“最終形態”のガルグは段違いの強さだ。
霊力、戦闘技術、体力まで、カレンに勝ち目がない。
「考えるな」
カレンは呟いた。自分の意思ではない。自分の身体に刻まれた記憶が喋らせている。
「ただ、身体に従い、敵と相対してみよ」
自分の成功体験を思い返した。考えず、ただ、本能のまま動いたら上手くいっていた。
カレンは策略家、というより、閃きの人である。
「僕には霊骸鎧や人々の声が聞こえる。何を見ているのかも分かる……」
カレンは自分の力を映像で見た。
カレン自身が、目を閉じて横たわっている。カレンの肉体から、透明のカレンが浮き出てきた。透明のカレンが、人や霊骸鎧の身体に乗り移っていく。
「僕は、相手と同化するのが得意なんだ……」
インドラとの戦いで学んだ。相手の動きに合わせるのではなく、自分の強みを生かした戦いをする。
ガルグの名前が分からない……。名前は、魂と肉体をつなぎ合わせる役目がある。
だが、名前が分からなくても、同化はできる。
名前は、もはや精度の問題であった。名前が分かれば、より同化しやすくなるが、カレンは、この人物が誰か知っている!
カレンは目を閉じて、ガルグを思い浮かべた。
白くて長い髪、深い皺に覆われた厳しげな表情から、どこか悲しさを感じる。
「ガルグ、僕は貴方に同化するぞ!」
カレンは目を開いた。
熱と突風にまみれる大地に、カレンは両脚を静かにつけた。
姿勢を伸ばし、“最終形態”を見据えた。
自分でも驚くほど、心が穏やかだ。戦闘状態であるにもかかわらず、朝に目覚めたような感覚だ。身体の前後に大けがをしているが、痛みを感じない。
“最終形態”は、水を打ったように落ち着いている。
「そうか、これがガルグの……いや、“最終形態”の状態なんだな」
カレンも冷静である。まるで水に映った自分の顔を眺めているような気分だ。
“最終形態”が光の速さで槍を突いてくる。カレンは“星白の剣”を振って、すべての刺突を払った。
“最終形態”が槍をなぎ払う。カレンは、連続攻撃をすべて受け止めた。
カレンには、剣術も槍術も訓練していない。
だが、分かる。
“最終形態”ガルグが何をしたいのか、頭ではなく、身体で理解できる。
“最終形態”は、自分の攻撃が通用しないと理解したのか、奇手を放ってきた。
槍が地面に舐めるように、カレンの足下を狙った。穂先を利用して、足払いをしてくる。
カレンは、わざと引っかかった。
地面に転がる。背中が痛かったが、気にしない。
“最終形態”の連続突きを避ける。
避けながら、印を組む。
「危ないよ! 避けて!」
カレンは“最終形態”に注意した。聞こえたのか分からないが、“最終形態”は、光の翼を広げて、上空に逃げた。
カレンが“これでもくらえ!”を放った。“最終形態”の横を通過する。
“最終形態”が反撃の“これでもくらえ!”を撃ってくる。カレンは寝っ転がりながら、再び、印を組んだ。
二つの“これでもくらえ!”がぶつかり合う寸前に方向を変えていった。
カレンは起き上がり、“最終形態”の槍を払い、一刀両断した。だが、“最終形態”の残像にすぎなかった。“最終形態”がやり返してくるので、また攻撃を封じる。
「楽しい。とても、楽しい。まるで踊っているようだ。全身がワクワクする。こんな気分になったのは、初めてだ」
カレンは、“最終形態”と戦った。何時間も戦っているような気がする。
このまま、ずっと戦っていたい……。
だが、カレンの昂揚とした時間に、終わりが来た。
カレンが、“最終形態”の杖を払った。杖は縦回転して、地面に突き刺さる。
「勝った!」
勝利を確信し、“最終勇者”目掛けて“星白の剣”を振った。
だが、刀身が刃先から消えていく。剣そのものが消滅し、“最終勇者”の腕も消えていった。全身から六色の煙をあがった。
変身が解けていく。
カレンの霊力が尽きたのである。
自分の生身を見て、カレンは頭を掻いて笑った。
「最初に攻撃を喰らいまくったからね、しかたないね。……もう少しで勝てたのにな。残念だな」
“最終形態”からは、余りあるほど、ではないが、わずかに霊力を感じる。
霊力の消耗戦に負けた。
最初の不利がなければ、勝てていた。
微差で負けた。
「……参りました。僕の負けです。さあ、その槍で僕を突くなり斬るなり、お好きにしなさい」
カレンは両腕を広げた。
悔しさはない。恐怖もない。
やりきった充足感が、全身に回っている。
“最終形態”は、すぐには動かなかった。
天を仰いだ。
誰かと会話をしている。どんな会話をしているのか分かるほど、カレンには霊力が残っていない。
カレンは空を見上げた。曇り空から雨が降っている。
額からぬれ落ちる雨のしずくに、優しく撫でられたような気がした。
爆発音が聞こえた。
カレンは音の方向を見た。
“最終形態”が、天に向かって“これでもくらえ!”を撃っていた。
六色の光が、天と地をつなぐ架け橋となって、雲を蹴散らした。隙間から涼しげで眩しい青空が広がった。
“最終形態”が六色の煙を上げて、消えていく。
代わりに白髪の老人ガルグが立っていた。
「これで五分なり。カレン・エイル・サザード。最後に残った力、すべてを、そなたにぶつける!」
ガルグが走り出した。
先には、突き刺さった杖があった。。
カレンも走り出した。もう、“星白の剣”を出す余力は残っていない。
ガルグが杖を掴む。だが、空振りした。カレンがすでに奪っていたからだ。
カレンは杖に霊力を送り込んだ。先端に僅かな穂先が出現した。
ガルグを見ると、構えている。
“真剣白刃取り”の準備だ。
カレンは絶叫して、槍を突き出した。
何も考えない。ただ、動く。
両腕から、鈍い感触がした。
カレンは動けなくなった。何も見えなくなった。
世界は闇に包まれた。
「僕は死んだの……?」
闇の先に、光が見える。その光に向かって、カレンは歩き出した。
森の中に出た。
木々をかき分けて、男たちの集団が歩いていた。
白髪のガルグが、先頭だった。
草木に分け入ると、岩と岩で組み合わされた人工的な門があった。
洞穴の出入り口に似ている。
カレンの故郷と生えている植物が似ている。見覚えがある。
(ここは、シグレナス……?)
場面が切り替わった。
今よりずっと若い頃のガルグがいる。口元にわずかな髭を生やしている。
白髪はなく、黒髪だった。
髭のガルグがひざを突いて、何かを抱き寄せて泣いている。
何か、とは少女だった。
「誰……? 顔が見えない。ナスティ……?」
疑問に応えてくれる者はいない。
ナスティとは似ているが別人だとカレンは分かった。いや、知っている。
ガルグの背後には、十二体の霊骸鎧が立っていた。
十二体?
数えたわけでないが、カレンには分かった。いや、知っていた。
ガルグが泣き終わると、ガルグはさらに若返った。
長い髪が縮まっていき、髭は消えていく。オズマと同じくらいの年齢になった。
泣きすぎて、水分を失ったのか、唇が乾いている。
どこか城の中で、うつろな表情で天井を見ていた。
ガルグが子供の死体……男の子、女の子を抱いていた。
周りには、多くの兵士が床に倒れていた。中には、空になった水瓶にしがみついて死んでいる者もいる。
「病気……?」
突如、死体の一つが血しぶきをあげた。首が黒い影となって転げ落ちる。
カレンは、斬り落とした人物を見た。
黒い霊骸鎧である。手にした細身の剣から、血が滴り落ちている。
霊骸鎧は煙とともに消え、若いガルグが立っていた。
「俺の人生に、愛などいらない」
どこかで見たような記憶だ。いや、知っている。
ガルグは、子どもになっていた。カレンよりも、一回り小さい。
ガルグに向かって、腰に手を当てている少女の影が見える。
「君は本当に泣き虫なのだな」
少女の声が、誰かの声に似ている。
「……ナスティ?」
カレンは思わず問いかけた。
だが、顔が分からない。逆光のせいで、輪郭しか見えない。
振り返ると、髪の毛は、クリームのような金色だった。
カレンは目を覚ました。
カレンは、動けなかった。
ガルグに抱きしめられていたからである。ガルグの抱擁は力強く、頼もしく、なによりもやさしかった。
「よくぞ、ここまで来た」
ガルグが低くて心に響くほどの暖かい声を出した。
ガルグの顎がカレンの髪に触れる。
「我が娘よ……」
カレンを抱きしめていた男は黒い彫像になった。全身にヒビが入り、黒い塵となって消えていった。
第Ⅴ部外伝「カレン・サザード編」・完
これで第Ⅴ部外伝は終了となります。
次回は第Ⅰ部となります。




