不足
“天馬”は白い煙に包まれた。
中から、老人が姿を現した。
老人の白くて長い髪は後ろにまとめられ、異国の道着に身を包んでいる。
顔には、深々と皺が刻まれて、厳しい表情を結んでいる。背筋を伸ばし、常に威厳を保っていた。
ガルグは、カレンが存在していないかのように素通りした。素通りする際、何かを呟いたが、カレンにはよく聞こえなかった。
音が聞こえた。
振り返って見ると、ガルグの目の前に巨大な岩が立っていた。
(いつの間に岩を出したのだろう?)
いきなり現れた岩にカレンは驚いたが、ガルグは手にした杖の先から霊力を放出した。
ガルグが杖を振ると、岩が割れた。割れた断面が熱く燃え、雨水を蒸発させている。杖を振るたびに岩の角がとれていき、形を整えていった。
「墓……」
カレンは、岩の形状からベッド岩……霊骸鎧の墓を思い起こした。
ガルグは墓の前で足を組み、姿勢を伸ばした。杖を振る。杖は鞭のようにしなり、音を立てて、墓の表面を削り取った。
「アウムハゥストラ・インドラ……“黒衣の王子”」
カレンは読み上げた。墓には、死者と霊骸鎧の名前を彫っている。
最後にガルグは六つのくぼみをつけ、くぼみ同士に線を引いていた。
「墓を建てていた人は、ガルグ。貴方だったのですね……?」
声をかけても、ガルグは返事をしなかった。ただ、雨水に顔を濡らしている。
杖に霊力をまとわせ、墓の前を一気に掘った。焦げ臭い匂いとともに、赤土が消えていった。
ガルグが無言で、カレンに向かって手を突き出してきた。
(インドラの遺灰が渡せ、と言っているの?)
カレンは眉をひそめた。
勝手な人だ。自分の思い通りになると思っている!
いいなりになる状況は腹立たしいが、いちいち反発していても意味はない。
渋々だが従った。
ガルグはインドラの遺灰を穴に撒いた。
遺灰の一部がこぼれて、墓穴の外に落ちた。
(うわ、もっと大切にしてあげて)
カレンは文句を伝えたくなった。
ガルグが遺灰を埋め終わる。目を閉じ、手で頭から何かが降り注ぐような仕草をした。
ガルグの中心に、霊力が集まったかと思うと、インドラの墓が爆風を放った。爆発とともに、光の柱が生まれ、天空を突いた。
雨が降っているのに、カレンは世界が晴れ渡ったかのような感覚になった。
カレンも見よう見まねでガルグの隣で膝をついた。
目を閉じると、カレンの身体は浮き上がった。
カレンは上空に吸い込まれていく。ガルグとカレンが墓の前で座っている様子を見下ろした。距離が離れていく。雲の中をくぐり抜けた。
(僕は、インドラになったの……?)
目を開くと、元の場所にいた。
隣で座っていたはずのガルグが立ち上がっていた。
雨に濡れた全身から、殺気を放っていた。
「そなたを倒さなくてはならん……」
ガルグが静かに呟いた。恐ろしい話題を口にしているが、怒りも悲しみも感じない、不思議と落ち着いた口調であった。
(だと思った。もう、どいつもこいつも、僕と戦いたいの?)
カレンは片眼をつぶった。面倒な状況が続いている。
恐怖はなかった。インドラとの戦いで、さらにカレンは自信をつけていた。もとより、ガルグにも勝てそうな気がする。
カレンは姿勢を伸ばして応えた。
「僕は貴方に殺されません。インドラは、僕と戦い、命を落としました。これ以上、僕のために死人を出したくありません」
ガルグは顔を背けた。意見など耳に入れたくもない、と拒絶されたと感じ、カレンは暗い気持ちになった。
「インドラの死は、当然の結果だ。私に背いた罰である。……愚かな奴よ」
ガルグの低くて沈んだ声に、どこか動揺を感じる。
「愚かとは、なんです。詳しい事情はよく分からないけれど、インドラは人々のために僕と戦った。それなのに、貴方はインドラを馬鹿にするのですか?」
インドラが侮辱された。同時に、インドラが自由に生きていけなかった過去を想像すると、許せない気持ちになった。二回も侮辱された気がする。
「インドラは、貴方の子どもだったのでしょう?」
カレンは刺すような口調で質問をした。
「……この者は、私の息子ではない」
顔だけでなく、背中も背けた。背中が震えている。
(罪悪感? この人にも、インドラに申し訳ないとも思っているのかしら)
ガルグが何故震えているのか、カレンには理解できなかった。
だが、カレンは、次に来るガルグの発言を予期した。発言を阻止しなくてはならない。
「これ以上の死は、無駄です。インドラも望んでいましたよ。ガルグ、もう帰りましょう」
「ならぬ。私たちは戦わなくてはいけない」
ガルグは何かを振り切るような仕草でカレンに反対した。
「いやです」
カレンの予想は当たっていた。インドラとの問答そのままである。
「そなたに、拒否する権利はない」
「貴方にも、僕を強制する権利はありませんよ。……まず説明をしてください。僕には状況が分からない。意味も分からず、殺し合いはできません」
カレンは後ろに退かなかった。
「貴方たちは説明不足すぎる」
カレンの思いが通じたらしく、ガルグが天を仰いだ。静に口を開いた。
「我々は救世主を探し求めている。互いに殺し合い、最後に生き残った者が、救世主となる」
救世主?
それがなんだというのだろうか?
「僕は救世主になんか、なりたくない。貴方が勝手になればいいでしょう?」
カレンは食ってかかった。救世主など、子どもの発想である。
「それはならん。霊骸鎧同士が殺し合って決めなくてはならん。最後に生き残った者が、救世主となり、この世界を支配するのだ」
「世界を支配だなんて、興味はありません。だいたい誰がそんな話を決めたのですか?」
「そなたも読んだであろう。そなたが図書室で読んだ、“アーガスの書”だ。あれには、未来が書かれておる……予言の書だ。最後の戦いにおいて、“勇者”と“魔王”が決着をつけたとき、真の“救世主”が現れる。……アーガスの信じる神が決めた話だ」
「はっ。神?」
カレンは笑い飛ばした。ガルグが喜劇の登場人物に見えてきた。自分の意見を絶対曲げないガルグが、喜劇の脚本に従っている道化のようだ。
笑い話だが、笑えない。ただ怒りがわいてくる。そんな下らない話に、なぜ人が死ななくてはいけないのか?
「僕には、神とはどういう人なのか分からないけれど、人同士を殺し合いさせるなんて、人を不幸にするなんて、ろくでもない奴だと思います。僕は、そんな奴の話なんて信じない。……僕は、貴方に見つからないように隠れて生活をします。アーガスだのなんだの、貴方の思い通りにはさせません」
雨の勢いが強くなった。風が吹き、カレンの決意に賛成しているのか反対しているのか分からなかった。
「どこに逃げようとも、神からは逃げられぬぞ。私はそなたを見つけ出す。そして、その命を貰い受ける」
「……貴方は狂っている。死ぬだの殺すだの、そんな話ばかりで、うんざりなんですよ」
カレンは、自分が怒りで興奮していると気づいた。
「知ったことか。そなたは、知らぬのだ。これまで散っていった者たちを……」
ガルグは言葉を切った。
目を閉じ、顔を静かに動かした。何かを探っているかのようだ。
雨の水が、ガルグの顔に滴り落ちる。
カレンには、囁き声が聞こえた。何者かがガルグに語りかけている。
声は一つだけではなかった。
多くの声が混じり合い、カレンには雑音が聞こえた。
囁き声の内容は全く理解できなかった。かろうじて人間の声だと分かった。ガルグは目を閉じて、声の方向に反応している。
ガルグの返事が聞こえる。声なき声、つまり心の声だった。
(俺はずっと、このときを待っていた。無駄にはせん。お前たちの魂を、決して無駄にはせん。案ずるな、俺はいつもやり遂げてきた)
ガルグが、声と会話をしている。
「一体、貴方は何者なんですか? ガルグ……いや、ガルグは偽名かもしれないけど」
カレンの分析に、ガルグは目を見開いた。
「私は……」
しばらく虚空を、見つめていた。
「……もはや名も忘れた、ただの……人間だ」
カレンに向き直り、杖を振った。杖から霊力が放出される。ガルグの身体から伝わる熱量が、周囲の空気を燃やし溶かしていった。
「やめましょう、ガルグ。貴方は、インドラほど強くない。そのインドラに僕は勝ったのだから、貴方は、僕に勝てない」
カレンに恐怖はなかった。
「試してみよ」
ガルグが冷たく声で返した。だが、凶悪な殺気を解き放っている。
ガルグが攻撃してこない。インドラとは違い、向かってこない。どちらかといえば、ガルグは守りの人だ。冷静に敵の状況を把握して、対処していく戦い方を好む。
ガルグの性格を分析すると、カレンの頭の中で閃きが生まれた。
「では、どんな方法でも構いませんね?」
「知ったことか。好きにするが良い」
ガルグの口癖だ。気に食わない。問答無用の態度が気に食わない。自分の考え以外は、まったく興味のない人だ。
だったら、その口癖を直してやる。
「出でよ、“水晶騎士”!」
攻撃してこないなら、霊骸鎧を呼び出し放題である。
「汝の名前は……」
カレンは“水晶騎士”の名前を知っている。ガルグから教わっている様子が思い浮かんだ。そこで一度、カレンは驚いている。
「汝の名前は、マルクス・レイトリクス」
レイトリクス。自然と名前が出てきた。
(“水晶騎士”は、オズマ・レイトリクスの先祖だったんだ……)
“水晶騎士”は、跪いた。カレンに忠誠を示すかのように自分の頭をカレンに捧げる。
「ガルグ、これが僕の答です。もし貴方が僕と戦いたければ、僕の呼び出した霊骸鎧を倒してください。“水晶騎士”には矢も刃も効きません。僕は“これでもくらえ!”と呼んでいますけど、貴方の技すら無効化します」
カレンが知っているだけでも、最強の部類に入る霊骸鎧であった。
だが、ガルグは背筋を伸ばして返事をした。
「シグレナス史上最強の霊骸鎧と干戈を交えるとは、身に余る光栄なり!」
カレンは“水晶騎士”の額に手を当て、霊力を送った。
そうか、だったら後悔するなよ!
「カレン・エイル・サザードとして命ずる。……ガルグを倒せ」
“水晶騎士”が、水晶でできた剣と盾を打ち鳴らした。巨体を揺らし、ガルグに向かって歩を進める。
だが、ガルグは素手を地面に向けて、一切構えない。
「ガルグ、何故構えないのですか?」
カレンは心配した。ガルグが隙だらけであった。
「迎撃の準備あり。当方は、これにて結構」
ガルグの声は落ち着いていた。
“水晶騎士”が、ガルグに向かって、剣を振り降ろした。
(危ない……!)
カレンは口を押さえた。
ガルグは自身の身体を折って、“水晶騎士”の懐に潜りこむ。
ガルグが“水晶騎士”の腕を掴むと、“水晶騎士”の巨体は空中に舞い上がった。一回転し、地面に叩きつけられた。
水晶の破片が砕け、煌めいて飛び散った。剣や霊力の通用しない霊骸鎧であったが、自分の体重と重力には敵わなかったのである。
カレンはナスティの言葉を思い返した。
(ガルグは私の五百倍強い。特に、素手になった状態が一番強くなる)
ガルグの細くて頑丈な背筋から、老人とは思えないほどの闘志を放っていた。
「“真剣白刃取り”……」
ガルグが、技の名前を呟く。
回転しながら落ちてくる剣を、ガルグは掴み取った。
「すまん。レイトリクス」
小さく呟いて、水晶の剣を突き立てた。
倒れる背中に剣を食らい、“水晶騎士”は緑色の煙とともに消えていく。
「これで充分か、カレン・エイル・サザードよ!」
煙の中からガルグは姿を見せ、叫んだ。
風が吹きすさぶ。風が風を切り裂く音の中、ガルグはカレンに呼びかけた。
「これでも私は敵として不足なのか? シグレナス皇帝にして、ヴェルザンディの正当後継者であるとともに、セイシュリアの勇者を冠する者でもあり、原初の王ネイクサタリウスの血と肉と骨を受け継ぐ、アーガスから人類最後の希望と予言されてきた者よ」
荒ぶる風の中、ガルグの声が雷鳴のように響く。
「まだ不足だと申すのなら、試してみよ。そなたが持つ、全ての霊骸鎧を私の前に呼び出すがよい。全ての霊骸鎧は、死ななければならない。消さなければならない。……全ての霊骸鎧は、私が倒す」
ガルグは複雑な印を組んだ。
黄に輝く、光の霊力がガルグの両腕を包む。両腕を包まれ、ガルグは苦悶の表情を浮かべた。
光は黒い影となって両腕から全身を浸食していく。
影は光だった。黒い色をしているのに、それが光だとカレンは理解した。
ガルグは、苦しみと悲しみと怒りが混じった表情で、最後に残った顔すら飲み込まれていった。
両の眼から、溶岩のように熱い血の涙を流す黒い霊骸鎧……“魔王”となった。
(……皆、見てくれ。これが、俺の物語だ。皆に会いに行くぞ……物語が終わらせるんだ)
ガルグの声が聞こえた。




