殺し合い
目の前で星々が煌めいていた。
背中が柔らかい。
寝台に仰向けになって眠っていた。
星空は、天蓋の模様であった。星のような煌めきが散らばっている。
天蓋から垂れる幕を手で払い、寝台の外を見る。見知らぬ純白の家具で統一されている部屋だ。
鳥のさえずり声が聞こえる。もう朝だ。
(“星降りの女神”を呼び出して、気を失っちゃったんだ……。数分で僕の霊力が空っぽになるなんて、すごい霊骸鎧だったな……“星降りの女神”。星を動かすわけだから、大容量の霊力が必要なわけだよね。……気をつけなくちゃ。この城に来てから、何度も意識を失っているぞ……)
寝台から降りる。純白の寝間着に着替えさせられていた。フリルがついていて、女の子向けである。
「ここは、どこだろう……?」
女の子の服を着せられ、動揺しつつも、カレンは周囲を見回した。
純白の絨毯に家具が置かれちた。丸い鏡の縁は白く、花を飾る瓶まで白かった。可愛い小物が並んでいる。心なしか、良い匂いがする。
「ナスティが使っていた部屋だ」
部屋の隅から、声が聞こえた。
インドラが腕を組んで、立っていた。
「インドラ、いつの間に?」
「お前が起きたと気づいて、さっき中に入ってきたのだ」
カレンは、扉を見て首を捻った。開いた音は聞こえなかった。だが、インドラの発言で、顔が発熱した。
「女の子の部屋に寝ていただなんて……」
カレンは恥ずかしさのあまり、寝台に顔を埋めた。素材の柔らかさから、ナスティの体温を感じたような気がした。
カレンの頬が緩んでいく。インドラに向き合った。
「インドラ。なんだか悪いね。ご馳走になったり、寝る部屋を用意してくれたり。お礼に歌とか歌おうか? それとも、流れ星を見てみたい?」
「年寄りどもの趣味など知ったことか。俺が欲しいものは、他にある」
インドラは冷たい表情を見せた。
「では、何をお望みなのかな?」
カレンは、インドラの気持ちがよく分からず顔を覗き込んだ。欲しいもの、というわりには、どこか嬉しそうには見えない。
カレンは、とある思いつきをした。その想像をすると、背筋が凍り始めた。
二人きりだけの部屋である。しかも自分は寝台の上にいる。インドラは、カレンが目覚めるまで、部屋の外で待っていた。
「ひょ、ひょっとして……!」
カレンはシーツで、女の子向けの寝巻を隠した。
「銀の“勇者”よ……」
インドラが一歩近づく。
「ひっ。無理。赤ちゃんができちゃう……?」
カレンは後ずさった。
だが、インドラは予想外の発言をした。
「ナスティに会いたいか……?」
ナスティ、と聞いて、カレンの背筋の寒さは吹き飛び、頬が熱くなった。
「朝食の後、ナスティに会わせてやる」
「本当?」
嬉しさのあまり、飛びあがりそうになった。天蓋を突き破るかもしれない。
「ナスティが待つ場所まで案内させてやる。……すぐに出発するから、遅れるな」
インドラは黒い煙に包まれ、大きな鎌を持った霊骸鎧、“死神”となった。半透明の身体が、壁をすり抜けていく。
「どうしよう。ナスティの部屋で一晩過ごしちゃった。すりすり……」
カレンは寝台に顔を埋めた。
(僕は、女の子の寝台に何をやっているんだ……? 我ながら不埒な行動だけど、これは不可抗力だから、しかたがないね)
ナスティの顔が思い浮かぶ。ナスティの笑顔を思い浮かべるだけで、カレンの胸が温かくなった。
「ああ、ナスティ、可愛いよう。宝だね、宝。この国の宝だよ。国宝だ。生きる国宝。……人間国宝?」
カレンがナスティのシーツにくるまっていると、扉から音が鳴った。
不埒な真似をした罪悪感から飛び起きると、カレン軍団が入ってきた。衣類を持っている。カレンは慌てて注意した。
「女の子の服は、やめてね」
着替えを済ますと、謁見室とは違う部屋に通された。
朝食は、軍団に見張られて、一人で摂った。バロンもゼルファーも、アリーサザナも仕事を始めているのだろう。
城の外に連れ出された。カレン軍団が名残惜しそうな表情で、城門から見つめていた。
「ありがとう、みんな。お世話になったね」
カレンが手を振った。お辞儀をする者、手を振る者、泣き出す者、それぞれ反応は違った。二度と会えないと思いこんでそうだ、とカレンは思った。
私服の兵士たちに囲まれ、城下町を歩く。
朝でも市場は活発だった。肉や野菜が飛び交い、自動販売機には子どもたちが群がっている。
「ガルグといい、インドラといい、ヴェルザンディの人たちは凄いんだな。世界が滅茶苦茶になっても、楽しそうに暮らしている。シグレナスもこれくらいになればいいのに……」
カレンは、シグレナスに市場ができる様子を想像した。
子どもたちが駆け回り、大人たちが買い物をしている。その中に、母親やオズマが笑顔で立っていた。
城下町を出ると、ザイリックと、もう一人若い兵士が馬車を用意していた。二人に誘われて、馬車に乗る。
街道を進む。
石畳に噛み合った車輪が、振動音を鳴らし、馬車全体を小気味よく揺らして回り始めた。
小窓を開け、外の田園風景を見た。
ナスティに会える。
カレンは緩やかな風を顔に受けて、狭い馬車の中で微笑んだ。
緑の田園風景は終わり、街道が舗装されていなくなった。砂埃を立てて、道を進む。
風景は徐々に寂しくなっていく。枯れた木が疎らに生えた、赤い土に変わっていった。
馬車が止まった。
「勇者様。今日は、ここで野営をします」
ザイリックが馬車の扉を開けた。
カレンは、赤い空を見上げた。立派な夕焼けである。
「ここが待ち合わせ場所なのかい? ナスティは、もう来ているのかな?」
カレンは拍子抜けした。ナスティらしき人物は見当たらない。そもそも、人がいない。
「……まだ来ていません。目的地はもっと先です」
「なんで来ないの? 来るって言ったじゃん。一泊するなんて、聞いていない。責任者を出して。インドラに連絡してよ」
カレンは食い下がった。多少の理不尽なら耐えられるが、ナスティに関わる話なら別である。
「これ以上はお答えできかねます」
ザイリックの顔が、ひきつっている。汗を拭う仕草をした。
「これだから、おたくの会社は……。説明不足で、しかも困ったことがあったら、いつも責任者が不在なのね……」
カレンは呆れた。呆れながらも、恐縮するザイリックが哀れに思えてきた。このザイリックは命令に従っているにすぎない。文句をつける相手は、インドラであるべきだ。
「インドラといい、ガルグといい、まともな上司に巡り会わなかったからね、君も苦労しているんだね、分かるよ。……まあいいよ。その代わり、本当に会わせてよね」
ザイリックたちと一緒に、天幕を設営した。カレンは不機嫌な気持ちで、焼いたパンを頬張り、渡された毛布にくるまって眠った。
翌朝、ザイリックに起こされた。
「ご案内します」
馬車を乗り捨てて、道なき道を歩かされる。
不毛の土地を歩き、赤土の山を登った。崖の上を歩かされた。人が一人通れるか通れないか分からないほどの道である。足下を滑らせたら、真っ逆さまである。
赤い土が一部だけ崩れ、崖に飲み込まれていく。
どんな疑問でも、ナスティに会えるのなら、気にならなかった。だが、明らかにおかしい。待ち合わせ場所にはふさわしくない。
「なんでナスティが、城から離れた場所に待ってなきゃいけないのだろう?」
汗ばんできた。
ナスティに部屋があるなら、部屋に戻ってくれば良いだけである。
まるでカレンを城から遠ざけているように思える。
ザイリックがロープを取り出す。もう一人の兵士と協力して山から飛び出た、赤い岩にくくりつけた。ザイリックたちがロープを伝って降りていく。カレンも途中で岩が崩れないか不安になった。
降りた先は、荒野だった。
周りは丘と山に囲まれた、くぼんだ土地であった。冷たい風が吹きすさんでいる。この場所は、生命を感じさせない空気がある。墓場に近いような気がした。
赤い大地の上に、赤と黒の服を着た男が立っていた。
ヴェルザンディの国王、アウムハゥストラ・インドラその人であった。
「よくぞ連れてきた。……ザイリック。お前たちは帰って良い」
インドラは静かに命令した。ザイリックたちが一礼して、山に登っていく。
カレンは、インドラが“龍王”に変身する様子を思い浮かべた。
「インドラ。貴方は空を飛んで、ここまで来たのですか?」
「そうだ」
乾いた声で返事をした。ガルグに似ているな、とカレンは思った。
(空を飛べて待っているなら、連れて行ってくれればいいのに。サービス精神がないね、本当に)
カレンは、苛ついた。
「ナスティは、どこにいるんですか? ……会わせてください」
インドラが、カレンを見つめた。
「会わせてやる。俺の命令に従うなら、な」
馬鹿にするでもなく、怒っているのでもなく、何を考えているか分からない表情である。
「いいですよ。何でも聞きますよ。……あのさぁ、勿体ぶらないで。人生は短いんだから」
カレンは、腕を組んで貧乏揺すりをした。インドラに騙されている。ここまで来て気づかないはずがない。
だが、インドラの要求は意外だった。
「銀の“勇者”……俺と殺し合え」
「は?」
カレンは、そう反応するしかなかった。
「何を言っているの? なぜ殺し合う必要があるのか分からない」
「お前と私は戦う運命にあるからだ。銀の“勇者”よ」
「だから、戦う運命って、なに?」
「お前は、ナスティに会いたくないのか?」
「話題を変えないで。……そりゃ、ナスティに会いたいけども。それが貴方と殺しあう理由になるとは思えないけど」
「会いたければ、俺と戦え。ナスティの居場所を教えてやる」
「今、教えてよ。教えてくれたら戦ってあげる。手加減してあげるから、ゆっくりやろう」
「手加減など、いらん。俺はお前を殺さなくてはならぬ」
カレンはインドラの発言に腹を立てた。
(僕が殺されたら、教わっても無意味ですよね?)
と、以前のカレンであれば、応えたであろう。だが、実際は、こう応えた。
「貴方を殺したら、誰が僕にナスティの居場所を教えてくれるんですか?」
今のカレンにとって、インドラと戦っても負ける気がしなかった。
百回戦っても、カレンは勝つ自信がある。
「僕と貴方が殺し合う理由など、ないと思いますけどね」
殺されると言われて、インドラが不機嫌になるかもしれない、とカレンは心配した。だが、インドラは冷静であった。
「俺たちが殺し合う理由……それは、お前は勇者で、俺が魔王だからだ。生き残った霊骸鎧は、お前と俺のみ。どちらかが戦い、勝ち、そして、生き残った者が、この世界を支配しなくてはならない」
「……戦いとか世界を支配とか、興味もありません。僕は、ただナスティに会いたい。ナスティに会わせてください。ナスティと時間を過ごしたい」
カレンは本心から呟いた。
インドラは目を落とした。
「……ガルグを殺したのは、俺だ」
カレンは、自分より背の高いインドラを見上げた。虚ろな表情をしているが、嘘をついているとは思えない。
「俺は欲しいものを手に入れるために、ガルグを倒し、奪い取った。ならば、お前も俺と戦い、欲しいものを奪え」
インドラが霊力の印を組むと、黒い煙に包まれた。
黒い煙から、黒い霊骸鎧が現れた。全身から鋭利な突起物が出ている。背中には黒い外套を羽織った。黒い頭部の覗き穴から、黒い虚空が映し出されている。
インドラは、自身の霊骸鎧“黒衣の王子”となった。
“黒衣の王子”インドラは、拳をカレンの顔面に突き出した。
カレンは瞬きを一つもせず、ただ黙って拳の形を眺めていた。
インドラが変身を解いて、人間の姿に戻った。
「銀の“勇者”よ。なぜ避けない?」
「殺気がなかったからです。……インドラ、僕は貴方から奪うものは、ありません。僕が欲しいものは、ナスティだけです」
カレンは姿勢を正して応えた。インドラが鼻を鳴らして笑った。
「ナスティは俺のものだ。俺から奪わなければ、手に入らぬ。……ナスティを手に入れる前に死んでは、後悔するぞ?」
インドラはもう一度“黒衣の王子”に変身し、更に別の霊骸鎧に変身した。
青黒い小柄な全身になった。複数の触手を胴から生やし、頭部の先端は尖っていて、黄色の目が左右に二つずつ蠢いていた。
(多重変身? いや、違う。インドラの霊骸鎧“黒衣の王子”は、他の霊骸鎧に変身できる)
と、カレンは思い出した。
上に身体を引っ張られた。みるみる陸地が離れていく。
まるで、穴に落ちたかのような感覚だ。
インドラの姿が小さく見えるくらいになるまで、高度が上がっていく。足の裏が陸地から離れて、涼しい。
(ここから落ちたら、ひとたまりもないぞ)
空中で身動きができなず、赤土の大地を見た。
インドラが変身した霊骸鎧は、“宇宙の使者”だった。重力を操る、強力で危険な霊骸鎧……ガルグに「最強の一角にして、歴史上もっとも死傷者を出した霊骸鎧」と呼ばせたほど……であった。
どういう原理だか分からないが、敵の重力を反転させる。敵を地面から浮かし、天井に“転落死”させる。天井のない野外であれば、“宇宙の使者”の霊力が続く限り敵を持ち上げる。
“宇宙の使者”となったインドラが、触手を振り上げ、何かを叩き落とす動作をした。
今度は、カレンの身体が地面に引き寄せられていった。
地面が猛烈な速さで迫ってくる。
このままでは、地面に激突する!
「やれやれ……。結局は戦わないといけないのか。インドラ。少し痛くするけど、後悔しないでね? 喧嘩を売った、自分のせいだからね?」
カレンは空中で霊力を放出し、手を動かした。
「出でよ、我が霊骸鎧……“最終勇者”!」




