湯気
1
街を抜けると、森林に隠されたような城壁が現れた。
中央にある城門は窮屈だった。一人や二人が行きかうくらいの幅である。
外出する者、全員が出てくるまで、中には入れない。
城門を囲むように、城壁があり、上に門番が立っていた。
敵が攻めてきたら、上から攻撃をしてくるのだろうな、とカレンは推測した。
護衛が城内の武器庫で着替えて、兵士に戻る。いちいち面倒な決まりだ、とカレンは思った。
城門は狭かったが、城の中に入ると、玄関は広かった。
正立方体の部屋で、天井が高い。天井には、黄色や赤、青……色とりどりのモザイクで埋め尽くされていた。まるで何か偉大なる存在が、天から舞い降りてくるかのようだ。
出入り口のそばに、若い男と老人が机に向かっていた。異国の服装に身を包み、カレンたちの顔を見比べながら、帳簿に筆を走らせている。出入場の名簿か何かだとカレンは理解した。
この玄関は、出入り口の壁以外に壁はなく、三方ともに、柱に支えられているだけの吹き放しであった。
正面には、庭が見える。庭は、花々が植えられ、中央には、巨大な長方形の貯水池があった。
玄関の左右には、通廊が走る。通廊は、それぞれ途中で折れ曲がっていた。
壁はどれも、きめ細かい彫刻が施されていて、複雑な幾何学模様を見せている。
バロンに連れられ、貯水池の庭を通る。
貯水池の水は、雨水で満たされ、涼しげな空気を発していた。
羽虫たちが、花や植物の間をくり抜けて、追いかけごっこをしている。
距離は長かった。だが、カレンは、困らなかった。むしろ長居して、くつろぎたかった。
「お召し替えの準備をしております……」
庭を歩き終えると、バロンが左手で、右側の扉を指した。
「国王陛下がお戻りになるまで、時間があります」
涼しい風が、庭の葉や草を鳴らした。
「お召し替えの後は、ご自由に、お城の中を歩き回ってくださって結構です。私には用事がございまして、これで失礼いたします」
バロンの背後、つまり正面の大きな扉が開かれる。バロンはカレンにお辞儀をして、中に入っていった。
バロンの代わりに肌の黒い男が、カレンを案内する。
男のあとを追う。
広い背中は逞しかった。頭は丸く刈られていた。
扉を開くと、中は薄暗い正方形の部屋であった。四面は扉で閉ざされていたが、部屋の四隅に立つ燭台が、光源を確保していた。
カレンは足裏から、絨毯の柔らかさを感じた。赤い絨毯が、鳥か何かを思わせる模様を浮かび上がらせていた。
部屋の中央に、階下に進む階段が柵で覆われていた。
その柵の隣に、長椅子が置かれている。壁際には、女たちが籠や荷物をもって立っていた。
太った女、細い女、背の低い女、そして、年齢がカレンと同じ位の少女だった。全員、肌が黒く、白い服を見にまとい、髪を後ろにまとめている。
女たちはどれも、不機嫌そうな表情をしている。目を合わせないようにしていて、心を読まれまいとしているように、カレンには感じた。
だが、少女だけは、動揺していた。落ち着きなく、視線を泳がせている。
男が階段を降りていく。カレンが追いかけると、女たちが従いて来た。
男の丸刈りな後頭部を見ながら、階段を下りる。見事な剃りあがりに、カレンは感心した。
後頭部から、白い湯気が立ち上った。
いや、カレンのつま先に湯気が触れた。
階段を下りた先は、左手には壁、右側には柱が列になって並んでいた。
壁と天井の隙間には、格子がはめ込まれていて、太陽の光が射し込んでいる。湯気の排出口でもあった。
柱の向こうには、浴槽と大理石の椅子があった。湯気の発生源である。
女の一人がカレンの足下に籠を置く。
男は、カレンに、服を脱ぐ仕草を見せた。
「ここで僕が、脱ぐんですか?」
カレンは頭を掻いた。人前に全裸を晒しても、やぶさかではない。失う物は何もない。
だが、多くの人に、脱ぐ様子を見られる状況は、かえって恥ずかしい。
カレンの頬に湯気が触れる。
(お風呂は大好きだ。入りたいな……)
入浴するには、服を脱がなくてはならない。迷っていると、少女の様子が目についた。
女たちの背中に隠れて、カレンを見たり見なかったりしている。
詳細は不明だが、恥ずかしがっているのだ。
自分よりも恥ずかしがっている人を見ると、恥ずかしさが消し飛んだ。
勢いよく上着を脱ぎ捨てる。
腰蓑に手をかけた瞬間、何か刺す視線を胸に感じた。
丸刈りの男が、眉をひそめて、カレンの胸を凝視している。
カレンは反射的に胸を隠した。
(別に男の人に見られても平気だけど、なんか嫌だ。オズマにもよく見られたけど、この人たちは、僕の胸を見ないと死んじゃう病気なのかしら?)
細い女が咳払いをする。
男はバツの悪い顔をして、背を向けて階段を上がっていった。
(一番風呂だっ)
カレンは喜び、浴槽に足をかけた。だが、太い女に腕を掴まれ、阻止された。
(痛いっ。この女性、力が強い。僕が動こうとも、びくともしない。この女性は、霊骸鎧かもしれないぞ?)
抵抗しても無駄だった。強引に大理石の椅子に座らされた。
女たちに、柔らかい素材の何かで、石鹸を身体に擦り込まれた。
少女は最初、恥ずかしがっていたが、決意を固めたらしく、カレンの頭を揉み洗いし始めた。
女たちの手に、身体を弄ばされながら、カレンは故郷を思い返した。
(お母さん、オズマ……。“魔王城”で女の人たちに身体を洗われるとは、夢にも思いませんでした……)
女の一人が浴槽から桶で湯を汲み上げ、カレンに浴びせる。
湯はカレンの全身を通過し、黒と黄色が混ざった色になって、床の排水溝に飲み込まれていった。
女たちが何か言葉を交わしたかと思うと、また石鹸を身体に塗り込まれた。
一回だけでは、汚れは落ちなかったのだ。
二度洗い、三度洗いを経て、ようやく次の行程になった。
髪を櫛で梳かれた。ハサミが音を立てる。カレンの髪が切り落とされていく。
カレンの銀色の髪が、流れて排水溝に集まる。
前髪の一部分を落とされ、髪を後ろにまとめ上げられた。思えば、ずいぶんと髪が長くなったものである。
女たちに解放され、ようやくカレンは湯船につかった。
温かい湯が、カレンの身体を温めた。
カレンの視界がぼやける。
2
扉が開き、外から男の影が現れた。
トニーだった。
背中の光のせいで、顔がよく見えない。だが、トニーだと分かった。
口を隠して笑っている。
「リコさん、それ女の子の服ですよ」
カレンは、トニーの指摘に自分の服装を見渡した。たしかに、スカートをつけられ、配色も女の子用である。
ヴェルザンディの服装は、男も女も、上下が一体となったスカートであった。スカートの丈は足首が隠れるほど長かった。配色や意匠で男女を区別している。
「笑わないでよ。お風呂に上がったら、いつの間にか着せられていたんだ」
「リコさんは可愛いから、女の子だと勘違いされたんですよ。でも、似合ってますよ。すりすり」
トニーの顔が近づく。気持ちの悪さから、カレンは首を振った。
これは、幻覚だ。
目を開くと、扉は閉まっていた。
カレンは、背中に柔らかい感触を感じた。長い椅子にもたれかかっていた。柵に覆われた、階下に続く階段が見える。
周りには、逞しい男と、女たちが壁に背をつけ立っていた。
トニーの姿は、どこにも見あたらなかった。
風を感じた。
少女が、カレンの横で扇を振って、風を送っている。
少女は優しい笑顔を向けてくれている。
カレンは、自分の服装を見た。
長いスカートで、全体的にピンク色で、袖にはフリルがついている。
カレンは顔に手を当て、立ちくらみに似た感覚を抑えた。
太った女の手を引いた。
「……この服は女の子向けなので、遠慮します。……あの人と同じ服でお願いします」
カレンは、逞しい丸刈りの男を指さした。男の服装は、茶色に染められ、どこか無骨な雰囲気がある。
女たちは首を傾げて、お互いを見た。
カレンは首を傾げた。
「僕の言葉が分からないのかな……。こういうときは、ヴェルザンディでは、どう言うのだろう? ……ワタシィハァ、オトコノヒトノォ、フクガキタイデスゥ。……ぜんぜんヴェルザンディの言葉になっていないや」
太った女と細い女が何か相談し、一旦外に出て、福を一着を持ってきた。
銀色の光沢を放った、白い生地の服を着せられた。肩や裾部分に、金色の刺繍が施されている。
(なかなかカッコいい服だ。服を着せられると、僕じゃなくなったみたい)
白い靴を履かされた。慣れない。普段、裸足なので、カレンは脱ぎ捨てたくなった。
少女が口で手を隠して、カレンを見つめていた。
何か驚かせてしまったのだろうか。カレンには理解できない。
だが、風呂に入り、着替えもした。
「城の中を探検してもいいですか? バロンさんに許可をもらったからいいですよね? 知らない場所に来るとテンション上がりません? ……言葉は分からないか」
カレンが歩き出すと、男は壁から背中を放し、従いて来た。女たちも従いてくる。
カレンは、彼らを勝手に「カレン軍団」と命名した。
カレン軍団は、何も喋らない。ただ、カレンの言葉は理解しているし、カレンと口を聞こうと思えばできるが、カレンと会話したがらない。
カレンは目を閉じて、カレン軍団の心を読みとった。
バロンが、カレン軍団に何か命令をしている。
「余計な発言をしないように」
バロンが穏やかに、しかし威厳のある口調で命令をしていた。カレン軍団は神妙な表情を浮かべている。
(この人たちも大変なんだな。僕のお守りって感じ。そりゃ、田舎から来た野蛮人の子どもなんて、手を焼くだけだろう)
カレンは密かに微笑んだ。最初は煩わしい、と感じたが、太った女も細い女も、ただの人間だと思えば、気分が楽になった。
カレンは、壁を見た。
場所によって、模様が違う。緻密な彫り込みに、つい見惚れる。
壁に手を伸ばすと、太った女が咳払いをする。
吹き放しの通廊から、中庭が見える。中庭には貯水池があり、花々が植えられていた。庭師の老人が、植物の世話をしている。
風呂上がりの肌に、優しげな風が撫でる。カレンは生まれ変わったような感覚になった。
途中、立派で重厚な扉にぶつかった。
太った女が、カレンの背後で顔をしかめている映像が見えた。
「入ってはいけない」
と、実際は言葉を発していなくても、カレンは背後から感じ取った。殺気に近い。
相手の行動範囲を狭める。この女の能力なのかもしれない、とカレンは思った。霊骸鎧であれば、あり得る。
目を閉じると、映像が見えた。
不思議な格好をした集団……頭の上に黄色い鳥の羽をつけて、それぞれの頬に赤い色を塗っている男が扉の前で立っていた。
ガルグにお辞儀をして、中に入っていく。
カレンは目を開いた。
「ここは、他国の王様が泊まる場所なんだよね?」
カレン軍団に聞いて、静かに驚かせた。
3
散歩を続ける。
どの部屋も、壁や天井に細工があり、それぞれが異なっていた。装飾の意味はカレンには理解できなかったが、見応えがあり、発見があった。
奥の部屋にたどり着く。
「ここは……」
四角い横開きの扉があった。
扉の隣に四角い突起物が、はめ込められていた。
クルトの部屋にあった装置に似ている。扉の開き方を思い返した。
手で触れると、後ろのカレン軍団が慌ててだした。
「けっこうやばい部屋?」
振り返ると、太った女が震えている。
やめさせたそうだが、やめさせる権限はないのだろう。
カレンにいたずら心に火がついた。
(……中に入ってやれ)
半透明の突起物に霊力を送り込んだ。
目を閉じた瞬間、白くて、斑点のついた世界が見えた。向こうから、白と黄色の線が伸びてくる。
カレンは突起物に触れた左手で、白と黄色の霊力を放出した。
カレンは、白なら白、黄色なら黄色とそれぞれが当たれば扉が開く仕組みだと瞬時に理解した。
白と黄色を操り、それぞれを結びつけさせた。
手を離し、目を開くと、扉が開いていた。
部屋の中は、夜のように暗い。だが、カレン軍団など構わず、カレンは足を踏み入れる。
中に入った瞬間、扉は閉まり、部屋が白くなった。
白い空間の中から、壁や白い棚が浮かび上がっていく。
本棚は二列に並び、壁にも本棚で埋め尽くされていた。天井も床も白く、わずかに発光している。
(なんとも不思議な部屋だ。部屋そのものが灯りになっている。出入り口の仕掛けといい、クルトのいた場所と仕組みが似ているのかもしれない。……ガルグがクルトの真似をしたのかしら?)
棚の中には本が整頓されていた。
「ここは、ガルグの書庫なのだろうか……?」
カレンは、棚から、厚みのある一冊を抜き取った。
重い。
一文字一文字は読める。だが、文字の羅列となると、カレンの頭を素通りしていく。どのような意味を成しているのか理解できない。
故郷の家に置いある本と違って、文字は細かく、量が多い。
挿し絵のある頁を探したが、挿し絵がなかなか出てこない。絵らしき頁を見つけたが、機械を分解して、部品を説明している内容であった。
「なるほど、ふむふむ。……わからん」
本を棚に戻す。
カレンは棚の間を歩き回った。棚と棚の間に、木製の脚立があった。
ガルグが脚立をつかって、本を探している様子を想像すると笑えた。
脚立に必要は感じない。
自分が読めそうな本が見つからない。そもそも本に興味がない。
(本が好きなオズマを連れてくれば良かった。今頃、犬のように喜んでいるに違いない)
行き止まりに当たった。行き止まりの壁に背を向けて、本棚が立っていた。
この本棚から、いや、本棚を通して、裏の壁から霊力の鼓動を感じる。
壁の奥に、なにかがいる!
カレンは目を閉じた。
ガルグが一冊の赤い本を引き抜いている様子が思い浮かんだ。
目を開き、顔をあげて、赤い本を見つけた。
手を伸ばしても届かない高さにある。
カレンは、脚立を運んで、上に乗る。赤い本を引き抜くと、また半透明の突起物が現れた。
カレンは目を閉じて、片手で触れる。
すると、視界が変わり、向こうから、六本の線が伸びてきた。それぞれ色が違う。
カレンも片手から六本の線を出す。さっきの入り口と同じ仕組みだ。ただ、六本を同時操作しなくてはならず、なかなか難しい。
相手の線は、頭が悪いらしく、こちらの線を避ける傾向にある。いや、わざと避けているのかもしれない。
悪戦苦闘して、ようやく繋がった。
目の前にあった本棚が、白い壁に吸い込まれるように消えていった。
白い壁に、黒い輪郭ができて、扉の形になった。
中に入る。
暗闇の中で、空中に三つの光が、宙に浮かび、一定の動きをしている。 カレンには、それぞれの光が追いかけっこをしているように見えた。
光に触れる。
手に、強い衝撃が走った。




